その9 凶兆
「クソが……冗談じゃないぞぉらぁ!」
校舎の南端にある棟の部屋で、稲田が叫んだ。
南端の棟は四階建ての他の棟と違って、渡り廊下の直上にあたる部分が、一段高く五階建てになっていた。
元々は理事長室だったようで、色憑きとなった今の校舎でも、その校舎の長たる者の部屋であることには変わりはなく、現在は番長専用の部屋となっていた。
「裏番長だぁ!? また僕に指図するつもりかあぁ!」
そういって一番近くに立っていた女子を平手打ちにした。
稲田はこの女子から、「裏番長が面会を求めている」という報告を聞いて、激昂していた。
女子は安っぽいヒョウ柄のラグが敷かれたソファーに倒れ込んだ。
稲田の部屋は普通の教室の約半分程度の広さで、重厚な扉の入り口がある左右の壁は書架がそびえ立っている。
だが、その手前にはヒョウ柄のラグが敷かれたソファー、反対側にはピンク色のラグが敷かれたソファー、中央奥、窓の前には玉座の様に革張りのソファーが置かれ、そこが稲田の指定席だった。
知事長室が元々持っている厳かさと稲田たちが持ち込んだ退廃的な空気がまじりあって、部屋の様相は混沌としていた。
「い、痛いです、やめてください……稲田様……」
「ぁんだとぉ? お前もか! えぇ!?
稲田は壁にサバイバルナイフで磔にしてある、血で汚れた自分の白ランを右手の「爪」で引き裂いた。
昨日の戦闘を思い出していきり立っては白ランを切り裂く、という行為を繰り返していたため、ほとんど原型は留めていなかった。
「も、申し訳ありません……」
「僕のビンタはご褒美だろ? なあ?」
稲田は室内に六人いる自分の取り巻きの女子の中から、一番スカート丈の短い女子に近づき、裾から覗く太ももに平手打ちをした。
「あぁん! もちろんですわ、稲田様……ねぇ、もっとぉ、ご褒美ぃ……」
太ももを平手で叩かれたその女子は、尻を突き出して稲田にせがむ。
稲田はスカートの上からもう一度ひっぱたくと、女子は恍惚の表情で嬌声をあげた。
「ハハハッ、そうだよ、これよ。僕のビンタが痛いならよ、もうお前、いらねーよ」
「そんな……いや……」
女生徒は目に涙を浮かべたが、稲田の前では何の意味も持たなかった。
「お前ら、そいつはもうここにはいたくないようだ。『丁重にお見送り』してあげてくれたまえよぉ」
歌い上げるように稲田が言うと、他の女子達が涙目の女子を取り囲んだ。
全員が一斉に手を伸ばすと、まず上着を脱がせ、ボタンを弾きとばしながらブラウスを引きちぎり、スカートも引き裂いて下着姿にすると、扉から放り出した。
扉が閉まると下卑た笑いで室内が満たされたが直後に扉が開き――正確には扉が吹き飛び、稲田たちは嘘のように静かになった。
「ツラ貸せって言ってんのに来ないから、あたいが自ら来てやったってのになんて有様だい、稲田。堕落が過ぎるんじゃないかい?」
「は、秦野……」
扉が無くなった場所から姿を現したのは、裏番長の秦野だった。
「いやあ、僕もこれからキミの所に伺おうと思っていたところなんだよ、悪いね、足を運んでもらって」
悪びれる風もなく、ヘラヘラと話を続ける稲田に、秦野は一切動じない。
「昨日、勝手に一戦やりあったそうだね」
稲田は、今までの調子で誤魔化して、自分のペースに持って行こうと「ああ、それはね――」と言いかけたところで、有無を言わさず秦野に遮られた。
「一戦やりあった挙句、多くの同胞が敵の手に落ち、桜子までが行方不明だそうじゃないか」
「いや、だからそれは――」
「で、お前は無様に逃げて帰って来た、と」
冷静を装っていた稲田も、そう言われて頬の筋肉がひきつった。
「ま、まあ待て、聞いてくれ。勝手に行動したのは悪かったよ。でも、北館東棟を占拠した奴らの中にも式がいることがわかったんだ! あいつらは無能じゃない。どうだ、有益な情報だろ?」
