その12 狂鳥
「参った。あたいの負けだ」
同時に、周囲から静かなどよめきが起こり、「はああああああああ」という、とんでもない吐息が聞こえた。
優作の勝利に安堵した本郷姉妹だった。
「あれ、綾乃サン、オレが勝つって信じてくれてたんじゃないんすか?」
「あんな無茶な戦い方しといて、よくそんなことが言えるわね! 勝ったからよかったものの……」
めっちゃ怒られた。
「負けを認めた……ということは、白妙純心学園への編入の返事はOKということでよろしいわね?」
床にぺたんと座った上体のソフィアを綾乃が手を差し伸べ、立ち上がるのを助けながら言った。
「ああ。ここにいる全員、そちらが設立する学校へ――」
張りつめた空気が弛緩し、場が和みかけたそのとき、異常に気が付いた綾乃とソフィアはお互いに後方へ大きく跳躍した。
二人が手を取り合っていたところを、青白い光がとんでもない速度で横切っていく。光は床にぶつかると砕け、同じ青白色をした炎となって、床の上を走る。
優作と麻琴は、綾乃を庇うように前へ出た。
光が飛んで来た方向、体育館のステージ上に目をやると、いつの間に侵入してきたのか、そこには二つの人影があった。
一人は稲田。
もう一人は……誰だ?
遠目に見ても長身なのがすぐにわかった。
稲田は優作よりほんの少し低いくらいの身長だが、見知らぬ人物は並んで立っている稲田より顔半分以上は大きい。
何もロゴがない、無地のネイビーブルーの野球帽を目深に被り、おそらく上下セットであろう、グレーとシルバーが調和した、変わった形のジャージを着ている。
上半身は袖、下半身は裾が大きく末広がりになっていて、袖も、裾も、煤けたように汚れていた。
襟は高く、ファスナーを閉めている今は、口元が見えず、表情がよくわからなかった。
「なんやキミら、今しがた手え組んだとこなん?」
澄んだ声だった。こもったりかすれたりした感じがなく、クリアでよく響く、訓練されたような発声だった。
なのに、とても不快だった。
正しいのか間違っているのかよくわからない、人を食ったような関西弁のせいではない。
「そいつそのもの」がどことなく不安にさせる雰囲気を纏っていた。
「けど、タイミング悪いなあ。俺が来たからには、学校ごっこはもう終いやで? 何もかも」
関西弁の男がゆらりと行動を起こそうとすると、稲田がそれを制した。
「な、なあ、カラス。ちょっと待って欲しいんだ。秦野……小柄で金髪のやつ。僕はそいつに恥をかかされたからさぁ。このまま何もかもぶち壊されたんじゃ気が済まないから、仕返しをするチャンスが欲しいんだけど……」
「はあ? キミなに寝ぼけたこと言うてんの?」
「いっ! いや、できれば……で、いいんですけど……」
カラスと呼ばれた男の威圧感に、あの稲田が気圧されている。
稲田を威圧しているカラスだったが、何かに気付いたようで、ぴたりと動きを止めた。
そして、優作と目が合った。
「おった。右腕の……キミが真壁クンやね?」
「あぁ? なんだテメーは?」
「知り合い……なのか?」
顔を寄せて麻琴が小声で聞いてきた。知るか、あんな奴。
「オレぁテメーなんか知らねーぞ」
「なんや、ヒドいなあ、真壁クン。昔戦ったやろ。俺なんか眼中になかったってことかもしれへんけど」
昔戦った? 優作にはカラスの言っていることが理解できなかった。
「俺は稲田クンからこの学校の破壊を頼まれてんけどな、そのまえにやりたいことがあんのや。真壁クンと一対一で戦いたいんやけど……えらいギャラリー多いなあ。邪魔やなあ……ほんなら」
カラスは長い右腕を持ち上げると、指を鳴らすような動作で、小指から順に親指で擦っていった。
すると青白い五つの光が生じ、先ほどのものよりは小さい、それぞれがピンポン玉くらいの大きさに収束した。
そして、淀みのない流れるような動作で、五つの光をこちらに向かって投げつけてきた。
弾丸――とまではいかないまでも、そう見間違うくらいの速度で向かってくるが、反応速度はソフィアの方が上だった。
優作たちの前に立ちふさがり、素早く両手で盾を展開すると、五つのうち三つは盾にぶつかって青白い光の粒子となって消えた。
ソフィアに守られ、優作たちは無傷だったが、残りの二つは裏番長派が並んでいる辺りまで飛び、炸裂した。
「う、うわあああああああああああああああああっ!」
直撃したわけではなかったが、床を走る炎から逃げきれなかった裏番長派の生徒数名が燃え上がり、床を転がってのたうち回る。
「お前達っ!」
すぐに火は消えたが、無傷とはいかなかったようだ。
「お前達はもういい。よく見届けてくれた。体育館から出ておきな」
「裏番長派の方々は白妙純心学園が制圧済みの区画に退避していてください。本郷家の人間に案内させます」
「恩に着る、本郷綾乃」
穏やかに礼をいったソフィアが、一転、カラスの方に向き直ると鬼の形相になった。
「あんた……今、殺すつもりでやったね!?」
