その手で掴む、お前との「普通」

あてらざわそねみ

その1 状況

 人通りの多い地域から少し離れた、坂の上の高台にぽつんとある校舎の最上階。

 4階にある教室からの眺めはよく、外は晴れていた。

 3月も中旬に入った関東地方は春の訪れを感じさせる陽気だった。


 真壁優作まかべゆうさくは、教壇でこれからの「状況」を説明している、ダークグレーのスーツに白衣を羽織った背の高い中年オヤジの話を聞きながら、椅子に浅く腰掛け、革の手袋をした右手で弄んでいる公式野球用の試合球に視線を落としていた。


 次の瞬間、破裂音とともにオレンジ色の閃光が机の角を削っていった。


「っぶねーな! 当たったらどーすんだよ!」


 優作は机に手を叩きつけ、立ち上がって抗議すると、教壇のオヤジは優作に銃口を向けた。


「人の話は顔を上げて聞け、油圧式野郎。今、重要な話をしてんだ。それに今撃ったのは式弾しきだんだ。てめえが当たったって死にゃあしねぇよ」

「誰が油圧式だハゲ! んなことはわかってんだよ。式弾だって当りゃあBB弾よか痛ぇんだぞハゲ! 何なら式弾でお前の頭皮刺激やろうか!?」


 優作は学ランの内側から拳銃を取り出すと、オヤジの前髪の生え際に照準を合わせた。


「てめえ……今、言っちゃなんねえことを2回も言ったな……リアップ2本持ってこいやコラァ!」


 なんとも切実な要求に優作が面食らっていると「やめろ」と、よく通る澄んだ声が教室内に響いた。


「優作も、堀之内も、やめろ。これからあたしたちがやろうとしてる事を思い出せよ。取り戻すんだろ? 『普通』の学校を」


 今、広い教室内には三人しかいない。

 優作と教壇の堀之内、そして澄んだ声の主、本郷麻琴ほんごうまことだ。

 学ラン姿の優作に対し、麻琴は赤いスカーフで紺色のセーラー服、脚元は黒タイツという出で立ちで、背筋を正し、腿の上に手を重ねている。

 言葉遣いこそ粗暴だが、見た目だけなら深窓の令嬢そのものである。

 吸い込まれそうな漆黒の髪は腰まであるロングヘアー。

 前髪は育ちの良さを誇示するかのように、綺麗に真っ直ぐ切り揃えられている。その下にある黒目勝ちな目は、これから起こりうることを既に見透かしているようだった。


 優作は、麻琴のこの姿が本当の姿ではないことを知っていた。

 そして、これから起こる「状況」によって、彼女の真の姿を目にするであろうことも。


「ここは学校だ。少なくともこの教室の中は。今は大人しくしてよう」

「ちっ……わぁーったよ」


 優作は銃を収めてからどっかと乱暴に座った。試合球は自分で作ったホルダーに入れて、腰にぶら下げた。


「さすがは麻琴お嬢様、わかっていらっしゃる」


 慇懃な態度の堀之内を優作は睨み付けた。堀之内が忠誠を誓っているのは麻琴ではなく、その姉である本郷綾乃ほんごうあやのであることを優作は知っていた。

 そんな事情を知ってか知らずか、当の本人である麻琴は何も言わない。いつもなら麻琴に代わって優作が堀之内に食って掛かるタイミングであったが、その本人に諌められた直後なので、優作は舌打ちのみに留めた。


