第17話 風に靡く金Ⅱ

「お涙頂戴は終わったか? どうせ二人とも捕まるんだ、ここでお別れなんてことねぇから安心しろ」

「私はやると決めたことは、どんな障害が立ちはだかろうと完遂する。それがミロワルム王国の武装メイドとしての矜恃です」


 不敵な笑みを浮かべながら歩み寄ってくるラドルフに、ラティラも同種の笑みで答えた。


「必ず私が隙を作り出します。その機を逃さぬように」


 一触即発の空気が漂い始めた中、ラティラは臨戦態勢のまま背後のリベルテにそう言った。

 彼女の言葉にリベルテは真剣な表情で小さく頷く。


「いいねぇ、強気な女は嫌いじゃ無いぜ!」

「私は貴方のような我の強い殿方、願い下げです」


 ラティラが憎まれ口を叩いた直後、ラドルフが口角を吊り上げて笑った。

 直後、彼が地面を割り砕かんばかりに踏み込み、ラティラとの距離を一気に詰めた。


 その手中には先ほど地面を抉り取った漆黒の球体が生成されている。


「そういう口を叩けなくなるよう、屈服させるのが好きなんだ!」


 ラドルフが言葉と共に右手を突き出し、漆黒の球体をラティラに押しつけるように攻撃してきた。


「下衆が……」


 先ほどまでの目付きが豹変し、ラティラの瞳が冷徹な光を帯びた。

 それと同時、彼女の四肢に灰色にほど近い銀の靄が纏わり付き、霞むような速度で右腕が振るわれた。


「ッ……!」


 それは突き出されたラドルフの右手を弾き飛ばし、彼の巨体を大きく仰け反らせる結果をもたらす。


 そして灰銀の靄の残像が残るほど素早い動作で、ラティラは四肢を地面に付いた獣のような体勢になって小さく呟いた。


「【餓狼脚(がろうきゃく)】」


 右脚を軸に、地面に付いた両手を用いて円弧を描くように回転した。


 刹那、灰銀の靄を纏う左脚が円を描き、仰け反っているラドルフの腹部に命中した。


「がッ……!?」


 それは突き抜けた衝撃波によって彼の背後の地面を抉り取り、瞬きの後にその巨体を遙か彼方まで吹き飛ばすという規格外の一撃であった。


 その時の彼女の四肢は灰銀の靄が変化し、肘までを覆う灰銀の毛皮に覆われ、指の先からは鋭い爪が生えていた。


 ラティラが元々備えていた眩い金髪と灰銀の毛並みが相まって、『美しい獣』という形容が相応しいように思えた。


「行きなさい!!」


 そんな彼女の見事な一撃に見惚れてしまっていたリベルテに、ラティラは声を上げて檄を飛ばした。


 はっとしたリベルテはこれが最大の機だということを理解し、開かれたままの隠し通路へと駆け出した。


 ラドルフの奇襲攻撃を躱すため、ラティラがリベルテを抱えて跳躍した距離はそれほど無かった。

 そのためリベルテの脚でも隠し通路まで、すぐに辿り着くことができた。


 しかし――


「全く、貴方は油断しすぎなんですよ……」


 背後に吹き飛ばされていったラドルフを横目に、心配するどころか呆れたといった様子のアレイが、隠し通路に到達したリベルテに向かって手をかざした。


「ごぼっ……!?」


 その瞬間、リベルテの身体が水の球体に包まれて空中に浮き上がった。


「そもそも私たちの目的は姫ただ一人。他に係(かかずら)う必要などないんですよ」


 眼鏡をのブリッジを指で持ち上げながら講釈を垂れるアレイ。

 そんな彼の能力に捕らわれたリベルテは、あまりにも突然の事態に何の対処も出来ず窒息しかけていた。


「舐めるな」


 低い声と共に銀閃が閃いた。


 それはラティラが放った爪撃で、一瞬にしてリベルテを捉えていた水球を切り裂いた。


「がはっごほっ……!」


