第5話 復讐者

「うっ……!」


 その瞬間を見計らってリベルテは海人の手を振り払い、彼の身体を押しのける。

 そして両手を頭部の方向にかざした瞬間、首と頭部が完全に分かたれた。


 直後、リベルテの掌が黄緑色の炎を纏い、同時に海人の首と頭部の断面に同色の炎が灯った。


 ごとりと鈍い音を立て、海人の頭部が石畳の上を転がる。しかし断頭されたというのに、血が一滴も吹き出していないのは異様な光景だ。


「な、なんだんだよ、これはぁぁぁ!?」


 自身の置かれている状況を理解し、いや理解を拒否するように海人は叫び声を上げた。


 リベルテに突き飛ばされて仰向けに倒れている身体は、腹部が上下運動を繰り返している。

 こうして思考して呼吸を荒くしているのだから、頭部も全く問題なく機能しているのだろう。


 それらが海人の命が続いていることをありありと証明している。

 いや、証明してしまっているのだ。


 頭部と身体を分断されているにもかかわらず、命を繋いでしまっている今の状況を理解出来ずにいる海人は血走らせた目を見開いていた。


「おい、リベルテ! どうなってんだよこれぇ!?」

「っ……!」


 必死の形相の海人に睨み付けられたリベルテは恐怖に身を竦ませるも、かざしている掌だけは決して動かさなかった。


「お前は一時的に死を遠ざけられているだけだ」


 海人の問いに答えたのはリベルテではなく、彼の首が落ちる直前に聞こえた声の主であった。


「今お前の生死にはあいつの力によって掌握されている。あいつのさじ加減でお前の運命は決まる」

「なッ、なんなんだよお前!?」


 右頬を石畳に押しつけたまま身動きが取れない状態の海人。声の主はそんな彼の視界に入るように歩み寄ってきた。


 身長はリベルテよりも少し高い程度で、赤錆色の頭髪と深紅の双眸を備えている少年であった。

 彼の右手には紅蓮の炎で形成された短刀が握られており、転がっている海人の頭部に冷酷な視線を送っていた。


 その瞳からはおよそ感情というものが読み取れず、見上げている海人はどっと冷や汗を吹き出した。遠く離れた身体の方では、背筋を冷たい汗が伝っていることだろう。


「質問に答えろよ! お前はいったひッッ!」


 喚き散らす海人の口元すれすれの石畳に、紅炎で形成された短剣が目にも止まらぬ速さで投げつけられた。


「あっちッッ!?」


 瞬間、そこを中心として炎の波が一瞬だけ広がり、海人の頬を軽く焼いてすぐに収まった。


 声高に喚いていた海人は短剣を投げつけられた恐怖と、頬を焼いた炎によって大人しくなり、畏怖を宿した瞳で赤銅色の少年を見上げた。


「少し黙れ、転移者。喚き散らされると頭に響くんだ」


 赤銅色の少年はこめかみに手を当てながら、呆れ果てたように嘆息した。そして再び冷たい視線を海人に向けた。


「俺はフラム・ヴェンデッタ」


 少年は自分の名前を口にすると、海人の目の前に突き刺さっている短剣を拾い上げた。

 そしてその切っ先を彼に向けながら言葉を継ぐ。


「お前たち転移者を根絶やしにする、【復讐者ヴェンデッタ】だ……!」


 フラムと名乗った少年は地を這うような低い声でそう言い放つ。それに合わせて、拾い上げた紅炎の短剣が音を立てて燃え盛った。


「ッ……!」


 その様子に海人は頬を引き攣らせ、しかしフラムに対して言葉をぶつけた。


「どうして俺は殺されなきゃならないんだ! 転移者はいずれこの世界に害をなす存在になるなんて決めつけて、何も知らないまま殺すなんてあんまりだろ!」

「彼女の姿を見てみろ」


 フラムは炎の短剣で、座り込みながらも懸命に力を行使しているリベルテの方を指し示した。


 海人がそちらに目を向けると、彼女は上半身の衣服を剥ぎ取られて水色の下着姿を露わにしており、左肩からは多量の出血が見られた。


 フラムと海人に見られたことで身じろぎしたものの、彼女は力を行使し続けているため、身体を隠すことはしなかった。


「彼女をあんな姿にしたのは誰だ? 他でもないお前だろ」

「くッ……! けどそれは、あいつが急に俺を殺そうとしてきたからで……」

「そうかもしれないな。けどお前たち転移者を放置していたら、いずれ彼女のような犠牲が山のように増えるんだ」


 フラムはリベルテから視線を外し、再び海人の頭部に目を向ける。


「どれだけまともな人間だったとしても、転移者はいずれ【悪神の囁き】によって箍を外される。力に飲まれた証拠が、お前の身体を迸っていた黒雷だ」


 フラムによって淡々と語られる事実に、海人は思い当たる出来事を体験していたため、息を呑んでしまった。


「それでも、俺は彼女の力になりたいと本当に思ってたんだ……。殺されそうにならなければ、あの声を聞くことだって無かったはずだ……」

「一つ、転移者がもたらした悲劇を教えてやる。転移者が害悪と見なされ、世界中でお前たちを根絶する動きが始まってすぐの話だ――」


 

