第3話 先輩


ハッと目が覚めると、カーテンの外はまだほのかに暗い。いつもお母さんからたたき起こされる柚月だったが、さすがに入寮初日は眠りが浅かったらしい。枕もとの目覚まし時計に目をやると、まだ6時前の時間を指していた。隣の竹内先輩は布団の中に潜り込んでいるようで様子はわからない。眠りが浅かったとはいえ、下半身はこれまでの15年と変わらない様子らしく、じっとりと濡れた感触が張り付いていた。


(このままでも気持ち悪いし、ちょっと早いけど着替えよう…)


柚月は竹内先輩を起こさないよう、そっとベッドから立ち、着替えのセットを持って部屋の個室トイレに向かった。竹内先輩は布団にきれいにくるまったまま動かない。もしかして、おむつがバレないようにくるまって寝る癖がついたのかな?と想像すると、いつもの鉄仮面の先輩が少し可愛く見える。


柚月はトイレの棚に置いてある黒いビニール袋を一枚とって、便座の上に広げた。昨日の夜のうちに竹内先輩から汚れ物の処理の方法を聞いていた。この黒い袋に互いのおむつを入れておくようになっている。先に処理した方が袋をトイレに置いておいて、後からおむつを入れた方が封をして部屋の決まったところに置いておくことになっている。後は部員が出払っている昼間にお母さんが処理してくれることになっていた。ジャージのズボンを脱ぐと、家で使ういつもの紙おむつがあらわになる。今日は睡眠が浅かったからか、いつもより量は少ないように見える。立ったままサイドを破ると、手でなんとなく重さを感じた後に丸めて袋に入れた。いつもは適当に丸めて捨てるだけだが、なんとなく気を使ってきれいに丸めて、いつもはしないのにテープできちんと留めて袋は便座の横に置いておいた。


「高萩さん、起きてるー?」


トイレの外から竹内先輩が呼ぶ声がする。起きて柚月の姿が見当たらなかったのがちょっと心配になったのかもしれない。


「おはようございます!今トイレです!」


「そっか、ごめんね~」


「いえ、すぐに出ます」


柚月は急いでパンツとジャージを履くとトイレから出た。竹内先輩はちょうどベッドから体を起こしたところだったようで、掛布団がめくれている。ほのかに尿臭を感じたが、それは柚月のものではないと感覚的にわかる。普段からおねしょをしていると自分のおしっこの臭いには鈍感になるようだが、他人の臭いには敏感らしい。そんな柚月の様子を先輩も感じ取ったらしい。


「ごめんね、やっちゃったみたいで。においするよね?すぐに外すから」


竹内先輩はそのままベッドの上でジャージを脱ぎだす。テープタイプにパッドも使っていると、柚月のようにトイレでおむつを外すわけにはいかない。ジャージを脱ぐと、明らかに垂れ下がったおむつが現れる。ビリっとテープの一片を外すと、一気に尿臭が部屋に広がった。先輩はそのことにも気づいたようで、「先にシャワー浴びたらいいよ」と柚月に促してくれた。


「あ、いえ大丈夫です」


何が大丈夫なのか自分でもわからなかったが、なんとなくここでシャワーを浴び行くと「先輩のおねしょがにおうのでシャワーに行きます」と宣言しているような気がして、瞬間的に大丈夫ですと返事をしてしまった。4枚留めのテープを外すと、昨日の夜と同じようにどさっと枕に体を預けた。掛布団や体の他のところに当たらないよう器用にお尻からおむつを抜き取ると、パッドごと綺麗に丸めてテープで留めた。結局柚月は手持無沙汰のまま、なんとなく先輩がおむつを外すシーンをしっかり見学してしまった。


柚月がまだ子供用の紙おむつ履いて寝ていたころ、何度も横漏れしてシーツを濡らすことがあった。ストレートのロングヘア―が自慢だった柚月に、「おねしょがモレたら朝から髪洗わないといけないからショートにしたら」とお母さんに言われて傷ついたことを思い出した。竹内先輩が器用におむつを抜き取るのを見て、もしかしてショートにしてるのはそんな意味があるのかなとふと思った。柚月がぼーっと眺めていると、先輩は鍵付きの棚から何か機械のようなものと紙を一枚取り出した。


「先輩、それなんですか…?」


「あ、これ?今でも通院してるから、毎日夜尿の有無と重さ計って記録してるんだよ。高萩さんは通院した時やらなかった?」


「私のときはお薬と診察だけだったので…」


「そうなんだ。私が通ってるのは夜尿の専門医みたいだからこういうのあるのかな?周りもみんな年下だし、なんだか紙も子供っぽくてちょっとイヤなんだけどね」


ため息交じりの竹内先輩の肩越しにのぞき込むと、デフォルメされた動物がたくさん出てくる用紙に、「夜尿有・327ml」とネームプレートの下の規則と同じ綺麗な文字で今日の分の夜尿が記入されていた。先輩が丸めたおむつをトイレに持って行ったので、その隙に柚月はサッとシャワーを浴びた。シャワーから出ると、黒い袋が部屋の奥の隅に置かれていた。自分と先輩のおむつが入ったビニール袋は大きく膨らんでいたが、そのほとんどは竹内先輩のおむつである。私と入れ替わりにシャワーに入った先輩を横目に見ながら柚月は朝の支度をした。




