第10話 紅血の記憶Ⅰ
フラムとエクレールは物心ついたときから母親のルミリアとの三人暮らしであった。
エクレールを身籠もってすぐ父親は蒸発してしまったらしく、彼女は女手一つでフラムたちを育ててきた。
フラムは年齢的に父親と接している期間があるはずだったが、それを思い出そうとすると記憶に靄がかかる。そのうえ耐え難い頭痛に襲われるため、彼は極力父親に関して思い出そうとはしなかった。
フラムたちが暮らしていたのは小さな村で、貧しいながらも幸せに暮らしていた。
しかしそんな日々は唐突に終わりを告げた。
何もない小さな村は、転移者が支配する近隣の大国同士の戦争の巻き添えに合い、略奪や陵辱によって一方の国の属地と化してしまった。
村人たちは奴隷扱いされ、日々馬車馬のように強制的に働かせられていた。
エクレールは幼く、かつ病弱であったため労働を免除されていたが、フラムは子供ながらに肉体労働に従事させられていた。
しかしもっと酷い扱いを受けていたのはルミリアであった。
この村は転移者が戦争行う際の補給地点として利用されており、頻繁に彼らが出入りしていた。
そんな中、奴隷と化した村人の中で、美しい女性だけが彼らの住居に呼び出される事が多々あった。
ルミリアは艶やかな赤髪で、村の中でも有数の美女であったため、頻繁に呼び出しを受けていたのだ。
当時幼かったフラムは分からなかったが、今であれば女たちがどのような扱いを受けていたかなど一目瞭然であった。
ルミリアはその呼び出しから帰ってくるごとに憔悴していき、やがて精神を病んでしまった。
艶やかだった赤髪はボロボロになり、全身が窶(やつ)れて見る影も無くなってしまった。
そのまま彼女は衰弱し続けていき、やがて息を引き取った。
そして最期にルミリアが遺した言葉は、フラムを絶句させる真実であった。
そうして妹のエクレールと二人だけで暮らしが始まり、フラムの中で沸々と黒い感情が湧き上がっていた。
それは転移者への復讐。
その燃え盛るような感情を胸に、フラムは労働の合間に自身を鍛え始めた。
こんなことをしても転移者の異能を前にすれば、一瞬で殺される事など理解していた。それでも何か行動していなければ、自身の黒い感情に飲み込まれてしまいそうだったのだ。
己を鍛え続ける日々を続けているうちに戦争は終結し、属地となった村は廃棄された。
転移者の支配から逃れることはできたものの、奴隷のような扱いを受ける中で村人の数は激減していた。生きていても精神を病んでいたり、寝たきりになってしまった者が大半であった。
そして廃棄された村で暮らし続けていく中で、フラムとエクレールを再び悲劇が襲った。
彼は決して忘れない。
あの日起こった悲劇と、必ず遂げると心に決めた誓いを。
◆ ◆ ◆
フラムは廃村同然の村でエクレールと二人、なんとか暮らしていた。
ある日、彼が帰宅すると家のドアが半開きの状態になっていた。
「エクレールか……?」
妹のエクレールが玄関で何かをしているのかと考え隙間から覗き込むと、見覚えの無い黒髪の少年が家の中を漁っていた。
「っっ……!!」
フラムは燃え上がった怒りをなんとか押さえ付け、現状を確認する。
家の中は荒らされているものの、まだこの部屋以外には手をつけていないようだ。
その様子から察するに、奥の部屋にいるエクレールの存在には気付いていないのだろう。
彼女も眠っているのか、この事態にまだ気付いてないらしい。
家の中を漁ることに夢中な転移者の少年の様子を伺い、フラムは常備していたナイフを抜き放つ。そして隙を突いて彼に斬り掛かった。
「おぉぉぉぉ!!」
「なっ!?」
転移者の少年は突然の事に行動が一瞬だけ遅れた。
躊躇いなく振るわれたフラムのナイフは彼の首筋を切り裂き、あたりに鮮血をまき散らした。