 とある少女は一人の転移者の少年に命を救われた。しかし世界は転移者を根絶することを決定して間もない頃だったため、少年は行く先々で命を狙われる事となった。


 しかし少女は少年に命を救われた恩義から、彼を見捨てる事なく共に逃げ続けた。しかし手練れによって編成された追っ手を退けることは出来ず、先に少女が捕まってしまった。


 そこで少年は少女を取り戻すための力を欲し、【悪神の囁き】を聞いてしまった。


 この世界の理を逸脱した力を得ると共に、少年は欲望の箍を外されたのだ。


 そうして少年は追っ手を皆殺しにして少女を救い出した。けれどこれまで優しかった彼は豹変し、少女に襲いかかった。



「ここから先は語るまでもないだろう。転移者は善行せよ悪行にせよ、感情が大きく動いたとき、黒に染まる。どれだけ正しいことをしようとしても、その感情は裏返ってしまう」


 フラムの説明に、海人は絶望したような表情を浮かべて石畳を見つめていた。


「……かよ」

「なんだ?」


 絶望の表情のまま海人は何かをぼそぼそと呟いた。


 そして次の瞬間、彼の表情が豹変し、大声を上げた。


「知るかよって言ってんだ!!」


 激昂する海人にフラムは氷点下の視線で応じる。それでもなお、彼は怒りを収めない。


「俺たちを勝手に黒く染める奴も、殺そうとしてくる奴も、全員クソだ!!」


 目を血走らせながら喚く海人に呼応するかの如く、仰向けに倒れていた彼の身体がひとりでに起き上がった。


「殺されてやってもいいが、お前らも道連れだぁぁ!!」


 彼の身体から黒雷が迸り、掌があらぬ方向へと向けられる。


 直後、そこから不可視の攻撃が発生し、その直線上にある建物を吹き飛ばした。


 しかしそれでも止まること無く、彼はそのまま腕を振り回した。

 不可視の破壊は直線的に起こっており、長大な柱を振り回しているかの如く、周囲を削り取りながらフラムとリベルテに襲いかかった。


 フラムは自身に迫った不可視の柱を跳躍することで回避し、着地と同時にリベルテの方に駆け出した。


「ダメっ……!!」


 突然のことに対処できずにいるリベルテは、迫り来る不可視の柱に対する回避行動を取れなかった。


「しッッ……!」


 しかし間一髪のところで間に合ったフラムが紅炎の短剣を一閃。


 直後、不可視のはずの攻撃に着火し、斬り付けた場所から炎が逆流して海人の身体に引火した。


「ぎぃあぁぁぁぁぁ!!??」


 首と身体が離れていても感覚は繋がっているのか引火した瞬間、離れた位置にある頭部が耳を劈くような悲鳴を上げた。


 灼熱によってより一層暴れ回り始めた海人の身体は、未だ不可視の攻撃を放ち続けている左手を振り乱した。


 その様子を冷静に見つめるフラムは、炎に焼かれる灼熱の痛みによって暴れ回る海人に向けて右手をかざした。



「【爀炎の鍛冶神イラファトス】」



 そして微かな声で呟いた。


 すると暴れ回る海人の身体の周囲に紅蓮の炎が瞬き、次の瞬間には円を描くように紅炎の長剣が出現した。


 刹那、不可視の攻撃を周囲に振りまいていた海人目掛けて剣たちが放たれ、八方から串刺しにした。それ放っていた掌にも剣が突き刺さり、彼の全てを焼き焦がした。


「リベルテ、もういいぞ。あいつは違う」

「は、はい……」


 紅蓮の炎に照らされながら、フラムは振り返ってリベルテに声をかけた。

 彼の言葉の意味を理解したリベルテは手を下ろし、海人が炎上してもなお保ち続けていた緑色の燐光を消し去った。


「ぁ……」


 それによって海人の首と身体の断面から夥しいほどの血が噴き出すと共に、切り離された首の方にも紅炎が引火してその命を燃やし尽くした。


 命が喪われた彼の身体から紅炎が消え、後には黒焦げの亡骸だけが残った。


「うっ……」


 その無惨な姿にリベルテは思わず口元を押さえた。


 ついさっきまで同じ時間を過ごしていた人間が、今は黒焦げの肉塊と化している。

 その事実に彼女は押し潰されそうになっていた。


「同情する必要なんて無い。奴らを人間だなんて思うな」