「ほう……それはどんな能力だったんだい?」
「執事みたいな格好した男だったんだけどさ、右腕を切り落としてやったんだよ。そしたら――」
「いつの間にか再生していた、か?」
「……え? な、なんでわかるんだよ、なんで知ってる!?」
「三日前に屋上から攻め込まれて四階の教室が占拠されただろ? あのときのいざこざに交じって、奴らの実力を見させてもらったよ。稲田、お前、本気で右腕が再生したと思ってんのかい?」
「いや、だって! あんだけきれいにばっさりやったのに、そのあと、何事もなかったように銃を構えてたんだぞ!」
「……で?」
「で、って……そうだ! そうだよ、これ!」
稲田は壁に貼り付けになっていた自分の白ランをひっぺがして秦野に突きつけた。
「見ろよ! 血が、こんなに、吹き出してたんだぞ!」
得意気になっている稲田に向かって、秦野がそっと手をかざした。
すると突然稲田の体が宙に舞い、奥の革張りのソファーまで吹っ飛んだ。
「おわああぁっ……うぐっ!」
すぐに取り巻きの女子たちが心配そうに取り囲み、稲田を介抱する。
そんな様子を汚物でも見るような目で秦野は見つめていた。
「なあ稲田。あんたがバカなのは、あたいも知ってたけどさ……」
「な、なんだと!?」
稲田はすぐさま立ち上がったが、秦野の眼光だけで気圧され、すぐにソファーに身を沈めることになった。
「あんたは三つの大バカをやらかしたよ」
「は、はぁ……? 僕が……三つも!?」
「そうさ。まず、右腕の男を式だと見誤ったこと。あんたが斬った右腕、あれは本当に人間の腕だったのかい?」
「……へ?」
「あんたの手刀はなまじよく斬れるからわからなかったのかもしれないね。ありゃ金属でできた義手だ。間違いない。斬られてもスペアに付け替えて元通りになっただけだろうよ」
「じゃ、じゃあこの……この血は!」
「その血が大バカの二つ目。それは血じゃない。血に似せて作った何かさ。そっち方面に強い子に検証させたけど、特殊な磁場を発生させてるそうだ。あたいたちの技術程度じゃそこまでしかわからなかったけどね」
「それが……それがなんだって……」
そこまで言いかけたものの、さすがの稲田も気づいたらしく、顔は青ざめていた。
「まず間違いなく、あんたの居場所は敵に探知されてるよ。べっとり塗ったくって帰って来たんだろ?」
だが、まだ稲田は食い下がった。
「けど、僕の居場所が筒抜けになったところでなんだっていうんだ! そうだよ、敵はどうせ攻め込んでくる気だろ? 探知されてることを逆手にとって、罠にはめればいいじゃないか!」
秦野は憐れむような目で稲田を見つめながら言った。
「誰が戦うんだい。稲田、お前がか?」
「そうさ……そうだよ! 僕が戦う! 今度は負けな――」
そこまで言いかけたとき、稲田の眼前に秦野の右手が迫っていた。
殺される。
咄嗟にそう思った稲田は目をつぶって顔を覆った。
「……はへ?」
おそるおそる目を開けると、自分の体には何事もなかった。
だが、背後の壁も、窓も、その半分近くが吹き飛び、外が見える大穴が開いた。
しばらくすると、数秒前までは壁だった瓦礫が地面にぶつかる音がして、ようやく状況が呑み込めた稲田の取り巻きたちが悲鳴をあげて逃げて行った。
「大バカの三つめは、お前が平気で腕を切り落とすような真似をしたことだ。もし、相手が普通の人間で、ショック死や失血死していたらどうするつもりだったんだい。え?」
秦野が一歩離れると、稲田はずるずるとソファーから滑り落ちそうになった。
「それでなくても警察は学校に介入する口実を欲しがってるってのに……」
秦野が何か思い出したように下唇をきゅっと噛むと、再度、鬼の形相で稲田を睨んだ。
「ったく……兄貴が番長じゃなくなったとき、あたいも一緒に裏番長をやめるんだったよ。これはあたいのミスだ……それとっ!」