「いっ……!! くそっ!!」
しかしすんでのところで身を躱していたのか、一撃で命を刈り取るには至らず、大振りの拳でフラムは頬を打ち据えられた。
それによって一旦距離を取ったフラムは口内に広がる鉄の味を感じながらも、転移者の少年を睨みつけた。視線の先にいる彼も、首から多量の血を流しながらフラムを睨み付けていた。
「な、なんなんだよお前! いきなり斬りかかってくるとか、頭おかしいんじゃねぇの!?」
その瞳には自身を傷付けた敵に対する怒りと、突然の出来事への動揺が見て取れた。
「他人の家を漁ってる奴に言われたくない!」
「はぁ!? ここ廃村じゃねぇのかよ!?」
ナイフを構えたまま、フラムは転移者の少年に近付いていく。
彼は怯えたように後退りながらも悪態をついた。
「ざっけんな! こんな何もねぇ家漁っただけで殺されかけるとか、どんなクソゲーだよ!」
フラムに対する反応や服装を見る限り、彼はこの世界に転移してきたばかりなのだろう。
だとしたらまだ異能に目覚めてすらいない可能性がある。今のうちに殺しておけば被害をもたらす前になんとか出来るかも知れない。
「痛ぇよ……。なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ……!」
首に刻まれた傷を押さえながら嘆く転移者の少年に向かって、フラムは容赦なく追撃を行った。
「クソクソクソクソクソ、クソがッッ!!!」
しかしナイフの間合いに入った直後、転移者の少年の体表を黒い雷のようなものが迸った。
刹那、フラムの両目を突き刺すように、鋭い切っ先を持つ氷柱が放たれていた。
「っっ!?」
突然すぎる反撃にフラムの身体は条件反射で動き、一本の氷柱をナイフで割り砕く。
そしてもう一方は大きく身を躱すことで頬を浅く抉るに留まった。
「くっ……!」
その傷は重度の凍傷となってフラムの神経を苛んでいるものの、今目の前の彼から意識を外せばその瞬間に殺されることも理解していた。
「ははは! 一気に形勢逆転だな。これがチート能力ってやつかぁ?」
フラムには理解できない異世界の単語を口にしながら、転移者の少年は下卑た笑い声を上げた。
彼の周囲には冷気が漂っており、先ほど付けた首の傷も凍結することで止血されていた。
「俺は異世界転移の主人公だ! 村人Aなんかに殺されてたまるかよ!」
そう叫びながら転移者の少年が右手を振るうと、空中に氷柱が生成され、一気に放たれた。
フラムは一瞬の判断で地面を蹴り、転移者の少年の方に向かって駆け出した。
回避不能な氷柱はナイフで砕き、掠る程度のものは無視して突っ込む。
そして間合いに入り、凍結された首筋の傷目がけてナイフを振り上げた。
転移者の少年はフラムが突っ込んでくるとは思っていなかったのか、驚愕を顔に貼り付けている。
「おぉぉぉぉ!!」
閃いたナイフは少年の凍結した傷に命中し――
「っ!?」
甲高い音を伴って、半ばから折れてしまった。
「なぁんてなぁ……! この氷は特別性みたいでな、時間ごと凍らせてるらしいぜ。時間を凍らせる力、まさにチートって感じだよなぁ!!」
「がっは……!」
ナイフを弾いた転移者の少年は能力をコントロールしつつあるのか、氷で形成した巨大な槌でフラムを吹き飛ばした。
「ほら、磔だ」
槌によって壁に叩き付けられたフラムに向けて氷の杭が放たれる。
「ぐあぁぁ!!!」
それは両肩を穿ち、彼は磔の状態にされてしまった。
激痛に堪えて身動きを取ろうとしても、まるで肩から根が張ったようにびくともしない。
転移者の少年が先ほど語ったように、この氷は時間ごと周囲を凍結させているのだろう。
「ははは、無様だなぁ」
こちらを見下して嘲笑を浮かべる転移者の少年。そんな彼をフラムは睨み上げていた。
