第2話 入寮


見学から5か月が経ち、形式上の入試や入学式も終えてようやく入寮の日がやってきた。あれから月に1回ペースでバレー部の練習会には参加していたので、先輩たちの顔と名前は一致するようになっていたし、一緒に寮に入る同級生たちともラインを交換して仲良くなっていた。


「部屋割りってどうなるか知ってる?」


柚月は一緒に入寮する同級生から話しかけられた。僻地のスポーツ強豪校ということもあり、同じ学校から進学してきた生徒はいない。隣県から入ってくる子も多い。それでも県内で名の知れている柚月はいろんな同級生や先輩たちからも話しかけられる。


「どうだろ?当日ギリギリまで発表されないって聞いたけど…怖い先輩とかだったらイヤだよね」


今年も14人の1年生が入寮する予定となっている。昔からの伝統で、1年生は必ず先輩と同部屋になるらしい。先輩は後輩の面倒を見て、後輩は先輩から学校や寮の伝統、上下関係を学ぶのである。


「キャプテンの竹内さんとか絶対怖いだろうな…。練習会の時もひとつも笑いもしないし、ミスした子にすごい勢いで指導してたよ」


「そだね…」


練習中はともかく、普段はみんな優しい先輩だが、キャプテンの竹内さんだけは鉄仮面のようだった。誰かに怒鳴り散らすようなことは決してないが、守りが固いというか、隙を見せないような印象がある。身長は170㎝を超え、キリっと整った顔にスポーツ少女らしいショートカット。学校では、女子からラブレターをもらうことも多いと3年生の先輩から噂話を聞いたこともある。


柚月たちはみんな期待と不安の入り混じる感情で入寮の日を迎えた。先輩たちとの顔合わせ、入寮の諸注意などを終えて各自荷物の搬入に入る。入寮の準備をしている間も、先輩たちは体育館で練習に励んでいる。柚月たちは寮長の高橋さんから部屋番号だけ聞いて荷物の搬入を始めた。一応部屋にはネームプレートがついているが、みんな下の名前やあだ名を手書きで書いているので、どの先輩と同部屋になるかは先輩が部屋に戻ってくるまではわからない。柚月が段ボールいくつも抱えて部屋の前に着くと、<ゆーみん>とかわいい丸文字で書かれたプレートが見えた。


(ゆーみんさんて呼ばれてる先輩なんていたっけな…?)


荷物の搬入には、大半の生徒が親同伴で来ているが、入れるのは寮の玄関前までとなっている。週末には大抵みんな実家に帰るのだが、今生の別れのように泣いている子も何人かいた。全員が初めての寮生活なので無理もないのかもしれない。柚月もお母さんが車で送ってくれたのだが、寂しい気持ちよりも夜尿持ちで集団生活が始まる不安の方が大きく別れを惜しんでいる場合ではなかった。


「高橋さん、これ電話でお伝えしたものになります。以降は郵送でとのことでしたが、宛先はどうしたらいいでしょうか?あ、あとこれつまらないものですが…」


お母さんは荷物の搬入は手伝わず、小さな段ボールと紙袋を持って寮長さんのところに挨拶へ向かった。普通なら入寮の挨拶のはずだが、柚月の場合は少し事情が異なる。


「高萩さん、ご丁寧にありがとうございます。これ、みんなで頂きますね。郵送先ですけど、この寮宛で、宛先は私の名前でお願いします。あとはバレないようにうまいこと柚月さんにお渡ししますから」


「本当にありがとうございます。高橋さんでなければ小松への進学はなかったかもしれません…」


「いえいえ、監督さんに私の功績だって伝えといてくださいね」


高橋さんは笑いながら段ボール受け取った。お母さんは何度も深々とお礼をし、駐車場で悠月に最後の荷物を渡して入寮の準備を完了させた。段ボールの中身はもちろん紙おむつだ。生徒自身が通販などでおむつを買ったり、親から荷物を送ってもらうこともできるが、大人用の紙おむつとなればかさばる上に定期的に配送することになる。そうなると他の生徒から疑われることもあるかもしれない、そのため、事前の打ち合わせで郵送は寮長さん宛にして、都度柚月に渡すようにすると決めていた。柚月と同部屋になる生徒も同じようにしているらしい。


