第11話 紅血の記憶Ⅱ

「っ……!」


 不気味なイメージが頭の中で弾けた直後、フラムの意識は現実へと引き戻されていた。

 しかしエクレールが首を切り裂かれたことは事実として眼前に広がっている。


 フラムの視界は自身の無力と、転移者の少年への怒りで真っ赤に染まった。


 刹那、穿たれた両肩から溢れる鮮血が紅蓮の炎と化して爆ぜた。


 その結果、フラムを拘束していた氷の杭が砕け飛び、身体の拘束が解かれる。


「はぁ!? 何で俺の氷が……!」


 突然の出来事に素っ頓狂な声を上げる少年であったが、フラムの姿が掻き消えていることに気付いてはっとする。


 しかしそれは後の祭り。


 フラムが磔になっていた位置から、少年が立っている位置までの空間に紅蓮の炎が迸った。

 それを少年が知覚した瞬間には、彼の右腕が中を舞っていた。


「は……?」


 少年は宙を舞う腕を凝視しながら、情けない声を零した。


 その間にフラムは首筋を切り裂かれたエクレールを彼の腕から奪い返し、彼女の自室である奥の部屋の中でようやく停止した。


「ごめんな……守ってやれなくて……」


 フラムは大粒の涙を零しながら、青ざめたエクレールの身体を地面へと横たえた。

 零れた涙は彼女の頬に落ちる寸前で、紅蓮の炎の熱波によって蒸発してしまう。


「俺の腕がぁぁぁぁ!!」


 ようやく自分が腕を斬り飛ばされたことを理解したらしく、元の部屋の方から醜い叫び声が聞こえてきた。


「すぐ戻ってくるからな……」


 青白い肌を自身の鮮血で真っ赤に染めたエクレールに儚く笑いかけ、声のした方に向き直ると、その瞳から一切の感情を排す。

 そしていつの間にか右手の中に生成されていた炎の短剣を握り締めた。


 エクレールの自室からゆっくりと元の部屋へと戻り、激痛にのたうち回っている転移者の少年を睨み付けた。


「おま、お前ぇぇぇ!! 一体何をしやがったぁぁぁ!!??」


 半狂乱状態の少年は腕を失った肩口を必死に押さえながら、血走った目でフラムを睨み付ける。

 彼はその瞳に一切動じること無く、底冷えするほどの冷徹な視線を返した。


「ただ斬っただけだ。俺の妹に触れていた薄汚い肉塊を……」

「ふざけんじゃ、ねぇぇぇ!!!」


 フラムの言葉に激昂した少年は、聞くに堪えない叫びを上げながら巨大な氷塊を飛ばしてきた。


 その表面には数字のようなものがまとわりついている。

 先ほどフラムを拘束していた杭と同じように、時間を凍てつかせる効果を帯びているのだろう。


 しかしフラムはそれを一切考慮せず、右手の短剣を突き出した。

 切っ先が氷塊に触れた瞬間、内側から紅蓮の炎が吹き出して氷の塊を粉々に吹き飛ばした。


「なっ……ぁ……!?」


 目の前で起こったことが理解出来ない転移者の少年は、口を開いたり閉じたりを繰り返していた。

 その隙を突いて、フラムは一気に彼我の距離を詰めて短剣を振るった。


 紅蓮の炎が軌跡を描き、今度は少年の左腕を肩口から斬り飛ばした。

 そしてそのまま流れるように足払いをして彼を転倒させる。


「ぎぁぁぁぁぁぁ!!!」


 左腕を斬り飛ばされた激痛に絶叫を上げてのたうち回る少年。

 フラムはそんな彼の上に馬乗りとなり、頭部を目がけて右手の短剣を振り下ろした。


「やめろぉぉぉぉ!!!」


 振り下ろされた短剣、というよりフラムの腕を目がけて四方から鋭い氷柱が放たれた。

 それは彼の腕を穿ち、一瞬で右腕全体を凍結させた。


「ッ……! いい加減、死んでくれ」


 しかしそれに目もくれず、フラムは空いている左手に再び短剣を生成した。

 そして目にも止まらぬ速さで振り抜く。


 しかしそれは甲高い音を伴って、彼の首元で食い止められてしまった。


「ははは!! 訳の分からねぇ炎だが、こんだけ分厚い氷には歯が立たないらしいなぁ!!」


 転移者の少年の首筋目がけて薙がれた短剣は、幾重にも重ねて生成された氷の層によって阻まれていた。


「お前は、この世界に生きていちゃいけない存在だ……」


「ふざけんなぁ! せっかく異世界転移して、これからだってのに……。こんなところで殺されてたまるかぁぁぁ!!!」


 フラムが短剣の刃を押しつける力を強め、少年が氷の異能を全力で発動させる。

 首筋を守る分厚い氷から放たれる冷気の波動が、フラムの左手までをも凍結させていく。


「お前だけは、絶対に、許さない……」


 感情を失ったようなフラムの冷たい瞳に、何もかもを焼き尽くすような瞋恚の炎が灯った。

 それに呼応するように、彼の左腕全体が紅蓮の炎に包まれた。


「この命が燃え尽きたとしても……」


