その6 番長
「なぁに手こずってんだよ! 相手は無能が二人だけなんだろ!」
渡り廊下に目前まで迫り、優作が足音を殺してゆっくり近づいていると、ヒステリックな声が四階廊下に響き渡った。
顔を半分だけ出して除くと、長髪を後ろで一つに束ねている整った顔をした白い学ランの男子が、怒鳴り散らしていた。
「すいません……でも、無能の二人は武装していますし、かなり戦闘慣れしていました。
「僕に意見をするな!」
どうやら式たちは能力を持たない者を「無能」と呼んでいるようだった。
今の会話を聞いて「無能はお前じゃねえの」と優作が思った次の瞬間、稲田と呼ばれた男が、状況を報告していた女子を、何のためらいもなく蹴飛ばした。
蹴られた女子は悲鳴を上げ、床に転がる。
稲田はあろうことかそこに追い打ちをかけようとしていた。
「おいおい、こりゃ見てらんねえな……」
戦う相手のやり取りとはいえ、見ていて気持ちのいいものではない。
さっさとケリをつけようと思い、優作は倒れた女子に稲田がまた攻撃を始める前に、銃撃を開始した。
両手で構え、しっかり狙いをつけ、素早く二発打ち込むことができたので、奇襲は成功したと思ったが、甘かった。
優作は目を疑った。
稲田は倒れていた女子の首元を掴んで無理矢理立ち上がらせると、自分の盾にしたのだ。
背後から式弾を撃ち込まれた女子は、悲鳴を上げることもできず、その場に崩れ落ちた。
「なんだあ? おい、お前か。ウチ学校を乗っ取ろうとしてる無能ってのは」
偉そうなことを言ってはいるが、稲田は素早く柱の陰に身を隠していた。
「ああそうだよ。こっちの上司はここを『麗しい』学校にしてえらしいからよ、お前みてえなゲス野郎はさっさと消えて欲しいんだが」
「ああ……? お前、誰に向かって口を利いているんだ、え? 使用人みたいな格好してるわりに生意気だなあ、おい」
「こ、この服装のことはほっとけ! オレぁ稲田とか言う雑魚に向かって言ってんだよ。こっちは忙しいんでね、お嬢様が来る前にさっさと番長だか裏番長だかを始末しなきゃなんねんだ。呼んで来てくんねえか、稲田さんよお」
「誰が雑魚だとぉ!」
プライドの高さに実力が追い付いていないクズ野郎。
優作は稲田をそう評価し、煽ってやれば怒りにまかせて攻撃してくるだろうと判断した。
果たしてその通りにはなったものの、稲田にはつけ入るような隙を見せなかったのは大誤算だった。
柱の陰から飛び出してきた稲田は回り込むような軌道で優作に向かって右腕を振り下ろしてきた。
これまでの行動が典型的な三下野郎だったので、油断があった。
一瞬の跳躍力は一昨日のS判定に遠く及ばないものの、優作に銃の照準をつけさせない程度には敏捷性があった。
稲田の右手指先が赤黒く光り出したのを見て、相手の間合いに入ってしまったことを理解した。
仕掛けてくる……!
