夢を泳ぐ女1
先ほど今週の水曜日19時から2期生3人連続でデビュー配信を行うと公式Twitterでも発表があった。今日までに配信用ソフト等の使い方は一通り覚えテスト配信も行った。が、今週やるとは聞いていたが、私たちへの通告もTwitterでの発表と同時とは、あまりにぞんざいだ。
だが今の私は最高に興奮している。早く配信をしたい。今日の私のTwitterでの第一声が他の人にどう捉えられたかは分からない。だが那賀見優が描く『七海ハル』はこれだ。いや、『私』こそが『七海ハル』だ。
翌日、月曜日。今日も8時前にコンビニに着き、更衣室で着替え店内に入る。
「おはようございます」
「あっおはようございまーす!」
古谷あかりは今日も元気だ。またタバコの補充をしている。
「那賀見さん、何か良い事あったんですか?」
ニコニコと訊いてくる。
「いや、別に……。どうして?」
「今日なんかテンション高いなーと思って」
「そう……?」
全く自覚が無かったが、あんな事が起きた翌日だ。どこか舞い上がっているのかもしれない、と自戒する。昨日の夜もなかなか寝付けず、延々Twitterに来る通知を眺めてしまっていた。フォロワーはとっくに1万人を超えていた。
「あの先輩、今日シフト終わり空いてますか?」
「え?」
まさかの問いにフリーズしてしまう。
「近所に新しいカフェ出来たの知ってます? ここ出て右にちょっと行った所なんですけど……行ってみません?」
別に嫌という訳では無いが、この職場の人間と距離を縮めたいと思ったことすらなかったので戸惑う。
「……やっぱ、ダメ、ですか……?」
彼女が可愛らしい上目遣いで言ってくる。明るい茶色の癖っ毛のあるロングヘアーをセンター分けにし、覗くおでこの下から小さな瞳が訴えかけている。
「いや、別に、いいけど……」
「ほんとですか! ヤッター! じゃじゃ、終わったら直で行きましょうね!」
「うん、わかった……」
そう言い終わる前に、レジに来たお客さんに彼女がすぐに気付き接客をする。
上目遣いで私を見てくる彼女を、一瞬でもかわいいと思い、そして今ヘンに意識してしまっている自分を憎んだ。
17時を過ぎ、私と古谷さんは業務を引き継ぎ、職場を後にした。
「んふふ〜、まさかこうやって一緒にお茶出来るとは」
上機嫌に彼女は私の横を歩く。私は自分の自転車を押しながら。
「そういうあなたこそ、何か良い事があったから私を誘ったの?」
「まー良い事っちゃ良い事ですね……。あ、あのお店です!」
彼女が指差したそのビルの1階に入っているカフェへ着く。店の前に自転車を置き店内へ入った。
彼女はコーヒーを、私は紅茶を。さらに店内で焼いているクッキーの詰め合わせと、フィナンシェも買ってしまった。一応私が先輩として一緒に会計しようとしたが、私が今日誘ったので、と断られ結局2人で半分ずつ出した。
店内の小さなテーブルに向かい合って座る。居づらい。私は紅茶を飲みながら店内を見渡す。綺麗な木目の床に、グレーのセメントらしきものが剥き出しの壁。ビルの角なので、店の正面と入って左側は大きな窓に囲まれ、若干暗めの照明がお洒落さを醸し出してる、気がする。
彼女とはたわいない会話をポツポツとする。どこに住んでいるのか、自転車通勤しないのか、大学ではどんな事をしているのか。自転車はこの辺りに住み始めてすぐに買ったが、盗まれてしまってから買うのを躊躇っているらしい。私も1台目を盗られた時は同じ事を思った。私が余り話に答えないのを理解してか、よく1人で喋ってくれる。私と居て楽しいのだろうか? ふと、それはVTuberとして活動していく中でも同じ事が言えるのではないか、と不安になる。人とコミュニケーション不足であることは自覚しているが、初めてそれが不安に思えた。
「実は、那賀見さんには言いたい事があって……」
