Ep.16 苦界の支配者

「敢えて言おう。よく来たな」

 若々しく変じた悪代官・焔丈が言う。

「先ずはお前から来い、死神よ……」

 そうして屍鬼を挑発するが。


 舌打ち。

 燃えるような赤獅子の出で立ちを警戒してか、屍鬼は立ち位置を変えるだけで間合いを詰めない。先の “伝送路スパチャ” による高速の応酬に巻き込まれないよう注意を払いながら、俺も様子を伺った。


「ならば、こちらから行くぞ――」

 悪代官・焔丈が姿勢を下げた。

 両の拳を地面すれすれに下ろす、四足獣を思わせる独特の構え。


「“物申す” の原義は、大相撲の “物言い” だ」

 悪代官の居た場所に、砂が舞い上がった。先の “伝送路スパチャ” か、それ以上の速度で迫る、驚異の摺り足。


「なにっ」

 反応が遅れた。肉薄される。

「八卦よし!」

 クロスした腕で、咄嗟に張り手を防いだ屍鬼は、苦痛に歪んだ顔を見せた。


「ぐうっ……」

 ガードが解けかかる。

「感じるぞ。強き者への畏れか」

 赤い隈取の顔が歪む。

 死神は憤った。

「ほざけ小悪党がっ、“伝送路スパチャ”、開くぜぇ!」


 SUPER CHANNEL : Green


 死神の身体を、緑色の回路が駆け抜けた。

「うらぁああああっ!」

 繰り出された裏拳。止めた瞬間しか、俺は見えなかった。

 空気を歪ませて撃たれた拳は、しかし空を切るだけだ。

「――招来」


 SUPER CHANNEL : Yerrow


 “管理権限伝送路スーパーチャネル”の発動、それも屍鬼を超えて!

 既に側面に回られている。奴も、俺も遅すぎた。


「……大相撲の親方は常に、己の進退を賭けて “物言い” をした。振り返って、ワシらの行いにはそれだけの質と重が求められるということだ。これは古流の “物申す” が取る、重き型よ」


 はっとした様子で振り返る屍鬼。

 パァンという破裂音と共に、頬へと強烈な張り手が襲いかかった。

「うぶぁっ……」

 白目を剥き、バランスを崩しかける屍鬼に、容赦の無い膝蹴りが打たれた。鳩尾を刺され、そのままの勢いで土煙を上げながら、転がされる。


「ぐうっ、クソ――」

 屍鬼は、立ち上がろうとするが。

 異変が奴を襲った。


「ぶっ……、ごばぁっ、ハァ、ハァ、何だァ、こりゃあ」

 膝を突き、血が吐き散らされたのだ。

 悪代官・焔丈が目を細めた。

「死神。ワシがこのフィールドで、演算を注いだものはな。ひとえに “苦痛” よ。飢え乾き痛み一切の苦。これぞ、求むべきリアル。バーチャルは “ままごと” に過ぎぬ」


