その13 開幕
ソフィアが目を覚ますと、四肢を椅子にくくりつける状態であることに気付いたが、ここがどこなのかはわからなかった。見慣れない部屋だった。
「お、やっと目が覚めたか、秦野ぉ。眠ったままじゃあ面白くないからなぁ、少しは抵抗してもらわないとなぁ……えぇ?」
「い、稲田……てめえ……」
とにかくこの状況をなんとかすべく、縛られている両手に意識を集中したが、いつものように掌へ力が集まってくるような感覚がなかった。
それ以前に、意識こそあるものの、風邪で熱があるときのように朦朧としている。
「なっ、なんで……力がっ……」
「自慢の衝撃波が出ないだろう? さっきカラスが何かしてたからなあ。もうお終いさ。お前も、真壁も、本郷家も、この学校も。へへへ……」
「くっ……クソ……が……」
体をねじったり、どうにか動かそうとしても、手足はもちろん、背もたれの高い椅子に頭、肩、胴体まで、隙間なくがっちりと固定されていて、何もできない。
もっと声を張って怒鳴ろうとしても、音になる前にそのほとんどが吐息となって消えていく。
「ダメじゃないかぁ、女の子がそんな汚い言葉を口にしたらぁ。見た目だけならこんなに可愛い女の子なんだからぁ……」
稲田の手がソフィアの体をなぞっていく。
こいつがいつからこの校舎内で勢力を集め、力をつけていたのか、ソフィアは知らない。
だが、一目見た瞬間からいけ好かない奴だというのは感じたし、その直感は間違いではなかった。
裏番長という立場上、女扱いされることはほとんどなかったし、それでいいと思っていた。
式は女が多い。だから、そういう連中――こうやって校舎を占拠することでしか、自分の居場所を見つけられない女子を導いてやれるなら、強くあれるなら、性別なんてどうでもいいと思っていた。
だが、番長だった兄はソフィアに向かってこういった。
「女扱いされることがなくとも、女は捨てるな。もし捨ててしまったのなら、拾って大事にしておけ。お前が女であることは、強さだ」
だから、ソフィアは男扱いされようとも、女であることを捨てたことはなかった。
大事にしてきた。
それなのに、よりによって、こんな男に辱められるのかと思うと、悔しさで涙がこぼれた。
「ハハハ、いいねぇ、その目。最高じゃないかぁ」
「稲田クン、なにしとんの?」
ソフィアがもうダメだと諦めかけた瞬間、引き戸が開いてカラスが入って来た。
なぜか両脇に液晶テレビを抱えている。
「あっ!? か、カラス……これは……」
「あかんて、まだ手え出したら。無事やなかったら人質の意味ないやろ」
ノリノリだった稲田が、カラスを前に急に萎縮したのは愉快だったが、そんなことより、とりあえずは助かったという思いにソフィアは安堵した。
もちろん危機であることには変わりないが。
「それより、稲田クン。悪いんやけどテレビ集めるの手伝ってくれへん? 十台くらいこの部屋に集めたいんやけど」
「十台ですか!? 画面がたくさん必要なら三階の情報処理室がありますし、大画面がよければ、さっき僕が自分の部屋にした校長室に大画面の液晶テレビが――」
「情報処理室にあるんはパソコン用のディスプレイやろ? さっき見て来たけど、むっちゃ古いモデルで、応答速度が遅すぎや。あんなんでスポーツ観戦はできんて」
「はあ……スポーツ……?」
「それに大きさは気にせえへんから、とにかく数が欲しいんや。教室全部から集めたらなんとかなるやろ」
カラスが何をやろうとしているのか、ソフィアには全く理解できなかった。
「そ、そうか! カメラを設置して本郷家の連中を監視するんですね!?」
稲田は下衆野郎だが、こういうことにすぐ頭がまわったり、怒り狂うを手が付けられなくなるくらい強かったり、稲田という男は心底嫌な奴だと、ソフィアはあきれつつも感心した。
だが、カラスの目的は違ったらしい。
「は? ちゃうで?」
「へ?」
「まあでも画面がいっぱいあるんやったら、監視カメラっちゅうのも悪くないけどな。とはいえ、まだ二台や。稲田クン、一階の教室から見てまわってくれる? そんなに急がんでもええから」
「わ、わかりましたっ!」
稲田はそそくさと部屋を後にする。
ソフィアはぼんやりとした意識のまま、どうにか現状把握と、できることがないかと思考を巡らせた。
