その2 衝撃
白妙純心学園高等部の入学試験兼入学式兼高校デビューと称して、優作と麻琴が戦った数時間後。
二人に堀之内を加えた三人は本郷家の屋敷にある、まるで重役室のような綾乃の書斎に呼び出されていた。重役には違いないが。
「うふふ……三人共、麗しいわね。本当に麗しいわ」
タイトな漆黒のスーツを纏い、壁を背にしたデスクの上に足を組んで座っているのは、本郷綾乃その人である。
麻琴の話によると、麻琴が小学生の頃には既に綾乃は学校に通っているそぶりはなく、中学に上がるころにはその姿を屋敷の中ですらその姿を見かける機会は少なかったという。
よって、学年で年齢を推測することは不可能。まだ十代にも見えるし、二十代後半に見えなくもない。年齢は不詳である。
顔のパーツは妹である麻琴とよく似ているが、ぱっと見た感じが普通の女の子である麻琴に対し、綾乃には「華」があり、「艶」があった。
身長は171センチある優作と同じくらいに高く、体のメリハリもある。
鎖骨の辺りまで垂らしたセミロングヘアの毛先を指でくるくると弄びながら、にっこりとほほ笑んではいるが、綾乃の前に立っている優作は、その天使のような微笑みから、鬼かそれ以上の怒気を感じていた。
優作の左隣には麻琴、その更に隣には堀之内も立っている。
「麗しい……特に服装が麗しいわ。ねえ? 堀之内」
「も、申し訳ありませんッ!」
綾乃の口調はあくまで優しかったが、堀之内も綾乃の怒気を感じているのだろう、一本の棒みたいに体を硬直させ、綾乃に謝罪した。
優作と麻琴は、数時間前に「入学試験兼入学式兼高校デビュー」の戦いを見事勝利で終えた。
だが、優作と麻琴、それと堀之内も、服装に限って言えば、まるで負けて逃げ帰ってきたかのようにボロボロだった。
「まあでも敵には勝てましたよ?」
そう言った優作は学ランがところどころ破け、左足のスラックスは左側だけ途中で千切れてハーフパンツのようになってしまっていた。
「そうだよな。あたし、麗しかっただろ? 優作」
「ん? ああ、麻琴はいつでも麗しくて眩しいからな」
「やだな、照れるだろ」
麻琴と冗談を言い合っていると、どうやら怒りが頂点に達したらしい綾乃が、デスクに右手を叩きつけた。
バン! ではなく、ドカン! という音がして、重厚そうなデスクの一部が吹き飛んで無くなった。
「その格好でよくそんなことが言えたものね……」
驚いてびくっと体を硬直させた麻琴の服装も酷いもので、セーラー服の象徴であるカラーは吹き飛んでどこかに行き、スカートも破れて露わになったほどよく筋肉のついた脚は、黒タイツが伝線して穴だらけになっていた。
「私は麗しくと言ったはずよ。Fランの屑相手に、二人揃ったうえ堀之内まで居てここまでやられるなんて。優作と麻琴に関しては買いかぶりもいいとこだったようね」
「そのことなんですけど、綾乃サン。一人、明らかに他の奴とは格の違うやつが混じってたんですよ。オレたちはそいつ一人にここまでやられたんです」
自分もデスクのように粉々になりたくはなかったが、このまま言われっぱなしなのも癪だったので、優作はある程度の覚悟を持って綾乃に反論した。
「へえ、優作、あなたはバカだとは思っていたけど、そんな見え透いた言い訳をするほどバカだとは思わなかったわね」
その口調もそれは鋭いものだったが、視線と威圧感だけで優作は気圧されそうになった。
「待ってください、お姉様。優作が言っているのは本当です。そいつの能力はどう考えてもFランクではありませんでした。あたし達に油断があったのは認めますが、堀之内からは全員がFランクとの回答でした。『屋敷』の提供情報に不備はなかったのですか?」
綾乃に負けず、麻琴は毅然とした態度で反論した。
「堀之内。それは本当なの?」
綾乃の目がすっと細くなり、堀之内を睨む。堀之内はそのまま死んでしまうのではないかというくらい身を強張らせた。
「は、はい……『屋敷』に判定のリクエストをして、確かに全員が判定外との回答がありました……」