 冷徹なフラムの言葉の直後、海人の身体が黒い粒子となって弾ける。そしていつの間にか夜の帳が降りていた空へと立ち上っていった。


 彼ら転移者の亡骸がこの世界に残ることは無い。

 死した者は海人のように黒い粒子と化して空へと昇っていく。

 彼らは誰にも悼まれることなく世界からひっそりと消滅し、生きた証一つ残すこと無く虚しく消え去るのだ。


 しかしその果てに、彼らが元の世界で生まれ変わることをリベルテは切に願っていた。


「さて、リベルテ。どうして作戦通りに奴を誘導しなかった?」

「それは……」


 リベルテは問いかけの返答に窮した。


 本来の作戦では海人の心を開き、油断したところで路地裏に誘い込んでフラムと共に殺すという流れだったのだ。

 しかしリベルテは路地裏の別ルートを抜けて、街と夕陽が眺望できる高台に海人を案内した。


 そこで暗殺を決行したものの失敗し、半ば追い詰められながら当初の決行予定地である路地裏まで誘い込んだのだ。


「あの場所の方がより油断させられるかなと……」

「嘘だな」


 目を逸らしながら答えたリベルテに、フラムは嘘だと即断する。それにぎくりとした反応を見せる彼女に、フラムはため息を吐いた。


「……もういい。なんとか処理は済んだからな」


 呆れられたようだったが追求は免れたようで、リベルテは胸を撫で下ろす。

 そしてそのタイミングでフラムは何かをこちらに放ってきた。


「わぷっ……」


 それは彼が羽織っていた丈の長い外套で、突然のことにリベルテはそれを頭から被ってしまった。


「その姿では街を歩けないだろ。羽織っておけ」


 リベルテは頭から被った外套を手元にかき集めながら、不思議そうに小首を傾げる。

 そして自身の身体に視線を落として、一気に頬を紅潮させた。


 海人との戦闘に気を取られて完全に忘れていたが、今のリベルテは上半身が淡い水色の下着一枚だけというあられもない姿であったのだ。


 それを理解した彼女は手元にかき集めた外套を再び広げ、その身に纏った。


 自分でも忙しない動きだとは思ったものの、異性の前で肌を晒すなんて顔から火が出てしまいかねないほど恥ずかしいのだ。


「任務は完了した。拠点に戻るぞ」

「は、はい……」


 しかし目の前にいるフラムという少年は、全くもってリベルテにそういった目を向けてこない。

 見られたいと思っているわけではないものの、全く何の反応も示されないのも、それはそれで釈然としないものがある。


 ただ、彼に関していえばリベルテだけでは無く、他の誰にだってそのような目を向けることは無いのだ。


 フラムの心の中にあるのは転移者への復讐心と、たった一人の家族に向けられる愛情のみなのだ。

 この世界から転移者が根絶されるまでは、彼が色恋などに現を抜かすことは無いだろう。


 背を向けて路地裏の道を進んでいくフラムを追いかけるため、リベルテは急いで立ち上がろうした。


「つうっ……!」


 しかしその振動で左肩の傷に激痛が走り、彼女は再びその場に蹲ってしまう。


 海人の初撃によって抉られた傷の位置に心臓があるかのように、どくどくと脈打ちながら血が溢れてくる。


「負傷していたんだったな。拠点まで連れて行くから、少し我慢してくれ」

「え、ちょっ……!?」


 蹲ったリベルテの元にすぐさま戻ってきたフラムは、仏頂面のまま彼女を横抱きに抱えた。


 いわゆるお姫様だっこというやつである。


「だ、大丈夫です! 自分で歩けますか――くぅ……!」


 突然のことにフラムの腕の中でじたばたと暴れるリベルテだったが、再び左肩が痛んで顔を顰めた。


「大人しくしてろ。俺のわがままでプリエの回復能力を奴に使わせたんだ。その責任くらい取る」


 そう言うや、フラムはリベルテを抱きかかえたまま、建物の屋根まで跳び上がった。


 そしてすぐさま着地点を蹴って屋根伝いに夜の街を駆けた。

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