柚月は部屋の前に段ボールを積み上げ、誰もいないこと理解してはいるがきちんとノックして、凛とした声で「失礼します」と言ってから部屋のドアを開けた。ネームプレートの下には、綺麗な文字で<必ずノックすること>、<21時以降入室禁止>と2段に渡って書かれていた。ネームプレートのゆーみんの文字とは違うな…とちょっと不思議に思った。


部屋に入ると、ふわっといい匂いがした。女の子特有のシャンプーのような匂いというよりは、制汗剤や消臭剤に近いような感じがする。壁にはしっかりアイロンのかかった制服がハンガーにかけられており、机周りも勉強用の本がきれいに並べられている。バレーで使うものは棚に置かれているようで、私物らしい私物は見当たらない、おそらく個人で使う鍵付きのクローゼットに収められているのだろう。ベッドまできれいにメイキングされており、隙のないような印象だった。


「うわ、めっちゃきれい…」


独り言のようにつぶやいた柚月だったが、家ではお母さんから毎日のように整理整頓しろと叱られている柚月にとっては少々プレッシャーだった。荷物を片付けていると、部屋の外がザワザワと騒がしくなってきた。どうやら先輩たちが練習を終えて寮に戻ってきたらしい。ルームメイトが決まる入寮の日は、ある意味お祭りみたいなものらしい。晩ごはんもパーティ形式でごちそうが出ると聞いていた。外はかなり騒がしく、一足先に部屋に入ったところからは緊張する後輩の挨拶の声が響いていた。


コンコン


自分の部屋なのにきちんとノックする几帳面な人らしい。柚月はとっさに立ち上がり、直立不動で「はい!」と返事した。柚月の緊張感は他の1年生とは比べものにならない。出会った瞬間に、自分は夜尿症であると相手にはわかってしまう。それは相手にとっても同じだ。


ガチャッと音がして、先輩が入ってくる。柚月は、「お世話になります。1年生の高萩柚月です。よろしくお願いいたします!」体育会系らしい元気な声であいさつし、90度に届かんばかりの姿勢で頭を下げた。


ゆっくりと顔を上げると、ジャージ姿の高身長がにっこり笑ってこちらを見ていた。


「なんだ、高萩さんか~。よろしくね、3年生の竹内結実です」


顔を上げた柚月は一瞬誰かわからなかった。普段は鉄仮面、練習の鬼などと呼ばれる竹内キャプテンが、そこにはいた。


「はい!よろしくお願いします!」


柚月は緊張を崩すことなく再び頭を下げた。


「そんなに固いと1週間も持たないよ、練習以外では怒ったりしないから安心して」


練習では鬼のように怒られるのかな?と若干不安にはなったが、練習の時に比べると少し柔和な表情の竹内キャプテンに少しほっとした。それと同時に、この人がおねしょ…?と普段とのギャップに信じられないような思いがした。毎年の伝統で、入寮の日は寮のルールなどについてルームメイトの先輩から指導を受けることになっている。1時間ほど部屋の備品などについて説明を受けた後、一緒に寮の中を回りながら寮内で守るべきルールなどについても教えてもらった。他の部屋の組と出会ったとき、こっそりと「柚月ちゃんキャプテンと同部屋?大変そう~」と小声で同情された。


実のところ、柚月と同様に結実も緊張していた。言うまでもなく、同部屋になる後輩には自分の恥ずかしい癖が露呈することになる。2年前の自分の入寮の日のことを思い出す。その時は先輩の学年に夜尿症の生徒がおらず、アレルギーと喘息持ちの先輩と同部屋になった。寮長から事前の説明があったらしく先輩からバカにされたり、他の生徒にバラされたりということはなかったが、ものすごく恥ずかしかったのを覚えている。今度は自分が先輩の立場になるので、できるだけ後輩には恥ずかしい思いはさせないようにしようと決めていた。


「これで大体の説明は終わったかな。じゃあ一旦部屋に戻ろうか」


「はい、ありがとうございました!」


どのタイミングで夜尿の話を切り出そうかと結実が悩んでいると、部屋をノックする音が聞こえた。「お母さんよ~」と陽気な声が聞こえる。寮長さんだ。


「これ、預かりモノね」


と言って、柚月に段ボールを渡した。


「一応1週間分て聞いてるからね」


「はい、ありがとうございます」


柚月は箱を受け取ると少し恥ずかしそうに鍵付きの棚に仕舞った。帰り際に寮長さんは結実に声をかけていった。


「結実ちゃん、あとは高萩さんのことお願いね。ごみのこととか、お着換えのことは歓迎会に後でゆっくり教えてあげて」


「はい、ありがとうございます」


二人は何の話か察していたが、お互い何も言わずにしておいた、少し気まずい時間帯だったが、そうこうしているうちに歓迎会が始まる時間になり二人は食堂に向かった。



40人以上がテーブルに座ると壮観だ。今日は歓迎会ということもあって監督も席にいる。目の前には寮長さんが早朝から仕込みをしていたという御馳走が並んでいた。料理の前にそれぞれ自己紹介することになった。まずは代表として竹内キャプテンが挨拶した。