 水の牢から解き放たれたリベルテはその場に蹲り、空気を求めて呼吸を荒げていた。


「一度破ろうと何度でも作れるのですよ」


 水球を破られたアレイだったが、余裕の姿勢を崩すこと無く、再びリベルテの周囲に水を生成し始めた。


「させると思っているのですか?」


 刹那、いつの間にか彼我の距離を詰めていたラティラが爪を振るい、アレイの首を飛ばそうとした。


 それによって彼は後退を強いられ、リベルテの周囲に発生していた水は支配から逃れて地面へと落下した。


 その隙を見逃さなかったリベルテはすかさず隠し通路へ飛び込み、入り口を塞ぐイメージを思い浮かべた。

「くっ! させるか……!」


 目標であるリベルテが逃げようとしている様子に焦ったアレイは、彼女に向けて水の槍を放った。

 石の壁が隠し通路の入り口を閉ざそうと上部から下降してはいるものの、この速度では水の槍を阻むことは出来ない。


 そんな中、リベルテは瞳を閉じてラティラの方向に両手をかざしていた。


 その行動は自分の身を守る手段では無い。

 彼女はラティラを信じ切って、あることを試みているのだ。


「ふっ……!」


 そんなリベルテを横目に、ラティラはその信頼に応えるよう、高速で彼女に迫っていく水の槍をいとも簡単に打ち砕いた。


 直後、リベルテが瞼を持ち上げたと同時に虹色の光が発生し、ラティラの全身を包み込んだ。

「これは……」


 その正体を、ラティラは溢れる全能感で悟った。

 これは王国の魔導師が使用する強化魔法で、それをリベルテの能力で模倣し全て重ね掛けしたのだ。


「ラドルフ! いつまで遊んでるのですか!?」

「わぁってるよ!」


 瓦礫と化した建造物の下敷きとなっていたラドルフがそれらを吹き飛ばし、リベルテに向かって突貫してきた。


「負ける気がしません」


 しかしその巨体をラティラの細腕が受け止める。


 彼女は圧倒的な劣勢にありながら柔らかな笑みを浮かべていた。


 リベルテが自身を思って与えてくれた恩恵。

 そんなものを受けて、簡単に屈するわけにはいかない。


「ご武運を……!」


 閉ざされていく隠し通路の中から、リベルテは祈りを捧げた。

 そして最後に見たラティラはラドルフの剛撃を受け止めながらも振り返り、笑みを浮かべていた。


 それを見届けた直後、リベルテの視界を冷たい石壁が覆い、視覚的にも物理的にもラティラたちと隔てた。


「くっ……!」


 リベルテは後ろ髪引かれる思いを意思の力でねじ伏せ、反対側に向き直りながら外側の壁が開くイメージを思い浮かべた。


 壁が開ききる前にそちらへ歩を進めると、そこには戦いの轟音の最中であっても逃げ出さなかった馬がおり、リベルテが背に跨がるのを待っていた。


「良い子ですね……」


 彼女は美しい毛並みを撫でるとその背に飛び乗り、石壁が開ききった瞬間に鞭を打つ。

 そしてたった一人、月夜が煌めく夜へ駆け出した。


 背後からはラティラたちの激闘を物語るように轟音が断続的に鳴り響いていて、その振動がリベルテの胸に鈍い痛みを与え続けていた。


 しかしそれを振り切り、隣国へ向けて馬を走らせ続けた。



 ミロワルム王国を出てから五分ほど。リベルテは懸命に馬を走らせ続けていた。

 こんな夜半に街道やその付近で休もうものなら、すぐに見つかってしまう。


 木を隠すなら森の中。

 リベルテは隣町に逃げ込み、変身して束の間の休息を取るつもりでいた。


 隣町までは後一〇分も走れば到着するだろう。

 彼女は夜風に白銀の髪を靡かせながら、そろそろ変身して隣町に入る準備をしなければと考えていた。


