その25 真実

 三十分前。

 綾乃に抱えられて戻ると、1Aの教室の様子は一変していた。

 窓や扉のガラス部分は暗幕で覆われており、照明を点けていなければおそらく教室は闇に包まれるだろう。

 教室の隅には見慣れない棺のようなものが二つ並んでいた。SF映画でコールドスリープするのに使われていそうな形だった。

 その教室に衝撃音が響く。

 綾乃に平手打ちにされた優作が吹っ飛び、壁に激突した音だった。


「あ、あがが……あぎゃ……」


 最早平手打ちという威力ではない。首から上を持って行かれたかと錯覚するような衝撃だった。


「ん……? あれ? ちょ、ちょっとお姉様、優作になんてことするんですか!」

「麻琴……気が付いたのね。今、優作にちょっとおしおきをしていたところなの。カラスに勝てるチャンスをみすみす逃したものだから」

「なんだって……そ、そうだ、カラス! あいつはどうなったんだ!? 勝ったのか!? それとも……」

「三十分だけ休戦することにしたのよ。今から優作に『左腕』の力を与えるわ」

「左腕!? 優作、お前、左腕も義手だったのか……?」


 壁にもたれていたのを、麻琴が助け起こしてくれる。


「違うんだ。左腕は、正真正銘オレの腕なんだ……」

「じゃあどういう意味なんだよ……」

「それは……」


 優作は今までずっと麻琴を欺いてきた罪悪感で、言葉が続かなかった。


「お姉様、どういうことなんです?」

「『左腕』というのは、あなたの左腕のことよ」

「え……? あたし、の?」

「そうよ。麻琴、あなたの左腕は、義手よ」

「……………………え?」

「そして、麻琴の左腕は、優作の特別な力を解放する鍵でもあるの……」


 麻琴は驚愕したまま、じっと自分の掌を見つめていた。


「今から麻琴の左腕の接続を解除するわ。大丈夫。痛みはないから」


 綾乃は麻琴の横まで来ると、腰から取り出した通信機に向かって「いいわ、やってちょうだい」と言った直後、麻琴の左腕は脱力した。綾乃はその左腕にそっと触れる。


「感覚がなくなった……」


 麻琴がそう言ったのと同時に、左肩からバチンという大きな音がして、左腕の接続が解除された。綾乃はそれを大事そうに両手で抱いた。

 しばらく誰も言葉を発しなかった。

 おそらくほんの数十秒の沈黙だったはずだが、教室を支配する重い重い空気が、時の流れを何十倍にも何百倍にも引き延ばした。


「優作は……知ってたんだ……」

「………………すまん、知ってた」


 知っていたからこそ、自分は使うのを拒んだのだという言い訳が喉まで出かかった。

 だが、そんなこと言えるわけがない。

 今、一番辛いのは、麻琴だ。


「そっか……それは………………ちょっとショックかな……」


 麻琴の顔を見ることができなかった。


「そんな顔するなって。右と左で違うけど、あたしは優作と一緒だったんだな」


 はっとした。

 目を見開いて、思わず麻琴の両肩を掴んだ。


「違うんだ! 違うッ! 麻琴は、オレとは違う! 違うのに……。ずっと、左腕のことなんか知らないまま、普通の高校生に戻って欲しかったのに……」


 泣きたいような事実をつきつけられたのは麻琴のはずなのに、優作は涙が止まらなかった。


「優作。戦闘中、不用意に通信をしたのは私のミスよ。でもあのとき、麻琴が気を失っている間、即座に左腕を使っていれば、麻琴はこの事実を知らずに済んだかもしれないわ。これはあなたのミスよ」

「…………………………はい」

「もうやめてくださいよ、お姉様。優作はあたしのことを思って左腕を使わないでいてくれたんでしょ? ならもういいよ。その気持ちは嬉しいから。優作も泣くな。おーよしよし」

「お、おい……」


 麻琴は優作の頭を優しく抱いた。

 右腕だけで。


「あたしの左腕で優作は強くなれるんでしょ? カッコイイじゃない。浪漫設定だ」

「…………設定とかいうな」

「でもなんでわざわざあたしの左腕を優作の力を解放する鍵にしたんですか、お姉様」

「本当はね、麻琴に左腕の真実を明かしてでも切り抜けなければいけないような状況――例えばあなたに生命の危機が迫ったときにしか使わないつもりだったわ。優作にはそう説明していたし、私も優作も安易にその力に頼らぬよう戒めの意味も込めて、麻琴の左腕に力の鍵を封じたの」

「そっか。それなら今使わないでいつ使うんだって話だよね」

「麻琴……無理すんなよ。辛いなら辛いって言っていいんだからな」

「なんなのよ急に優しくなって。普段からこれくらい優しいといいんだけどなあ……」

「なっ!? お、おい、オレはいつもお前に対して超優しいだろ!」


 だが、麻琴の表情は無理をしているようには見えなかった。


「無理なんてしてない。むしろ納得してる。カラスをやっつけなきゃ、白妙純心学園の未来はないんだろ? だとしたら、あたしと優作の未来もないってこと。これは、あたしと優作の生命の危機だ。そうでしょ?」

