その14 布告

 ソフィアが連れ去られたあと、本郷家の面々は1Aの教室に集まり、怪我の手当てや次の戦いに備えての準備をしていた。

 とは言っても、手当てが必要なほどの怪我を負ったのは優作一人だけだったが。

 皆、一様に口数は少ない。

 あのときこうしていれば、ああしていればという、不毛な考えを巡らせているのだろう。

 こういった状況のときに頼りになる綾乃すら、腕を組んでなにか考えているようだった。

 だから、桜子が立ち上がったとき、特に勢いよく立ち上がったわけでもなかったが、全員の視線が集中した。


「桜子、どこに行くつもり」


 綾乃は視線は動かさないまま、微動だにせずそういった。咎めるような口調だった。


「お願いです! 私だけでも先に行かせてください!」


 どう考えても何か作戦があって言っているのではない。

 だが、桜子が親友であるソフィアを心配しているのだということは、おそらくその場にいた全員がわかっていたので、なにも言えなかった

 綾乃が桜子に向かってなにか言おうとしたとき、それよりも先に言葉を発したのは、意外にも麻琴だった。


「桜子さん、落ち着いて」


 普段の麻琴からは想像もつかないくらい、穏やかな声だった。


「麻琴さん! 止めないでください、麻琴さんはソフィアが心配じゃないんですか!?」

「心配に決まってるでしょ!」


 一転、今度は信じられないほど強い口調で麻琴が声を荒げた。


「そりゃ、桜子さんの方がソフィアちゃんとの付き合いは長いかもしれないけどさ、心配なのはみんな一緒なんだよ。しかも優作はさっき怪我してまで戦ったんだ。今だってやっと血が止まったばっかりなのに、次の戦闘の準備してるんだ。なんで優作が傷ついてまで戦えると思ってるんだよ……心配だから、助けたいからに決まってるじゃないか」


 麻琴が感情をむき出しにしたのは一瞬だけで、あとは諭すような口調だった。

 そして、その凛とした表情に、優作は場をわきまえず見惚れてしまっていた。

 救護班に手当てを受けながら、口を半開きにしてぼーっと麻琴の横顔を見ていると、「な? 優作も心配だよな?」と急に話を振られて目が泳いでしまった。


「あ、えっ!? ああ……そうだな。カラスはオレと戦いたがってたから、ソフィアちゃんは間違いなくオレをおびき出すための人質として連れ去ったと考えて間違いない」

「そ、そんな……」


 桜子は青ざめ、一歩、二歩と後ずさったあと、もたれかかるように椅子に座り込んだ。


「大丈夫だって。オレを誘い出すまでソフィアちゃんに手出しはしないはずだ。だから今は落ち着こうぜ」

「……はい、そうですね。すみません、皆さん。取り乱してしまって」


 桜子はひとまず落ち着きを取り戻したが、あまりゆっくりはしていられないのも事実だった。

 ああは言ったものの、カラスも、稲田も、およそこちらの常識の範疇で行動するとは到底思えない。

 故に、ソフィアは無事である可能性が高いとはいえ、一秒でも早く助けに行かなければならない状況であることに変わりははない。

 左片口に包帯を巻かれながら、装着したばかりの右手でいつものように試合球を転がして、指先の感覚を確かめる。

 緊急事態ということで、掌から出せる「圧」の回数を、無理矢理五回まで増やしてもらったが、だからといってカラスに対する決定打になるかといえば、おそらくそんなことはないだろう。