カラスはそれを見てソフィアが考えていることに気付いたようだった。
「ここは二階の空き部屋や。そこそこ広くて物も無いし、テレビ置くんは好都合やったから、ここにしたんや。悪いけど、ソフィアちゃんは真壁クンをおびき出す餌になってもらうで」
こんなに気味の悪い奴なのに、目が合うだけで嫌悪感を抱く稲田とはちがい、名前をちゃん付けで呼ばれても、不思議と嫌な気持ちではなかった。
「頭ぼんやりしよるやろ? それ、体を縛っとる結束バンドのせいやで。式弾と原理は一緒らしいけど、ほんま、式が嫌いな連中ってそういうモノ作るのばっか一生懸命やね」
まだ明るいので目立たないが、確かにほんの少しオレンジ色に発光しているようにも見えた。
「お前……目的は……何だ……」
「この学校の破壊……なんてことを聞かれてんのとちゃうことはわかっとるよ。ちょっと待ってな。適切な言葉を探すわ」
カラスという男は常軌を逸しているようで、稲田なんかよりはずっと思慮深いように見えた。
稲田の様にある程度強い力を持っていて、かつ欲望丸出しのような輩も厄介だが、カラスのように、何か自分の中のルールに従って行動し、研ぎ澄まされすぎて異常に「見えてしまう」輩の方がずっと厄介だとソフィアは思った。
「言うとくけど、『俺がこの世界を変えたる!』みたいな大儀なんぞ持ってへんよ? 一応キモい組織にスポンサードされとるけど、今の俺の行動原理にそんなキモい組織なんぞ関係ない。独断専行の単独行動や。まあ、最低限これはやっとけっちゅう命令はあんねんけどな、ンなモンは二の次や」
カラスは「あ、わかったわ」といって、かぶっていた帽子をとった。
薄紫色の不思議な色の髪だった。癖っ毛なのかウェーブがかかって、まとまりの無い髪だった。
その髪を額から手でかき上げ、また帽子を被る。
帽子が野球帽なせいか、マウンド上で汗を拭う投手の仕草に似ているな、とソフィアは思った。
目は細く、全体的に理知的で大人びた顔だったが、高校生くらいの年齢には見えた。
元気がよくて喜怒哀楽がはっきりしている、まだ少年の面影を残す優作とは対照的だった。
「縋っとるんやな、きっと」
「すが……る……?」
稲田が去って、とりあえずは直面していた身の危険がなくなって安心したからか、緊張が解け、再び頭がぼんやりしてくる。
なので、聞き間違いかと思った。
縋る?
この男が何に縋る必要があるというのだろうか?
「寝ててええよ? 悪いけど、こっちの目的が果たされるまで、キミはそのままや。まあ、寝てる間に戦いが始まってそのまま死んでもうたら勘弁な」
言いながらカラスはどこから持ってきたのか部屋に机やキャビネットを運び入れてくる。まるで新居に引っ越して来たかのような、楽し気な雰囲気だった。
「心配せんでもええって。俺がおる限り稲田クンに変な真似はさせんよ。まったく。監視カメラやて? 一番監視されなあかん人間が、よう言うわ。なあ?」
そんな風に毒づきながら、ああでもないこうでもないと液晶テレビの位置を考えていた。
カラスの「心配ない」という言葉に対して、本能が無意識のうちに安心してしまったのだろうか。拘束された状態で眠るわけにはいかないと思いつつも、全神経を抑え込むほどの力で脳が眠れといっているような、強い眠気が襲ってきた。
まどろむソフィアを尻目に、カラスは一人液晶テレビの接続を始めていた。
それにしても、液晶テレビは何に使うつもりなのだろうか。
もう起きているのか、夢を見ているのかわからなくなりながら、薄れていく意識の中、液晶テレビの画面をぼんやり見つめていると、ソフィアの視線に気づいたらしいカラスが「これ?」といった。
「本郷家の皆さんと戦う最終兵器やと思う? ちゃうって、うふふ。普通のテレビやで。見るにきまっとるやろ」
十台も用意して、何をだ?
口に出さずともカラスには伝わっただろうし、そんなことをしなくても、カラスはいいたくて仕方がないようだった。
「今日開幕やろ? 春の甲子園」
こいつは一体なにをいっているんだろうと思ったのを最後に、ソフィアの意識が途切れた。
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