明日を夢見た女3
駐輪場で100円を払い、自転車のロックを解除する。1時間弱の面談。いや、面談というよりはもう今後の活動についての打ち合わせだった。
私は1枚の資料を貰った。A4印刷用紙にカラーで印刷された女の子。『七海 ハル』と記されている。私が纏う『アバター』となる3DCGデザインされた女の子。
鮮明な青いショートヘアに、パッチリと開いた大きなエメラルドグリーンの瞳。白いノースリーブが控えめな胸を包み、その上から黒いオーバーサイズなパーカーを羽織っている。下は紫掛かった淡い色のタイトなセミショートスカートから白い脚を覗かせ、ゴツい12ホールのロンドンブーツを履いている。パンクロックでも好きなのか? と思わせるエキセントリックな見た目だ。正直私とは正反対の見た目。視聴者にガッカリされたりしないだろうか? ロックとか別に詳しくないし、なんて話は矢崎さんとも話したが、大丈夫だ。その一言で終わり。ギャラの話なども行われ、守秘義務などに関する契約書・誓約書の類もサインした。さっそく今日からTwitterアカウントの運用を任された。だがまだアカウントは非公開の状態だ。2期生のデビューはV WIND1周年記念ライブの中で告知され、それと同時に活動開始となる。更にV WINDのライバー・スタッフ含めた連絡用ツールとして『Discord』というアプリを使うこととなっていた。そのアカウントも渡され……改めて、とんでもない1日になったものだとマウンテンバイクのペダルを漕ぎながら思う。
14時を回り、宇多川近くの富士そばへ寄った。店の前に自転車を置き、ガードレールのポールにワイヤーロックを通す。朝から何も食べ物は喉を通らなかった。私はこういう店に一人で入る事に特に抵抗は無い。一人焼肉はまだハードルが高いが。周りから物珍しそうに見られるのも慣れている。そして富士そばできつねうどんを発券する。反逆者だ、ロック。パンク娘、七海ハルへ近く第一歩だ、などと思いながら背負っていたバッグを席の下に押し込む。
10番の方〜と注文口から聞こえたので、番号札と共にトレーを受け取りに行く。
× × ×
1月12日、日曜日。V WIND1周年記念ライブが行われた。奥山さんからライブを視聴出来るページを教えて貰ってはいたが、私は自分で買ったチケットで1ファンとしてライブを観た。AR技術を使用して、本当に舞台の上にミズホちゃん達が立っている様に魅せる技術は素直に凄いと思った。感動した。だが、終始涙が出る程心が揺さぶられなかった。彼女ら憧れの晴れ舞台。だがこの後私たち2期生デビューの告知が行われる。そういう罪悪感の様な気持ちが終始自分の心を覆いかぶさり、私は素直に楽しめなかった。
ライブがアンコールまで終わり、ミズホちゃん達1期生の面々が涙ながらに感謝のメッセージを述べ、幕は下ろされようとしていた。その時、突然照明が落ち真っ暗になる。えぇ!? 何!? 等視聴者のコメントも、舞台上の彼女らも混乱している。
そしてバックスクリーンに『重大告知』の巨大な四文字が表示される。
『V WIND、活動開始から1年――』
なんと言ったっけ、なんとかって声優の人が文章をバックスクリーンに映る文字を読み上げる。
『V WINDは、新たな"風"を受け、更に前進する――!』
うおおおおおお 等とコメントが爆速で流れていく。
『V WIND2期生、活動開始ッ!』
そのナレーションと共に、私たち2期生3人のビジュアルがバックスクリーンへ表示される。
「え、えっ?」
ミズホちゃんも声を上げ、ステージ上で膝をつき唖然としている。バックスクリーンに『私』が映っている。
その時、ピョコッと間抜けな通知音が鳴る。Discordで奥山さんから来たメッセージだ。
『七海ハルさん、Twitterの運用を開始して下さい』
私はゾクゾクと鳥肌が立ち、脂汗が吹き出るのを感じる。Twitterのアカウントの設定を開き、非公開のチェックマークを外し初めてのツイートをする。
私は前々から考えていた、一番最初のツイートをどうするか。あの日の富士そばで思いついた物だ。下書きに残していたツイートを開き、送信ボタンを押す。
『七海(ななみ)ハルです。どん兵衛より赤いきつね派です。対戦よろしくお願いします。』
オタクっぽい構文で、一発目を食らわせる。正直舞い上がっていた。どこかでウケを狙い、どこかでダダ滑るのではという自分の冷静な部分も残っていた。
だがV WIND公式Twitterも私達の紹介ツイートをし、瞬く間にフォロワーが増えていく。
そして私が最初に放ったツイートに対しても「!?」や「草」「大型新人現る」等とリプライが延々と届き、そしてリツイートとお気に入り数も爆発的に増えていく。
夢の様な、異様な光景だ。通知欄が滅茶苦茶な速度で埋まっていく。これが承認欲求か、と思いながらもニヤニヤが止まらなかった。その後のライブはほとんど観なかった。
他の2期生についても私は知らされていなかったので、他の2人のTwitterを新たにフォローし、どういうキャラクターなのか眺めた。
ライブ終了後、Discordの2つのグループに招待された。『V WIND全体』と『V WIND2期生』の2つに。
入室するなり、『七海ハルと申します。先輩方よろしくお願いします』『七海ハルです。これからよろしくお願いします』とそれぞれにメッセージを残した。
ヤバい、私VTuberになるんだ。
「えー最初のツイートそんなんで良いのかぁ」
ベッドで横になりスマホに向かっている一人の女が呟く。
画面には七海ハルのTwitterアカウントが表示されている。あ、フォロー来た。そうまた呟き彼女をフォローバックする。同じく2期生の『荒巻ユイ』を演じる彼女もまた、演じる自分が爆発的に好意的に迎え入れられ高揚していた。
「あーそういうキャラで行く感じかぁ」
矢崎は疎らに人が残っている夜のオフィスで、自分のPCからV WINDの2期生のTwitterを眺めていた。
「ま、とりあえず紹介しておくか」
カタカタとキーボードを叩き、ツイートする。
『V WIND"1期生"と呼ばれる様になったみなさん。初の単独ライブお疲れ様でした。素晴らしいパフォーマンスの反面、まだこれからの課題も見えてきましたね。そして2期生の皆さん、V WINDへようこそ。新しい風を、共に巻き起こしていきましょう!』
六聞ミズホを演じる木古内葉子(キコナイ ヨウコ)は楽屋に戻り、メイクスタンドの前で愕然としたまま項垂れていた。身体に着けたままのトラッキングセンサーを外す事もせず。
まるで今日のイベントが、2期生を発表する為の場だったみたいじゃないか。
彼女はこの思いが脳裏を埋め尽くし離れなかった。
「ミズホちゃん……」
同じく"1期生"一ノ瀬マリーを演じている上磯真紀(カミイソ マキ)が後ろから話しかける。
「もう帰ろ? 打ち上げいこーよ」
おっとりした声が優しく包んでくれる。うん……と小さく応え、椅子を立ち上がり左腕に着けられていたセンサーを取り外す。
同じく三葉ピースを演じる久根別莉子(クネベツ リコ)も、楽屋隅でむすっとしたままスマホを睨んでいる。
最悪の空気だ。
「みんな、お疲れ様」
奥山が楽屋に入るなり言葉を発する。
「優子さん!」
真紀が奥山へ抱きつく。
「2期生の発表が今日なんて、あんまりだよ……」
「え?」
真紀の声がかすかに震えていた。
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