急に改まって彼女が切り出す。
「え、何……?」
「実は、私バイト辞めようかと思って……。まだ店長にも言ってないんですが、那賀見さんには先に言いたくて……」
なんだそんな事か、と思ってしまう。今までだって、何人も入ってきては辞めていく人達を見てきた。バイトなんてそんなもんだと思う。なので。
「あ、そうなんだ」
と軽く返してしまう。
「……先輩、結構冷たいんですね」
「え? あ、いや、今までも何人も辞めてる人は見てきたし、バイトなんてそんなもんじゃないかって思ってて……」
慌てて釈明する。なんだか私が悪い事をしたみたいじゃないか。彼女が俯いてしまっているので、どうして良いかあたふたする。
「……ふふ、先輩結構かわいいトコあるんですね」
「え」
「先輩って、いつも無表情・無感情って感じで私からはずっとかっこよく見えてました。だから逆に、違う表情もいつか見てみたいなーって思ってたんですけど、まさか1年近く掛かるとは、奥手ですね私も」
彼女はニコっと笑っている。なんて恐ろしい子なんだ。こうやって男を落としているのか、と私は若干引いてしまっていた。
「実は私、バーチャルYouTuberとして働こうと思ってまして」
その一言を聞いた瞬間、一瞬背筋が凍る。
「あ、知ってますバーチャルYouTuberって? 簡単に言うとYouTuberのアニメキャラ版、みたいなもんなんですけど。それをちゃんと仕事としてやろうと思ってまして……。本分は学生じゃないですか? だから今のバイトと掛け持つのも大変だなって思って」
彼女は強がっている様にスラスラと言葉を並べる。
「そ、そうなんだ……。すごいね」
ぎこちない言葉を掛ける。
「ありがとうございます……。だからその……これを……先輩に最初に言っておきたくて……ずっとお世話になったの、で……」
今度は、多分本当に声を震わせ泣いている。おいおいこんな狭いカフェで泣き出すんじゃない、そう思いつつも精一杯先輩風を吹かせ、こちらこそありがとう。と言い、彼女の小さな頭を少し撫でた。癖っ毛なのに、毛自体はサラサラとしていて、溶けてしまいそうな程か細かった。
店を出て、持ち帰りにしたクッキーを彼女にあげ、別れようとした。
「先輩だいすきです」
そう言われながらハグされてしまった。周りから見られている気がする。
「わ、わかったわかったから。じゃあまた……明後日?」
「はい……またよろしくお願いします!」
彼女とは家の方向が逆なので、店の前で別れた。彼女がトボトボと歩いていく背中を見送り、私も自転車に跨がる。
にしても、彼女もVTuberを目指しているとは。ネット上でいつか出会うのかな、等と思いながらペダルを漕ぎ始める。
そうか、今日は成人式だったか。スーツや袴、着物で着飾った新成人達が街を闊歩していた。
ついに水曜日を迎え、私の緊張はピークに達していた。時計は19時55分を指している。
19時から同期である『涼咲(リョウザキ)カイ』のデビュー配信が行われていた。私も配信の最終チェックをしながら配信を見ていた。1人1時間枠で、それぞれ自己紹介を行ったり、ファンネームを決めて行ったり、リスナーとの距離感を掴む。
涼咲カイは、名前に見合ったイケメンなボーイッシュなキャラクターで、それに似合う低音のカッコいい女声だ。再び、私がこの七海ハルで良いのだろうかという思いが生まれる。だが今となってはもう成るように成れだ。私は緊張をほぐす、というより麻痺させる為にいつも通りハイネケンに手を伸ばしていた。勿論配信内でビールを飲みながらやっています、等と言う予定は無い。
カイの配信は終わり、いよいよ私の番だ。私は赤い『配信開始』ボタンを押した。
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