しかしその視界の端で木製の扉がゆっくりと開き、奥から小さな人影が現れた。
「お兄ちゃん……?」
それは奥の部屋で眠っていたエクレールだった。
彼女は寝ぼけ眼を擦りながらフラムに呼びかけた。
「ダメだ、来るなエクレール!」
フラムのただならぬ剣幕によってエクレールは意識を覚醒させたのか、目の前に広がる光景に腰を抜かしてしまった。
「誰……? それにお兄ちゃん、肩が……!」
「俺のことはどうでも良い! はやく逃げろ!」
必死にエクレールを逃がそうとするフラム。
しかしその必死の形相を見た転移者の少年は、口角を吊り上げて嗤い、腰を抜かした彼女の方へ歩み寄っていった。
「お前、何する気だ……? やめろ……やめろ!!」
エクレールに歩み寄っていった少年は彼女の腕を引き寄せ、強引に立ち上がらせた。
そして後ろから腕を回して彼女の身体を固定し、生成した氷刃を彼女の首元に突きつけた。
「エクレール!!!」
「お兄、ちゃん……」
転移者の少年によって首に手を回されているエクレールは、苦しそうにフラムを呼んだ。
恐怖からか目尻には大粒の涙が溜まっている。
「よくもやってくれたよなぁ……。凍らせたからってまだめちゃくちゃ痛ぇんだ。お前には俺以上の苦しみを味合わせてやらないとなぁ……!」
「妹には手を出すな! 俺のことを好きなだけ切り刻めば良いだろ!」
転移者の少年が何をしようとしているかを理解したフラムは、腕が引きちぎれそうなほどもがいた。
しかし両肩に突き刺さった氷柱はびくともせず、静かにフラムの身体を壁に縫い付けていた。
「はぁ? そんなことで俺の気が済むと思ってんのかよ。苦痛に歪む表情もいいが、心がぶっ壊れる瞬間を見せてくれよ!」
狂気。
そう表現するのが相応しいほど、目の前の少年は正しく狂っていた。
「やめろ……」
少年が鋭利な氷刃を振り上げる。
その光景を見つめていることしか出来ないフラムは、自分をズタズタに切り刻みたくなった。
「やめてくれ……」
それを逆手に持ち替え、切っ先がエクレールの方向へ向けられる。
その鈍い輝きを目にして、エクレールは目を見開いた。
「やめろ、やめろ、やめろ……」
一切の容赦なく、氷刃が振り下ろされた。
それは死刑執行のギロチンのように、一直線にエクレールの色白な首元へと振り下ろされていく。彼女はなんの罪も犯していないというのに、だ。
無慈悲な氷の手に心臓を掴まれているように、その光景はフラムの全身に怖気を走らせる。
刹那、彼の頭の中に強いノイズが走った。
それはどんどん肥大化していき、耐え難い大音となって反響する。
頭の中で雷が迸っているかのような凄まじい痛みがフラムを苛み続ける。
「お兄ちゃん!」
しかしそれはエクレールの叫び声によってかき消された。
ぎゅっと閉じていた瞳を咄嗟にそちらへ向け直すと、鋭い氷刃が彼女の首筋を切り裂いていた。
「ぁ……」
後に引き起こされたのは鮮血の雨。
エクレールの小さな身体のどこに、これほどの血潮が内包されていたのだろうか。
そんな感想が思い浮かぶほど、多量の血霧が部屋を満たした。
その瞬間、フラムの感情が振り切れてしまった。
彼の心を埋め尽くすのは虚無、虚無、虚無。
自身の命よりも大切な存在を守れなかった無価値な自分を苛み、心が打ち砕かれてしまったのだ。
ガラス片のように打ち砕かれた心が舞い散る真っ黒な空間。
フラムはそこに立ち尽くしていた。
しかし頭を割り砕くようなノイズが、先ほどよりも一際大音響でフラムの全身に迸った。
そしてフラムの全身を紅蓮の炎が包み込み、極大の火柱が立ち上った。
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