あのときわざわざ「自分はプロだ」と言ってのけた堀之内が嘘の情報を教えたとは優作も思っていなかった。
綾乃はしばらくの間、視線を落としていたが、すぐにデスク上の機器を操作すると、優作達が並んで立っている背後の天井が開いてプロジェクタとスクリーンが降りて来た。
同時に綾乃は、電話の受話器を手にして「私だけど」と通話を始めていた。
「昼間の戦いの映像、書斎で見たいんだけど。……そうよ。操作はこっちでやるから」
綾乃が受話器を置くと部屋の明かりが薄暗くなり、スクリーンにはさっき学校で優作と麻琴が大立ち回りを始める直前の状態を教室の隅から俯瞰したような映像が映し出された。
◆◆◆
教室になだれ込んできた式たちに勢いがあったのは、優作と麻琴取り囲むまでだった。
まさか銃を持っているとは思っていなかったのだろう。すぐに攻撃を始めることはなく、数秒の間ができた。
優作と麻琴にとっては最早ただの的にすぎない。
式たちは、男女比にして4対6程度だろうか。能力発現する確率が高いと言われている女子の方が、やや人数が多いようだ。
漏れなく全員が制服に何かしらの改造を施してはいたが、ネイビーブルーのブレザーに、チェックのスカートかスラックスという基になった制服の片鱗は見られた。
今となっては本当にこの学校の生徒であったかも怪しいものだが。
彼等は「ここは学校である」という体をとり、その免罪符の庇護にあやかって、外部――主に警察や軍、行政――から干渉を防いでいる。
どう見ても「不良の集団」なのに、制服の片鱗を残すのは、そういった事情もあった。
そんな彼等に対して、麻琴は大して狙いもつけずに容赦なくフルオートでサブマシンガンを横に薙ぐ。撃たれた式たちは次々と倒れていく。
銃口から飛んで行くのは式を無力化する「エネルギーそのもの」を留め、圧縮した式弾と呼ばれる弾丸で、この弾丸の製造技術は本郷家の専売特許だった。噂では、どのようにして製造されているかは、綾乃しか知らないという。
堀之内が言っていたように、式以外がこの式弾で撃たれても死にはしない(ゼロ距離で目にぶっ放せばどうかはわからないが)。金属の塊が飛んで行くわけでもないので、ほとんど外傷もない。
だが、低レベルな式が撃たれた場合、体のどこを撃たれても体内の「能力の根源」に反応してショック状態を引き起こし、ほとんどの場合は気絶してしまう。
この理論も本郷家独自のものらしいが、綾乃に言わせれば「電気回路をショートさせるようなもの」らしい。
式の能力すら研究が始まったばかりなのに、なぜ綾乃がそのような技術を持っているか、優作は恐ろしくて聞くことができない。
謎の技術を使って製造されている弾丸だが、銃から発射するためには火薬を用いているので、弾丸の口径さえ一致させれば、通常の銃でも撃つことが可能となる。
麻琴や優作、堀之内が使っている銃は現存するものをベースとして、本郷家がカスタマイズしたモデルだが、当然、実銃同様に薬莢が排出される。
火薬の臭いの中で薬莢が床に散らばる金属音が聞こえてくるこの状況は、どう考えても「異常」だと優作は思った。
それは崖っぷちに立っているようなもので、気を抜けば吸い込まれてしまうような感覚をいつも覚えた。だが、麻琴と一緒に「普通」を目指すという目的だけが、いつも優作を「異常」な空気から引き戻してくれた。
「これ、連射速度早すぎ!」
訓練で使っていたサブマシンガンとは違うモデルだったため、麻琴が悪態をつきながら二挺目に持ち帰る間、優作はハンドガンでカバーする。
と言っても、式たちは混乱していたので、そこまで神経質になる必要はなかった。
優作も、特に狙いはつけず横薙ぎにフルオートで撃つ。
ちなみに、本郷家の関係者で優作や麻琴のように前線で戦う機会がある者は、ほぼ全員がフルオート射撃が可能な銃を所持している。
これは、式を相手にした場合、狙いをつけて撃つよりも、とにかく弾をばらまいて、体のどこかに式弾を当ててしまうことを最優先としているからである。
