第7話 命を奪うということ
一人でいく野草取りに慣れて来た頃のことだ。
いつものように少年が採ってきた野草を男が調理し、その食事を囲んでいた。
「師匠、それ、なんですか」
師匠が当たり前のように口にしているそれを見て、少年は非難の声を上げた。
「何って……肉だけど」
そう言って彼は食べるのをやめない。
「やっぱり! なんで僕にはくれないんですか⁉︎」
「獲物は採った奴が食うんだ」
「野草は自分で取ってないくせに……」
少年の小さな文句を無視して彼は骨についた肉の最後のひとかけらを頬張った。
「ああ〜!」
「食べたかったら自分で獲るんだな」
それ以上文句を言わせない師匠の顔に、少年は酷く恨めしそうな顔でうなだれた。
肉が食べたい。
あれからというもの、男は事あるごとに少年の前で肉を食べ続けた。そんなにあるならすこしくらい分けてくれたっていいじゃないかと思うが、男にはその気はないようだった。
最近は魔物と獣の雰囲気の違いも分かるようになってきた。野草を集める速度も上がった少年は、師匠に内緒で狩りの練習を始めた。
狩は大変だった。獣に襲われたときには死にたくない一心で、とにかく追い払おうと考えもなしに頭突きをしたが、食べるために捕まえるとなると話は別だ。
追いかけて捕まえるのはまず無理だった。
野草をとっている時小さなリスや野ウサギなどはよく姿を見せるが、短剣を構えてラウルが近づくと嘲笑うかのようにいなくなってしまうのだ。
武器を持たないで挑めばいいかとも思ったが、結果は同じだった。どうもあちらには少年の意図が伝わってしまうようだった。
そういうわけで、手法を変えてみることにした。
罠だ。罠を張るのだ。
とはいえそれも簡単ではなかった。
まず何をしたらいいのかわからない。
漠然と捕まえるための何かを作ることを思いついたが、獲物をおびき寄せるために肝心な餌が思いつかなかった。だからまず捕らえたい獲物が何を食べているのかを観察することにした。
チャッピー──ウサギに似ているが不思議な尻尾をした生き物だ──は街に降りた時に料理屋のメニューに並んでいるのを見たことがある。
メニューに並んでるということは食べることができるということだ。ラウルは連れ立って歩くそれを見つけると、悟られないようにゆっくり風下へと移動し、彼らの尾行を始めた。
何度も気付かれて撒かれることも多かったが、だんだんと彼らに気付かれない感覚を掴んでくると、長く観察することができるようになった。
よく見ていると、彼らは果物を好んで食べていることがわかった。木の実を食べることもあるが、果物があれば真っ先にそちらに向かうと言った感じだ。
餌は木の実よりも果物。あとは引っ掛けるための罠を作ればいい。
複雑そうな仕掛けのものは作り方がわからないので、木のツルを編み合わせて網のようなものを作った。罠とは少し違う物になってしまったが、これで獲物が餌を食べている間に網をかぶせて捕まえようという魂胆だ。
しかし、そううまくはいかなかった。
果物にありついている時もチャッピー達は常に周りを警戒しているようで、網を投げることは愚か、草陰から身を乗り出そうとしただけで彼らは逃げてしまう。時には餌だけ持って逃げられることもあった。少年が殺気立っているからだろうか、観察していた時よりも彼らは警戒心を強めているようだった。
全く捕まえることができない日々。嫌気がさして三日程狩をしない期間もあった。
次第に、罠を作るより獲物を獲れる武器を作ったほうが早いという考えにたどり着いた。
真っ先に思い浮かんだのは弓だったが、木やツルで似たようなものは作れても見た目が似ているだけで、全く弓としての機能をなしておらず無駄になってしまった。ラウルが作った弓は、弦もうまく張れておらず、そもそも、それを使って飛ばす矢という概念がなかったのであった。
そんなこんなで武器を作るのにも苦戦していたが、ある日、転機が訪れる。
不注意で木の根に躓いて転んだ時に、目の前に持ちやすそうな石が見えた。
これ、もしかしたら狩りに使えるんじゃないか?
