第7話 慈母の箱庭

 湖の半ばで立ち話をしていた四人は、プリエがアジトと呼んだ白亜の宮殿まで歩を進めた。


 水面から上へと伸びる大階段の前まで近付くと、この宮殿がどれほど巨大なものか実感できる。


 宮殿を見上げながら大階段を上りきったリベルテは、振り返って自身がいる空間を見渡した。


「フラムさんたちと出会ってから半年ほど経ちますが、何度見ても凄いですね……」


 高所から見渡す鏡面のような湖は、浮き世離れした美しさを誇っている。


 リベルテは何度もこの光景を目にしているはずだが、未だに目を奪われてしまうのだ。


「そっか、リベちゃんが【盟約の朱ヴァーミリオン】に来てからもうそんなに経つんだね」


 【盟約の朱】。それがフラムたちが属する組織の名前だ。


 活動目的は中島海人を処理したように、この世界に滅びをもたらす存在である転移者を処分することだ。


 団員のほとんどは転移者によって大切なものを奪われており、彼らを憎んでいる。


 この世界の害である転移者を根絶し、平和を手にしようと暗躍しているのが【盟約の朱】という組織なのだ。


「リベルテ殿が半年、フラム殿とプリエ殿が四年、私が七年」


 アヴェルスは名前を呼びながら順番に視点を移していく。

 名前の後に付いている年数が示すのは、彼らが【盟約の朱】に入団してからの年月を示している。


「もうこの団に四年もいるのか……。実感が無いな」

「そ? ウチは結構経ったな~って感じするけど☆」


 フラムが白亜の宮殿を見上げながら呟き、彼の背中をぽんぽんと叩きながらプリエが明るく笑った。


 そんな二人をアヴェルスが穏やかな笑みを称えて見守っている。


 三人のそんな関係性に、団に入って日が浅いリベルテはどこか寂しげな笑みを浮かべていた。


「リ~ベちゃん! なにぼ~っとしてんの、行くよ☆」


 いつの間にか宮殿の入り口まで進んでいた三人がこちらに振り返っていた。

 そしてプリエが駆け寄ってきてリベルテの手を取る。


 彼女は繋いだ手から伝わる暖かな温もりを感じて、柔らかな微笑みを浮かべながらプリエに引っ張られていった。



 プリエを先頭として四人は宮殿の中へと入っていった。

 外観とは異なり内装は暖かみのある木造で、明らかに宮殿の外観から推測するよりも狭くなっている。


 それもこの空間が能力によって創り上げられた場所であり、その主によって自在に作り替えられているためだ。

 宮殿の実寸のままの内装にしてしまうと、広すぎて逆に利便性に欠けるのだ。


「あら~! みんな、おかえりなさ~い」


 拠点である宮殿に帰ってきたフラムたちを、間延びした女性の声が出迎える。


 プリエがそちらに振り向くや、巨大で柔らかな何かが顔に押しつけられた。


「うぎゅ……。ふわぁ~……柔らかくて良い匂い~☆」


 振り返った瞬間に顔面を何かに包まれたプリエだったが、あまりの柔らかさと艶やかな香りに恍惚とした表情を浮かべていた。


「ヴィ、ヴィオレさん、そのくらいで……」


 プリエの顔面を包み込んでいるのは、リベルテにヴィオレと呼ばれた大人びた女性の豊かな胸であった。


 彼女は先頭にいたプリエを見るや、自身の胸に引き寄せて力強く抱き締めたのだ。


 自身の色香と相まった紫色の衣装に身を包み、頭には同色のとんがり帽子を載せている。

 その下にはウェーブがかったライトブロンドの髪が伸ばされており、それが彼女の柔らかな印象をさらに強めていた。


「あら~? リベルテちゃんもして欲しいのね~」


 プリエの表情があまりにも溶けきっていたので止めようとしたのだが、ヴィオレにはそれがおねだりに聞こえたようだった。


「あ、いえその、私は……」


 ヴィオレがプリエの抱擁を解くと、彼女は恍惚の表情を浮かべたまま地面に倒れ伏した。


 それを目にしたリベルテは冷や汗を浮かべながらゆっくりと後退った。

 しかし後退していく内に背中が壁にぶつかってしまい、完全に退路を断たれる。


