Ep.3 誰、てめえ?
死神の干渉にも関わらず、「ととのい」は訪れた。
心地良い時を過ごした俺は、“物申す界隈”の傾いた夕日を背に浴びながら自宅のマンションへ引き返す。プライベートに関わるから、何処の道をどう行ったとか、具体的な事は言わないけどな。
曲がり階段を登り、廊下のドアを幾つか過ぎれば、俺の家だ。
開錠し、ドアノブを回す。
考えずとも当然だが……その先が当然ではなかった。
玄関を上がってすぐ、浴室に繋がる空間に。
脱ぎたての女の子がいたのだから。
繰り返すが、この1DKは俺の家である。合鍵なんて誰にも渡していない。
ベルトと、畳まれた服が床に置かれている。
要するに下着姿。飾り気のない、白っぽいの。
知らない娘は俺を見るなり両手で胸を遮り、目を丸くして叫んだ。
「きゃあああっ!」
「うおっ」
俺は慌ててドアを閉めた。
悪代官に続く屍鬼の言葉と、サウナの扉と、俺の家のドア。
つくづく同じことが繰り返す日だ。
ドアを背にして、ずるずると座り込む。
サウナを通して身体が守られているとはいえ。
廊下に吹き込む風は冷たい……俺の家なのに。
そうだ。俺の家なんだから、ドアを開けるのは恥ずべき行為でもないだろ。
あの小娘が何かは知らないが、入室の権利はあるんじゃないのか。
ふざけんなよ。
俺は決意して立ち上がると、再びノブに力を込めた。
固い感触……動かない。また鍵が掛かっている。
閉め出された? ちょっと待て!
俺はドアを叩いた。
「おい、開けろ! 立て籠もるな!」
ドンドンドン。ドンドンドンドン。
返事が無い。
再び鍵を出し、挿し込む。ドアノブを回し……動かない。
ドアの向こうで押さえてやがるな。俺は両手を使い、力を込めて回した。
「ふぬぐぐぐ、この野郎ぉ」
うぐ、うぅーっ……なに呻いてやがる。泣きたいのはこっちなんだよ。
ドアノブが少しずつ回り、あとは引くだけになった。
「ううおおおっ」
俺は壁に片足を付けて踏ん張り、ドアに万力のような力を込める。
やった、開いたぞ。
隙間に普段使いのスニーカーを、片足突っ込んだ。どうだこの野郎。
「おおらっ!」
開いたドアに手をかけて、思いっきり広げる。
しかし、いきなり反発が失われるとは、思わなかった。
外に出されそうになった小娘が、逃れようと退いたのだ。
バァンと開け放たれた玄関に突っ込んだ俺は、段差に足を引っかけて。
「おぁっ」
「ひゃっ」
バランスを崩し、相手を押し倒すことになった。
とっさに床に手を突いて、潰すことだけは免れたが。
「……」
「……」
胸の辺りで収まる、思ったより小さな背丈だ。大きな黒いリボンで束ねた紫の髪が艶やかで……紫。俺の髪の色と同じじゃないか。
見れば、ちょっと角が取れてはいるが、顔の印象が似ているような。
よく言われる、鷹のような鋭い目すらも。
なんだ、こいつ?
その目線が、じーっと下方に動く。
「……?」
「……!」
引きつけを起こした。どうしたってんだよ。
手を張って押さえていたが、下半身は覆いかぶさる形となっていたんだ。要するに、押さえつけた小娘と密着しかけていて、まあ、その。
「事故だ。仕方ない……だろ……?」
「~~っ」
俺そっくりの女顔に涙が浮かんで、すかさず手が飛んできた。
俺は思い切り頬を張られて、横倒しに転がる。
「痛ぇ」
「変態っ!」
もう一回、グーで殴られた。
半端な威力のパンチだったが、理不尽は俺に効いた。
「……それで、気が付いたら合鍵握ってたってわけか」
痛む頬を擦りながら、椅子に座る俺は言った。
小娘は床に座り込んで、不服そうにしている。
急いで服を着直させたので、肩紐が片方落ちていた。
俺の神父服と同じような色質の、黒い袖なしのワンピースに、肩から腕を覆うストールを通している。紫の髪は、両側を黒のリボンで結んであった。
見るからに、女性版の俺。鳴神裁子と言わざるを得ない。
「名前は?」
ぷいと横を向きながら、小娘は言った。
「秤……。鳴神秤(なるかみはかり)」
鳴神は俺と同じ、雷の言い換えだろう。秤は公正さの象徴。
予感がより確かなものとなる。
「秤って呼んでいいか。いいな」
他人とは思えないそいつを、俺は名前で呼ぶことにした。
バーチャルの存在は、本人も自覚しないまま、いきなりフィールド上に誕生する。今回は俺の近所に現れたということだ。
もう一点、確かめるべきことがあった。
俺は秤に近付く。髪に触れる近さで、手を伸ばした。
「何するの!」
秤は警戒し、手を下げさせる。
「IDを見せろよ」
「嫌っ」
「じゃあ今すぐ自警団に突き出すからな」
「……っ」
目が泳いで、小娘は苦々しげに答えた。
「……わかったわ」
髪をかき上げる。IDが浮き出した。
それで、大方理解できた。
「俺と同じIDだ」
つまりこいつは……、同一人物として生まれたのだ。
そんな事が有り得るのか。俺が活動してきた間にも、そんな前例は覚えがない。
だが、これが現実だ。
「俺に成り代わるってことか?」
宇宙からの侵略者みたいなものだろうか。ここはバーチャルだから、 “外” から来る奴なんてそうそう居ないけれど。
先頃知り合いになった、灰色のリスだけは例外だな。
「私だって、知らないよ……」
反抗的だった小娘は、心細そうにつぶやく。
行き場所は無さそうだ。
「はぁ」
俺はひと息吸って、吐く。
「仕方ねえな。仕方ねえ。家事、できるか」
「えっ。えっと、……私が?」
「そうだ。ここに住みたきゃ、役割は公平に分担だ」
「やった事無い、けど……覚えたらいい?」
話が早いな。俺は立ち上がった。
「教える。行き先が決まるまでの間だぞ」
秤は目を丸くした。またそれか。
「あ……」
「何」
小娘の考えることは、分からない。
「いきなり来たのに……」
「あー、何度も言ってんだろ」
面倒なのは分かってんだよ、面倒くさい奴だな。
「その、あ、ありが……」
五本の指と指を合わせながら、蚊が鳴くような声で、そう言われる。
横を向いて、伏し目がちに。
二つに束ねた紫髪がふわふわと動いた。
自分の分身を寒空に放り出すのも、気が引けるからな。
しかし、感謝の言葉が出ない所まで、俺にそっくりだ。
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