「ひいいいぃぃぃ!」
今度は稲田が座っていたソファーがバラバラになった。
「はあ……はあ……桜子をお前なんかの傍に置いておいたのが、あたいの大失敗だ!」
桜子のことを思い力んだのか秦野の息は荒くなっていた。
しばらく肩で息をしながら稲田を睨み付けている秦野に、音もなくやってきた裏番長派の女子生徒がなにやら耳打ちした。
「なにっ、桜子が!? そうか……よかった……うん。要望に応じると伝えてくれ。大至急だ」
女生徒はまた音もなく去って行ったのを見届けて、秦野は放心状態の稲田に向き直った。
「稲田。この学校はおしまいだ。もう番長も裏番長も関係ない。好きにすればいい。あたいも好きにさせてもらう。あばよ、大バカ野郎」
秦野は肩で風を切って、颯爽と去っていった。
「は、はは……あはははははははは!」
ソファーの残骸に身を埋めながら稲田は狂ったように笑った。
「ヒヒヒ、ハハッ! いいさ、もういい! どうせ好き勝手やったらぶっ壊してやろうと思ってた学校だ! でもその前に、秦野ぉ……それと、右腕の執事野郎は潰しておかないとなあぁ!」
ポケットから真っ黒い旧式の折り畳み式携帯電話を取り出すと、一件しか登録されていないメモリダイヤルに発信した。
『誰?』
電話越しでもわかる澄んだ声、そして関西弁。
この携帯電話はある人物を呼び出すためだけに発信が可能だった。
「お、お前が『カラス』か?」
『ああ、俺をカラス呼ばわりするっちゅうことは、もう出番なわけ? えらい早いなあ』
「事情が変わって予定が早まった。行けるか?」
努めて冷静を装ったが、会話の相手を「逸話」でしか知らない稲田は声が震えるのをこらえるので精一杯だった。
手にかかった組織がことごとく壊滅していく――涸れていく。涸らす=カラス、という理由でそう呼ばれるようになったらしい電話の相手。
『もちろん。早まるんなら大歓迎や』
「そ、そうか。なら、到着次第、好きにやってくれ」
『ホンマに好き勝手やってええの? むちゃくちゃになんで、学校。 恨みっこなしやで? まあ、ダメや言われても好き勝手やるんやけどね? うふふ』
その穏やかな笑い声に、稲田は電話越しでも気味悪さを感じ鳥肌が立った。
気が付くと既に電話は切れていた。
そして。
「そんじゃ、好き勝手やらしてもらうわ」
「う、うわああああああああああああああっ!」
秦野が開けた壁の大穴にいつの間にか人影があり、稲田は驚きのあまり腰を抜かした。
「びっくりした? うふふ、びっくりしたなあ?」
その人物は目深に被った野球帽で表情は読み取れない。
だが、口角を持ち上げてニイと笑ったときに除く矯正器具を着けた、やけに歯並びの良い白い前歯に、稲田は言いようのない気色悪さを感じた。
「なんや、えらい女臭い部屋やな……で、どこ? 真壁クン」
「い、いや……僕は稲田――」
「ちゃうちゃう、キミが稲田クンなんは知ってんで? 俺が探してる相手の名前が真壁クン。右腕が義手の奴がこの学校に攻めて来てんねやろ?」
「あ、ああ。そいつとなら昨日戦った。今ここにはいないけど……」
「ああ。ここにはおらんのね? まあ、なんとなくわかっとったんやけどね。ふふっ」
このヤバい雰囲気の輩――カラスが、右腕の男を探しているというなら話が早い。
カラスは自分など遠く及ばないくらいに危険な奴だということを稲田は肌で感じた。
きっと右腕の奴も、秦野も、酷い目に遭うだろう。
ざまあみろ、と、これから起こりうるであろう未来の大惨事を想像し、笑おうとした稲田だったが、どうしてもひきつった笑いにしかならなかった。
カラスを目の前にして、本能が警鐘を鳴らしていたからだ。
こいつには関わっていけない、と。
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