Ep.19 “愛”と“絆”

「やぁってみるがいいィイイ!」

 悪代官・焔丈が全力で地を蹴った。

 爆ぜたような土煙が上がり。

 恐るべき速度で、こちらに迫ってくる。


「ぬああああああああっっ!!」

 奴の身体から、ボン、と空気を圧搾する点が生じた。

 大気が歪むほどの、凄まじい拳圧。

 俺は、その迫りくる圧力を、サイクル単位で捉えていた。

 耳を塞いだ時に似た、静かな処理の流れ。

 例えば、あの偵察衛星――リスも、こんな風に世界が見えていたのだろうか。


 そして、腕の外側で受け流す。狂った暴風が顔の横を抜ける。

「な、ん、だ、と ?」

 奴は冗長な口で言った。表情から嘲りの含みが消えてゆく。

 悪代官の派手な隈取に皺が寄った。筋肉の収縮。続けて左の拳だ。

「うる、おお、おお、おお、っっ」

 嵐のようなそれを、もう片方の手でひたと止めた。


「返すぜ……」

 伸びきった左腕を抱え持つ。それを支点に、俺は背中を向けて思い切り踏み込み、振りかぶった。 “伝送路スパチャ” で倍加した膂力を活かす、力任せの投げだ。身体は簡単に浮き上がり、奴は赤獅子の髪を振り乱して地面に叩きつけられた。