「ぎゅ~~!」


「はぅ……!」


 そしてヴィオレによって慈しむように抱き締められてしまった。


 極上の柔らかさとくらくらするような甘い香りは、リベルテの意識を遠退かせそうになるほどであった。


「だ、だめです~」


 飛びそうになった意識をなんとか引き戻し、リベルテはヴィオレの両肩を押し返して抱擁から逃れた。


「ふぃ~……相変わらず凄まじい威力だったよ……☆」


 その背後で、恍惚の表情を浮かべながら倒れていたプリエがゆっくりと立ち上がった。


「今日も激しいね、ママ。プリエ、昇天しちゃいそうだったぞ☆」

「うふふ、だって無事に帰ってきてくれる事が嬉しいんだもの。あら、フラム君とアヴェルスくんも」


 女子二人の背後に立っていたフラムたちを見つけたヴィオレは、両手を広げて二人の元へ駆けていった。


 そして彼女はアヴェルスの一歩前に立っていたフラムへ狙いを定め、熱い抱擁を――


「お帰りなさい」


 しなかった。


 ヴィオレは柔らかな笑みを称えながら、赤錆色の短髪に覆われたフラムの頭をそっと撫でる。


 次いで深海のような深い藍色の長髪が流れるアヴェルスの頭も同じように優しく撫でた。


「ただいま帰りました」


 その行動にフラムは瞑目し、アヴェルスは朗らかな笑みを浮かべて挨拶を返した。


 先ほど見せたヴィオレの過剰なまでのスキンシップは、以前までは男女問わずに行われていた。

 しかし団長の指示で、彼女は泣く泣く男子に対しては軽めのスキンシップを取るようになったのだ。


「リベちゃんが入る前くらいまでは男も女も構わずだったんだけどね~。健全な男子があの色香を至近距離で食らうのは毒でしょ、って意見が女子陣から上がってあんな感じになったんだよ☆」

「ま、まぁそうなりますよね……」


 にこにこしながらフラムの顔をのぞき込んでいるヴィオレに目を遣って、リベルテは苦笑いを浮かべた。


 遠目からでも分かるほど主張した豊かな双丘はとろけるように柔らかく、彼女から漂う甘い香りが天にも昇るような気分にさせてくれることをリベルテは身をもって体験している。


 同性でさえそうなのだから、異性があの色香に触れたら正気など保っていられるはずが無い、とリベルテは激しく納得する。


「ヴィオレ、団員たちを集めてくれ。プリエが次の作戦の情報を手に入れた」

「あらあら。ならすぐに集めないと」


 フラムの言葉に、ヴィオレは頬に手を当てながらそう呟いた。

 そして胸の前で掌を上にかざすと、そこに紫色の宝石が出現した。


『みんな~次の作戦会議をするから、来れる子は大円卓の部屋に来て~。外にいて厳しい子は音声で聞いててね~』


 ヴィオレがその宝石に向かって発声すると、この空間全てに反響するように彼女の声が拡大された。


 この宮殿は、いや空間全体はヴィオレによって創り上げられたものであり、彼女によって管理されている。


 そのため声を届けることなど用意であり、それどころか無から有を創り出すことさえ可能である。


 フラムたちが身につけている装飾品もまた、ヴィオレが作成したものだ。

 彼女と、彼女が創り出した装飾品間であれば、この空間にいなくとも音声を聞くことが出来るという機構になっている。


 また、この空間への通行許可証も兼ねており、承認された団員のみが身につけることが出来る装飾品である。


 フラムとリベルテが入ってきた入り口のように、あらかじめ転移陣が刻まれた場所から装飾品を団員の証明とし、この空間に転移することが出来る仕組みとなっている。



 彼女、ヴィオレ・ウィスタリアによって創造された空間、【慈母のエレオティナ・箱庭ガーデン】はフラムたちの拠点として世界から隔絶された位相に存在している。


 この空間は彼女が保っている限り、外敵の侵入を絶対に許さないという、鉄壁の拠点なのだ。

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