 感情の発露に、フラムの左腕ごと炎の短剣が爆炎を上げた。


 その威力で氷の層が次々と弾け飛び、あと一枚というところまで突き進んだ。


「やめろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

「お前だけは、殺すッッ!!!」


 裂帛の呼気と共に短剣が振り抜かれる。


 刹那、紅蓮の炎が斬撃と化して転移者の少年の首を断ち、家の壁をも叩き斬った。


 炎の出力が凄まじかったせいか、刎ねられた少年の首は灰すら残っていなかった。


 フラムの凄絶な一撃によって絶命した転移者の少年の身体は、魂が抜け落ちたようにぐったりと力を失う。


 そして馬乗りになったフラムの下で彼の身体が弾け飛び、黒い粒子となって周囲に霧散していった。


 転移者が死した後には衣服の一片さえ残らない。

 この場にいた残滓さえ一切無く、残されたフラムは紅蓮の炎で炎上する部屋の中央で呆然としていた。


 彼の右腕は完全に凍結しており、左手も一時とはいえ冷気に晒されたため凍傷によって真っ赤に染まっていた。


「エクレール……」


 しかし自分の傷など意に介さず、彼は奥の部屋に寝かせたエクレールの、否、彼女の亡骸の元へ向かった。


 エクレールが死んでしまったのであれば、フラムに生きている理由など無い。


 自身が生み出した紅蓮の炎が家を焼き尽くさんと燃え盛り続けている様を、彼は茫然と眺めていた。


 唐突に使えるようになった力の抑え方をフラムは知らなかったため、彼はエクレールと共にこの炎に巻かれてしまおうと考えていた。


 しかし辿り着いた部屋の中に横たわる最愛の妹の様子が、先ほどとは異なっていた。

 相変わらず血色は失われているものの、薄らと瞼を持ち上げていたのだ。


 そして彼女の首に深く刻まれた傷は数字が纏わり付いた氷に覆われており、止血されていた。


「ぇ、エク、レール……!!」


 転移者の少年もフラムと同じように力を得たばかりで、コントロールが上手くいかなかったのだろう。

 自身を守る氷を生成した際に、エクレールの傷も凍結していたらしい。


「ぉ……ぃちゃ……」


 首筋を掻ききられたため、彼女の声は空気が混じってほとんど言葉になっていない。

 けれどフラムは彼女が自分のことを呼んでいると理解した。


「喋らなくて良い! 今俺が助けてやるからな!」


 涙で視界が滲んでいるものの、フラムは彼女の身体を持ち上げようとした。

 しかし右腕は全体が凍結、左腕も重度の凍傷で使い物にならない。


「ぐっ……あぁぁぁぁ……!」


 しかし凍傷だらけの左手のみでエクレールを持ち上げ、凄まじい激痛に耐えながら燃え盛る家から外を目指した。


 いつもならすぐ出られるはずなのに、今だけはこの小さな家が地平線まで続く荒野のように感じた。


 凍傷の激痛と多量の煙を吸い込んだことで意識が朦朧とする中、牛のように緩慢な足取りで少しずつ出口へと近付いていく。

 しかし真上の位置にあった梁が燃焼によって剥がれ落ち、彼の頭上に降り注いできた。


「ぁ……」


 フラムはそれに気付いたものの、満身創痍のうえエクレールを抱えていては躱すことが出来ない。

 彼はせめて妹だけは守ろうと身体を丸めて彼女を庇った。


「…………?」


 だが来たるべき衝撃がフラムの背を襲うことはなかった。


 それに気が付いて顔を上げた彼の視界からは、先ほどまで燃え盛っていた炎の一切が消えていた。

 代わりに目の前に立っていたのは純白の青年だった。


 真っ白な長髪に灰色の双眸。そんな白い青年はこちらを見下ろして優しげな笑みを称えている。


 フラムは彼の姿を見て、自分は死んだのだと錯覚した。

 純白の彼はまるで天使のようで、自分と妹を迎えに来てくれたのでは無いか、と。


「よく転移者に抗ったな」


 フラムは彼の優しい言葉を聞いて、涙が溢れてきた。

 それと同時に全身から力が抜け、死んだように倒れこんで気を失ってしまった。


   ◆ ◆ ◆


 このとき現れた青年こそルティム・ゴーシェナイトであり、彼の仲間の力によってエクレールは一命を取り留めた。


 しかし転移者の妄執とも呼べる、時間を凍てつかせる氷が彼女を深い眠りに縛り続けている。


 フラムはその氷を溶かす手段を見つけ出すため、ルティムの手を取ったのだった。


 こうしてフラムは【盟約の朱ヴァーミリオン】の一員となり、【復讐者(ヴェンデッタ)】として、修羅の道を歩むこととなった。



 最愛の妹を喪ったに等しいあの日を境に、フラムの人生は激変した。


 あの日の出来事が燃え盛る復讐の炎を壮絶なまでに強めた。

 そしてドス黒い感情を収斂した、全てを焼き尽くす紅蓮の炎の異能を目覚めさせたのだ


