その23 在意

 誰もが一目見た瞬間、その存在自体に違和感を抱かずにはいられない存在、カラス。

 人が持つ歪みを凝縮したようなその存在に対し、優作は有利に戦闘を進めていた。

 優作の「普通」を目指す力は、カラスという歪みに対する復元力となりつつあった。


「ああ、わかったわ!」


 べらべらと喋りながら戦っていたこれまでとは打って変わって、カラスが能力を発動できなくなってからは黙々と互いの打撃を打ち合うことに終始してきた二人だったが、先にその沈黙を破ったのは、カラスだった。


「何がだよ」


 喋りながらも、打撃はやめない。


「俺が生まれて来た意味や」

「へえ……聞いてやろうじゃねーの」

「ラスボスや」


 そう言ったカラスは、いたって真面目だった。


「ははっ、ラスボスか! 違ぇねえや!」

「そうや。俺は――カラスは、真壁クンが捨てた右腕の呪いそのものや。真壁クンが普通を目指す言うから、だったらケジメつけろ、成仏させえ言うてるんや。この右腕が」

「そうかよ! だったらなおさらお前をぶっ飛ばさねーとな! ラスボスは最後の最後でぶっ飛ばされることで、その役目は完遂されるんだぜ!?」

「んぐうっ!? ……そうやな、その通しかもしれん」

 

 ところどころ金属がむき出しになりつつある右腕の拳が、カラスの鳩尾にクリーンヒットした。

 怯んで後ずさったところへ、すかさず足刀蹴りを放つ。

 激突こそしなかったが、カラスは体育館の壁際まで吹っ飛んだ。

 この戦いで最高の一撃が連続でヒットし、受けたカラスは壁に手をつきながらでないと立ち上がることができない程に疲弊していた。

 だが、その時のカラスの表情もまた、最高の歓喜で満たされており、その不気味さもいよいよ最高潮に達していた。

 この戦いにルールなどない。どうなったら勝ちか? そんなことはわからない。

 ただ一つわかっているのは、カラスが立ち上がろうとするなら、優作はまた拳を撃ち込み続けるしかない、ということだった。

 どちらかが、立ち上がれなくなるまで。


 倒す。

 倒される。

 どちらが待っていようと、未来へ――光の方へ進む覚悟を決め、壁に手をついたカラスに向かって走り出した瞬間だった。

 脳内に綾乃の声が響いた。

 戦うこと以外の情報は無意識に遮断していたようで、装着していた片眼鏡の存在を忘れていた。と言っても、今はレンズが吹き飛んで、フレームと通信用のイヤホンしか残っていない。


『優作、聞こえているわね』

「聞こえてますよ」


 綾乃の声とともに、まるで視力を取り戻したかの勢いで、周囲の情報が五感を通して体に入って来る。


『今すぐ左腕を使いなさい』

「大丈夫です。左腕にたよらなくても、今ならオレが押してるから――」

『わかっているわ。でも勝利を確実なものにするために、使いなさい。カラスは能力が使えず、疲労している。麻琴は気を失ったまま。今使わないで、いつ使うの?』

「けど、このままいけば――はっ!?」


 一瞬だった。ほんの一瞬。

 コンマ数秒でもカラスから意識を逸らすべきではないことはわかりきっていたのに、綾乃との通信に一瞬だけ注意を逸らしてしまった。

 気絶した麻琴の方に視線を向けてしまった。

 やはりカラスにはその一瞬で十分だったらしい。

 カラスは既に、壁にもたれて立っていた場所には居なかった。


「このままいけば、何やて?」


 カラスは青白い光を纏った右拳を振りかぶっていた。


「あぎっ!」


 拳が顔を狙っているのはわかったので素早く義手でブロックしたが、能力を取り戻しつつあるらしい右拳の一撃は、義手ごと優作の顔を殴った。

 優作の体は体育館の床の上を転がり、壁に激突した。


「ぐっ! くっ……そ……」


 衝撃や痛みは耐えられる。肉体はまだ戦える。

 だが、顔を殴られたことによる脳震盪で、立つことすらおぼつかず、殴られた衝撃で義手の接続が死にかけていた。

 既に腕のスペアも、式弾もゴム弾も尽きている。

 今になって、自分は綱渡りのような戦いを続けていたのだと思い知らされた。


『優作! 大丈夫!? 優作ッ! すぐ向かうから、二十秒持ちこたえなさい!』

「千載一遇の好機に、どうしたん? 真壁クンらしくないなあ。お嬢さんの方見とったみたいやけど、なんかあったんか? どうも真壁クンはあの妹さんのこととなると、冷静さを欠くなあ。こりゃあかんわ」


