第9話 日課と非日常
師匠と少年の奇妙な共同生活が始まってから、三年余りがたった。
朝起きると、顔を洗ってまずは朝食の準備を始める。朝は野草のスープが常だ。暖かいスープで腹を満たし、体を動かしやすくする。師匠は朝食の匂いがすると大抵勝手に起きてくるので、起こす必要はなかった。
朝食が終わると、寝ぼけ眼の師匠を無視して掃除を始める。少年は生来、綺麗好きではあったので、掃除をするのは好きだ。この生活を始めた頃は少しの汚れも気になってしょうがなかったが、今は生活を続けていける程度に綺麗にしている。
掃除が終わると、野草取りにでかけた。こちらは手慣れたもので、毎日取る場所を変えて、少しずつ食べていく。以前大量に持って帰った時は、半数が食べきれなくて無駄になってしまった。必要な分以上は取らない。それが鉄則だ。
野草取りから戻ってきた昼下がりは狩りをすることが多かった。狩りと言っても、師匠が教えてくれた罠の様子を見ることが主だ。せっかく投石を覚えたがそちらは使わなかった。
「食べるために狩るのに捨てる場所を増やすのは命を奪われる獣にも失礼なことだ」
と言う師匠の言葉に、少年も同意しているからである。
それに、人間の身一つで獣を生きたまま捕獲するというのはとても難しいことだった。殺してしまうほうがまだ簡単だ。しかし殺して仕舞えば血抜きは至難の技だし、最初の獲物の時のように石で殴打したりナイフを仕留めると食べる場所が少なくなる。だからこその罠である。
もちろん毎回かかるわけではなかったが、保存していた肉が少なくなってくると場所を分けて罠を張るのだった。掛からなくても罠の手入れをしたり点検をするのも、日々の仕事だ。
そして夜、獲物がかかっていた日は食べるために部位ごとに切り分けたり加工したりするが、何もない日は手仕事をしていた。
狩った獲物の毛皮を防寒具になるよう仕立てたり、壊れた罠があれば修理のための道具を揃えるのも常だ。
そして夕食。
最初こそ火の起こし方すら知らなかったラウルだったが、今はもう自分で調理から片付けまで滞りなくすることができるようになった。
「師匠が火をつけてくれれば楽なのに」
「楽をしようとするな」
「じゃあ魔法の使い方を教えてくれてもいいですよ」
「それも楽をしたいからだろ」
そう言って、師匠は魔法を教えることに関してだけはやんわりとぼかして否定するのだった。
屋敷には調味料がたんまり備蓄されていたので、味付けに困ることはほぼなかったが、それでも城での食事には遠く及ばなかった。
なんのためのこんなことをやっているのか、よくわからなかったが、生きるためと言えばそこまでである。
一人でも生きていけるようになったものだから他の国へ移り住むために旅をすることだってできるが、少年はこの生活を続けたい理由があった。
──師匠から魔法を教わりたい。
彼ならきっと、この氷の国を救えるだろう。だが、師匠は一向にその様子を見せない。
師匠にやる気がないのなら、自分が魔法を覚えて、それでこの国のみんなを救い出したい。その思いが少年を師匠の元に引き留めていたのだった。
しかし、師匠は彼に魔法を教える気はないようだった。
この頃の師匠はどこから持ってきたのかわからないが本を読んでいた。少年がご飯を用意すると机につくが、それ以外はもっぱら自分の布団に転がっていることがほとんどだ。
今日も例に漏れず、本を読みながら熟睡したようである。
少年は師匠の頭にかぶさっている本を一瞥したが、知らない言語で書かれているそれの内容は相変わらず謎のままだった。
師匠はなぜ自分と暮らしているのか、こんなところに留まっているのか、そう言う自分のことを話さない。代わりに少年の身の上を聞くこともなかったが、それは少年にとってありがたいことだった。
今日は師匠は朝ご飯の支度をしても起きてこなかった。
たまにはそういうこともあるだろうと掃除が終わってからおこしに来た少年は師匠の被っていた掛け布団を引きはがす。
「師匠、もう昼ですよ。起きてください」
半ば無理やり起こされる師匠は眠そうな眼を擦る。その姿はまるで師匠と生活を共にする前の少年のようだ。
「もうそんな時間か。よし、今日は外に行くぞ」
師匠が外に出るなんて言うのは久しぶりだった。
「え、ご飯食べないんですか」
「夜に食う。それより、出かけるぞ」
食べ物への執着が激しい師匠がこんなことを言うのは初めてで、少年は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で固まった。
「なんだよ。ほら、ついてこい」
さっさと出ていこうとする彼に、少年は慌てて後を追いかけて行ったのだった。
男と少年はいつも林に向かう方角とは真逆に向かっていた。
こちらの方には生き物たちが活発に暮らしていけるような場所はない。大きな遺跡を境に向こうには広大な砂漠が広がっているからだ。おそらく食材探しではないだろう。大丈夫かと少年は一瞬思案したが、備蓄しているものの数を考えてまぁいいかと言葉をつぐんだ。
「こんなところまで来て一体何をするんですか?」
「今日は天気がいいな〜よく寝たから気分がいい」
少年の問いに答える気は全くなさそうだ。
炎のような師匠の長い髪が、歩くたびに揺れているのを呆けながら見て歩いていた。
ふと、二人の行く手に小さな猫のような生き物が現れる。
薄い紅色の毛に、白く美しい翼。尻尾もまた雪のように白くゆらゆらと誘うように揺れている。
その生き物は少年にじゃれようとすり寄ってきていた。
「わあ、師匠! この子、羽が生えてますよ!」
「うわ、馬鹿。そいつ魔物だ!」
「えっ……」
少年が触ろうとしていた手を引っ込めると、辺りにすごい数の同じ魔物が集まってきていた。
薄い青に緑、黄色と様々な色の猫たちが空を飛んでいる。
「ね、猫なのにとんでる……!」
「そいつらはヴィティだ! 羽があるから空を飛ぶし後は……なんだっけ」
「え⁉ なんて⁉」
もたもたしているうちに猫の魔物が翼をはためかせて飛び立ちなんとその口から真っ赤な炎を吐いた。
「あ、そうそう、火を吐くんだったな!」
「そういうのは早く思い出してください! どうにかしてくださいよお!」
少年は転がるようにして師匠のほうに駆け寄る。
「無理だ」
「……へ?」
少年が師匠と仰ぐものの顔を見て固まる。
「猫を殺せるわけないだろ!」
「はあ⁉」
「かわいいからな! 逃げるぞ!」
「はぁ~⁉」
予想外の回答に驚嘆し叫ぶ少年を置き去りに勢いよく走り出した師匠の背中が見る見るうちに遠ざかっていく。
「ちょ、まってくださいよお!」
背中にかかる猫の鳴き声と熱気。
止まったら死ぬ。
迫る炎の熱気に冷や汗をかきながら、少年は炎のような髪を振り乱して走る師匠を必死で追いかけていったのだった。
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