第10話 想像力の欠如
ヴィティ達の追撃を逃れた男と少年は、何とか目的地へとたどり着いた。
師匠は涼しい顔で歩いていくが、少年のほうはそうもいかない。
息の上がった少年は大きく深呼吸をしながらその場所を見つめた。
「あれ、ここ……」
そこはさぼり魔だった当時の少年が前から目をつけていた場所だったが、王家が所有する遺跡であったために警備が厳重で、稽古から逃げ出して暇を持て余すには適していない場所だった。
今はその警備をするものたちも街の様子を見て逃げ出したか、氷の彫像となって久しいのだろう。そのおかげで少年達を拒むものは誰もいない。
随分前、家庭教師がこの遺跡について何か言っていたような気がしたが、なんの遺跡なのかは少年がまともに勉強をしていなかったのでわからない。
かつては美しかった遺跡も、手入れがされていない今はコケが生してしまっている。
所々崩れかけた塀。この地もいずれは砂漠と化してしまうのだろうか。
そんな感傷に浸りながらずんずん先に進んでいく師匠の後についていく。
遺跡の入り口の前にはかなり広い石造りの広場があった。
師匠はそこまでたどり着くと足を止め、ようやく口を開いた。
「お前に、魔法を教えよう」
「え、なんでいきなり……」
今までずっと、教えてくれと言ってもごまかされ一蹴されて来た魔法。急に教えようと言うのはどう言う風の吹き回しか。
「街の人を助けたいと思うお前が魔法を求めるのに、自分の周りのこともなにもできなければ世話ないだろ」
魔法を教えてほしい理由を、師匠に言った覚えはなかった。
「どうしてそれを」
男は少年を見つめ、目を細める。
「お前俺に内緒でこっそり街の様子を見に行ってるだろ。気づいてないとでも思ったか? あそこの住人は三年経った今でも以前のまま、変わらぬ姿でお前の助けを待っている。そう思うのだろう?」
図星だった。氷の中の住民は何も変わっていなかったが、まだ生きているように見えた。きっと、街のみんなは死んでいない。
「僕は……」
俯いた少年は、自分の身の上を男に話すべきか、考える。
少年の考えに反して、男は明るい声で続けた。
「と、いうことだ。今日はひとまずここが使えるかの確認だけ。明日からは昼過ぎから毎日ここに集まるぞ」
かくして、少年の魔法の鍛錬の日々が始まろうとしていた。
城で習わされてた魔法の勉強は実践よりも先に理論の座学から始まるもので、少年は各国の魔法研究の歴史の項であっさり挫折していたのだった。
「……と、このようなものですね。特に西のペペ山脈を超えた先にあるディクライットという国では魔法の使用が盛んです。わが国では軍属でも魔法を操るものは少ないが、かの国の騎士団組織ではほとんどの者が魔法の知識を得て、実戦経験を積んでいるといいます」
「ディクライット?」
幼き日の少年は聞きなれない国の響きに首を傾げる。
「ラウル王子、地理の知識は国政の第一歩ですぞ」
少年をたしなめるように言いながら濃い灰色の髪の老人は地図をさし示す。
「ここがわが国、ザントテールです。そして北、この川で囲まれた国はトルマリンと言います。さらに西南、ここにはテーラという国があり、砂漠の中、突如として現れるオアシスの中央に国を気づいています。ここの王子にはあなたもお会いしたことがあるでしょう」
「エディ、だっけ。まだちいさかったけど」
「ええ、王子よりは大分幼いですね、けれど、今は城の兵士長に剣を習っているそうですよ」
「え、あの泣き虫君が? 意外だなあ」
「王子のほうに走り出して転んで大泣きした時は肝が冷える思いでしたよ。……とにかく、ここがテーラです。ここは剣技の鍛錬が盛んで、魔法はあまり使わずに暮らしているようですそして、この大きい山脈を超えた先、山沿いにそびえたつのがディクライットという王国です」
「へえ……ずいぶん遠くにあるんだね」
「ええ、だからこそわが国とは交易もほとんどありませんが、この大陸中で一番国土が広い王国です。雪の降らないわが国よりも気候が厳しく、そういう国だからこそ魔法が栄えているというのはあるようですね。国の整備にも魔法を使うことがあるとか」
「だから戦争にも強い、ね」
「ええ。国力を高めるためには領土、国民、そして戦力が必要です。貴方もいずれは軍を率いることがあるかもしれないのですよ。今は周辺諸国とは均衡を保っていますが、いつそれが崩れるかはわかりません」
「僕は戦争は嫌だな」
「だからもしもの……」
そこからの記憶はおぼろげだった。少年が魔法を学ぶのは戦争で使う時のため。誰かを救うための物では決してなかった。それならそんな力は欲しくない。だから、魔法の勉強から抜け出したのである。
街の人たちを救うために、師匠はどんな方法で自分に魔法を教えてくれるのか。少年は期待に胸を膨らませながら夜を過ごした。
朝起きると日が上り切る前に大方の家事と食材集めを済ませ、師匠とともに遺跡へと向かう。
広場は、鍛錬をするにはうってつけだった。師匠が炎の魔法を撃っても石造りのこの場所では燃え広がる心配がない。
少年が辺りを見回していると獣と魔物除けの魔法を張り終わった師匠が戻ってきて口を開いた。
「まず、魔法を使うことができる仕組みを教えよう。魔法は、名前を知っていること、それでなにが起こるか知っていること、そしてどのようにそれが具現化するかと想像すること、この三点が揃えば発動する。」
「三個、守れば使えるんですか? 思ったより簡単そうですね」
「そううまくはいかないもんだぞ。まあ、習うより慣れろだ。これから一つ、簡単な魔法を教える。俺が教えるのは名前とその魔法で何が起こるかだ。そこまで覚えて、三つ目の想像はお前の想像力にかかっている」
師匠の説明に了承の意を示し、少年は頷いた。
「一つ目、名前は”エーフビィ・メラフ”。二つ目、これは炎を生み出す魔法だ。覚えられたか? まずは復唱してみろ、エーフビィ・メラフだ」
「エーフビィ・メラフ……」
「発音は大丈夫そうだな。じゃあ次は想像。それができたら名前をいいながら地面に向けて撃ってみろ」
魔法を実際に撃ってみるのは初めてだった。
これで、街のみんなを助ける一歩になる。
「エーフビィ・メラフ!」
少年は期待を込めてその魔法の名を読んだが、少年の手からはなにも生まれなかった。
「え、なんで……エーフビィ・メラフ! エーフビィ・メラフ!」
焦る彼に師匠は大笑いして言った。
「おまえ、てんで想像力ねえな」
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