 カラスは右掌から火球を出現させた。


「やっぱ先に消えてもらうわ、本郷家の妹さん。ただおるだけで真壁クンの気が散る。そんなんつまらん」

「や、やめろっ! オレならいくらでも戦う! なぶり殺しにしてもいい! 麻琴には手を出すなッ!」

「それは聞かれへんなあ。今みたいに注意を逸らされたらかなわんし、妹さんに死んでもらった方が、真壁クン怒って一生懸命戦ってくれるんちゃう?」


 カラスは何もできない優作を嘲笑うかのようにゆっくりしたモーションで、火球を体育館入口の方へ放った。


「やめろおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉっ!」


 だが、火球は体育館入口に到達する直前に、爆散した。


「まったく。手間ばかりかけさせるわね、優作は」


 爆散した青白い炎の中から現れたのは、スーツ姿でもない、白衣も纏っていない、麻琴のものとは違う、飾り気のない黒い戦闘服を着た、綾乃だった。


「あ……綾乃さん!?」

「なんや……また邪魔が増えたなあ……」

「邪魔するに決まっているじゃない。言ったはずよ、本郷家の総力を持って排除すると」

「ふん、本郷綾乃サンか。あんたも邪魔するんやったら――」


 おそらくカラスは右手の能力を使おうとしたのだろう。

 だが、右手を持ちあげたところで、悲鳴を上げるまもなく綾乃に吹き飛ばされた。

 その動きは、ソフィアよりも、脚のブースターを使ったカラスよりも、速い。


「あがっ! なんや……ただモンやないと思てたけど……何者や。一体なんなんや、あんた」

「私? さあ……あなたと似たようなものじゃないかしら?」

「へえ……」


 カラスは何も語らなかったが、口元がにやついていた。何かに気付いたようだった。


「ねえ、私からも聞いていいかしら? 垂水十夜くん。白妙純心学園に入らない?」


 綾乃がとんでもない人間なのはわかっていたが、優作は絶句した。

 この状況でこの発言。

 どうやったって敵う相手ではないとわかってはいたが、一生かかっても、全てにおいて綾乃には敵わないだろうと理解した。


「白妙純心学園……式とかそんなものは一切関係ない学校、ねえ……」


 そして、カラスの反応がまんざらでもないことに、再度驚いた。


「そうよ。素晴らしいと思わない?」

「素晴らしいし、何よりおもろいな。あんた以外が言うたんならバカげた話やけど、あんたが言うから現実味があるわ。だからこそ、俺のスポンサーは白妙純心学園設立を阻止しようとしとるんやろうけどな」

「あなたのスポンサー、教えなさいよ」


 直球ストレートもストレート、しかも命令口調だった。


「ははっ、俺の口から言わせたいだけで本当は全部わかっとんのとちゃう? 本郷綾乃サン」

「買いかぶりすぎよ。今のところ私がわかっているのは、白妙純心学園のような式と普通の人が調和するような動きを目障りとしてる組織があなたのスポンサーだってことだけよ」

「ほんまに怖い人やなあ……そこまでわかっとったらもうわかったも同然やろ」

 くっくっくと笑うカラスに向かって、綾乃は三本の指を立てた。

「三十分」

「何て?」

「三十分の休憩にしましょう。ちょっとこの聞き分けのない子を叱らなければならないのよ。注意力散漫で、戦っていても楽しくなかったでしょう?」


 優作は、そりゃあんたが急に通信してきたからだろ! と言いたかったが、我慢した。


「三十分待ってくれるのなら、また楽しい戦闘ができると思うのだけど、どうかしら?」

「何や、三十分で真壁クンの右腕にロケットパンチでも仕込むんか? ええよ、待ったる。その代り、俺の能力も完全に元に戻ってまうで?」

「それで構わないわよ。こちらだけ体勢を立て直すのでは不公平だもの」

「ほんなら三十分後な」


 そう言って、カラスは体育館の壁にもたれて座り、目を閉じた。


「それじゃあ私たちも一時撤退よ」


 綾乃はひょいと優作を持ち上げ、体育館の入り口で麻琴も抱え、両脇に二人を抱える格好で、1Aの教室へとんでもない速度で走った。

 細い腕で自分を軽々と抱える綾乃を見て、優作はカラスの言葉を思い出した。


「俺と似たような狂気を感じるわ」


 確かに、今の綾乃からはカラスに似た狂気を感じる気がした。

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