 そんな時だった。


 彼女の背後、その上空がまるで真昼のように一際明るく閃いたのは。


「ぅ、あっ……!」


 刹那、熱した鉄の棒で貫かれたような、耐えがたい痛みがリベルテを襲った。

 それは彼女の右大腿部を貫き、地を蹴っていた馬の身体をも貫いてしまう。


『ヒンっ……!』


 何かに貫かれた馬は体勢を崩して地面に倒れ込み、背に乗せていたリベルテを放り出した。


「がっ、ぁ……!」


 直前まで舗装された土の道を走っていたが、リベルテの身体は道の左右に広がっている森林、その左側の奥へと吹き飛ばされた。


 地面に叩き付けられた衝撃と、それによって脚の傷を突き抜けた激痛に、彼女は一瞬呼吸を停止させた。


 痛みによってスパークした視界が色を取り戻すと、右脚の太ももから溢れる血が緑の草むらを赤く染めている光景が彼女の目に映った。


 一体何が起きたのか。

 彼女の思考は痛みと疑問で埋め尽くされていた。



「ずいぶん遠くまで逃げたんやなぁ、姫さん」



「っっ……!」


 ぐちゃぐちゃの思考を纏めていたリベルテに、独特のイントネーションを有する青年が声をかけてきた。


 彼女はその姿を認めるや、目を見開いて顔面から血の気を失った。


 癖のある黒髪に夜のような黒瞳を備えている中肉中背の青年。

 顔には一度見たら忘れることが出来ない、仮面のように不気味な笑みが貼り付けられている。



「ヴェル……クリエ……!」



 そう。

 彼こそがミロワルム王国を陥落させた転移者集団を率いる頭目 ヴェルクリエ。


 その力は他の転移者たちから頭一つ抜けており、一体何人の騎士や魔導師の命を奪ったか分からないほどだ。


「そんな怖い顔するなや~。せっかくのべっぴんさんが台無しやで~?」


 鼓動と共に響く激痛に堪え、額に脂汗を浮かべながらもリベルテはヴェルクリエを睨み上げていた。


 しかしそんなことはどこ吹く風。

 彼は笑みを貼り付けたまま、飄々とした様子でリベルテに歩み寄ってくる。


「くっ……!」


 近付いてくるヴェルクリエから逃げるため、リベルテは貫かれた右脚を引きずりながら森の奥へと進んでいった。


「ま~だ逃げる気力があるんか。ならかくれんぼといこうや。十秒待ったる」


 必死に逃げ出したリベルテの背に感嘆の声を投げかけ、笑みを深めたヴェルクリエは瞼を閉じて数を数え始めた。


「ふっ、ふっ……!」


 激痛でまともに歩けないリベルテは、呼吸を荒げて右脚を引きずりながらも、必死に彼から距離を取っていた。


 これではまるで獲物を追い詰めた狩人と、手負いの獣のようだ。

 悔しさに歯噛みしながらも、今のリベルテには逃げ惑うことしか出来ない。


「きゅ~う……じゅう! さ~てどこにおるかな~」


 それほど遠くない場所から十を数え終えたヴェルクリエの声が聞こえてきた。

 しかしリベルテはそれでも逃げる脚を止めなかった。


「こんな状況でも頭使えるなんて、さっすが一国の姫さんやね」


 ヴェルクリエの感嘆の声が遠くから聞こえる。

 リベルテは限られた時間の間、少しでも遠くへ逃げられるよう、一度進んだ道を戻って敢えて血痕を分岐するように残していたのだ。


「けどまぁ、これでもう仕舞いやで」


 しかしフェイクの血痕が途切れたであろう場所から嘲笑うような声が聞こえてきた瞬間、白閃が暗闇を穿った。


「っ……!?」


 その一瞬でリベルテは危機を察知し、咄嗟に地面に倒れ込んだ。


 直後、ヴェルクリエがいるであろう方向から放たれた光線が木々を貫き、リベルテの左肩を掠めた。


