第3話 亀裂
「はい、カイトくん。温かいうちにどうぞ」
「えぇ~……」
笑顔のリベルテが紙皿に載せて手渡してきたものは、現実世界でよく見るもののオンパレードだった。
「お好み焼きにちゃんとソースとマヨネーズ、それに青のりまでかかってるよ……。異世界感全くないんだけど、いいのかこれ……」
海人はお好み焼きを受け取りながら、苦笑いを浮かべる。
その様子を見たリベルテは、口元に手を遣りながらくすりと笑って言葉を継いだ。
「この世界へ転移者が流入し始めたのは、何百年も前のことです。転移者の文化・文明はもう定着したと入っても過言では無いんですよ」
「なるほどなぁ……。マヨを作るイベントみたいな定番はもう出来ないってことか……。ってうまいな!」
紙皿と共に渡された割り箸を割り、ソースとマヨネーズが絡み合ったお好み焼きを口へと運んでいく。
割り箸まで再現されていることに感心していると、口の中に広がった旨みの衝撃がそれを上回った。
「現実世界のものと遜色ない……ってかこっちのが美味いくらいだよ!」
口の中に広がる旨みに感激した海人は、次々に残りのお好み焼きを平らげて掌を合わせた。
「ごちそうさまでした」
「ふふ、おなか空いてたんですね」
ぺろりとお好み焼きを平らげた海人を見て、リベルテは思いついたように手を叩いた。
「しょっぱいものを食べたら飲み物が欲しいですよね。あ、でも甘いものも……」
「い、いや、お好み焼き食わせてもらっただけでもありがたいから……」
「そうだ、あれを買いに行きましょう!」
「ちょ、リベルテさん!?」
海人の言葉を無視して、リベルテは彼の手を引いてどこかに向かい始めた。
そんな二人の様子を物陰から観察する怪しげな人影が一つ。
漆黒のフードで相貌を隠し、裾の長い外套を翻して彼らの後を追跡し始めた。
「はいどうぞ。飲み物で、かつ甘いのでデザートにもなりますよ」
「うっそぉ……」
リベルテにが手渡してきた円筒状のカップは透明なガラス製だった。それを見た海人は異世界に来てから一番驚愕していた。
透明なカップは白茶色の液体で満たされており、そこには黒々とした球体がいくつも沈んでいる。
初めてこれを見れば不気味だと感じるかも知れないが、海人はこの液体、というより球体の正体を知っている。
「これってもしかしなくても……」
「はい、タピオカミルクティーです!」
満面の笑みのリベルテの言葉に、海人は頭を抱えて盛大なため息を吐いた。
異世界に転移してきてまでこいつを見ることになるなんて、誰が想像していただろうか。
リベルテが歩いてきた方向に目を向けると、そこには行列が出来ており、様々な種族のうら若き乙女たちが談笑していた。
「異世界の女子をも虜にするタピオカ……恐るべし……」
列を形成する女子たちを横目に、海人はタピオカの魔力に恐れ戦いていた。そんな彼を心配するように銀髪の少女がのぞき込んでくる。
「あの、タピオカお嫌いでしたか……」
「あ、そういうわけじゃ無くて……。そもそも嫌い以前に飲んだことも」
「そんな! もったいないです、飲んでみてください!」
海人がタピオカ未体験だったことを知った瞬間、リベルテはぐいと顔を近付けてきて右手に持った容器を突き出してきた。
「分かった分かった! 分かったからほっぺたに押しつけないで! ちめたい!」
冷えたミルクティーで満たされたガラス容器はひんやりとしており、頬に押し当てられるとかなり冷たさを感じる。
強引なリベルテの手から容器を受け取り、突き刺さっている太いストローに恐る恐る口を付ける。そしてゆっくりと中身を吸い上げると、口の中にミルクティーのまろやかさが広がり、直後にタピオカ本体がぽんっと転がり込んできた。
「んんっ!」
それを噛みしめるや、海人は目を見開いて驚く。タピオカのもっちりとした食感と、ミルクティーのほのかな甘みがマッチして、口の中にまろやかな味わいが広がっていく。
「はぁ……うま……」
それを飲み下した海人は、小さくため息を吐きながら感想を零した。
「そうですよね!? 私も大好きなんですよ!」
海人の率直な感想に対して嬉しそうに笑うリベルテ。そんな彼女の無邪気な表情に彼の目は奪われていた。
こんなにも元の世界の文化が浸透している世界でも、美しい銀髪を持つ彼女の横顔が、この場所が異世界であることを思い返させる。
海人は何者にも成れない世界から、何にだって成れる異世界へとやってきたのだ。
彼はそう思い返して、目頭を熱くさせていた。
「っっ!! ……ごめんなさい、海人くん」
「え? どうしたの?」
唐突に表情に陰を落として謝ってきたリベルテに、海人は不思議そうな顔で問い返した。対する彼女は背後に目を向け、何かを警戒しているようだ。
「私、数日前から何者かに付け狙われているんです……。今もそこの物陰に……」
「ッ!!」
リベルテの視線を追うように振り返った海人は、少し離れた位置の建物の影に何者かを見つけた。
しかしこちらが振り返ったことに気が付いたのか、長い外套を翻して姿をくらます。
「こっちです!」
海人が怪しい人影を視認した直後、リベルテが彼の手を引いて路地裏へと駆け出した。
突然のことに驚いてタピオカミルクティーを取り落としたものの、手を引かれるがまま彼女の後を追いかける。
硝子の破砕音とともにぶちまけられた乳白色の液体が地面に染みを描いている。
