その7 右腕

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……ぶっ殺してやるよ! ッラァ!」


 廊下に稲田の声が響く。

 式弾を撃ち込まれたとはいえ、優作の右腕を切り落として、勝利を確信しているのだろう。

 口調こそ狂気に満ちていたが、ゆっくりと1Aの教室に迫る稲田にはどこか余裕があった。


「またその教室に立てこもる気か、ええ? さっさと病院に行って、輸血でもしてもらった方がいいんじゃないのかあ!?」


 大声でまくしたてながら迫る稲田が1Aまでたどり着く前に、優作は教室から出て、立ちふさがった。


「うるせぇんだよ。ご心配には及ばねーぜ、クズ番長が」

「はっ! 片腕でその減らず口がどこまで……えっ? なっ! お前! なんで右腕! 右腕……みぎう、えっ!?」


 稲田は優作の姿を見て錯乱していた。

 それはそうだろう。確かに自分が切り落とした右腕が、優作についているのだから。


「な、えっ? ある! あそこに落ちてるのに!」


 稲田は振り返り、優作の腕が廊下の先に落ちていることを確認した。


「再生……再生した!? おまっ、お前も能力を持っているのか!? それがお前の力か!?」


「だったらどうだって言うんだ。もう一回斬ってみるか?」


 優作が一昨日とは違うモデルのサブマシンガンを構えようとすると。


「くっ、くそがあああああああああああああああ!」


 やぶれかぶれで襲い掛かってきそうな叫び声だったが、少し前までの鷹揚さはどこかへ吹き飛び、稲田は背中を向けて全力で逃げ出した。

 戦っているときもすばしっこいと思ったが、逃げ足はそれ以上だった。

 優作はすかさずサブマシンガンをフルオートで撃ったが、ちょうど優作の腕を切り落とした時に出た「赤い液体」で運よく稲田が足を滑らせて転んだので、式弾は当たらなかった。

 すぐに起き上がった稲田は、渡り廊下を体育館とは反対側へ逃げて行った。


「凄い逃げ足だな……」


 見ていた麻琴も、稲田の逃走速度に驚いていた。


「オレの右腕、能力で再生したと思い込んでたな」

「まあ、何も知らなかったらそう思うんじゃないか?」


 優作の右腕は義手だ。

 普段は、ぱっと見ではそれとわからない義手を装着している。

 中学一年生の頃までは将来有望な野球少年だったが、右肘を故障した。

 野球が全てだった優作は、荒れた。


 こんな右腕なんて、いらない。


 優作は右腕一本で喧嘩に明け暮れ、手の感覚がよくわからなくなった頃、怪しげな組織が、その怪しさを隠そうともせずに「いらないなら、その右腕をくれないか」と接触してきた。