そして、その「とにかく式弾をばらまく」という戦術は、こういった局面で非常に有効であった。
麻琴が三挺目のサブマシンガンを打ち終わる頃には、後から教室に入って来た連中も式弾の雨に曝されて気を失い、倒れた式たちの、文字通り「人の山」が教室の一画にできた。
「戦闘ってよりは蹂躙に近かったな。気持ちのいいもんじゃない」
麻琴がゴーグルを取りながら優作に話しかけると、その背後で小柄な人影が動いた。
「麻琴ッ! 伏せろ!」
優作が麻琴の手を引いて床に引き倒すと、直前まで麻琴の頭があった位置に人影が回し蹴りを放ってきた。
一瞬だった。
折り重なった式たちの山の陰から、一度の跳躍で麻琴に迫り、攻撃してきた。
「ちッ!」
即座に拳銃で式弾を撃ったが、優作は次の瞬間、目を疑った。
男にしては小柄で、襟の高い学ランを纏い、学帽を目深にかぶったそいつに、式弾は届かなかった。
「んなッ!?」
学帽が手をかざした所に、まるで盾があるように、ばしんばしんと衝撃音を残して、式弾はオレンジ色の光になって消えた。
優作は決して大げさに驚いたわけではなかったが、その一瞬で再度、優作に向かって学帽が迫った。
今度は蹴りではなく、掌底打ちを繰り出すように、右腕を伸ばして来る。
この学帽は手から何がしかの力を発生させていることは間違いなかったので、優作も右腕で掌底を繰り出し応戦する。
学帽の右手と優作の拳が触れる前に、優作は右腕にとてつもない衝撃派が駆け抜けていくのがわかった。
だが、わかっただけだった。その衝撃に対して、どうこうすることはできなかった。
「うごぉっ!?」
右腕から全身に伝播した衝撃派は、まず優作の制服上下をズタズタに引き裂き、一瞬遅れてやって来た大きな衝撃で、優作は吹っ飛び、教室後方の壁にめり込んだ。
「いでえっ! おい、オッサン! どう考えてもそいつFランじゃねえだろ!」
「わかってる! 少しでいい、持ちこたえろ!」
堀之内にとってもこの状況は想定外だったのか、白衣の襟を持ち上げ、慌てながら屋敷と連絡をとっているようだった。
だが学帽はそれ以上に驚いていたようで、もっと大惨事になることを予想していたのか、優作がまだ普通に動けていることに驚きを隠せずにいるようだった。
その隙を麻琴が見逃すはずがない。
マガジンを取り換えたサブマシンガンで、フルオートではなくセミオートで一発ずつ狙いを定める。
それを、学帽は手をかざして弾く。
「非常事態だ。俺も参戦する」
屋敷から指示があったらしく、堀之内も銃を抜いた。
堀之内は、優作や麻琴とは違うタイプの、普通の拳銃よりはやや大きい、三点バーストが可能な拳銃を所持している。
堀之内は昔から銃を扱う「仕事」をしていたらしく、長年使っている愛銃なのだそうだ。
麻琴が一発ずつ射撃をしているのを見て、その意図を理解した優作と堀之内も、それぞれ別方向から学帽を狙い撃つ。
どうやら学帽が手で展開している「防壁」は、少なくともバスタオルくらいの範囲をカバーでき、それは右手でも左手でも可能なようだった。
三人で射撃のタイミングを合わせたりずらしたりしながら、学帽との距離をじりじりとつめていく。
だが、学帽に焦るそぶりは見られない。
むしろ、取り囲んでいる側である優作達の頭に、共通の懸念があった。
「ちいッ!」
懸念。
それは、弾が尽きること。
優作は残弾が少ないことを把握していたので、すぐに撃てる銃がまだ残っているスーツケースの傍に近づいてはいた。
弾を撃ち尽くした銃を捨て、足元から拳銃を拾って撃つまで、ロスはほんの少しだったはずだ。
だが、やはり学帽はその一瞬を待っていたようだった。
視線は麻琴に向けたまま、上体を捻りながら素早くしゃがみ、右手を床に触れた。
その、一瞬。
優作が、しゃがんだ学帽を狙って撃った式弾は、床で弾けただけだった。
その小柄な体躯が全てバネになったかのような跳躍で、間合いを詰めていた麻琴に襲い掛かった。