入寮から2週間が経ち、柚月たち新入生も学校生活や寮生活に慣れてきた。柚月自身のことで言えば、竹内先輩との相部屋生活や朝の処理も大分スムーズになってきた。柚月の方が先に起きたのは初日だけで、ほとんど竹内先輩の方が先に起きている。キツイ練習のせいもあり、柚月の方が先にベッドに入って寝入ってしまうことも多かったので、直接先輩のおむつ姿を見ることも減っていた。結果的に先輩の準備したビニール袋に後から自分のおむつを入れて所定の場所に置くのが柚月の仕事になっていたが、先輩の紙おむつは一日も軽い日がなかった。練習がきつかった日に限って重さが変わるのは少し面白いと思う。


「先輩、今週帰省日ですよね?」


「そうだね、高萩さんもそろそろ家が恋しくなってきた?」


全寮制とはいえ、月に2回は帰省日が設けられている。実家に帰るかどうかは個人の自由に任されているが、ほとんどの生徒は実家に帰っている。地元の友達と会う子がほとんどだが、おやつの補充が目的だったり、好きなアイドルのライブに熱心に出かける子もいる。


「そうですね、そろそろ家のベッドが恋しいです」


「そんなに私と同じ部屋は居心地悪い?」


最初は竹内先輩の冗談にいちいち真顔になっていたが、段々とそれにも慣れてきた。練習とは違い、部屋にいるときは割とリラックスした表情を見せてくれる。それでも勉強に取り組みだすとまた鬼の表情になるのだが。「違いますよ~」と必死に否定する柚月を楽しそうに眺めていた。


「まぁ、今週は帰るかな。ホントはイヤなんだけど、通院もあるから」


今も夜尿外来に通っていることは前に先輩から聞いた。竹内先輩は身長も高いし大人っぽい。子供がほとんどの夜尿外来に通うのはつらいだろうなと思った。


「やっぱり通院ってしんどいですか」


「イヤイヤ、病院も別に大丈夫なんだけどね」


「え、じゃあ家がイヤなんですか…」


まだ入寮2週間の柚月にとっては、寮で過ごすより実家に戻る方がいい。先輩の意外な答えに戸惑って、ストレートな聞き方になってしまった。竹内先輩はふっと笑って、柚月の質問に答えてくれた。


「うち、あんまり裕福じゃないって前に言ったでしょ。高萩さんもそうだけど、私たち夜尿が治ってないから、おむつが毎晩必要じゃんか。おむつって結構お金かかるんだよね」


実家とおむつに何の関係があるのだろうと柚月は不思議に思う。柚月の怪訝な表情を見て、先輩は詳しく話してくれた。


「うちさ、未だにオシメなんだよね、布のやつ」


「布、ですか?」


「高萩さん、知らない?布のオシメ。布おむつとも言うかもしれないけど」


柚月の世代になると、おそらくほとんどの子供が紙おむつを使って育っている。それは竹内先輩も変わらない。実際に見たことはないが、なんとなく存在だけは知っていた。


「布おむつ、ですか。聞いたことはあるんですけど、実際に見たことはないです」


「そりゃそうだよね。病院の先生にも、布って言ったらすごいびっくりしてたし」


見たことない柚月のために、先輩は手元のスマホでサッと布おむつを検索して画像を見せてくれた。どうやらたくさんの布を、おむつカバーなるものでぎゅっと締め付けて充てるらしい。先輩いわく、かなりもこもこになるようで、普段のテープタイプの紙おむつの比ではないらしい。


「布だと洗濯できるから、紙と比べてもすごい安いらしくて。行事とかお泊まりの時だけ特別に紙のオシメ使わせてもらって、普段はずっと布なんだよね。それがイヤでイヤで」


「布のやつって、自分で当てれるんですか?」


「さすがに、ね。高校生だし自分でやるよ!低学年くらいまではお母さんにやってもらった気もするけど、高学年くらいからは自分で当ててたんじゃないかなぁ」


柚月は、さっき先輩のスマホで見た布おむつの画像を思い出していた。小さな赤ちゃんが、リンゴのアップリケのついたかわいらしいおむつカバーにもこもこになっている。先輩が可愛らしいカバーを使っているとは思わないが、赤ちゃんと同じような格好になることを想像して少し胸が高鳴った気がした。


「でも先輩、よく寮生活許してもらえましたね」


「寮なら紙でもいいよってなったからね、そりゃもう全力で頑張ったよ。私立の量暮らしなんてお金もかかるから、バレーと受験で特待生とれるとこ探して小松に来たんだよ。寮暮らしにお金かかるから布おむつで、なんてなったらシャレにならないよ」


「竹内先輩、すごい…」


普段はそんな話を聞いてくれる相手がいないからか、いつもより饒舌に語ってくれた。先輩には小学校5年生になる妹がいて、姉妹で同じようにおねしょが治ってないらしい。竹内先輩が帰省すると、庭に干されるおむつの量が倍になって、お母さんからも文句を言われると苦笑いをしていた。


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