「キャプテンの竹内結実です!1年生のみなさん、入寮おめでとうございます。今年は優秀な選手がたくさん入学したと監督から聞いています。悲願の全国優勝をめざして一緒にがんばりましょう!」


マイクいらずの大声で挨拶を終えると、大きな拍手が起きた。竹内先輩は実力、容姿、中身のどれをとっても後輩たちのあこがれだった。たしかに練習中は鬼かと思うようなことはあっても、誰からも尊敬される存在でもある。順番に3年生の自己紹介が終わり、2年生の順番になる。


「副キャプテンの開紘子です!靴のヒラキの開です!部内のお笑い担当です!あ、関西人じゃないと靴のヒラキ知らないか~」


先輩たちからドッと笑いが起きた。監督と寮長も顔を伏せて笑っている。2年生で副キャプテンというのはすごいと柚月たち1年生たちは思ったが、昔から3年生から一人キャプテン、2年生から一人副キャプテンが選ばれるらしい。副キャプテンは2年生をまとめる役割があるため、ということらしかった。柚月たち1年生も緊張しながら自己紹介を終え、その日は楽しく歓迎会を終えた。柚月にとっては、全員の前での自己紹介よりも緊張するのが今からの時間だ。おそらく、部屋に帰ってから竹内先輩とのあの話があるからだ。




「じゃ、じゃあアレの話しよっか」


明らかにぎこちない笑顔で柚月に話しかけてきた。竹内先輩の緊張感が柚月にも伝わってくる。ふぅと大きく深呼吸して、結実は自分の入寮時のことを再び思い出していた。自分が緊張してどうするんだ、高萩さんはもっと不安なのに。と覚悟を決めて話し始めた。


「同じ部屋になった時点でわかってると思うけど、私ね、毎晩おねしょするんだ。高萩さんも同じだよね?それでね、いろいろお母さんと決めてるルールとかもあるから、順番に説明するね」


一息で言いきったが、自分の顔が少し火照っているのが自分でもわかる。


「はい、お願いします」


柚月の方は存外に冷静だった。相手がこれだけテンパっていると、逆に自分は落ち着くことができた。練習の時の先輩とは別人のように思える。


「えっと私はいつもオシメ使うんだけど、高萩さんもそう?」


オシメという言葉にちょっと違和感があったが、オシメ=おむつという知識はあったので、はいと返事をした。先輩とは言え同年代の人におむつを履いていることを話すのは抵抗がある。それは結実も同じだが、柚月のことを思って自分から話してくれていることがよくわかるので、竹内先輩には心の中で大いに感謝した。


「えっとね、お母さんから生理用品用の黒いビニールを余分にもらってるんだけど、その袋に汚れたものを毎朝入れてゴミの日まで部屋に置いとくのがルールなのね。お母さんからは二人分まとめて入れとくように言われたんだけど、それでいいかな?」


「はい、大丈夫だと思います」


大丈夫かと聞かれても、いまいち状況がわからない。朝起きて二人でおむつを脱いで一つの袋にまとめて入れるってことだろうか…と実際の様子をイメージしてみる。


「お母さんから聞いたと思うけど、オシメは毎週お母さんから受け取ることになってるからね」


「そうなんですか?私は2週間ごとって聞いたんですが…」


「そうなの?細かいことはよくわからないから、またお母さんに確認しとくね。あとオシメは鍵付きの棚に、あ、もう仕舞ってるよね。オシメのことがあるからこの部屋は基本立ち入り禁止にしてるけど、たまにミーティングすることもあるからオシメはしっかりしまっておいてね。あとは毎朝ファブリーズすることくらいかな」


「あ、ありがとうございます」


「そのさ、高萩さんは毎晩する感じ?」


少し慣れてきたのか、個人的なことにも話が及んだ。おむつやおねしょの処理のことは、お互いやってみないとイメージが湧かないだろうなと竹内先輩も思ったのか、話は早々に切り上げられた。


