第36話 悪妻、失くす

「覚えていないのか?」

「ある意味、その方が良かったわね」


 マテオ兄は相変わらずだ。

 表情の変化が乏しいせいか、不機嫌そうに見えてしまう。


 長い付き合いのお陰で不機嫌なのではなく、私のことを心配しているだけ。

 これだから、勘違いされてしまう可哀想な人だ。


 ナル姉は対照的な様子をしてる。

 どことなく安堵しているようにも見えるのはいつもより、穏やかに見える表情のせいだろう。


「何があったの?」

「聞きたい? いいことと悪いこと。どちらからがいいかしらね」


 しかし、途端に雰囲気が変わった。

 腰に手を副えて、真剣そのものの表情になったナル姉から、発せられる威圧感プレッシャーが半端ない。


 思い出したわ。

 小さい頃のナル姉はいつもこんな感じだった。

 逆らえない。

 抗えない。

 ちょっと違うかな。

 後が怖いから、逆らえないって、感じなのだ。


「美味しい物は後から食べたいと思うの。だから、悪い方から、お願いします」

「そ、そう。じゃあ、これはセナにとっては悪いことかどうか、分からないけど……当分の間、学園は通わなくていいそうよ」


 あれ? 学園に通わないでいいの?

 休学するって、ことかな。


 二度目の人生だから、学園に通うのが初めてではない訳で。

 正直なところ、学びの場としてはあまり、意味をなさないんじゃないかと考えていた。


 ところが不思議なもので二年も通っていると愛着が湧いてきた。

 それに前世と違うこともあるのだ。


 シルビアとアリー。

 友人がいるというのはかなり大きな要素だ。

 彼女達に会えないのは寂しい。


「え? 当分の間って、どれくらいなの?」

「そのことは心配いらない。症状が安定すれば、問題なく通えるだろう。今のお前の様子なら、休学の必要性があるとは思えん」


 仏頂面のままだし、言葉自体はきついんだけど、マテオ兄から投げかられる視線はとても優しいのだ。

 本当、言い方をどうにかした方がいいと思うよ?


 ナル姉頼みかなぁ……。

 改善された気配が全然ないから、怪しいわ。


「セナが気にしているのはお友達でしょ? 大丈夫よ。通えるけど、通えないってことにして、休めばいいの。セナが行きたくなったら、行けばいいのよ。彼女達には遊びに来てもらえば、いいんじゃない?」

「そうなんだぁ」


 お友達を家に呼ぶ。

 なんて、素敵な響きなんだろう。


 私にはその発想自体、そもそも無かったのだ。

 だって、お友達がいなかったしねっ!

 じゃあ、悪いことでもないかな。

 これが悪い方の話なら、いいことって、何なんだろう


「それじゃ、いいことね。これはあなたにとって、必ずしもいいことではないんだけど」


 ナル姉はまどろっこしいことが嫌いな人。

 こんな奥歯に物が挟まった言い方をすることはまず、ないんだけど。

 おかしいわ。


「あなたとモデスト王子の婚約が保留となったわ」

「え? 私の婚約って、何の話? モデストって、誰ですか?」

「「は?」」


 その瞬間、ナル姉とマテオ兄が目を大きく見開いたまま、人形のように固まってしまった。

 わぁ、そうなるんだ。

 人間って、ものすごく驚いたら、そんな風になるんだ。


 私もいきなり、胸を刺された時、そうなったから……って、そんなことを考えている場合じゃなかった!

 誰なのよ、モデストって。

 思い出そうとすると頭がズキズキ痛むんだけど、誰なのか、全く心当たりがない。


「セナ。本当に覚えてないの?」

「うん。誰なの? それに私が婚約したの?」

「これは……ナル、俺はアンプルスアゲル卿のところへ行ってくる」

「分かったわ」


 どうして、二人ともそんなに深刻な顔してるんだろう。

 確かに私の身体は傷だらけだ。

 長い間、意識も失っていたようだし、色々と迷惑かけてしまったとは思う。


 その時の私は自分を取り巻く状況が大きく、変わってしまったことに全く気付いてなかったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る