 癒えない致命傷を負ったエクレールはルティムによって【慈母のエレオティナ・箱庭ガーデン】に運び込まれ、辛うじて命を繋いでいる。


 ここはヴィオレによって創造された世界で、内部では時間が経過しない。つまり老化や病などが進行することが無いのだ。

 それは傷も例外では無く、塞ぐことの出来ないエクレールの傷から溢れる血さえ止めることが出来た。


 しかし停止しているとはいえ、致命傷となっている傷が残っている間は起こすわけにもいかない。

 そのためプリエの能力で脳を休眠状態にして、エクレールは永い眠りについている。


 フラムの炎であれば氷を焼き尽くすこともできるが、致命傷を覆っているものを燃やせば彼女の命を脅かしかねないのだ。


 氷を解くことが出来る『何か』を見つけるまで、彼女はこうして眠り続けることになる。


「ッ……!」


 エクレールの首に残る痛々しい傷と、それを覆う忌々しい氷を見つめて、フラムは表情を歪めた。


 フラムは【慈母の箱庭】に帰ってきた時、いつもこうしてエクレールの顔を見に来る。

 その度に彼は妹を守れなかった自分の不甲斐なさに、打ちひしがれているのだ。


 そうしてどれくらいの時が経っただろうか。

 部屋の扉が控えめにノックされ、外から声がかけられた。


「フラムさん、いらっしゃいますか?」


 それは探るような声音で、ここに彼がいるかどうか確信は無い、といった様子の声であった。


「あぁ」


 その問いかけにフラムは一言だけ返すと、木製の扉がゆっくりと開かれた。


 部屋に入ってきた来訪者は眩いほどの銀の長髪を揺らしながら、後ろ手で静かに扉を閉めた。


「やっぱりここに居たんですね」


 来訪者、リベルテは小さくはにかんでフラムの元へと歩み寄ってきた。


 彼女はこの部屋に入ると、いつも物音を立てないように静かに行動する。

 いくら寝室とはいえ、部屋の主が物音程度で起きるはずも無いのに律儀だな、とフラムはいつも感心している。


「どうした?」

「あ、作戦がまとまったのでその報告と……エクレールさんの顔を見に……」


 フラムから視線を移し、ベッドで眠り続けるエクレールに目を遣ったリベルテは、小さな笑みを浮かべた。


「そうか……。それで、団員たちの理解は得られたのか?」

「はい。私の過去を隠す事なく話したら、皆さん背中を押してくれました」


 リベルテは静かに、けれどとても嬉しそうに答える。

 フラムはその報告に瞑目した後、問いを発した。


「作戦の方は当初の予定通り、陽動の裏で俺たちが頭を潰すということで良いのか?」

「はい。先ほどプリエさんが選んだ少数精鋭で王を討ちます」


 決意を胸に真剣な表情で頷く。しかしその発言にフラムは少しだけ眉をしかめた。


「……リベルテ、奴らは王なんかじゃ無い。身勝手な略奪者で、傲慢な支配者だ」


 フラムは無表情で自身の手元に視線を落とし、そこに紅蓮の炎を灯した。


「っ! そう、ですね……」


 フラムが放つ殺気のような威圧感に、リベルテは思わず息を呑んだ。

 これは決して彼女に向けられたものでは無い。


 その先にいる転移者へ向けられた、不可視の反逆の刃だ。


「作戦決行はいつだ?」


 ふっと手元の炎を消したフラムは、リベルテの方に視線を戻して問いかけた。


「……四日後の夜、満月の日です」


 リベルテは緊張した面持ちで決行の日時を伝えた。


 自身の国を取り戻す戦いを前に、彼女は自身の覚悟を再確認しているようであった。


「それまでの間に私たちはルートの下見と、当日城下街に他の団員の方々を転移させるため、ヴィオレさんの転移陣を設置することになりました」


 あらかじめ街にヴィオレの陣を敷くことによって、作戦決行と同時に陽動隊を城下町に送り込めるという算段だ。


「あぁ、分かった」


 フラムは素っ気なく答えると、ベッドの側に置いてある木製の椅子から立ち上がった。


 エクレールの寝顔を一瞥すると、背を向けて出口の方へと向かう。

 そしてリベルテと視線を交錯させながらすれ違い――


「勝つぞ」


 背中を向けたまま、たった一言だけ呟いた。


「……はい!」


 無愛想な言葉だったが、リベルテはそれに勇気付けられた。


 四日後の戦いは苛烈なものになるだろう。

 けれどリベルテにとって、この戦いは命を賭してでも勝利しなければならないものだ。


 奪われたもの全てが帰ってくることは決して無い。

 それでもリベルテは、この手で掬い上げられるものは絶対に取り戻すと固く誓った。

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