第16話 風に靡く金Ⅰ

「申し訳ございません! 私の想定が甘すぎました……!」


 リベルテとラティラは城下町から馬に乗って、城壁の東端を目指していた。


 町中では目立つため手綱を引いて出来るだけ早く移動していた。

 しかし人気の無くなった路地裏に入ってすぐに、二人で一頭の馬に跨り全速力で目的地を目指しているのだ。


「いえ、誰も他国の援軍が壊滅させられるなんて、思ってもみなかったはずです……」


 ラティラに抱きつく形で馬に乗っているリベルテは、先ほど知った情報を口にして苦々しい表情を浮かべた。


 ミロワルム王国は転移者集団の侵略を受けてすぐ、隣国に救援依頼を行っていた。

 しかしそこからたった二日で王城を落とされ、五日目の昨日に捕虜となった国王と王妃が公開処刑されてしまった。


 城下町に身を隠したリベルテを引きずり出すための処刑だったが、国王である父の最期の言葉を聞いて、彼女は亡命することを決意したのだ。



『お前は私たちの死を、転移者に屈すること無く死したという事実を、生きて後世に残すのだ』



 城下町の広場で行われた公開処刑で散々痛ぶられ、壮絶な死を遂げる間際にもかかわらず父たちは威厳を失うことが無かった。


 脳裏に焼き付いた彼らの最期を思い返して、リベルテは瞳を揺らす。


 父と母が公開処刑された日、リベルテは一晩中泣き続けた。

それで全てを押し流し、今は生きるために前を向かなければならないと決意したはずだ。


 胸に手を当ててそこに灯った覚悟の炎を確かめると、リベルテは伏せていた瞳を前へ向けた。


 目の前では眩い金の長髪を靡かせ、凛と背筋を伸ばしたラティラが馬を駆っていた。


「廃棄場が見えてきました。酷い臭いなのでお気を付けください」


 迷路のように入り組んだ路地裏を抜け、二人は城下町の東端に置かれた廃棄場に入った。


「うっ……!」


 路地裏を抜けた途端、リベルテの鼻腔を強烈な臭いが襲い、思わず鼻を押さえながら目を眇めてしまった。


 しかし堆(うずたか)くごみが積まれているという訳では無く、分別して区画ごとに壁で仕切られているため、馬が走る通路は確保されていた。


「ここです……」


 ラティラは馬を制動し、あるごみの区画の前で止まった。


「っ……! ここは……」


 廃棄場に入った瞬間の比ではない悪臭が漂うこの場所は、生ごみが纏められている区画であったのだ。


 そのあまりの臭気にリベルテは軽くえずき、瞳を潤ませている。

 さしものラティラでさえも表情を歪めていた。


「このような場所に足を踏み入れさせてしまい、申し訳ございません……。ですが王家の隠し通路は人が寄りつかないような場所に作るのが道理ですので……」

「それが当然の対応です……」


 二人は悪臭に耐えながらも生ごみの区画の真裏、国を囲む城壁の前に立った。


 それを見上げたリベルテは、他の城壁とほんの少しだけ色が異なっている事に気が付いた。

 目を凝らさなければ分からないほどの違いだが、隠し通路の存在を知っている者に、場所が分かるようになっているのだろう。


「姫さま、この通路は王家の血に反応して開きます。少し痛むとは思いますが、何卒」


 そう言いながらラティラが差し出してきたのは、小ぶりのナイフであった。

 血に反応するという説明から、このナイフは出血させる用途なのだろう。


「分かりました」


 それを理解したリベルテはそれを受け取り、意を決して親指の腹を浅く切った。


「っ……!」


 鋭い痛みで表情を歪めた彼女だったが、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 瞼を持ち上げると小さな傷から血が滴っており、自傷が成功したことに安堵した。