 色々と思い出してしまう生まれ育った地をすぐにでも離れたかった優作は、組織の要求を快諾し、右腕を「放棄」した。

 その頃の優作は、右腕が最大の嫌悪の対象だったので、右腕を失うことに何の躊躇もなかった。

 どうせこのまま体をいいようにされて死ぬのだろうと考えていたし、だいぶ前に「普通」ではなくなっていたので、それが恐ろしいと思う感覚が麻痺していた。

 だが、右腕を「放棄」して数日後、優作が居た施設が襲撃され、別の組織が解放してくれた。

 その組織は本郷綾乃が直接指揮する私設部隊で、優作はすぐにその訓練施設に入れられた。


 どうせ別の組織に誘拐されただけだろうと思っていたが、そこで出会った姉妹は二つの物を与えてくれた。

 本郷綾乃は右腕を。

 本郷麻琴は生きる意味を。

 優作は腰にいつものように腰にぶら下げていた試合球を右腕で転がした。

 義手を取り換えた直後は神経接続が上手く行かないのだが、こうやって試合球をいじっていると、不思議とすぐに義手が馴染む。


「こちら真壁、北部東棟、一階から四階までの制圧完了」

『完了、じゃねえよ、油圧式野郎』


 堀之内が優作を油圧式呼ばわりするのは右腕が機械式の義手だからだが、圧電素子や高分子を用いた人工筋肉を使っているので、油圧ではない。

 もちろんそんなことは承知のうえで堀之内は優作を油圧式呼ばわりしている。

 優作も、それをわかっていて、こう言い返す。


「うるせえ、油圧じゃねえっつってんだろ」


 今日は自分の油断もあったので「ハゲ」は言わないでおいてやった。


『ったく、真壁の右腕に驚いて、いい感じに錯乱してたのに、みすみす逃がしやがってよぉ……番長だったんだろ、あいつ』

「いいじゃないか、堀之内。優作は無事だったんだし、逃げてった番長には顔まで『右腕の血』がべっとりついてたから、居場所は追跡できてるんだろ?」


 優作の右腕が切断されたときに吹き出る「血」は血液に似せた特殊な塗料で、洗って綺麗になっても屋敷にあるレーダーで追跡が可能だった。


『はい、麻琴様。奴は物凄い速度で南端の校舎に逃げて行きました。まあ、真壁は最低限の仕事はしたのは褒めてやるよ。犠牲フライで一点ってとこだな』


 わざわざ野球に例えてくる堀之内に対して、優作は舌打ちしていると、今度は綾乃から通信が入った。


『二人ともご苦労様。麻琴は怪我してないわね?』

「ああ、危険な奴とは優作が戦ってくれたから、あたしは何ともないよ」


 元々そういうプランだったことは、麻琴は知らないようだった。


『二人のおかげでとりあえず東側だけとはいえ、上から下まで一棟まるごと確保できたわ。地上から物資の搬入ができるようになって、校舎の武装が急ピッチで進むことになるから、あなた達も戦いやすくなるはずよ』


