その8 事情
稲田との戦闘があった翌日。
優作は昨日の戦闘で右腕を切断されていたため、朝早くから検査とメンテナンスが始まり、終わる頃にはもう昼になっていた。
検査が終わったあとはすぐに綾乃の書斎に呼び出されたので、優作は入院患者のような薄い水色の検査着のままだ。
綾乃はいつものタイトスカートのスーツに、白衣を羽織っている。
「神経接続部分に大きな負荷がかかった形跡があったんだけど、あなた昨日、新しい右腕をつけた直後に重たい物でも持った?」
綾乃がデスク上に置いていあるPCのモニターを見ながらそう言った。
「あっ……ええ、まあ」
やっぱり昨日、女生徒を抱えたあとすぐにに麻琴を抱えたのがまずかったらしい。
「気をつけなさい。優作の右腕は拳銃なんかよりよっぽど高価なのよ」
「すいませんでした……」
優作の右腕に関するメンテナンスは、そのほとんどを綾乃が自ら行っていた。
なぜかといえば、神経接続部の技術は本郷家独自の技術――というより、綾乃しか理解できない技術を使っているかららしい。
「本郷家独自の」という枕詞がつく技術は、「綾乃の」と言い換えても大げさではないようで、そんな人物が、自分の右腕のメンテナンスまでやっているのを目の当たりにすると、優作は必ず思う。
この人、一体いつ寝てるんだろう。
「なに? そんな顔で見つめても、優作の右腕をロケットパンチにはしてあげられないわよ。いつも言ってるでしょう。そんな予算ないし、麻琴が近くにいるときに誤作動でもしたらどうするのよ」
「いや、そんなこと思ってませんけど……」
以前、本気でお願いしたことはあったけど。
「麻琴は、まだ――」
「検査中よ。あの子の場合、全身麻酔が必要になるから、今日一日はそっとしておいてあげて」
優作ほど頻繁に検査があるわけではなかったが、麻琴が検査を受けるときはいつもそうだった。
「麻琴、自分だけ検査が大がかりだと、気づいちゃいませんかね」
「何かしら感づいてはいるでしょうね。ああ見えて頭のいい子だから。そのへんのケアは私がやるわ。優作は余計なことを考えずに、次の作戦に備えなさい。次はS判定が相手になるかもしれないわよ」
「……はい」
三日前の戦闘を思い出す。
衝撃波を利用した素早い身のこなしに、式弾を防ぐシールド。
勝てるだろうか、というのが優作の正直な気持ちだった。
すると、その考えを見透かしたように、綾乃が言った。
「言いたいことはわかるわ。できれば昨日みたいに優作一人でケリをつけて欲しいけど、そうもいかないでしょう。だからこその、麻琴の検査よ。わかるわね?」
「……………………はい」
優作は俯きながら下唇を噛んだ。
「まあ、そんなことにならないように私も手を回してはいるから、安心なさい。さっきと言っていることは矛盾しているかもしれないけれど、右腕は惜しまず使っていいわ。でも、昨日みたいに油断して失おうものなら、あんたに請求書を回すから覚悟しておきなさい」
「わ、わかりました……」
綾乃なら請求書を回すくらい本気でやるだろう。
胃のあたりがきりきりするのは、脅されたからか、検査のために朝食を抜いたからか。
「あ、それと昨日、優作が式の女の子をさらってきたでしょう?」
「保護です、保護!」
「あの子とっても協力的で、校舎内の勢力に関して色々教えてくれるから助かるわ」
「拷問とかしてないでしょうね……?」
「しないわよ。私がそんなひどいことするわけないでしょう」
「あんただからやりかねないんだろ」と思ったが、口が裂けてもそんなことは言えない。
言ったら自分が拷問されかねない。拷問で済めばいいが。
と、そのとき、書斎のドアがノックされた。
「着替えが終わりました」
例の女生徒の声だ。
「優作と麻琴が検査だったついでに、その子にも検査を受けてもらってたのよ。もちろん、昨日まで敵だったわけだから、違う意味での『検査』も受けてもらったけど、酷いことなんてしてないわよ。入りなさい」
がちゃりと音を立てて重たい扉が開くと、先にメイドさんが入って来て……おや? メイドさんしか入ってこない?
