Ep.12 この身を捧げて
(秤……!)
鳴神を探して霧の中を歩いていた秤に、不意に声が聞こえた。それは妙に鮮明で、頭の中に響くような声だった。
(秤、俺はここだ!)
確かに鳴神の声がする。方角も分かる。秤は、よく通る声のする方へと進んでいった。他の喧噪も少しは耳に入ったが、注意を引く程ではなかった。少女は、か細い一本の糸を手繰るような気持ちで、声の主を探す。
影が見え、それが近付く度に濃くなってゆく。やがて、うずくまる鳴神の姿がはっきりと見えた。
目の前の鳴神は立ち上がり、秤の両肩を包むように押さえて、言った。
(秤、このままだと、俺は屍鬼に勝てない。何か方法を考えてくれ。お前にも出来ることは無いか?)
「そんなの、私には……」
秤は、気がついた。
悪代官の言葉を思い返した。
“世界の綻びだからこそ、出来ることもありますぞ”
自分に出来ること。世界の綻びである、私の役割。
「ひとつだけ……あるよ」
少女は、胸の前で手を握りしめて、言った。
(秤、急いでくれ)
こんなに背が高かったんだ。改めて身長差を思う。
そして目を瞑った。この人に力を与えて。
鳴神の身体に両手を翳し、ためらいなく祈る。
それは不可逆の祈りだ。
私がどうなっても構わない。
心で決めた瞬間、その “方法” が明確に、脳裏に浮かんできた。奇跡がいつまでも、この世界に在り続けることは無い。この身は、もともと誰かに与えるために存在したのだ。秤は奇跡を起こし、その奇跡は追って現れた “管理者” のエージェントが持つ力と対消滅し、消える。そういう運命だった。
――捧げるなら、誰がいいだろう。
それは、はじめから決まっている。
自分の分身、同じIDを持つこの人だ。
「裁。あのね……一度しか言わないよ……」
(何だ?)
「ありがとう、それから……」
秤は、自らの心の鍵を外した。
“愛する者に奇跡を与える” 管理権限付与。
これが、自分の最初で最後の、役割だ。
「さよなら」
秤は静かに目を開いた。
終わりまで、その人のことを目に焼き付けておきたかったから。
翳した手が、鳴神の身体に埋まってゆく。
その人の中に、溶けてゆく。
鳴神は、そんな自分を見ていた。
鷹のようで、存外に、冷たい目だった。
あれ?
秤はひと匙の違和感を覚えた。
不意に、さっきから聞こえている喧噪が意識に割り込んでくる。
「秤……、秤、誰に言っているんだ、俺はここだぞ、どこだ、答えろ、秤!」
聞かないようにしていたそれは、鳴神の声だ。
ならば、いままで呼びかけてきた鮮明な、頭に響く声は誰のものだったろう。それもやっぱり、鳴神の声だ。
感覚を失いながら、秤は思考した。
鳴神が、二人いる?
どっちが、本物……どちらか片方は、
「気が付いたか。お前が選んだのは、ワシだよ」
目を見開いた鳴神のようなものが、見ていた。
秤の身体は、既に “それ” に同化しつつあった。
「愚かな娘。自ら選んだのだ、このワシを」
――バーチャル悪代官を!
すべてを理解した。
秤は、絶叫した。
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