「うあっ!?」
麻琴は銃の照準を合わせることもせず、とりあえず学帽に向かって引き金を引こうとしたが、それすら間に合わなかった。
学帽は、しゃがむときに捻った上体を逆に捻りながら、舞うように麻琴に向かって右手を繰り出した。
その手が麻琴に触れるか触れないかところで、麻琴のセーラー服の上を衝撃が駆け抜けていった。
袖が破れ、カラーとスカーフが吹き飛んでいき、服の上を伝播していく衝撃波は、スカートを引き裂き、プリーツスカートに幾つものスリットを作った。
直後、同じ極と極が反発しあった磁石のように、いとも簡単に麻琴が吹き飛ばされる。
学帽の能力は掌から放つ衝撃波だ。それを利用して超スピードの跳躍を実現しているのだろう。
「麻琴ッ!」
麻琴が壁に激突してしまうのを避けるため、ほとんど一瞬の判断だった。
優作は、瞬時に学帽がやっていたように上体を捻って、地面に右手を向け、しゃがむ。
「間に合えッ!」
式ではないが、優作の右掌でも同じようなことが可能だった。そういう「仕組み」になっていた。
学帽ほどの速度は出ないが、麻琴と壁の間に体を滑り込ませ、受け止めるには十分だった。
「ぐげぇっ!」
「あぐっ……優作っ!」
麻琴と壁に挟まれたとき、右腕から「金属が」ひしゃげるような音がしたが、そもそも学帽の衝撃波で右腕は「半壊」していたはずだ。麻琴を助けられただけでも御の字だろう。
「っく、大丈夫か、優作」
「ああオレなら平気だ……っと、こうしちゃいらんねえ」
麻琴の体が離れたのと同時に、素早く拳銃を構えて学帽をポイントする。麻琴も優作とは逆方向に転がり、体勢を立て直していた。
「貴様……やはりその右腕……」
学帽が発した声は特徴のあるハスキーボイスだった。優作が咄嗟に自分を真似たことに対して少なからず動揺しているようだった。そこまで狙ったわけではなかったが、これが好機となった。
学帽が動揺を見せたその一瞬。
優作には理解できない動きで堀之内が銃のマガジンを取り換えると、すぐに引き金を引いた。
無駄だとばかりに弾を左手で防いだ学帽だったが、二発目、三発目を弾いたとき、二、三歩後ずさった。
「ぐっ! ゴム弾か……」
怯んだところへたたみかけるように優作と麻琴が狙い撃つ。
式弾は簡単に防がれてしまうが、堀之内が撃つゴム弾とは相性が悪いらしい。
式弾のような、対象にぶつかって霧散してしまうエネルギー体は簡単にガードできても、「物体そのもの」が持つ運動エネルギーは有効なのだろうか?
「それなら……」
ついさっきと同じように囲まれて追い詰められる学帽だが、今度は明らかに焦りの色があった。
「これでどうだ!」
腰にぶら下げてあったホルダーから試合球を取り外し、そのままの流れで右腕を振り上げる。
だが、あまり悠長に投球動作を起こせる相手ではない。
できるだけモーションを小さく、しかし、思い切り全体重を預けた右腕を「機械的に」振りぬいた。
「なっ……野球のボール!?」
式弾に当たらないために衝撃波の盾を大きく展開していた学帽は、「盾に角度をつけて受け流す」ということをしていなかったので、優作の投げた試合球の衝撃を全て受け止める形になり、勢いを殺しきれなかった学帽は大きくのけぞった。
すかさず間合いを詰め、優作は右拳を衝撃波の盾に向かって力任せに叩き付けると、学帽は吹っ飛んで教室と廊下を隔てる壁に叩き付けられた。
「うぐっ!」といううめき声を漏らした直後にはすぐに体勢を立て直した学帽は「ここまでか……」と、吐き捨てるように言った。
観念したのかと思わせるような言葉の次の瞬間には身を屈め、刹那、地を這うような低空跳躍で一気に堀之内との間合いを詰めると、右手の衝撃波で堀之内を黒板にめり込ませ(もちろん服はボロボロになった)、退路を確保し、そのまま教室前方の扉から出て行った。
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