「………………その通りだな」


 忘れていた。麻琴は、強いってことを。


「あれ、でも左腕でしょ? これ、どうするの? 優作が使うなら右腕じゃないと……」

「平気よ。優作の右肩に接続できるようになっているわ。優作、覚悟はいいわね?」


 綾乃と向かい合って、目を合わせる。


「はい。さっきはすいませんでした。今度こそカラスを排除します。あと、その……麻琴も……今まで黙ってて悪かった。謝って許してもらえることじゃないと思うけど」

「いいのいいの。ほら、もう気にしない! あたしたちは先に進むの。もっと先へ。でないと普通になれないでしょ?」

「ああ……そうだな。あんがと」

「それと、あたしのこと、自分とは違うなんて言わないで。その……さ、寂しいから……」

「わかったよ。もう言わない。麻琴はオレと同じだ」

「うんうん」


 そんなやりとりをじっと見ていた綾乃が、「ちょっと持ってくれる」と言って左腕を麻琴に預け、いつになく真剣な表情になった。


「そうよ。麻琴、優作。あなたたち二人は同じ。片腕を失った者。私とは違うわ。私にはね、何も無いのよ」

「何も無いってどういうことすか? 綾乃サンは全部持って――え……!?」

「お姉様……それは一体!?」


 優作と麻琴は、片腕が、無い。

 それに対して、綾乃は自分は何も無いと言った。

 優作と麻琴は一瞬でその言葉の意味を理解した。

 理解せざるを得なかった。

 綾乃は両手で自分の頭を持ち上げたのだ。

 もちろん、低い姿勢から頭を上にあげたのではなく、「首から上を分離させて」両手で持ち上げて見せたのだ。


「私には体が無いの。自分の体は本郷家の技術を生み出す礎として使ったわ」


 カラスは綾乃に対して「自分と似た狂気を感じる」と言った。そして、その言葉は正しかった。

 例え技術を生み出すためだったとしても、自分の体――首から下全部を実験体にするなど、狂気の沙汰だ。


「ぎ、技術を生み出すために……綾乃サンは自分の体を……」

「正確には、麻琴の左腕を再生させるためよ」

「えっ……あ、あたしの?」

「そうよ。麻琴は幼い頃には左手を失っていたわ」

「じゃあ、あたしの体、事あるごとに大がかりな検査をやってたのって……」

「左腕のメンテナンスよ。できれば麻琴には知られたくなかったけれど、あなたは私と同じように戦う道を選んだときから、早く打ち明けなければと思っていたの。けれど、それでも麻琴には左腕の事は知らずに生きて欲しいと誰よりも強く思っていたのが、優作よ」

「そっか。優作……ありがとね」

「べ、別に、いいよ。まったく。麻琴が戦いたいなんて言わずに普通にお嬢様やってれば、こんなこんなこと知らずに済んだのによ……」

「あはは、それもそうだね!」

「それでは二人とも、最後の戦いの準備をしましょう」


 綾乃が言うと、教室の隅に置いてあったSF棺の一つが、期待通りぷしゅーと音を出しながら棺の蓋にあたる部分が開いた。

 そこには死体――ではなく、今と同じ戦闘服を纏った、首の無い綾乃の体がおさめられていた。

 考えようによっては死体が入っているより不気味だった。

 なるほど、教室が暗幕で覆われているわけだ。こんな状況を他所様に見せられるわけがない。


「う、うわっ! 動いた!」


 蓋が開ききると自然な動作で状態を起こし、自然な動作で棺の外へ出て、自然な動作で綾乃の前まで歩いてやって来た。

 不自然なのは首から上が無いことだけだった。


「首から上が分離してる私を見た後にこんなことで驚くなんて、優作は案外ウブなのね」


 いや、ウブとかそういう問題だろうか?

 首から上がないのはどうやったって不自然だったが、自分の首を体から体へ移し替えるその動作は自然だった。


「今思ったんすけど、綾乃サンもオレと一緒に戦ったらいいんじゃないですか? さっきスゲー強かったじゃないですか」


 綾乃は首を装着中だったので、首が無い方の、今まで首が乗っていた体の方が、やれやれ、というポーズをとった。不気味を通り越して愉快だった。


「バカね、それができるなら最初からやってるわよ。あの動きをする度に体を使い捨てることになるのよ? この体を造るのにどれくらいの時間とお金がかかるか、教えてあげましょうか?」