 この下層に来た時から、おかしいとは思っていたが。

 身体の感覚が違っていたのだ。俺は腕を失ったことはあるが、ここで同じ事が起きたら、意識を保っていられる自信は無い。


 おそらく、屍鬼にとっても初めての、強烈な痛みだろう。

「ううう、ぐぐ、畜生……」

 身体が震え始めている。


 大仰に手を広げて、悪代官・焔丈は言った。

「真実の光を浴びれば目が潰れる。真実の痛みに、お前達は耐えられん。真実を取り除いた世界が、ここなのだからな!」


 クハハハハ、と笑う悪代官に、俺は問うた。

「おっさん、てめえ秤をどう思ってやがった……」

「鳴神か。どう、とは。 “養分” に何を思えばいい」

 余裕の笑みを止めて、奴は答える。


 俺は指を開いた。

「――それだけ聞けりゃ十分だ。

 “俺、鳴神裁と悪代官は、鳴神秤を大事に思っている” !」

 お互いの論理的な差を、物理的な軽重に変換する “関係性を可視化する能力” が発動した。不可触の糸が俺と悪代官の腕に巻き付く。

「てめえをベコベコに殴らなきゃ、気が済まねえ」

 絶対的な重量差になったであろう俺の拳で、ぶっ飛ばしてやる。

 近付く俺に対し、悪代官はことも無げに言った。

「招来」


 SUPER CHANNEL : Purple


 紫の回路が悪代官・焔丈の身を駆け巡る。

 だからどうした。状況は変わらない筈――、絶句した。


 奴は、あり得ないものを掴んでいる。

 俺にしか触れることのできない筈の、“能力” が生みだした糸を。

 虹の欠片、 “管理権限伝送路スパチャ” が、道理を無理に曲げてみせたのだ。その脚を思い切りめり込ませ、力任せに糸を引く。


「どっ、せい!」

「うあ、ああっ」

 俺の身体が、浮き上がった。そのまま空中に振られ――。

「これが俗にいう……車田落ちよ!」

 放物線を描いた俺の身体は、悪代官の立つ頂点を超えて、向こう側へと落下してゆく。伸びきった糸と、下層の森が目に入った。


 意識を失いかけたらしい。

 俺の視界には地面と、遠くの悪代官・焔丈があった。

 受け身も取れないまま、俺は地面に叩きつけられたのだ。

 額に流れる熱い液体が、頭を割られて出てきた血だと、ようやく気が付いた。

「どうだ、ワシが小娘から収奪した愛の力は。お前への煮え滾る憎しみも、羨望も、また愛。そして、愛の勝利こそ世の理、というわけだ。見ておけ――」


 そして、悪代官・焔丈は最初の獲物、屍鬼に悠々と近付いてゆく。

 俺は、90度反転した視界でそれを見る。

「や、やめろっ!」

 戦意を喪失しかけた屍鬼は、ただ叫んだ。

「招来」


 SUPER CHANNEL : Orange


 そして纏う、橙色のオーラ。

「燃える苦しみを味わうがよい。“煉獄炎浄手れんごくえんじょうしゅ”」

 屍鬼の全身を、無数の掌底が襲った。

 空中で身を躍らせた死神の身体は、途端、激しい勢いで発火する。

 やがて、人の形は黒い炭となって崩れ落ちた。


 俺は地面に寝そべりながら、最期の姿を見届ける羽目になった。

 もう “管理者” の使者ですら太刀打ちができない。

 ……なおも輝く橙色に包まれて、赤獅子の怪物はこちらに来る。


「ぐうぅ、うおお……!」

 俺は、身体を動かした。もはや、それは本能だった。

構成骨格ボーンが折れたか……。それでも立とうとするとは。このぬるま湯バーチャルには惜しい、見上げた胆力よ。何がお前を駆り立てる?」


 奴の問いに、俺は答えた。

「敢えて言うなら……約束だ。だから……お前を……秤を」

 悪代官・焔丈は嘲りの言葉を浴びせる。

「義理か。つまらぬ理由だな。そんなもので、 “愛” に口を差し挟もうなど、おこがましいとは思わぬか。ワシの内側で、小娘は歓喜に満ちておるぞ。依存であろうと。搾取であろうと。悦びあらば、それで良いではないか」

「嘘……だ……間違っている……」


 痛みで意識が朦朧とする。

「まやかしの愛。それではお前は何だ。このバーチャルで、否、リアルもそうであろう。揺るがぬものなど、何処にも在りはしない。 “愛” に別など無いのだ」

「……」

 視界が揺らぐ。


「そんな事も分からぬ、馬鹿者なのか? そうだったな。己が他者を裁けると、本気で思っているのが、お前なのだから!」

 高揚した悪代官の言葉は、まだ続く。

「どうにも愚かしい……だが、それ故に純粋で、輝きがある。ワシはそこに惹かれる。やはりワシの下へ来い。より良く磨き上げてやろう。来い、鳴神」


「……断る。俺は……」

 地面に手を突いた。

「俺は!」

 森の枯葉に埋もれた、紫の線が浮き上がる。

 それは、両脇の木々と、悪代官の両腕の間に瞬時に巻き付いた “関係性を可視化する能力” の糸だ。

 先んじて結んだ関係性に続いて、俺はラップの要領で素早く式を唱える。

「“悪代官” 乗、 “木A不動” 且つ “木B不動” !」


「なんだとっ!」

 張り詰めた二本の糸が、ギリギリと悪代官の両腕を引き始める。

 木々に極端な論理の荷重がかかり、奴は互い違いに引き裂かれるだろう。普段なら使わない、殺すための術だ。


「食らいやがれ。秤の、弔いだ」

 しかし悪代官は。俺の切り札を、嗤った。

「ククク。クハハハハッ――招来ィ!」


 SUPER CHANNEL : Red


 駆け抜ける赤の波。

 あまりにも大きな奇跡の奔流。


「児戯!」

 回路が奔った悪代官・焔丈は、俺の糸を引き切った。

 いとも、簡単に。

 赤のオーラを纏う悪代官は、目の前まで来て、抵抗する意思すら失った俺の胸倉を掴んだ。赤獅子の偉丈夫は、背丈も超人的に誇張されている。


「あぁ……」

 呻く。額を熱い血が流れ、視界が赤に覆われる。

 そのまま、身体が持ち上げられた。

「お前の強情さは分かった。懺悔の後に消えよ!」

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