閑話 猿と呼ばれる男

 一人の青年が眼下に見下ろす街並みは碁盤目状に美しく、整理されていた。

 人々の活気に溢れた往来を見つめるその瞳は氷のように冷たい。

 青年の名はノエル。

 軍事強国として、世に知られる秘密のベールに包まれたエンディアの若き王である。


 ノエルは発展する街並みの様子を満足気に眺めながら、深紅の液体をゆっくりと味わうように口に含んだ。

 彼の容貌は恐ろしく整ったもので彫像を思わせるほどに美しく、金色の髪は太陽のように眩く、薄っすらと光を放っていた。

 しかし、琥珀の色をした瞳には猛禽類を思わせるような獰猛な色が宿っている。

 その美しき琥珀の瞳に一人の奇妙な風体の男の姿が映っていた。


「サンジュ。お前にしては珍しい失態だな」


 サンジュと呼ばれた男は平伏したまま、顔を上げようとしない。

 サンジュは元々、故郷でグノンと呼ばれていた。

 小柄で華奢な体格をしており、少年のように見える背格好をしていながら、顔に刻まれた深い皺や人相からは年老いた男というより、高い知能を持つ類人猿にのようにしか見えない見た目をしている。

 そのせいで侮られ、蔑まれてきた半生を送ってきたサンジュを登用しただけではなく、重用しているのが目前で強烈な威圧感を放つ主ノエルである。


 ノエルは平伏するサンジュを一瞥すると空になったグラスをテーブルに置いた。


「ヤツを始末出来ず、スキアを失ったな。この失態、どう取り戻す?」


 その言葉自体が冷気を纏っているかのようにサンジュの身体がガタガタと震え始める。

 ノエルは富国強兵を国是として掲げ、信賞必罰を旨として、国事に当たっていた。

 功績を上げられる者にとって、これほど頼りになる主君はいないだろう。

 だが、失敗した場合、その者の末路がどうなるのか。

 それを知っているからこそのサンジュの態度とも言える。


「しかし……何か、面白いモノを見つけたのであろう?」


 その口調は新しい玩具を見つけた子供のようである。

 先程まで凍てつく瞳をして睨みつけていた人間と同じとはとても思えない変わりようだ。


「ははっ。必ずや、陛下が興味をお示しになられるかと」

「であるか。よい。今回の失態、これまでの貢献に免じて許してやろう」

「ありがたき幸せにございます」

「引き続き、目を離すな」

「御意」


 サンジュが下がり、一人になったノエルはグラスに満たされた赤い液体を再び、口に運び、独り言ちる。


「面白いモノか。確かに面白いな、人という生き物は。くっくっくっ」


 ノエルの浮かべた酷薄な笑みは人とは思えないほどに背筋を凍らせるようなものだ。

 それを知る者は誰もいない。




 奇妙な風体の男――サンジュは主の元を離れ、一人、峠道を急いでいた。

 その姿は行商に赴く、変哲の無い青年にしか見えない。

 着ている装束も纏った雰囲気もそうとしか思えないものだ。

 どこにも違和感がない。

 それ自体がおかしいということに気付く者の方が珍しいだろう。


 焦げ茶色の髪は無造作にオールバックで整えられ、何よりも目に付くのは長く伸ばしたもみあげだ。

 開いているかも分からないほどに細められた目には何の感情の色も浮かんではいない。

 その人相はどことなく、人懐こく、愛嬌のある猿を思わせる顔に見える。

 だが細められた目の奥で油断なく、辺りを窺う瞳には底の知れない闇が潜んでいた。


「さて、次の手はどうしようか。また、デースペル殿を頼るとしようかね。うんうん、それがいいな」


 ふと足を止め、峠から遠く、霞んで見える王城を見やると静かに一礼し、サンジュは旅路を急ぐのだった。

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