「それでは改めて説明するぞ。今年に入ってすぐ、綾乃様はこの学校の所有権、土地、建物全てをタダ同然で取得された。これは綾乃様の手腕の賜物であるわけだが――」

「そういう能書きはいいからよ、さっさとオレらがやることの説明してくれよ」

「ンだとこの野郎……」


 堀之内が再度ジャケットの内側に手を伸ばしかけたが、麻琴が遮った。


「それに関しては優作に同感だ。お姉様の手腕が神がかっているのは妹であるあたしが一番良く知ってる。堀之内、悪いが要点だけを頼む」

「フン、そうだな。悪かった」


 堀之内はジャケットを直しながらそう詫びた。言ったのが麻琴だったからというのもあるだろうが、切り替えが早く、自分が悪いと思えば即座に詫びる。

 鼻につく点は多々あれども、引き際をわきまえている。


「まあ、そんなわけで綾乃様がこの学校を手中に収められたわけだが、知っての通り、今ここがどういう状況にあるかは教室の外にどんな連中が居るか想像すれば、わかるな?」


 堀之内が廊下に向かって視線を向ける。

 教壇に教卓、黒板。時計、掃除用具入れ。

 優作がまともに学校教育を受けていたのは中学一年生までだったが、この教室も生徒が二人しか居ないことを除けば、内装はいたって「普通の学校の教室」である。

 だが、先ほどから絶え間なく、罵声や壁に向かって何かしらの攻撃を加えているだろう音が聞こえてきている。

 入口の扉には教室に立てこもると同時に電子式のロックと、式の特殊能力を減衰させる処置を施してあるが、それもそろそろ限界のようだった。


「全く持って忌々しい限りだが、ここは超常能力発現者のガキ、つまり『式』共が支配している学校、『色憑き(いろつき)』に区分される学校だ」


 特殊能力を持つ子供がいつ、どのような原因で出現しだしたのか、世界中で研究が進んでいるが、未だにはっきりとしていない。

 その能力には個人差があり、すぐにサイコキネシスやパイロキネシスといったような既存のものでは分類できなくなった。

 発現者や式と呼ばれる子供は月日を追うごとに増え、法整備は追いつかず、国家や自治体が場当たりの対応を続けた結果、式が巣食う学校、しき=色がついた学校、つまり「色憑き」が全国に多数出現することとなった。


「綾乃様はまず、ここ。この教室を足掛かりに、色憑きとなってしまったこの学校を純白に戻そうとお考えである」


 屋上から一番近いこの教室をまず確保し、ここから陣地を広げていく作戦なのだろう。

 ちなみに自分と麻琴がこの教室に入る際は、ヘリで屋上に降ろされた後、ロープで窓から入った。

 綾乃曰く「その方がかっこいいから」。

 確かに、まさか屋上から侵入されるとは思っていなかったこの校舎を占拠している式たちは、もちろん何も警戒しておらず、突入は容易だった。


「そして……この教室は既に新しい学校として認可されている。その名も『白妙純心(しろたえじゅんしん)学園』ッ!」


 堀之内が拳を握り締め、その名の如く白のチョークで黒板に学校名を刻み、叫んだ。

 同時に、その学校名を聞いて優作はあんぐりと口を開けたままギギギ……と麻琴の方を向くと、麻琴は形の良い眉をハの字にして肩をすくめた。

 間違いなく綾乃の趣味だと優作は確信した。


「で、だ。この白妙純心学園高等部を四月から学校として機能させるために、麻琴様と真壁にはまずこの教室がある棟を制圧するよう指示が出てる」

「あたしたち二人だけで?」

「そうです。もちろん武器や弾薬の補充はしますが、今からやる戦闘だけはそこのスーツケースに入ったものでお願いします」


 堀之内は教卓の横に置いてある、人が入れそうなくらいの大きさの頑丈そうな黒いキャスター付きスーツケースを示した。


「綾乃様曰く『入学試験兼入学式兼高校デビュー』ということでしたので」

「はあ……お姉様が考えそうなことだな、いいよ。了解了解」


 麻琴は肩にかかっていた髪を鬱陶しそうに払いながらそう言った。


「真壁も、異論はねぇな?」

「ねーよ。そのために訓練受けてたんだ。で、教室の外に居る連中に関しては何の情報もねーの?」


 堀之内は「少し待て」と言って右手でジャケットの襟を持ち上げながら、左手は耳に仕込んであるだろうイヤホンに手を当てているようだった。


「『屋敷』からの回答だ。数は50~55。スキャンによると全員が低偏差値の判定外。『Fラン』だ」

「へえ、オッサンにしちゃあやけに丁寧に教えてくれるんだな」

「見損なうなよ油圧式。こっちも一応プロなんでね。情報はありのままを伝えてやるさ」


 また油圧式呼ばわりされたが、そのプロ根性とやらに免じて優作は何も言わないことにした。


「いいか、これからのはあくまで単なる『状況』だ。『作戦』はまだ始まっちゃあいない。まずこっちの想定内のことしか起きねぇ。麻琴様と真壁が外の連中に負けるようなら不合格。まあ負けても心配は無用だ。そんときは俺が助けてやる」


