Ep.7 お前の家じゃない
「ただいま~」
秤は遅れて、マンションへ帰ってきた。
ロリパコと道化に連れられ、方々を歩かされたのだろう。
俺は背を向いていた。
「いつも思っていたけど、ここに飾ってある、空っぽの缶詰と、勲章みたいなやつ。それに裁が写ってる集合写真。 “小隊より、戦友・鳴神裁に” って、なに?」
「……」
「自衛軍に居た頃でもあるわけ?」
相変わらずの1DK。
二人で暮らすのはいささか狭すぎる。
決めていた。切り出すことにした。
「出て行ってくれ」
こうなるんだ。俺は日頃の口ぶりを後悔する。
もっと表現があったようで、そんな言い回しは自分が並べた札には無かった。ここ暫くの毎日を、綺麗にまとめられるような、上手い言葉は、どこにも。
「なんで。やっぱり……」
「追われている。できるだけ遠くに逃げろ。邪推系、知ってるよな。あいつに裏口での移動や潜伏手段を教わった。そこに書き留めてある。荷物はまとめておいたから、服だけは自分でやれ。触ったら嫌だろ」
「邪魔だったんだ」
秤を見た。小さく震えて、黄色の宝石みたいな瞳が揺れて。涙が光っていた。
そうじゃない。という言葉に辿り着くまでが、どうしようもなく遠い。
俺は結局、機会を逃した。臆病者め。
「少し、部屋を開ける。外の空気を吸ってくるから、その間に行ってくれ」
「……」
捨てられた動物のような上目遣いの、恨みがましい表情は、どんな
……それから、長めに時間を潰して戻れば。
秤はもう居ないのだ。
自分の分身だからと中途半端に接することで、取り返しのつかない深さの傷になってしまった。
情が移ったものだ。
そうだ。全部俺が悪い。
外にいる鳥の群れに身を差し出して、啄んで貰おうか。
テクスチャーも無くなり、俺が俺でなくなるまで――。そうして侮蔑で自分を苛み傷つけていたから。無駄な想いに時間を割いていたから。
気づきが遅れたのだ。
部屋からひとつの名刺が消えていたことに。
思えば、捨てておくべきだった。
よりによって、バーチャル悪代官の名刺を、秤は持ち去っていた。
「秤!」
俺は、さっき出て行けと言ったばかりの秤を追って、夜の住宅街を走った。
「秤、どこへ行った!」
しかし当然ながら、あいつの痕跡は、真っ直ぐ伸びたアスファルトのどこにも、残っていないのだ。
行き先に悪代官を選ぶのは、最悪の選択だろう。
「……何されるか、分からないんだぞ?」
いっとき逡巡した後、俺はその “最悪” を確かめることにした。悪代官の屋敷には、連れて行かれた経験がある。
見放した以上、あいつが何をしようが自由だ。それは分かっている。分かってはいるが! 俺は、バーチャルの下層へと向かった。
その少し前のこと。
秤は、 “にじ” の委員長から貰った服や色々を畳んで、鳴神のマンションを後にした。格好はこの世界に目覚めた時のまま、黒に白のフリルが付いた袖なしワンピースにストールだが、荷物は来たときよりも増えて、ボストンバッグとリュックサックが一杯に膨んでいた。
声を出せば、また溢れてきそうな涙を抑えて、表情を固くして、夜の道を歩く。
(寒いなぁ……)
行き先は決まらない。新しい街でもいいし、幾つも滝が流れる渓谷でもいい。バーチャルは小世界が幾つも繋がっているから、移り住む先は選べるだろう。
ただ、天涯孤独の秤には、その先で待ってくれる人が居ないのだ。
ポケットから、盗んできた名刺を出す。
“お悩み・相談事何でも引き受けまする 悪代官”
バーチャル悪代官。どんな人だろう。
「うーん」
考えても進まないので、秤はまず賽を振ることにした。
公衆電話を使い、名刺に書かれた連絡先につなぐ。
電子的な応答だが、連絡は通じるようだった。
彼女は立っている場所と自分の容姿を文章で伝えた。
それから間もなくのことだ。
黒塗りの高級車が、何も無い空間に転送されてきた。
車は彼女の前で止まり、後部座席のサイドガラスが降りると、巌のような顔をした初老の男がぬらりと覗く。
「頭の両側に付いたリボン。黒い袖無しワンピースに、肩から腕を覆うストール。鳴神秤殿、ですな……」
開いていた扇子を閉じ、男は笑む。
時代劇のような格好、頭の髷。
「貴方が、悪代官?」
「如何にも。 “悪” を看板に掲げた名は珍しいでしょう」
「変な名前の友達がいっぱい居るから、それほどでも」
秤は苦笑する。
悪代官はドライバーに示し、反対側のドアを開けさせた。
「積もる話は後で聞きましょうぞ。乗りなされ」
「あ、はい。ありがとう、ござい……ます」
尻すぼみに感謝の言葉を述べて、秤は同乗した。
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