明日を夢見た女1
『えぇと……那賀見優、23歳。大学卒業後も就職せずコンビニでバイトしてるダメ女です。特技は、小・中学校の頃に習っていた習字と水泳。あと高校では演劇部、大学では映画研究会に所属しており、映画に関する知識は人よりはあると思います。あと少し動画編集が出来ます。趣味は……六聞ミズホさんの配信や動画を観る事が唯一の楽しみで、私の生きがいです。VTuberになってやりたい事は……憧れの六聞ミズホさんの横に立つ事です。よろしくお願いします。他にアピールする事も無いので、カラオケで歌った音源を最後に載せておきます』
録音した自分の声って、どうしてこんなに気持ち悪く聴こえるのだろう。
世の売れている歌手や役者達はやはりそういう事は思わないのだろうか。
動画編集ソフトで自分の録音した声を貼り付け、せめてもの足掻きで簡単なノイズ除去や、編集で文間に若干スペースを空け、動画の尺をかさ増しする。それでも1分半も無い。
これでもゆっくり話そうとしたり、滑舌が怪しい所があれば録り直し、数十回は試みたのだ。それでもこの気持ち悪さ。何度録音を辞めようと思ったか。
映研で撮影した自主制作映画を編集する為に買ったこのソフトも久々の起動だ。
今朝録ったカラオケの音源もiPhoneからソフトへ読み込み、聴き返す。こうやって初めてまじまじと自分の歌声を聴き、自分は可愛い声という物を出せないのだと分かった。出し方が分からないというのが正しいのか。
まだキャーキャー叫んでいるロック系の歌声の方が良いと思う。一応声のサンプルとして差し出す為しっとりとした歌も載せる。
カラオケで2時間ぶっ続けで歌い、喉はガラガラだ。帰りにコンビニで買ったカルピスをちょびちょび飲みながら喉を労る。
2曲のサビ前からサビ終わりまでをトリミングし、先ほどの自己紹介の後ろに付ける。
iPhoneで録音した物なので、当然音質は最悪だ。しかも自動で音量を絞られる為、バックの音楽が大きくなる箇所では、自分の声がかき消されてしまっている。逆にサビで急に大きな声を出したりすれば、音が割れて気持ちが悪い。映像の編集なら少しは出来るが、流石に音に関しては専門外だ。もうこのまま使ってしまおう。
それぞれの音量を大体揃えて、前後にフェードを掛けてしまえば完成だ。
あとは自己紹介しているパートに適当に字幕を付け、カラオケパートにはこの様な輩に素敵な歌を歌わせて下さりありがとうございます、と画面の前で感謝の意を述べつつ歌手名と曲名を記載した。
『ASIAN KUNG-FU GENERATION / リライト』『鬼束ちひろ / 月光』、と。
画面は常に真っ黒の背景。私は自分の顔を載せよう等と一瞬も思わなかった。
この自分の中でも中々の愚作と思うこの動画ファイルを出力し、早3時間が経とうとしていた。時計は14時4分。
昨日作ったカレーを温めなおし、電子レンジへ冷凍していた白米を突っ込み解凍する。
両手鍋を埋めるカレーをへらでかき混ぜながら、またハイネケンを一口飲む。
日曜なのに何をしているんだ私は。朝からカラオケに行って、延々自分の自己紹介を録音して、久々に編集みたいなことやって。そして今はビール飲みながらこうやって虚無感に襲われている。『昼間からビールを飲んでいいのが大人の特権だ』と昔誰かが云っていた気がする。ベランダの外に広がる相変わらずの曇り空を見ながら思う。
急に応募するのが億劫になってきた。
カレーを皿に盛り付け、ちゃぶ台へ運ぶ。編集ソフトは終了し、書き出した動画も閉じる。
YouTubeを開き、昨日のミズホちゃんの配信のアーカイブを眺める。
『あーヤバイ! 青甲羅はやめてアアァーッ!!』
視聴者参加型のマリオカート実況プレイをしながら叫んでいる。かわいい。
自然と私は笑顔になっていた。
私がミズホちゃんを観る様になった切っ掛けは何だっただろう。確か活動開始は今年の1月から。年明けにはデビュー1周年記念のライブ配信がある。もちろんネット視聴チケットは購入済みだ。そのデビュー当初から知っていた訳では無い。そもそもバーチャルYouTuberなんて興味も無かったし、今でも観ているのはミズホちゃんと彼女の同期の2人の配信くらいだ。YouTubeにおすすめで上がっていた配信? ニコニコ動画でたまたま観た切り抜き動画?
――切り抜き動画とは、VTuberの配信から投稿者が面白いと思ったポイントだけを文字通り切り抜いて転載している動画の事だ。その殆どはファンによる自分の好きなポイントの共有であり、一種の『布教活動』のような物だ。V WINDも切り抜き動画の投稿に関しては寛容だ。――
こういう事って私にとってはよくある印象なのだが、自分がいつの間にか好きになっていた、いつの間にか習慣になっていた事って本当に始まりが思い出せない。
『ああああまた12位ィ〜〜〜……』
悲痛な叫びがスピーカーから流れる。ミズホちゃんが泣きそうな顔で体を左右に揺れている。かわいい。
ひらひらと揺れる暗めの茶色い長い髪と赤い髪飾り。白く美しい肌と、少し艶のあるピンク色の頬。長い睫毛の瞼がパチパチと動き、アイスブルーの瞳がくりくりと覗かせている。
『んあ〜〜それでは、今日はこの辺で終わります! 1位取りたかった!! じゃあね!! バイバイ〜』
そう笑顔で身体を揺らしながら配信画面がエンドカードに切り替わる。
エンドカードに映る彼女の姿から目が離せなかった。あっという間に1時間の配信を見終わってしまった。手を付けるのを忘れていたカレーはもう冷たくなり、白米はカピカピになっていた。
やっぱり彼女が好きだ。アバターだとは分かっているが、彼女から溢れる『中の人』の可愛らしさ、美しさ、何もかもが愛おしい。
そしてGoogle Chromeの別のタブで開いていたV WIND2期生募集のページに飛ぶ。
そして、既に入力してある氏名等の欄を見ながら下にスクロールし、例の作成した自己紹介動画のファイルを添付し、応募ボタンを押した。
× × ×
12月25日。水曜日。今日も相変わらずの曇り空。からの小降り雪。ファック・ユー・ホワイトクリスマス。
いつもと同じ様に朝からコンビニでバイト。そういえば今年から23日が祝日じゃなくなった。別に私には関係ないけど。今日は13時からのシフトなので、まだ18時である事に苛立つ。早く終わって欲しい。いつになく……気怠いという訳では無いが、何故か無性に家に帰りたい。
「お疲れ様です」
レジに立ち無心になっていた所へ不意に声を掛けられる。
「那賀見さん?」
「え、あぁ、おはようございます」
古谷さんだった。大丈夫ですか? と訊かれ、えぇ。と短く返してしまう。
ぎこちない沈黙。何故か彼女から話しかけてくれ、と云われている様な感覚を覚える。
彼女は今日のシフト表を眺め、飲料補充してきまーす。と言い残し去っていった。
無駄なコミュニケーションに使う労力ほど無駄な物はない。美容室で延々質問責めしてくるニンゲンとか。何故私がわざわざあなたの求めている回答を思考して出さなければならないのか。
……大丈夫ですか? と聞いてきたが、そういうあなたこそ今日は元気無さそうね。とでも返せばよかったのだろうか。
なんだかもやもやしたまま、私は不要レシート入れの箱を持ち上げ、ゴミ箱へ中身を捨てた。
漸く21時になり、私は勝手口から店を出た。
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