Ep.13 顕現

「秤っ!」

 俺は、秤の叫びが聞こえる方へと走った。急に煙幕が避けられているのは、このフィールドを自由に改変できる主が居るということだ。


 そこには、俺そっくりの偽物と、それに同化しかけた秤が居た。

 もう、秤には腕が無い。

「んううっ、いやっ、裁、助けて!」

「秤! それに、……悪代官……!」


「そうとも。お前には見慣れた手だったろう。ワシは自分自身の情報的な核心を、必要最小限まで削り込んでいる。姿形の改変や、バックアップに特化した様態だ……知っての通りな」

 俺に化けるのも不可能では無かった。完全に想定外だ。


「イヤだ、こんなの無いよ、いやっ、やだあっ」

 ずぶずぶと埋まりながら、泣き叫ぶ秤。

「この娘が、自らの意思で対象を選ぶ。それが最後の鍵だったわけだ。お前との、かりそめの和解。ワシの屋敷への誘導。これを偽るための、姿の改変。混乱した状況下で言葉を通じさせるために仕掛けた、ASMR。全て、ワシの目論見通り……偉大な仕事は、小さな積み重ねから生じる!」


「くっ……」

 今までの全ての状況が、こいつにコントロールされていたってわけか。

 俺は能力の解放を――。

「良いのか? いらぬ苦痛を与えるだけだぞ?」

 どうすれば引き離せる。いや、そもそも可能か?

 冷静に考えている時間は無い。


「見ない、会わない、書き込まない。年端もいかぬ小娘の分際で、三原則すら守れぬのなら、どんな悪意の食い物にされようと自己責任だ。のう?」

「やだよっ、いやあああああっ!」


 まるで買ってきたクリスマスのチキンのように、俺の姿をした悪代官は、抵抗する秤の髪をわしりと掴み、自分の顔と正対させるのが見えた。

 絶望した秤の目から涙の筋が流れる。

「いや……っ」

「生娘の荒い息、肌の密度。ワシに活力を与えてくれる……たまらぬなあ。お主は贄だ。供せられた、肉の馳走よ!」


 悪代官と秤の同化は胸まで進んでゆく。

 既に四肢は取り込まれ、殆ど首だけだ。

 躊躇する俺の傍を、霧から脱した死神が駆けていった。

「どけえッ、“管理権限伝送路スパチャ” 、開くぜ!」


 SUPER CHANNEL : Light Blue


 風のように駆けてゆく、屍鬼の身体を水色の回路が走る。

「同化が不完全な、今なら!」

 そのまま勢いに乗せて飛び掛かる。


 秤を慮ることのない死神の連激が、俺に化けた悪代官を襲った。

 “伝送路スパチャ” の勢いで倍加した、殆ど見切れない速度だ。

「死ね――」

 踏み込んでの左右の突き、肘打ち、そこから間髪入れずの回し蹴り。


 だが、通らない。

 最後の蹴りの踵が、悪代官の頬元で止められていた。

「なっ」

 摩擦熱で発した煙が、風に流れる。

「……招来」

 悪代官が、俺の声で呟いた。


 SUPER CHANNEL : Light Blue


 “管理権限伝送路スパチャ” の回路が水色の波となり、悪代官の腕から全身を走った。防ぐ掌から半分覗いた悪代官の――俺の顔が、悦びで歪む。

「こいつ! “伝送路スパチャ” を――、ぐあっ」

 脚を掴まれた屍鬼は、そのまま投げ飛ばされる。


「ついに、ワシの時代が来た」

 秤は既に顎まで失い、恐怖の目で訴えかけることしかできない。

 そして、黒いリボンの髪が残り、それも消えた。

「秤……!」

 秤は、この世から居なくなった。


 両手を広げて、俺のカソックを着た悪代官は言う。

「物申すの新政が、これより始まる!」

 悪代官の肉体が、偽りの俺の姿から、プリミティブな人体に変形してゆき、再び新たな形を取る。それは筋肉質の、見上げるような偉丈夫だった。肩の裃はその偉大さを称えるように張り出し、放射状の赤い隈取りが白塗りの顔を覆ってゆく。赤い髪は乱れて長く延び、見る間に歌舞伎の獅子頭へと変わっていった。


「バーチャル悪代官・焔丈――見参!」

 そうして、奴はカカッと大見得を切る。


「遅かったか。厄日だぜ……」

 構えながら、屍鬼は呟いた。

 何度も機を逸した俺も、今度こそ、能力の解放を決意する。

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