「そらそうや。学校ごっこはもう終いや言うたやろ。そんなことよりキミ、今簡単に俺の攻撃防ぎよったなあ。びっくりやわ。キミ、めっちゃ――」
カラスが膝を曲げ、屈むと、両脚のジャージの裾がぶわっと広がり。
「――邪魔や」
ソフィアの衝撃波を利用した跳躍と比べても遜色ない速度で、一瞬でソフィアの眼前に迫る。
右手では既に青い光が生じていた。
今度は野球のボールくらいの大きさになって、ソフィアは身構えたが、カラスはそれを投げずに握りつぶした。
カラスの拳が青白い光を纏う。
「これなら、どや!?」
周囲に居た、優作も、麻琴も、桜子も、反応できなかった。
「あがっ!?」
盾の上から強引に殴りつけられたソフィアが、水切りの石のように床をバウントしながら吹っ飛び、壁にぶつかって止まった。
「ソフィア!」
桜子の悲痛な叫びが体育館に響く。
「キミのバリヤー、力任せの攻撃に対しては紙やな」
カラスはゆっくりとソフィアに向かって歩き出そうとした瞬間、銃声が響いた。
麻琴がカラスの背後から三発撃ち、全てカラスの背中に当たった。
だが。
「なんや、痛いなあ……」
「えっ……式弾、当たっただろ……」
麻琴は困惑していた。
式弾は確かに当たった。オレンジ色の光は間違いなくカラスの背中で炸裂した。それなのに。
「効かんよ? それ。あ、ええこと思いついたわ、えへへ」
首を斜めにして上半身だけで振り返り、肩越しにこちらを見てニタアと笑った。初めて露わになったカラスの口には矯正器具を着けた白い歯が並んでいて、この前テレビで見た川口龍星を思い起こさせた。
カラスはその長身を歪めるような体勢のを取っているからか、見ていると不安になった。
そして、歪んだような体勢をとっていたため、完全にこちらから死角になっていた左手をカラスは大きく麻琴に向かって振るってきた。
その手には……刃物か!?
「麻琴っ!」
「きゃっ!」
右腕の無い優作は、咄嗟に足払いで麻琴に尻餅をつかせた。
同時に、麻琴が銃を構えていたあたりを、
だが、外へ振ったナイフを返す刀で倒れた麻琴に振り下ろしてきた。
優作は麻琴の前へ出たものの、いつもなら切断覚悟で盾にする義手が今は、ない。
左手を伸ばしてカラスのナイフを受け止めることに成功したが、体重の乗った一撃を支えきれず、刃は優作の肩に達した。
「ぐぅっ!」
「あちゃー、何してくれてんの、真壁クン。キミとは万全な状態でやり合いたいっちゅうのに。しゃあないなあ」
カラスは優作と麻琴を蹴り飛ばして、落ちていた麻琴の拳銃を拾った。
そして、壁に手をついて、やっと立ち上がったところのソフィアに銃口を向ける。
「これ、この弾丸。式持の皆さんにはえらい有効なんやろ?」
「やめてえええええええええええええ!」
桜子が叫んだのと、銃声が響いたのは同時だった。
ソフィアは立ち上がってはいたものの、壁にぶつかった衝撃で意識が朦朧としているのか、手をかざしても盾はできなかった。
「がっ! あ……」
カラスは何のためらいもなく残りの弾丸を全てソフィアに撃ち込んで、完全に動かなくなったのを確認してからソフィアに近づき、足で転がして気絶していることを十分に確かめてから左肩にソフィアを担いだ。
「稲田クン、何してんの。ほら、行くよ」
「あ……えっ? あ、ああ……」
またカラスのジャージの裾が広がり、何かが脚元で爆ぜた。
小柄とはいえ、ソフィアを担いでいるというのに、カラスは低い軌道で飛ぶように跳躍を繰り返しながら、体育館から去ってく。
体育館に残された面々は、しばらくは何も言えずに体育館と渡り廊下をつなぐ出入り口を見つめていた。
誰も、何もできなかった。
全員で戦えば何とかなるとか、そういった次元ではないことが、体育館に居た全員が理解していた。
喰う者と、喰われる物。
稲田も、カラスに話しかけられるまでは、完全に喰われる側の立場の心境だったに違いない。
去って行くカラスの背中を見つめ、何かに気付いたのか、麻琴ははっと息を飲んで動けなくなっていた。
が、すぐに正気に戻ったようだった。
「優作、大丈夫……じゃ、ないよね。ちょっと待って」
麻琴がセーラー服のスカーフで片口をきつく縛って止血してくれた。
「あんがと……くそっ! 自分が情けねえ」
「助けるわよ……ソフィアちゃんを」
意外にも、真っ先にそう言ったのは綾乃だった。
「この学校を破壊するですって? 冗談じゃないわ!」
綾乃はぐっと拳を握り締めた。
麻琴も桜子も、その場に居た全員が視線を交わしあい頷いた。
「一度体勢を立て直すわ。準備ができ次第すぐにソフィアちゃん奪還作戦を決行します!」
時折、異を唱えたくなるようなことも言うし、無理難題ばかりをふっかけてくる綾乃だったが、こういう状況のとき、綾乃ほど便りになる人間は他にいないと、優作は思った。
けれど。
今はカラスと呼ばれたあの男の何もかもが、目に、脳裏に、瞼の裏にまで焼き付いて離れなかった。
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