 優作と麻琴は既にスーツケースを開けて中身の確認を始めている。


「なに、堀之内の手を煩わせることにはならないさ」


 角ばった形のサブマシンガンにマガジンを装着しながらそう言って、麻琴は優作にゴーグルを手渡し、自分はロングヘアーを「脱ぎ捨てた」。


「あれ? 麻琴、ヅラ取んのかよ」

「だって邪魔だろ?」

「じゃあ何で今まで着けてたんだよ……」

「お姉様が制服の一部だと思えってさ。いつかは見た目が上品な生徒が多い学校にしたいんだって」


 麻琴はロングヘアーからショートボブに早変わりした顔にゴーグルをかけた。


「まあ麻琴はそっちの方が可愛いな」

「ふふ、あんがと」

「いいか、わかってると思うがもう一度言っとくぞ。状況開始と同時に教室になだれ込んで来る奴らは全員クソ野郎だが、間違っても絶対に殺すな。殺せば警察サクライチガヤに介入の口実を与えるだけだからな」

「ああ、わかってるよ」


 スーツケースの中身を素早く確認しながら、麻琴が言った。


「オッサンのありがたい忠告に感謝して、これをやろう」


 優作は麻琴が脱ぎ捨てたウィッグを手渡そうとした。さっき油圧呼ばわりしたお返しだ。


「アホなことやってっとドアのロック解除すっぞオラァ!」

「おう、オレはいつでもいいぜ?」


 掴みかかろうとしてきた堀之内の手をひらりと避けながら、優作は踊るようにして自分の席まで戻った。


「机と椅子は邪魔だよな?」

「ああ、悪い優作、あたしのも教室の隅に寄せておいてくれるか」


 優作は「あいよ」と言って二人分の机と椅子を教室の後ろ端の窓側まで持って行く。

 堀之内も自分で教卓を教室の隅に寄せ、自らもその傍らで椅子に座った。


「なんか掃除の時間みたいだな」


 優作がそう言うと「まあ『掃除』にゃ違ぇねぇな」と堀之内が言った。


「まあ真壁が『掃除』されなきゃいいけどな」

「オレは弱くても麻琴が強いから問題ねーよ」

「あたしが強いのは優作が守ってくれるからだよ。それに優作だって弱くないだろ」

「そりゃどーも」


 優作は麻琴の斜め後ろの位置にスーツケースと共に移動すると、その中身の武器を素早く確認し、全ての銃に初弾を装填した。


「それでは麻琴様、準備はよろしいですか?」

「ああ、いつでも始めてくれ」

「扉のロックを解除する前に綾乃様からお言葉を賜っています。『全てにおいて麗しく』だそうです」


 堀之内が「麗しく」なんて言うから、優作と麻琴はぶっと吹き出した。


「笑うなッ! それでは『状況』を開始するッ!」


 同時に、教室の前方、後方にある二つの扉のロックが外れた音がした。

 すぐに教室前方、少し遅れて後方の扉が勢いよく開け放たれ、少し前まで廊下で暴れていた連中がなだれ込んでくる。

 麻琴を中心にして取り囲むように、堀之内曰く「クソ野郎共」の弧が形成されていく。

 その数に全く動じることなく、麻琴は斜めに顎を突き上げ、整った鼻の先から見下ろす。

 優作はその姿を跪きながら見上げ、思った。

 綾乃や堀之内の言う麗しさがどんなものか知らないが、今の麻琴は間違いなく麗しい。

 そう、麻琴は自分とは違う。

 これから麗しく舞うであろう麻琴の姿を想像して、優作は胸が高鳴った。

 自分たちを取り囲んでいる連中は統率も何もあったものではない。

 この何の統一感もない連中が巣食う校舎に、自分と麻琴が秩序をもたらすのだ。

 そう誓って、優作は拳銃を構えた。

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