その10 叡智
優作と麻琴が校舎の一部を一棟丸ごと奪還した日から数えて二日後、朝から昼にかけて学校の体育館で本郷家の代表と裏番長派の代表が会談を持つことになっていた。
校舎の奪還を優作たちが進めているあいだ、手薄になっていた体育館はいとも簡単に制圧できたようだった。
元々は落書きなどで汚れつつあった体育館だが、本郷家の手が入ってからたった一晩で、内側だけは「普通の学校の体育館」へと生まれ変わっていた。
床にシューズを擦った痕すらない体育館で、本郷家代表として綾乃、優作、麻琴、桜子が。
裏番長派代表として、裏番長の秦野ソフィアと、側近の一人が、体育館のほぼ中央で向かい合っている。
体育館の壁に沿うようにして、裏番長派の生徒が見守っているが、これまで優作が相手にしてきた面々とは違い、制服の改造はあまりなく、配置だけなら本郷家を「取り囲んでいる」状況なのだが、威圧感は一切なく、「出席している」という印象の方が強い。
だが、戦ったら手ごわいだろう。
今までの相手には皆無だった、「統率」が感じられるからだ。
お互いがお互いの面々を確認し合い、ソフィアと桜子の目が合った瞬間、思わず「あっ」と声を上げた。
二人の気持ちを察したのか、今日もいつものスーツ姿の綾乃は、桜子の背中にそっと触れ、視線を合わせてから優しく頷いた。
桜子は目に涙を浮かべながらお辞儀をすると、ソフィアに向かって走り出し、ソフィアも桜子に向かって走り出していた。
二人が抱き合うと、どこからともなく拍手が巻き起こり、体育館は温かい空気に包まれた。
「桜子! よかった……辛かっただろう。今もそんな格好させられて……」
そう思われるだろうから、メイド服はやめた方がいいんじゃないかと綾乃に提案したが、意外にもメイド服姿を希望したのは桜子だった。気に入ったのだろうか?
ちなみに優作と麻琴は、白妙純心学園高等部の仮制服である学ランとセーラー服だった。いつものコスプレはないものの、優作の片眼鏡は通信機も兼ねているため外すことは許されず、学生服に片眼鏡というおかしな風貌になっていた。
外そうとしたら綾乃、堀之内、情報解析担当のメイドからこっぴどく怒られたので渋々装着しているのだった。
これなら執事の格好をしている方がマシかもしれない。
「違うんです、ソフィア。この格好は私が自ら望んだものでもあります。本郷家の方々は非常に親切にしてくださいました」
それを聞いたソフィアが、本郷家側に向かって姿勢をただし、「学帽」をとってから深々と頭を下げた。
「本日はこのようの場を設けてくれて、それと、桜子が大変世話になった。本郷家の方々には深く感謝する」
秦野ソフィア。
彼女こそ、優作、麻琴、堀之内が三人がかりでも苦戦した相手。
「学帽」、「S判定」と呼ばれていた人物であった。
桜子から話は聞いていたので、初対面(厳密には初対面ではないのだが)でもそれほど面食らうことはなかったが、彼女の容姿は優作の想像をはるかに上回っていた。
番長の名にふさわしく、白いタンクトップの上に長ランをひっかけ、下はボンタンという、まるでタイムスリップしてきたかのような服装だった。
女の子がそんな服装をしているだけでよくも悪くも目立ってしまうのに、ソフィアは更に際立って目立っていた。
まず、小さい。
四日前に一戦交えたときも小柄だとは感じていたが、まっすぐ二本の足で立っているのを見ると、更に小柄に見える。
長ランの裾がボロボロになっているのは、使い込まれたというよりは、小柄ゆえに地面を引きずってしまっているからに違いない。可愛らしい。
目視でも一四○センチ台の身長であることがわかる。小さくて可愛らしい。
次に、顔だち。
日本人離れしているわけではなかったが、髪は綺麗な金髪。ショートヘアーを両サイドで短くおさげにしていて、これも可愛らしい。
寝起きのような腫れぼったいまぶたをしていて目つきが悪く見えてしまうのだが、色素の薄いアッシュグレーの瞳は不思議な印象を抱かせる。
鼻の頭のそばかすも、いいアクセントになっていて、鋭い目つきすらキュートに感じさせた。
「ずいぶんと可愛らしい裏番長さんだな」
優作が顔を寄せて耳打ちすると、麻琴はどうやらガクガクと震えているようだった。
「おい、どうした?」
「も、もう……我慢できないっ!」
優作は「トイレか?」といって茶化したが、それは残像で、もう麻琴はその場からいなくなっていた。
「こ、こんにちは! ソフィアちゃんっ! 初めまして! 抱っこしていいかなっ!」
「ギャーーーーーーーーーーッ!」
そう言いながら、麻琴はすでにソフィアに抱き付いていた。
ソフィアの人形のような可愛さに、麻琴の変態メーターの針が振り切れてしまったらしい。
「可愛いっ、可愛いよぉ……ああ……」
「こ、こらっ! 離せ! やめろ、やめないか! 桜子、なんだこいつは!」
「本郷家の次女でいらっしゃる本郷麻琴さんよ。よかったわ。ソフィアは人見知りだから、仲良くなれるか心配してたけど、もうこんなに仲良し」