優作は上半身を反らしてかろうじて避けた……はずだった。
だが、直に触られていないはずの右手に強い衝撃があり、拳銃を弾き飛ばされた。
「なんだ……? お前、腕になにか仕込んでやがるな……金属の手ごたえだった」
稲田の言う通り、右手首のあたりの戦闘服が破れ、金属がむき出しになっている。
猫に引っ掻かれたような、四本の傷ができていた。
「へえ、爪か。他の連中よりずいぶん戦えるんだな」
「お前……ムカつくなあ。ふざけた服装で上から目線なのがムカつくわあ!」
優作がもう一つ携帯していた拳銃を取り出していると、身を屈め、再度、優作の左側から回り込みつつ攻撃してくる。
今度は下から上でかち上げるような軌道。けれど、爪の間合いは身を持って知った。
優作は稲田の攻撃を最小限の動きで回避し、すかさず式弾を二発撃ち込む。
「あがぁっ! くっ、この野郎……」
方向転換して柱の後ろへ隠れようとしたとき、稲田の右足ふくらはぎに式弾が一発だけ命中した。
「ぐっ……銃がないと何もできないような奴にぃ、番長の僕がこうも……」
「お前が番長かよ!」
まさか目の前のゲス野郎が番長だったとは思いもよらず、優作は素で突っ込んだ。
「なあ、教えてくれよ番長さんよ。実は裏番長に支配されてるって本当なのかい? 情報を提供してくれるんなら見逃してやってもいい」
「黙れ! うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい! 裏番長なんてもの、僕は認めない! どいつもこいつもコケにしやがって……この学校のトップは僕だ!」
どうやらこの学校の式たちにも複雑な事情があるようだった。
優作は、綾乃の「番長と裏番長」の予想が的を射ていたことに内心驚いていると、屋敷から通信が入った。
同時に、片眼鏡の隅に「B判定(暫定)」と表示された。
『真壁、気をつけろ。その稲田とか言う奴、暫定でBだ。見た目より能力はあると思え』
「わかってるよ、オッサン。こんなんでも番長ってんだから……」
そのとき、足を誰かに掴まれた。
見ると、さっき稲田に盾にされた女生徒が、意識を取り戻したようだった。
まずい! と思った優作は反射的に女生徒を蹴飛ばそうとしたが、一瞬ためらってから、掴まれた手を振りほどいた。さすがに稲田と同じことをするわけにはいかない。
稲田も式弾が脚に当たった程度では気絶するまでに至らなかった。この女生徒は二発も直撃しているにもかかわらず、もう意識を取り戻している。
一般的に、強力な能力を持っている式ほど式弾の耐性が高い傾向があるとされている。
稲田とこの女生徒に連携されたら勝ち目はない。
どうする……と、策を巡らせながら女生徒に銃口を向けると、どうも様子がおかしい。
「危なぃ……逃げ……」
「えっ?」
女生徒の意外な発言に優作がきょとんとしていると、稲田が隠れていた柱の向こうから、赤黒い閃光が漏れ出している。
優作がそちら振り向いて銃を構えたときには、赤黒い閃光が優作の右側を走り抜けていた。
「なっ!?」
疾い。
事象の確認と思考が追いつかない。
まず、右手首から先が無くなっていた。
銃を構えた先に、稲田の姿はない。
自分の手を切り落として背後に走り抜けたのだと理解した。
振り返ると稲田が整った容姿を怒りに歪ませ、右手を振り上げていた。
最初に弾き飛ばされた拳銃の位置は確認してあったので、バックステップでそこまで距離をとれば、「爪」の攻撃範囲から離脱しつつ、武器を取り戻せる。体勢を立て直せる。
「届くよバーカあああああああああああああああああああああああ!」
「ぐっ……」
「爪」ではなかった。
先ほどとは違い、右手を手刀のように構える稲田の指先からは、五十センチほどではあるが、赤黒い刃があった。
後方に飛び退くであろうことを、稲田は読んでいた。
優作は、後方へ跳躍する瞬間に、今度は右肩を残して切り落とされていた。
その状況を目の当たりにした女生徒は、また気を失ってしまった。
周囲には赤い飛沫が舞い、稲田の顔と白ランを染めた。
「へえ! 右腕を失くして気を失わないなんてやるじゃないか! 僕の強さがわか――あぎゃっ!」
だが、優作は冷静だった。
銃を拾い、五発ほど式弾を撃ったが、あまり狙いをつけず、しかも左手で撃ったせいか、二発しかあたらなかった。
だが、これで十分だ。
稲田に向かって走り出した優作は、切り落とされた自分の右腕を拾うと、式弾を食らって怯んでいる稲田の顔面に向かって振り下ろした。
「ぶべっ!」
ぶっ飛んで壁にぶつかっている稲田を尻目に、四階の一番奥の教室、つまり、現在「白妙純心学園一年A組」になっている教室へ向かって走り出す。
「わりぃ、オッサン。右腕やられた」
『だぁから気ぃつけろって言っただろうが、油圧式野郎』
「面目ねえ。1Aまで戻って再武装。そこで稲田を迎え撃つ。麻琴は無事だな?」
『ご無事だよ。ついさっき1Aに戻られて、真壁の援護に行こうとしてらっしゃった』
それを聞いて優作は舌打ちした。できれば麻琴にこんな姿見せたくなかった。
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