単純な道具だが石にツルを巻き付け、それを投げるということを思いついた。
うまく頭に当たれば、チャッピー程の大きさの生き物であれば気を失わせることぐらいはできるんじゃないだろうか。
かくして、少年の投石の訓練が始まった。
野草を取りつつ、その日の分が終われば的を作ってそこに石を当てる訓練をする。
その繰り返しだった。
努力の甲斐もあって少年の投石の精度は徐々に上がっていった。
そして、その日が来た。
兼ねてより追っていたチャッピー達をおびき寄せるために、芳醇な香りのする果物を探し、少しつぶして木から落ちた様子を装った。
草陰に隠れて様子をうかがうこと小一時間。思っていたよりも大きな獲物が果物を求めて歩いてきた。
シュヴァルエヴァ──西国のイノシシと呼ばれる生き物によく似ているといわれるそれは、黒い毛並みが艶やかに照っている。
少年は狙いを定めた。獲物の後頭部めがけて勢いよく石を投げつけた。
少し外れた。しかし、少年の投石は獲物の左目にぶつかり、その傷からは血が噴き出た。
轟く獣の声。
少年は腰が引けたが、この機会を逃したくはなかった。シュヴァルエヴァは怒りに燃えた目でどこにラウルがいるのかを探っている。
ラウルは石に巻き付けておいたツルを素早く引き、もう一度勢いをつけて投石した。
今度は顔に当たったが、あまり打撃にはならなかったようだ。
敵の場所を把握した獣が、なりふり構わず突進してくる。
少年は突然のことに驚いたが、うろたえはしなかった。
敵が襲ってきたらまず落ち着け。それは師匠が言っていたことの一つだ。最も、近づかない、見つからないという部分はまるっきり破ってしまっているが、少年は冷静だった。
こちらに向かってきた獣の動きが、よくわかる。
獣が少年の隠れている草むらに飛び込んでくるまさにその時、少年は草むらから飛び出した。
少年から右、獣のつぶれた目のほうに転がり込み、その腹を師匠からもらった短剣で突き刺した。
先程よりも大きい獣の悲鳴。
刺されてなお暴れるそれに、少年は以前の自分を見た。
肉に突き刺さる短剣の感触が気持ち悪い。血でつかみにくいそれを必死で引き抜いたその瞬間、立ち上がれず暴れていた獣の足が少年の顔を強打した。
痛みに叫びながら、少年はもう一度獣の体めがけて短剣を突き刺した。
死にたくない、そういうように獣はまだ暴れていた。だが、ラウルは渾身の力を込めて突き刺さった短剣を足で蹴った。深々と突き刺さる短剣。
やがて、獣の動きが止まり、その瞳からは生の輝きが失われていく。
「こ、殺した……僕が、やったんだ……」
息が上がりながら何の罪もないシュヴァルエヴァの命の灯が失われていくのを見ていた。
小さな虫などはまだしも、こんなに大きな生き物を殺したのは初めてだった。
自分は肉が食べたいという思いだけで、こんなことをしようとしていたのか。急に降りかかった罪悪感に、胸が押しつぶされそうになる。
手にまとわりついた赤い血を見て、ラウルは悟った。これは、あの時と同じだ。
少年が氷の街で獣に殺されかけた時、獣は空腹で、それを満たすために少年を襲った。幸いその時はウォレスが助けてくれたが、少年が今日やったことも同じだった。
食べたくて、殺すのだ。
少年はシュヴァルエヴァを、獣が少年を殺そうとしたように、この世界には殺し殺される仕組みがある。
土に芽吹いた草はウサギに食べられる。草を食べるウサギはキツネに殺され、キツネはさらに大きなクマに殺される。クマはやがて土に還り、それはまたウサギたちが食べる草となる。そうやって、命は繋がれ、輪になるのだ。
少年も、その理の中に組み込まれているという実感が湧いてきた。
「そうか……僕も、生きているんだ」
これが、命を奪うということ。そう、理解したのだった。
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