「それをこちらの壁に押しつけてください。そうすれば姫さまの意思に応じて開閉することが可能となります」


 リベルテは小さく頷き、聳え立つ城壁に指の腹を押しつけた。

 するとそこを中心として、石材と石材の接地面に薄らと赤い光が迸った。


 高さは大柄な男が通れる程度、横幅は人が二人ほど横一列に並んでも通れる程度までその燐光が広がっていく。


 直後、地鳴りのような音が響くと、赤い光に切り取られた部分が城壁の上部へ吸い込まれるように収納されていった。


「凄い……」


 開くことを念じた直後、目の前で起こった現象にリベルテは呆然としていた。

 そんな彼女の横を通って、ラティラは開いた隠し通路の中に入っていった。


「こちら側は城壁の中を一直線に抜け、王城の食料庫に繋がっていたのですが……」


 ラティラの金髪を追ってリベルテが隠し通路の内部に入ると、入って左側の壁に手を触れて申し訳なさそうに呟いた。


 襲撃されてすぐに判断を下し、こちらのルートで早々に逃げていればこれほど苦労することは無かったのではないか、とラティラは言外に自分を責めているのだろう。


「仕方が無いです。城内は転移者の襲撃で恐慌状態に陥って、食料庫に向かう余裕なんてなかったのですから」


 襲撃直後の城内は王城の魔導師や騎士たちと転移者の乱戦状態に陥っており、どこから逃げるかなど考えている余裕は一切無かった。

 それを思い返して、リベルテは自責の念に駆られているラティラに笑みを向けた。


「そう、ですね……」


 彼女の笑みに、たらればを考えていても状況は変わらない、とラティラは思考を切り替えた。



「「っっ!!」」



 直後、開いたままだった隠し通路の入り口の方向から凄まじい爆音が鳴り響き、生ごみの区画が跡形も無く吹き飛ばされた。


 轟音と、流れ込んできた悪臭に顔を顰める二人だったが、入り口の方向に向かって強烈な引力に引かれたように身体を引き寄せられてしまった。


「きゃあっっ!」


 隠し通路から強引に引き出され、リベルテは悲鳴と共に地面に転がってしまう。

 ラティラの方は体勢を崩すこと無く片膝立ちの状態でなんとか着地していた。


 そして二人同時に気が付く。

 生ごみが大量に遺棄されていた区画が吹き飛んだというのに、自分たちがいる地面には塵一つ無いことに。


「お~お~。ようやく見つけたぞ、姫さんよ~」

「全く、こんな薄汚いゴミ溜めに隠し通路があったとは……恐れ入りましたよ」


 廃棄場の煙の奥から現れたのは黒髪黒瞳の二人組であった。

 それは紛れもなく転移者の特徴で、亡命間際の二人にとって絶望的な光景だ。


 それでも目の前の二人は、転移者集団を統率しているヴェルクリエという青年ではないことが唯一の救いだ。

 確かこの二人は彼の側近のような立ち位置の転移者であったはずだ。


 荒い言葉遣いの、大柄で筋肉質な青年は確かラドルフ。

 そして中肉中背で丁寧な言葉遣いの、眼鏡をかけた青年はアレイと呼ばれていたはずだ。


「よくもまぁオレたちから何日も逃げられたよなぁ。変身能力ってのは厄介極まりねぇ」


 ラドルフは自身の胸の前で右掌を上に向け、そこに黒々とした球体を生み出しながら笑った。

 それは周囲に満ちる煙を吸い寄せているようで、霧が晴れるように視界が良好となっていった。


「けれど貴女たちが城下町から逃げることを選んでくれて助かりましたよ」


 アレイは大仰に両手を広げながら語り始めた。


「こちらにはこの国全体を監視できる者がいましてね。街中から迷い無く廃棄場に向かっていく二人がいると聞いて急行してみれば……大当たりでした」


 その言葉にラティラは戦慄していた。

 自分の選択がこの絶体絶命の状況を作り出してしまったのだと。


 判断ミスが折り重なって、リベルテは未だ窮地の真っ只中に置かれ続けている。

 その自責の念でラティラは押しつぶされそうになっていた。