それを見下ろすフードを目深にかぶった人影は、海人たちが去って行った薄暗い路地裏に目を向けていた。
二人は人気の無い裏通りを必死に駆ける。
夕陽が沈み始めていることとは関係なく、人気のない薄暗く不気味な通りだった。
「ね、ねぇ、どこまでいくんだ?」
「もう少しです!」
そう答えたリベルテは複雑な路地を右に左に折れ、時折現れる階段を下ったりと追跡者を掻い潜る動きを取っていた。
しばらく逃げ回ったところで彼女は立ち止まり、手をつないだままの海人に振り返った。
「はぁ、はぁ……これだけ逃げ回れば問題ないでしょう……」
「はぁはぁ……。あいつは何者なんだ?」
「……そうですね。巻き込んでしまった海人くんにはお話ししなければなりません……。ここは薄暗くて不気味なので、この階段を上がった先でお話ししますね」
そう説明すると、彼女は目の前の長い階段を一段一段登っていった。その頂上は開けた場所なのか、そちらの方向から薄らと夕陽が差し込んでいた。
リベルテの後を追って登った階段の先は、街の高台にあたる場所であった。
「凄ぇ……」
そこからは眼下に広がる街の景色が一望できた。加えて黄昏時ということもあり、夕焼け色の美しい景色が目の前に広がっているのだ。
海人はリベルテを付け狙う追跡者のことを忘れ、思わず眼下の光景に目を奪われていた。
「……この時間が一番綺麗なんですよ」
彼の様子に淡い微笑みを浮かべながら、リベルテはそう語った。
対する海人は木製の安全柵に手を付き、橙色の光に包まれる街を眺め続けていた。
「うん、本当に綺麗だ……」
元の世界でだって夕暮れなんていつでも見ることは出来た。けれど海人は自室に籠もって、自分の殻に閉じこもり続けていたため、外に目を向けることさえしてこなかったのだ。
夕暮れはこの世界でも元の世界でもきっと同じものだけれど、どうしてこれほどまでに美しく見えるのだろうか。
海人は目の前に広がる光景に、思わず目頭を熱くさせていた。
そこで彼ははっとしてリベルテの方へ振り返る。
「なぁ、リベルテさん。君を追っていたのは何者なんだ? 俺にできることがあるのなら、君の力になりたいんだ」
眼前の美しい少女を付け狙う何者か。彼女を脅かす存在であればなんとしてもその脅威から守りたいと、海人は強く願っている。
きっと自分はリベルテのためにこの世界へと召喚されたのだ。ならば彼女のためにこの身を捧げることで、自分が何者かに成れるのではないだろうか。
「……笑わないで聞いてくれますか?」
「もちろん」
「私は……この世界を支配する悪を打ち倒す聖女なんです。けれどその力はまだ封印されており、その封印を解くことが使命なのです。さっきの追跡者は私の封印を解かせないために暗躍している集団の一人かと……」
そう語るリベルテの表情は真剣そのものであった。彼女の言葉に小さく頷いた海人は問いを続けた。
「なるほど……。聖女である君を疎ましく思っている悪人ってことか」
「はい……。彼らは世界を我が物にしようとしていて、人を人とも思わない悪鬼のような存在です……」
この世界に蔓延る強大な悪。それに立ち向かう美しい少女。そしてそんな彼女と出会った転移者である自分。
目の前の彼女には悪いが、これだけ王道の要素が揃っていて年頃の男子が燃えないはずが無い。海人は武者震いを抑えながら再び口を開く。
「……何か俺に手伝えることはない?」
「そんな! この世界に来たばかりの君を、私の都合になんて巻き込めません! それに命の危険だってあるのですよ!?」
「この命は君に救われた。君がいなければとうに無くなっていた命だ。君のために使うのが道理じゃ無いかな?」
「カイトくん……」
自分を手伝うことの危険性を説いたリベルテだったが、海人の言い分に困ったような表情を浮かべる。
「俺なんかじゃ力になれないかも知れないけど、君の隣にいたいんだ……」
「そんなこと、ないですよ……」
リベルテは目尻に薄らと涙を浮かべながら、しかし嬉しそうに微笑んでいた。
そして彼女は二歩分ほど開いていた海人との距離を一気に詰めて彼の瞳をじっと見つめた。
「転移者さんである君は、きっと世界を変えてしまえるほどの力を持っています」
「ちょっ……リベルテさん……?」
言葉を紡ぎながら、リベルテは陶器のように美しい細腕を海人の顔へと伸ばした。そして右掌で彼の頬にそっと触れる。
「だからお願い……」
銀髪の美少女に触れられた部分が熱を帯びる。
女の子はおろか、同性とさえ触れ合うことが無かった海人に、今の状況は刺激が強すぎた。
優しい温もりを宿す掌に触れられ、宝石のような大きな瞳に射貫かれては身動き一つ取れない。
「死んでください」
「は……?」
刹那、海人の視界に紅の炎が散華した。
それはリベルテの手中にある短剣から散っており、刀身全体が紅蓮の炎を纏っていた。
彼女はその短剣を逆手に持って、海人の首元に斬り掛かってきたのだ。
海人は信じがたい光景に目を見開く。そして頭の中に彼女と過ごした半日の記憶が駆け抜けた。
「ッ……!!」
その幸せな記憶に亀裂が入り、薄い硝子のようにいとも簡単に砕け散った。
そして彼の心に去来した虚無感が導いたのはたった一言だった。
どうして。
圧縮されて緩慢になっている世界にいるのは自分と、短剣を振るう銀髪の少女だけだ。
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