 修復でも新築でもなく、「校舎の武装」と言った綾乃の言葉に、優作と麻琴は顔を見合わせ、苦笑いをした。


「オレの義手も、もう少し戦闘向けにならねーかな」

「ロケットパンチになったり、指から式弾が出たり、とか?」

「発想が男の子すぎるだろ……まあ、指から式弾は便利そうだな」

「確かに戦いは楽になるだろうけどさ」

「な……何だよ……」


 麻琴が愛おしそうに優作の義手を両手で掴んで弄繰り回すから、戸惑った。


「それだと『普通』から遠ざかっちゃうだろ?」

「ん……それはそうだな。まあ、武装をゴテゴテ組み込むのは金がかかりすぎるって綾乃サンに言われたよ」

「でも本当にパワーアップするなら武装じゃなくてさ、着けると優作の真の力が発揮される、とかの方が浪漫があるな」

「真の力ってなんだよ……」

「女心がわかるようになるとか」

「戦闘関係ねーじゃねーか……って、そうだ。ちょっとやり残したことがあるんだ」


 優作は四階の廊下を、切り落とされた義手が落ちている辺りに向かった。

 そこには、血まみれ(血ではないが)になって気を失っている女生徒が倒れたままになっていた。


「よっこらせ」


 優作は女生徒をお姫様抱っこすると、1Aに向かった。


「あーーーーーーーーーーーっ!」


 それを見た麻琴が指を指してとんでもない声を出した。

 戦闘終了の報告を受けてやって来たのだろう、本郷家の制圧班の面々も、その声に驚いてぎょっとしている。


「待て待て、違うんだ。こいつさ、稲田をナメきってたオレに危ないから逃げろって警告してくれたんだよ。それでなくても盾にされたりさ。見てらんなかったんだ」

「んむーーーーーぶぶぶぶぶぶっ!」

「何だよそりゃ……でででっ!」


 麻琴は頬を膨らませながら、ふくらはぎにローキックを放ってくる。

 優作は1Aに待機していた本郷家の救護班に事情を説明し、女生徒の身柄を託した。

 さて麻琴はと振り返ると、顔はふくれっ面のままだったが、何故か戦闘前に脱ぎ捨てたウィッグとスカートを着用していた。


「……何やってんだ?」

「あたくしにもお姫様抱っこしろよですわ!」

「日本語がおかしいだろ」


 確かに見た目はお嬢様そのものだったが、その発言で何もかも台無しだ。


「あーもう、わかった! わかったから!」

「屋上までよろしくですわ」


 さっきまでのふくれっ面とは打って変わって、麻琴は鼻を鳴らして上機嫌だった。

 このまま1Aを出て、階段を昇って屋上へ。

 屋上へ……。

 お、屋上へ……。

 いや、とりあえず踊り場で……。


「はあ……はあ……さあ麻琴、ここからは自分の脚で歩けるな?」

「傷つくなあ!」


 屋上どころか、踊り場まで運ぶので限界だった。


「何もかも台無しだ!」

「ち、違うんだ麻琴。義手をさっき取り換えたばっかで、力加減とか神経接続の微調整がまだなんだよ。本当だって」


 本当だった。しかも、直前に気を失った女生徒を抱えたせいで、神経接続が少し狂っていた。

 嘘はついていなかったが、麻琴が信じてくれるかといえば、それはまた別の話だ。


「やっぱ右腕に女心がわかるようになる機能を搭載するようにお姉さまに言っておこう」

「それはやめてくれ……」

「あっ、見て。すんごい夕焼け」


 階段を駆け上がっていく麻琴に優作も続いた。


 屋上に出ると、すでに西の空に太陽が沈みかけていた。

 高台にあるこの校舎は見晴らしがいい。

 森林に囲まれた丘の先には住宅地が広がり、さらにその先は市街地になっている。

 式に支配され「色憑き」となりやすい校舎の特徴でもあった。

 普通の人々の活動範囲から少し離れたところにある校舎は

 人々は得体の知れない力を持つ式に対してどう接したらいいのかわからないし、式たちはそんな扱いに対して疎外感を感じる。

 式たちが居場所を求めて学校に集まるのは必然だったのかもしれない。


 屋上は壁の落書きや汚れはそのままだったが、すでに制圧用の資材が整然と並べられていた。

 優作と麻琴は金網の前に並んで、日が沈んでいく街並みを見下ろしている。


「そういやさっき運んで来た式の女の子さ、目が覚めたらあたしたちに協力してくれたりするかな?」

「どうだろうな」

「でも、優作に逃げろって言ったんでしょ? 何か思う所があったんだと思うよ。番長もろくでもない野郎だったみたいだし」

「確かにな。けどあの子、本郷家に捕まって拷問されたりしないよな?」

「優作はウチを何だと思ってるのさ……そんなことするわけ……いや、お姉様ならやりかねないな……」

「おい! マジでやめろ。つーか、前回と今回の戦闘で本郷家に保護された式の奴らってどういう扱いを受けてるんだ?」

「一時的に保護して、すぐに強制帰宅させてるよ。帰宅させる前に、白妙純心学園の案内もしてるってお姉様が言ってた」

「抜け目ないな……」


 戦闘中こそ頭の隅にやっているが、優作がずっと気になっていたことだった。だが、案外現実的な対応をしていて、拍子抜けした。


「ん? 待てよ。ってことは、仮に式の奴らが白妙純心学園に入ることになったら、麻琴やオレと一緒のクラスになったりするのか?」

「なにそれ、おもしろそう!」

「まあ……ある意味おもしろいことにはなりそうだけどな。うまくいかないだろうな」

「簡単にはね。でも、そんな人たちと普通の高校生やれたら、すごくおもしろそうじゃない?」


 そう言った麻琴の目がキラキラ輝いていたのは、夕焼けのせいではないことはもちろんわかった。

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