「っっ……!」


 ほんの少しだが肩の肉を抉られた。

 その激痛に絶叫しそうになったものの、位置を悟られる危険性を鑑みて唇を強く噛み締める。


 しかしそれを耐えたからと言ってこの状況を打開する手立てなど、今のリベルテにあるはずも無い。

 右脚には歩行さえ満足にままならないような大怪我を負い、左肩にも無視できない傷を負ってしまった。


『ちゅー』


 歯噛みしながら地べたに這いつくばっているリベルテの元に、一匹のネズミが駆け寄ってきてつぶらな瞳を向けてきた。


 王城にいる頃は汚いものとは無縁の生活を送っていたリベルテ。

 そんな彼女がネズミに見下ろされる日が来るなど、誰が想像出来ただろうか。


「はは……」


 それを思った瞬間、リベルテの心が諦念に蝕まれ始めた。


 ここからどう足掻いても、転移者の魔の手からは逃れられないのでは無いだろうか。

 しかしそんな諦めの思考が過ぎった時、これまで彼女のために犠牲となった者たちの顔が次々と脳裏に浮かんだ。


 数多くの騎士や魔導師たち、国王と王妃である父母、そして最後までリベルテを守り続けてくれたラティラ。


「くっ、うぅ……!」


 彼女たちの屍の上を渡り歩いて、リベルテは今ここにいる。

 それを思えば簡単に挫ける事など出来るはずが無い。


 リベルテは倒れ込んだ身体を持ち上げ、再び立ち上がろうとした。

 そこでふとまだ目の前にいた一匹のネズミと視線が交錯する。


 その瞬間、電撃が走ったようにリベルテの脳裏に現状の打開策が閃いた。


「お~い姫さん、どこに隠れたんや~?」


 呼び声と共に近付いてくる足音に、リベルテは焦躁を露わにした。


「ごめんなさい……!」


 そして目の前のネズミに手をかざし、模倣した魔導師の電撃魔法を極小威力にまで落としてぶつけた。


 一撃で気を失ったネズミをリベルテはそっと右手で包み込んだ。

 そして瞼を閉じ、この場から唯一逃れられるかも知れない打開策を講じた。



「おったおった。ってさっきの一撃が肩を掠めて気絶しとったんか」


 悠然と現れたヴェルクリエは、地面に倒れ伏したまま気を失っているリベルテを見つけて納得したように呟いた。


「割とあっけない幕引きやったな。さっさと連れ帰って、オレの理想の笑顔を浮かべられるまで教育せんとな……」


 気を失っているリベルテを担ぎ上げ、ヴェルクリエは口角を吊り上げた薄気味悪い笑みを浮かべていた。


「ん……?」


 しかしその笑みをすっと引かせて、彼は草むらの一点に視線を向けた。

 そこには一匹のネズミがおり、その様子をじっと見つめていたのだ。


「なんや、ただのネズミやんけ」


 ヴェルクリエはその小汚いネズミを数秒間見つめると、小さな笑みを浮かべ直して背を向けた。

 そして気を失ったリベルテを肩に担いだまま跳躍し、空を駆ける流星のようにミロワルム王国の方角へと飛び去っていった。


 それを見上げていた一匹のネズミは逆方向へと駆け出し、森を抜けたところで蔦に脚を絡め取られて転んでしまった。


「うぁっ……!」


 刹那、そのネズミの輪郭が一瞬歪み、瞬きの後に白銀の長髪を揺らす美少女へと変身した。


 否、さきほどヴェルクリエに連れて行かれたはずのリベルテがそこにいたのだ。


「いか、ないと……!」


 リベルテは全身の力を振り絞って立ち上がり、右脚を引きずりながら隣町への道を少しずつ進み始めた。

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