桜子はその状況を見て手を合わせウフフと微笑んだ。
いきなりこんなことしでかして、周囲の裏番長派の面々がお怒りなのではないかと思ったが、杞憂だった。
どうやら桜子と同じ気持ちのようで、腕を組んで頷き、納得の表情をしている者すら居た。
「これのどこか仲良く見えるんだ! どう見ても襲われてるだろ! 桜子、助けろ!」
「あら、本当に嫌なら、ソフィアの式を使って麻琴さんを弾き飛ばせばよろしいんじゃないかしら? それをしないということは、本当はまんざらでもないということじゃなくって?」
「なっ……ちがっ!」
「はああああ、素直になれないソフィアちゃんかわいいぐええええ!」
麻琴の行為が越えちゃいけない一線を越えそうだったので、後頭部に一撃おみまいして、ソフィアから引き剥がした。
「すまん……麻琴が失礼した。オレは真壁優作だ」
「あ、ああ。桜子から聞いてるとは思うが、あたいは秦野ソフィア」
麻琴の愛撫で乱れた服装を整えながらそういって、なんのためらいもなく右手を差し出してきた。
「ふああああ、『あたい』って言ったあああ、かわゆいいいい」
もうソフィアの全てが可愛くて仕方ない麻琴が騒いだが、無視した。
優作に向かって差し出された右手に、横から麻琴が食らいつかんばかりに握手しようとしたが、頭を鷲掴みにしてそれを阻止した。
ソフィアの両手からはとんでもない威力の衝撃波が放たれることは身をもって体験済みだったが、手にカラクリがあるのは一緒なので、優作も恐れることなく小さな手を握り返した。
「あんた、いいね。あたいの力を知りながら簡単に握手に応じてくれる奴はなかなかいない。よろしく」
小さくても、可愛くても、やはり裏番長などという肩書だっただけあって、所作には風格があった。
ハスキーボイスで音になった「よろしく」は、優作の脳内で「夜露死苦」に変換された。
「自己紹介が済んだ直後で申し訳ないのだけれど、会談に入らせてもらってよろしいかしら?」
「ああ、構わないよ」
ソフィアは腕組みして綾乃と向き合った。
愛くるしい外見とは不釣り合いな風格があるソフィアは、身長差ほど綾乃と対峙しても全く見劣りしない。
「単刀直入に言うわ。本郷家がこの校舎に創立する、『白妙純心学園』に編入なさい。そこでは式も、一般生徒も等しく高水準の教育を提供することを約束しましょう」
綾乃の要求は予想していたのか、ソフィアも周囲の学生も、うろたえることはない。
「さすが本郷家のお嬢様だ。校舎の奪還を始めたのがあんたたちだと聞いて、おそらく番長ごっこも長くないと思ってたけど、まさか一週間も持たないなんてね……」
ソフィアは自嘲気味に笑った。
「式だの無能だのを語る前に、まず教育という理念があるのは気に入った。けど、まさか、今制圧している校舎だけで始めるってわけじゃあないんだろう? 稲田がこのまま大人しく引き下がるとは思えないよ?」
「無論だ。三月中には校舎の制圧を完了させる。抵抗がある場合はどのような手段を使ってでも排除する」
それを聞いてソフィアの眼光が鋭くなったようだった。
綾乃と目を合わせ、言葉の真偽を探るような視線。
「ふむ。いいだろう。本郷綾乃。この秦野ソフィア、お前の言葉に偽りなしと判断したッ!」
ソフィアがそう叫ぶと、周囲の生徒は「おおっ!」と歓声を上げ、拍手をした。
「じゃ、じゃあ……おともだち!? 今日からソフィアちゃんとおともだちなの!?」
大人しくなったと思ったが、麻琴はまだ壊れたままだった。
麻琴こそうわついていたが、綾乃も、優作も緊張は解いていない。
桜子から「ソフィアとの戦闘は避けられないだろう」という説明は聞いていたから。
「では……」
とソフィアがいうと、拍手がぴたりと止んで周囲の空気が張りつめた。
「本郷綾乃。今語った言葉の『強さ』を示してみろッ!」
同時に、周囲の裏番長派の生徒たちは両手を後ろに回して、応援団のように真っ直ぐ姿勢を正した。
「あたいはこの校舎を影から支配していたけど、綾乃ほどの頭脳も行動力もない。そして、今お前が語った理想は正しい。だが、語るだけの理想はいらない。悪いけど、それだけじゃ意味がないことくらいあたいだって知ってるんだ」
ほんの少しの間だったが、体育館を静寂が支配した。
ソフィアが両手を上に向かって広げると、ギギギという金属がひしゃげるような音がして、掌付近の空間が歪んだ。
そして、ソフィアは空間の歪を握りつぶすと、勢いよく両手の拳を胸の前で打ち付けた。
「言葉や理想には人を動かす力がある。それは認めよう。だが、あたいら式が支配してるような学校は、力の無い人間の言葉は響かないんだよ。本郷綾乃、あんたの持つ『力』を示してくれ。その二人が、あんたの『拳』だろ?」
綾乃は素早く目で合図をしてきた。
優作も視線だけで承知したことを伝えた。
「わかった。オレが戦う」
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