と思ったら、昨日の女生徒がメイドの格好をしていた。
「酷いことしてないって言ったそばから!」
「酷くなんかないわよ。敵から寝返ってくれたとはいえ、ある程度こちらの条件は飲んでもらわないと」
「だからって、もっと他にあるでしょう……」
「あら、じゃあ優作は彼女に対して捕虜のような扱いをしろと?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「この格好をしてもらった方がある程度自由に動き回ってもらえるから都合がいいのよ。もちろん、しばらくは私の監視下でだけど」
すると、メイドの格好をした女生徒が割って入ってきた。
「いいんです。このくらいなんてことありません。むしろ、ここまで自由にさせてもらえることに驚いています。それに、意外と着心地がいいんです」
「あ、ああ。そうか、ならいいんだが」
「私は
そう言って頭を下げた桜子は、身長こそ優作より低いものの、麻琴よりは大きく、女性にしては長身で、赤茶けたロングヘアーをポニーテールに束ねている。
長身ではあるが、ややたれ目なため威圧感はなく、むしろ柔和な印象を覚える。
そして、昨日は戦闘中だったのでまじまじと確認している余裕はなかったが、体の線が目立たない本郷家の英国風メイド服でもわかってしまうくらい、胸のふくらみが豊かだった。
これは綾乃以上ではないだろうかと思っていると、どうやら考えていることがバレていたらしい。
「桜子、気を付けなさい。優作が視線であなたを犯そうとしているわ」
「そ、そんなことしてねーし!」
桜子の胸をガン見していましたと白状しているも同然のリアクションをとってしまったが、幸い桜子は綾乃の発言の意味が理解できなかったらしく頭の上に「?」を浮かべていた。
「そ、そうだ。オレは真壁優作。昨日は逃げろって言ってくれてありがとな」
「せっかく桜子が警告してくれたのに、右腕切り落とされてれば世話ないわね」
綾乃が痛いことを言う。
「いいえ。こちらこそ、気を失っているところを助けていただいて……そうだわ、確か右腕が……」
「ああ、心配ない。オレは右腕が義手なんだ」
「そうでしたか……昨日お見受けしたところ、真壁さんの身のこなしは普通の高校生とはかけ離れているようでしたが……」
桜子の「普通とはかけ離れている」という表現が痛かった。やはり自分は普通ではないのだなと改めて実感する。
「優作と麻琴は色憑きの学校を解放するため、本郷家の施設で極秘に訓練を受けさせていたの。二人とも式じゃないわ。あなたたちがいうところの『無能』よ。ウチのことはあとでゆっくり説明してあげるから、今はあなたたちが支配している校舎に関して桜子が知っている情報を説明してくれないかしら」
綾乃に応接セットの革張りのソファーを勧められると、桜子は軽く会釈してから座り、背筋を伸ばして腕を組んだ。
「そうですね……なにからお話しましょう」
「そうね、じゃあ校舎内の勢力について説明してもらえるかしら。昨日の今日であなたにも言いたくないとことか義理とか色々あるでしょうから、とりあえず今話せることだけでいいのだけれど」
「勢力図はシンプルでした。稲田率いる番長派と、ソフィア率いる裏番長派。この勢力が対立しています。元々、番長は力の誇示、裏番長はその名の通り陰から支える参謀役を担当していました。信じられないでしょうけど、その頃は統率がとれていて、校内での争いはなく平穏でした」
「それがどうしてあんなことになっちまったんだ? 昨日も、三日前も、統率なんかなくて、てんでバラバラだっただろ」
そういうと、桜子は何かを思い出すかのように視線を落とした。
「はい。全てがおかしくなったのは、稲田が番長になってからです。先代の番長は、古い時代の不良を絵に描いたような方だったのですが、いつの間にか学校に潜り込んでいた稲田に番長座をかけたタイマンを申し込まれて敗北し、その座を追われてしまいました。それが一ヵ月前のことです」
「た、タイマン……」
桜子は糸をつむぐような優しい口調で語るので、その単語だけが妙に浮いて聞こえた。
「稲田は周到でした。まず、先代の周囲で忠誠心が低い人物を洗い出し、金で買収していたようです。これで、何かあっても自分に有利に働くよう保険をかけておき、同時に、『金にモノを言わせるしかない人間である』ことを装っていました」
「誰も稲田があそこまで強いとは思わなかったわけか……」
事実、優作も初見では稲田の実力を見誤った。
感情まかせに戦っているようでいて、攻撃は的確。勘違いとは言え、優作が得体の知れない能力を持っていると見るや、一目散に逃げ出した。
「はい。どうせ何か不正をするに違いないと思わせておいて、実力で番長を倒してみせました。これで稲田の実力を認めた者は、少なからず『番長派』として、裏番長と袂を分かつことになったのです」
「なるほどね。でも、どうして桜子は昨日、稲田と行動を共にしていたのかしら? 今の話を聞いていると、あなたが稲田に味方しているとは思えないのだけど」
「私は先代の側近を務めていたのですが、先代は今の裏番長、ソフィアの兄なのです。私とソフィアは幼馴染だったということもあり、番長が変わっても私は側近として残り、裏番長に情報をリークしていました」
「あんたはスパイだったのか。あんな扱いされて大変だったな。まあ本郷家は桜子サンを蹴ったり盾にしたりする奴はいないからその点は安心していいと思うぜ」
メイド服を着させられたりはするだろうが。
「はい。綾乃さんと真壁さんには本当に感謝しています」
「ねえ、桜子。その裏番長のソフィアって子と話し合いができないかしら?」
「話し合いは可能かと思います。ですが……その、ソフィアは強くて優秀なのは間違いないのですが、少し頑固なところがありまして……。話し合いはできても、話し合い『だけ』では解決できないと思っていただいた方がよろしいかもしれません」
それを聞いて綾乃の右眉がぴくっと動いて、両目の眼光が鋭くなったように見えた。
「それは……戦闘は避けられない、ということかしら?」
言って一瞬、綾乃が自分の方を見たのを、優作は見逃さなかった。いや、わかるようにわざとやったのかもしれない。
「はい、おそらくは……」
また戦闘。
別に、自分が戦うのはいい。
だが、次も麻琴を巻き込まずに済む保障はない。
それだけが、気がかりだった。
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