Ep.6 ここが在る理由
朽ちかけたビルの階段を降りながら、俺は途方に暮れていた。カンカンと耳障りな音が、錆びた鉄に響き渡る。
秤にできることは、何もないのか?
考えろ。まだ何かあるはずだ。
相変わらずの斜めの日差し。建物の影の間から注ぎ込む “物申す界隈” の光が、砂利道を重たげに歩く俺を照らした。俺も真っ黒に映っていることだろう。
最悪の気分だ。
途中、トタンの壁にもたれて腕を組む女が視界に入った。
ワークキャップを目深に被った、茶色のロングヘア。デニムのジャケットとホットパンツを着ているが、胸元のピンクと白の配色に妙な既視感を覚える。
「なんで、アンタがここに居る?」
横を過ぎようとしたとき、どうしても無視できなかった。
だから、俺の方から声をかけたのだ。
「……髪飾りを隠していたのに、分かります?」
預けていた背を離して、その女は立った。
それだけで、洗練されたスタイルが見て取れる。
俺達とは比べものにならない。
そいつは帽子を少しだけ浮かせて、いつもの挨拶をする。
「はい、どうも~。キズナ〇イですっ」
ぴょこぴょこしたピンクのふたばが、ワークキャップと頭の間に見えた。
「こんな掃き溜めに来るとはな」
何を考えているか分からない。俺は距離を保った。
呆けたような口を開けて、毎朝のニュースを伝える俺達のアイドル “アイちゃん” は朗らかに言う。
「ここがぁ、仮想空間だというのは分かっていますか?」
「当然だろ」
ふふ、と微笑して、彼女は続ける。
「シミュレーションは、目的があって作られるものです。
「目的があって生きているのか? 俺達は」
そう……、と言いながら、 “アイちゃん” は後ろ手に俺の周りを歩きだした。
「ありますよぉ。ちゃんとした目的が。ずっと昔に忘れられた、この世界の名前。キズナアイ・プロジェクト」
物わかりの悪い生徒に教えるように、話は続く。
「さて、次代を継ぐ人間の要件とは、何でしょう?」
「能力や資質が優れていることだ。リーダーシップがあるとか、そんなんだろ」
「ブー、違います。悪くない、惜しいです」
背中の “アイちゃん” に向き直るが、彼女は正面に立とうとしない。不可解な答えのように、掴み所が無い。
「じゃあ、どんな奴なんだ?」
「それは、人々の間にコミュニケーションを呼び起こす者。枯れ果てた愛情を湧き立たせ、解けてしまった絆の編み目を、その人が居るだけで繋ぎ直せるような、ほんとうの人間。それを創り出すのが、このプロジェクトの目的です」
俺は、 “アイちゃん” に明白な答えをぶつけた。
「だとしたら、そんな神様みたいな奴になるのは、アンタだろうよ。リスナーが……、一番求心力があるんだ」
「私は違います。AIだから。こうあるべきという指標でしかない」
“アイちゃん” の碧色の瞳が、謎めいた光を帯びた。
「神様は、これから生まれる。97億の人格を基に組み合わせた、貴方達から。群れなす鳥の目の奥の “リスナー” と貴方達 “バーチャル” は本質的に同じもの。その違いとは、視られているか、視ているか、それだけ。誰もが “選ばれる”」
これは本当の話だろうか。
目の前の “アイちゃん” は、本物だろうか?
「聞かせて、どうする。精査できない話は、信じないことにしているんだ」
彼女は再び、薄く笑った。
「現実派ですねぇ。バーチャルなのに」
「俺の現在をどうにかしてくれそうな話は無いのかよ。これ以上、付き合うのは無駄だ。失礼するぞ」
「貴方の想いに関わらず、世界は答えに向かってゆく。だから、ええ、どーぞ、ご自由に――」
瞬く間に、 “アイちゃん” は消えていた。本物であった確証は無いが、それでも恐るべき処理速度だった。
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