 自分の弱さが情けなくて、試合球を強く握り締め、下唇を噛んで俯いていると、優作の考えていることは何もかもお見通しだとばかりに、麻琴が頬に触れてきた。


「ごめんね、優作ばっかり戦わせて。でも、戦ってるのは一人でも、優作は一人じゃないからな」

「ん……ああ。あんがと」


 あれ、前にもこんなことがあったような……と、既視感を覚えたが、手に試合球を握っていたせいか、すぐに思い出した。

 何のことはない、優作がまだ中学一年生――投手だった頃のこと。

 走者を背負ってピンチになると、「打たせろ! バックは俺達が守ってやる!」と野手が声を張り上げてくれる。

 そのときと似たような気持ちだった。

 だが、野手八人に励まされたときより、今、麻琴一人に励まされてる方が数倍元気が出る。

 少し照れくさくなって二人ではにかんだように微笑んでいると、そんなことは許さんとばかりに、突然、校内放送を告げるチャイムが鳴り響いた。

 教室にいた全員が体を硬直させ、自然とスピーカーを見つめていた。


『本郷家の皆さん、聞こえとる? 聞こえとったら、外に向かって大声で叫んで欲しいんやけど』


 各々が、「どうしようか」という表情で顔を見合わせていると、カラスはそんなことはお見通しのようだった。


『あー、心配せんでええよ。別に窓から顔だしても攻撃したりせえへんから』


 だったら――と、優作はがしがしと大股で窓際まで歩き、勢いよく窓開けた。


「だあああああああああああっ!」


 顔の穴という穴を限界まで広げ、カラスがいるであろう南端の頭一つ高い棟に向かって、腹の底から叫んだ。そうしたら、こうなった。


「あはは、『だあああ』って。もっと他にないのかよ」


 麻琴に笑われた。


『ええねー、声出とるね、真壁クン。さすが元野球少年や』


 カラスにも茶化された。

 窓を開けてわかったが、屋外に設置されたスピーカーが幾つか生きているらしく、カラスの声がそこら中で反響して聞こえてくるので気味が悪い。


「な、なんだよ……別にいいだろ、なんだって……」


 少し照れながらそう言うと、急に立ち上がった桜子が、窓枠に手をついて身を乗り出しながら、普段の落ち着いた喋り方からは想像もつかないようなよく通る声で叫んだ。


「ソフィアあああああああああああああああああああああああああっ!」


 すると、麻琴まで「あたしも、あたしも」と言いながら窓際にやって来た。


「にゃあああああああああああああああああああああああっ!」

「おい、麻琴こそ、『にゃあああ』ってなんだよ」

「か、可愛いかなと思って……」

 照れるならやるな。


『あっはっはっはっは! ええね! それでこそ本郷家の皆さんや!』


 どうやらカラスを楽しませただけのようだった。釈然としない。


『そうや、せっかく名前呼ばれたんやし、ソフィアちゃんの声聞かせたらんとね』


 不意に始まった絶叫コンテストのせいで緩みかけた雰囲気が、そのカラスの言葉によって一瞬で引き締まった。


『ごめんな、ソフィアちゃん。少しでええから起きてくれる? 本郷家の皆さんに、自分は無事やいうことを言うて欲しいんやけど』

『うんん……ああ? ムリ、あたいは眠いんだよ……』


 普段は今はあの愛くるしい外見のおかげで恐ろしさも中和されるのだが、外見なしでスピーカー越しに聞く声は今まで聞いた中で一番恐ろしいものだった。


「ソフィア、寝起きは機嫌悪いから……」


 と桜子が言ったが、寝て起きる度にあのドスの効いた声を聞かされるなど、たまったものではない。


『……ま、まあ、人質として捕まってるとは思えへんくらいリラックスしてるいうことはわかってもらえた? 一応言うとくと、ソフィアちゃんは今、式持が能力を発揮できんようになる特殊なバンドで拘束しとる。せやから、意識が朦朧としてるだけや』


 あのカラスまでも寝起きの機嫌の悪さに戸惑っているようだった。秦野ソフィア、恐るべし。

 どうでもいいが、ソフィアは誰もが「ちゃん」付けして呼びたくなるらしい。


『さて、前置きが長くなってもうたけど、こっちの要望を伝えんで。十五時半まで教養塔の二階部分、渡り廊下とつながっとるところに来てくれる? 来てくれへんかったら……わかっとるね?』