 しかしその思考をラドルフ野太い声がかき消した。


「てことで、もう鬼ごっこは終わりだぜッ!!」


 彼は先ほど発生させた球体ごと右手を大きく振りかぶり、ラティラに向けてそれを放った。


「失礼します……!」


 迫り来る球体に怖気を感じた彼女は、リベルテを横抱きにして射程の直線上から逃れた。


 刹那、先ほどまで二人がいた場所で漆黒の球体が圧縮されたように一瞬で消滅し、瞬きの後に地面を大きく抉り取った。


「「っ……!」」


 息を呑んだのは二人同時。

 転移者という強大な存在が秘める力に、彼女たちは絶句していた。


「よく気付いたな。メイドとは思えねぇ身のこなしだ」


 ラドルフはラティラの咄嗟の動きに感嘆を漏らしていた。

 そして首を鳴らしながらアレイの前に出て笑った。


「アレイ、ここはオレ一人にやらせてくれ。このメイドは食い応えがありそうだからな」

「はぁ、好きにしてください……。私は戦いが好きというわけではありませので」


 一歩前に出たラドルフとは対照的に、呆れた表情を浮かべたアレイは身を引いた。


 相対するラティラとしては少しだけ気が休まる状況となったものの、転移者が秘める力は一騎当千、いやそれ以上。


「姫さま、私が隙を作ります。その間に隠し通路に飛び込み、城下町側を閉ざして外へお逃げください」


 ラティラは抱き上げていたリベルテを降ろし、背に庇いながらそう告げた。


「そんな! 貴女を置いていくなんてできません!」


 転移者二人を相手にしなければならない死地にラティラたった一人を置いていくなど、リベルテに許容できるものでは無かった。

 しかしそんなリベルテに鋭い視線と言葉が返る。


「甘えたことを抜かさないでください!」


 ラティラの一喝に、リベルテはびくりと肩を跳ね上げた。

 これまで彼女が声を上げたことなど一度も無かったため、リベルテは驚愕していたのだ。


「この国でたった一人の王家の生き残りである姫さまと、一介のメイドである私の命の価値が等価であるはずが無いのです」


 その言葉を理解できないほど、リベルテは愚かでは無かった。

 しかしそれでも彼女の感情はラティラを置いていくことを許さない。


「貴女までいなくなったら、誰が私を守るというのですか!」

「……貴女は、これまで貴女のために散っていった多くの命を背負っている。自分が生きることが彼らの悲願だということを理解しているはずだ」


 駄々を捏ねたようなリベルテの言に、ラティラはリベルテを横目に小さく微笑んだ。


 彼女がこんな子供じみた我が儘を口にしたのは、自分に命を落とさせないためだということを理解していた。

 そのためラティラはこんな状況でありながらも、自然と笑みを浮かべてしまったのだ。


「死した者たちの魂は貴女の中に在り続けます。貴女が生きる限り、彼らの灯火は決して消えない」

「で、ですが……」

「生きなさい!!」


 ラティラの一喝に、リベルテの弱音は吹き飛ばされてしまった。


「お父君の言葉をお忘れですか?」


 そしてその言葉によって、リベルテは自分が何を優先すべきかを明確に思い出した。


 唯一の王家の生き残りである自分がすべきこと。

 それは骸の上を歩んででも生き抜き、父母や使用人たちが身命を賭した事実を後世に残すことだ。


 それと同時に、自分が生き残ることは、いつかこのミロワルム王国を取り返す火種になり得る。

 それがどんなに小さな種火だとしても、消えない限り燃え続けるのだ。


「っ……! わかり、ました……」


 リベルテは血が滲むほど強く唇を噛み締めると、意を決してラティラの指示を許諾した。


「それでこそ私がお仕えした姫さまです」


 感情を抑え込んでいるリベルテを見たラティラは、満足そうな笑みを浮かべながらラドルフに向き直った。

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