「ぐわっ」

 大の字に倒れた悪代官・焔丈の身体に、間髪入れず肘を振り下ろし倒れ込む。

 これも “伝送路スパチャ” を込めた、エルボー・ドロップだ。

「ごぶっ!」

 胸に刺さった一撃で、奴は口から息を吹き出した。


 俺の高めの身長で決めたんだ。効くだろうよ。

 そして起き上がる俺に対して、遅れて悪代官も立ち上がった。

「ぬうううううっ……、小癪な、招来っ」


 SUPER CHANNEL : Orange

 SUPER CHANNEL : Magenta


 両腕を広げた悪代官・焔丈は、再び “伝送路スパチャ” を招いた。

 橙色とマゼンタの回路が、奴の半身ずつを染めてゆく。

「クハハハ…… “赤スパ” たった一本で、勝てると思うな。ワシには無限の “愛” がついているのだぞ! お前が失った小娘の! 分かっているのかア!」


 接近。さっきより速い。だが、受けてみせる。

 奴の張り手の連撃が、俺を襲った。防戦を強いられる。

「来い、もっとだ! 招来!」


 SUPER CHANNEL : Yerrow

 SUPER CHANNEL : Pink


 悪代官・焔丈の、かみしもで隠れた両脚に、 “伝送路スパチャ” の加護が加わる。

「どうだ、勝ったァ!!」

 さらなる高速の張り手。防ぎきれない。


 俺は横に倒れ込んで回避した。そのまま片手で倒立し、蹴りを叩き込む。

「うぬぅっ」

 姿勢を直し、ステップで距離を取る。悪代官も構え直す。

 時の感覚は既に狂いっぱなしだ。これまでに何秒が経過したか分からない。


 俺は五指を開き、能力を開放した。

 指から紫の煙が引かれてゆく。既に “関係性を可視化する能力” は “伝送路スパチャ” によって変質している。

「ならば…… “仮想欲心掌かそうよくしんしょう” 」

 悪代官もまた、こちらに右の掌を向けて、腰だめの奇妙な構えを取った。


 纏っていた赤虹のオーラは、やがてそれぞれの色へと変わる。

 俺の不明確な紫色と、奴の黄金じみた山吹色に。

 叫んだ。そして、奴も。

「おぉぉおおおおおおおおおっ!」

「去ねぇぇええええええええっ!」


 両腕を振る。

 空を掻いた腕が撒く、五指の煙は、張り詰めた糸となって空間に引かれた。触れた者を瞬時に切断する、紫の光糸だ。

 奴はテールランプのような軌跡を残して光糸を迂回し、俺の懐に入り、山吹の粒子を纏いながら掌底を突き出す。これも、当たれば命は無い。


 俺は両手を広げ、致死の掌を光糸で受け止めた。

 接触面に虹の光が撒き散らされる。

「ククク……クハハハハッ!」

 悪代官・焔丈が燃えるような髪をざわつかせ、哄笑した。


「うぅっ……」

 押し切られる。幾本も重ねた光糸が、圧迫でたわみを見せる。

 俺は……敢えて、腕を交差した。

 光糸は、奴の右腕に巻き付き。掌は、俺の眼前で止められた。


「なんだと!」

 手を、さらに広げる。光糸が奴の右を縛ったまま、空間で固定された。

 今だ。俺は拳を固く握り、振り上げる。

 隈取で誇張された悪代官の、覚悟とも余裕ともつかない不敵な笑いがあった。


 ――あいつの、秤の顔が浮かんだ。

 自分によく似た、でも、似ても似つかない泣き虫の。

 俺は、超高速のサイクル間隔で目を瞑り、開いた。


「一度しか言わない。ダセェからな――」

 そして、振り上げた渾身の拳を、開き。

 その掌を、悪代官・焔丈の胸に向け、唱える。

「 “糸連秘術ミスティック・スレッド” !」

 もう一度、あいつの声が聞きたい。

 奇跡よ起これ。失われてしまった “絆” は、それでも心の奥で、繋がっている。

 あたかも、蓮の根を切っても引かれる、糸連の如く。


「うごっ……何を、何をする!」

 無数の光の糸が、悪代官・焔丈の胸の奥に届く。

 それらは束ねられ、一本の確かな綱となって繋がった。


「来い――。俺が命をやる。お前は今より “神立秤(かんだちはかり)” !」

「ぐ、げえっ」

 綱を掴み、引いた。悪代官の胸から出た綱は、ずるずるとこちら側へ引き摺られ、どこまでも伸びる。俺は引き続けた。


「生まれ直すんだ! お前は、ここに居ていい!」

「やめろ、ぐああああっ」

 俺は強く念じ、綱を引き、後ろへ下がった。


 手ごたえがあった。

 奇跡の全てを、この綱に。さらなる力を込めた。

「あああああぁぁっ!」

「はぁぁ、かぁぁりぃぃいいいいい!」


 奴の胸から、ずるりと綱に結ばれて、秤のか細い手首が現れた。

 俺は、祈りながらただ、引いた。

 秤の全身が現れ、赤獅子の偉丈夫の胸から、ぼとりと落ちた。

 悪代官・焔丈は、力尽きて後方に倒れ込む。


「秤っ!」

 光の綱が消える。俺は駆け寄り、秤を抱き起こした。

「ああ、秤、起きろ、起きてくれ……」

「ん……、う……さ、ばき……?」

 秤が薄目を開けて、俺を見る。意識はある!


「秤、――そうだ」

 焦りながら、俺は秤のうなじをかき上げ、IDを確認した。

 その行動に、急に眼を覚ました秤が黄色い悲鳴を上げる。

「きゃっ!」

「……IDがある。俺とは別人の。お前は “神立秤” だ、秤!」

 縮こまって、えっ、という顔。

 分かってないな。もっと嬉しがれよ。


「――まだだ、まだ終わってはおらぬ――」

 俺達に覆いかぶさる影。

 悪代官・焔丈がまだ、そこに居たのだ。

 隈取に彩られた、憤怒が見える。


「今の技で “伝送路スパチャ” を使い切ったろう……」

 怒りと、歪んだ笑み。

「まだワシの側には “伝送路スパチャ” の残りがある。招来!」


 SUPER CHANNEL : Blue

 SUPER CHANNEL : LightBlue


 青と水色の回路が、悪代官・焔丈の身を駆け巡った。

「詰んだな、鳴神っ」

 起き上がった秤が、俺と手を繋ぐ。二人で立ち上がり、頷き合う。

 秤の黒いリボンが、揺れる。それは、眩い虹光に変じて。

 赤色の奔流が、秤を。そして、繋がれた俺を包んだ。


 SUPER CHANNEL : Red

 SUPER CHANNEL : Red


「こ、こんな――」

「世界がクソなら、そのままそう言ってやるのがラッパーだ。言葉と想いと絆と愛で、ナシをアリに変えてゆくんだよ。秤っ」

「やぁぁあああああっ!」

 俺と秤。二人で打ち出したアッパーは、悪代官・焔丈の顎に綺麗に命中した。

「ぐぼァアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」

 吹き飛ばされた奴が、この世に帰ってきたか、俺はまだ知らない。

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