「教養塔と言うのはあそこです。体育館とは逆の、渡り廊下の終点にある棟のことをそう呼んでいます」


 桜子がそう言いながら教養塔と呼ばれた区画を見つめ、心配そうな表情でゴクリと喉を鳴らした。

 十五時半。ちょうど、あと一時間だった。


『渡り廊下までなら真壁クン以外の人も来てええよ。でも、教養塔に一歩でも踏み込んだらアウトやで? ほんじゃ、楽しみにしとるわ』


 ブツッという嫌なノイズを残して放送は終わった。

 窓の外から振り向くと、全員が教養塔の方を向いている中、綾乃だけが椅子に座って脚を組み、顎に手を当て難しい顔をしていた。


「綾乃サン、どうかしたんですか?」


 今後の作戦を考えているにしては、あまりにも深刻な顔をしていたので、聞かずにはいられなかった。


「さっきカラスがソフィアちゃんは式を発動できないようにするバンドで拘束されてるって言ってたでしょう?」

「それがどうかしたんですか? まだ本郷家で開発中の技術だった! とか?」


 綾乃は視線を落としたまま首を振った。白衣を羽織っているときの、研究者の顔をしていた。


「いいえ。本郷家はまだその技術を持っていないわ。というよりは、本郷家の技術とは根底にある考え方が違うような気がするの。ウチの技術は式持の意識を即座に奪い、無力化することに主眼を置いてきたわ。技術としては似たようなものでしょうけど。あのカラスって男、単独行動ってわけはないと思っていたけど、面倒な連中がバックについてるとみて間違いないわね」

「ねえ、お姉様。もしかして式弾が効かなかったのも、何か特殊な道具を使ってたからかな?」

「あれにも驚いたけど、即断は禁物ね。そもそもの耐性が高いという可能性もあるけど、それにしてもあの男の体は不可解な点が多すぎるわ。奴の跳躍力、見たでしょう? まず間違いなく、脚に何か仕込んでるわよ」

「何かって、まさか……」


 優作も、戦ってみてもしかしたらとは思っていた。無意識のうちに、義手に触れていた。


「十中八九、優作の義手と同じ、機械の類よ。あいつ、あんまり隠すつもりなさそうだったから、カラスに会ったら素直に聞いてしまいなさい。『その脚、なにつけてんの?』って。もちろん嘘を教えられる可能性もあるけど、原理がわかれば対策の立てようがあるわ」


 確かに……カラスなら「ああこれ? これは機械やで」とか言って教えてくれそうではあった。


「あのさ、カラスって全体的に不気味な奴だけど、見ててずっと違和感があったんだけどさ……」


 麻琴が嫌そうな顔で記憶を探っているのがわかった。

 おそらく、体育館でカラスを間近で感じた人間には皆まで言わずとも麻琴の気持ちが共有できるはずだ。

 カラスの存在自体が、見ている者を不安にさせる。

 不自然、不都合、不条理、不合理、違和感、ゆがみ、ひずみ……。

 理論上は存在するが現実には存在しえない、負の数や、ゼロ、虚数といった概念が服を着て歩いているような存在。


「麻琴、何でもいいわ、感じたことを言ってみて。何か手がかりなるかもしれないから」

「あの、さ。気づいた瞬間は本当にぎょっとしたんだけど……」


 確かに、体育館で去って行くカラスを見つめる麻琴は、何か見てはいけないものを見てしまったかのようだった。


「あいつ、右腕の方が少し長いんだ……」


 それを聞いて、全員が顔をしかめた。

 綾乃は口を半開きにしたまま、自分の誕生日に汚物と死体を同時に見てしまったかのような表情をしていた。

 おそらく何か察しがついた――その頭脳ゆえ、察しがついてしまったのだろう。

 綾乃はポットからハンカチを取り出し、口元を押さえつつ、眉間に皺を寄せながら言った。


「準備をしましょう。ソフィアちゃんを助け出す準備を」


 そして立ち上がり、目の前まで来た綾乃に、優作はがっちりと両肩を掴まれた。


「優作。危険な役目をあなたにだけ押し付ける形になってごめんなさい」

「あ……はい……。い、痛い、痛っ! いででででで!」


 綾乃の指が肩を握りつぶさんばかりの強さで押さえつけられた。


「あっ、ごめんなさいね。つい……」


 肩を怪我していたのもあるが、とんでもない馬鹿力だったような……。


「とにかく、気を付けなさい。私も『最善』を尽くすわ。いい? 死んでも自分の代わりはいるなんて、絶対に思わないで」

「わかりました」


 いつも「お前の代わりはいくらでもいる」と言われ続けていたので、少し拍子抜けしてしまった。

 が、やはり必要とされるのは嬉しかった。


「各員はいつカラスと戦闘になってもいいように準備をしておきなさい! 堀之内、堀之内はいる?」


 綾乃は指示を出しつつ、ヒールを鳴らしながら教室を出て行った。

 カラスは十五時半に来いと言っただけだった。

 だが、ここにいる全員が、これから戦いがはじまるのだと理解していた。

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