「いえ……遠慮しておきます……」

「それに、何年も使い続けていた体だからこそ、あの精密な動きができたのよ。新しい義手を着けた直後は神経接続が上手くいかない感覚、優作ならわかるでしょう?」


 確かにその通りだった。腕一本ですら慣らすのに時間がかかるのだ。

 首から下全部となれば、途方もない時間がかかるに違いない。

 そういえば、何年も使った体にしては、綾乃は感情的になるとバカ力を発揮していたな、という考えが頭をよぎったが、もちろんそんなことは口が裂けても言えない。

 それこそ新しい体に取り換えたばかりの綾乃に、「まだ接続が甘くて力加減ができないわ」とか言ってぶっ飛ばされるに決まっているのだ。


「とはいえ、こちらが負けてしまえばそれまでですものね。出し惜しみをするつもりはないわよ」

「あの……お姉様。どうせだから、あたしが左腕を失った理由、教えて欲しいんですけど」

「それは……それはね……」


 まだ新しい体が馴染まないのか、綾乃はさっきまで使っていた体を「棺」の中に納めたあと、寄りかかるようにして椅子に座った。


「私が切り落としたのよ」

「お……お姉様……が?」

「ええ。私が小学生くらいのことたったかしら。まだ幼い麻琴の左腕に能力が発現したの。麻琴は、覚えてる?」

「いえ。それは……どんな能力だったのですか?」

「それが、よくわからなかったらしいわ。ある日、壊れたおもちゃに麻琴が左手で触れたら、何事もなかったように直ったらしいのよ」


 それを聞いて、攻撃能力ではない時点で珍しい能力だと優作は考えたが、そんな次元ではなかったようだった。


「でも、ちゃんと復元することもあれば、原材料のレベルまで分解してしまったこともあった。大人たちはその能力を『触れた物体に対する時間遡行』ではないかと仮定して、麻琴を研究材料にしようとしたわ」

「そうか、じゃあお姉様は、あたしを守って――」


 麻琴がそこまで言ったとき、綾乃は遮るように首を振った。


「だからといって、腕を切り落とすなんて……許されることではないわ」

「でも、そういう過去があったからこそ、優作に会えたんだ。あたしは全然恨んでないっていうか、覚えてないし。お姉様だって今までたくさん苦しんだはずなんだ。あたしたちみたいなのが目指すからこそ、『普通』にだって価値があるんだよ、きっと。だからそのためにもカラスをぶっ飛ばさないといけないんだ。『普通の高校生』として白妙純心学園に入学するために」

「麻琴……」


 綾乃が立ち上がり、麻琴は綾乃に右腕だけで抱き付く。

 綾乃はしっかりと両手で麻琴を抱きしめる。そして。


「お姉様……ぁぁぁぁあああああっ! 痛い痛い痛い! ギブ! ギブ! 力入りすぎてる!」

「ごっ、ごめんなさい。豆腐を抱くような気持ちで触れたつもりだったんだけど……」


 豆腐として抱かれてミンチになったのでは麻琴もうかばれまい。


「綾乃サン、あと十分です。そろそろ左腕、着けましょう」

「あら、もうそんな時間? ちょっとのんびりしすぎたわね。いい優作、左腕に意識を持って行かれちゃダメよ」


 義手を外し、綾乃から左腕を受け取る。覚悟はできていた。


「わかってます。でも、もしもの時は……」


 そこまで言いかけて、思わず麻琴の方を向いてしまった。当然、目が合った。


「ん? なあに? もしもなんてことにはならないから、大丈夫よ。一緒に普通、目指すんでしょ?」

「そうだな……そうだ」


 シミュレーション――疑似的に左腕装着の状態を作り出し、意識を保つ訓練は何度もやった。

 肉体はただのセンサーに成り下がり、意識を保ち続けることができたとしても、毎回とてもみじめな気持になった。

 だが、初めて実戦で使う今は、心穏やかだった。


「っておい……あんまり動揺させんなよ……」


 麻琴が手を握ってきた。


「左手と右手なら、手、繋げるな」

「そうよ、優作は左腕が、麻琴は右腕が。未来を掴みとれる腕が残っているでしょう? 私とは違う。任せたわよ、優作」

「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」

「行ってらっしゃい」

「装着するわよ。体を支配されても、戦っているのは優作よ。そして優作は一人じゃないわ。わかるわね?」

「……はい」


 優作の返事を待って、綾乃は左腕を優作の右肩にある接続部に押し込んだ。

 ばつんと音がして、接続部がロックされたあと、麻琴の肌となっていた外皮が一瞬で吹き飛び、銀色の義手が露出する。

 右腕に左腕を接続した格好だが、金属部が露出しているとそんな違和感はなくなった。

 そして、立ちくらみのような、めまいに似た感覚が襲ってきて、優作は左腕のセンサーに成り下がる。

 だが、今の優作は完全に意識を支配されずに済んでいた。


(倒す相手はカラス。そして、麻琴と一緒に普通の高校生に、なる)


 優作は1Aの教室を飛び出すと、体育館に向かって走り出した。

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