「えっと、そうですね。しない日はほとんどないかもです…」


「そっか、じゃあ私と一緒だね。自分だけ毎日おねしょして後輩はしてないとかだと先輩の威厳なくなるからよかったよ~」


と結実は苦笑する。


「ずっと治ってないの?再開したとか?」


「高学年の時に病院に行ったときは少し減ったこともあったんですけど、治ったことは一度もないです。竹内先輩は…?」


思い切って柚月から先輩にも質問した。


「病院は今も月1とかで通ってるけど、減ったことは一度もないなぁ。生まれてから一度もオシメとれたことないからホント大変だよ」


高学年ですら恥ずかしかった夜尿症治療に高校3年生で通うってどんな気持ちなんだろうと一瞬柚月は想像した。気づかないうちに話が長くなったようで、ふと時計を見ると23時を過ぎていた。明日から始まる練習のため、そろそろ寝る準備をしなければならない。結実は三度入寮時のことを思い出す。高萩さんが恥ずかしい思いをしないためには、まずは自分から行動しないと。


「じゃあそろそろ寝る準備しよっか」


結実は鍵付きの棚を開いて、段ボールから三つ折りになった白い塊と青いビニールを取り出した。


「私はここでオシメするけど、高萩さんは恥ずかしかったらトイレでしてきてもいいよ」


「いえ、先輩がここでされるなら私もここで着替えます」


竹内先輩が手に持っているのは、大人用のテープタイプの紙おむつと、フラットタイプの尿取りパッドだった。柚月自身も長い間紙おむつのお世話になっているが、テープタイプのおむつを使っていた記憶はない。物心ついた時には、自分で履くタイプのパンツ型のおむつだった。つい興味深そうに先輩がおむつを当てている様子を見ていると、恥ずかしいから高萩さんも自分のオシメして、とちょっと不満そうに言われてしまった。


「すいません…」と謝って、柚月も鍵付きの棚からさっき寮長さんから受け取った段ボールを開封した。いつも履いているパンツタイプの紙おむつが10枚ほどぎちぎちに詰まっている。力を入れて1枚だけ取り出して段ボールは棚に戻した。


「高萩さん、それって紙パンツ?」


竹内先輩は少し意外そうに柚月に聞いた。


「えっと、そうですね。履くタイプの紙おむつです」


「そうなんだ~、お互いオシメかと思ってたから、ちょっと恥ずかしいな」


どうやら竹内先輩とは少しおむつの定義が違うらしい。察するに、テープタイプのおむつをオシメと呼び、履くタイプのものは紙パンツと呼んでいるようだ。せっかくだから聞いてみた。


「先輩、あの、おむつとオシメってどう違うんですか?」


「あんまり考えたことなかったなぁ…。うちは実家が裕福じゃなくて、家ではずっとオシメだったからさ。高萩さんみたいに履くタイプのやつは家では紙パンツって呼んでて、テープで当てるやつは紙オシメって呼んでるよ。慣れてるからそう呼んでるだけで、オシメとおむつは同じものかな~」


「そうなんですか、うちではおむつで統一されてました。ありがとうございます」


裕福じゃないからオシメという言葉の意味がよくわからなかったが、それ以上深入りはしないようにした。先輩は少しこちらの様子を気にしながらも、なるべく気を遣わないよう淡々とテープのおむつを当て始めた。おねしょの話を切り出した時と同じように、自分が先におむつを当てることで私の負担を減らそうとしてくれていることがよくわかる。


「太もも鍛えてるからMサイズなんだ」と気負わずに教えてくれた。おむつを広げ、尿取りパッドを貼り付けたらズボンとパンツを脱ぐ。よく鍛えられた太ももを見て、この体におむつを当てるのかと思うと、見てはいけないものを見ているようで少しドキドキした。お尻を置く位置をよく確認して、そっとおむつの上にお尻を落とす。どさっとベッドに体重を預けると、まずはパッドを丁寧に股繰りに合わせて、次はおむつの前当てを下腹部に当ててテープを調整した。結局柚月は竹内先輩がおむつを当てる様子を終始しっかり見てしまった。


「なんで9時以降入室禁止かよくわかるでしょ?」


上からスウェットを履いているが、明らかにシルエットが普通ではない。おむつは夜尿症の知識がなくても、一見しておむつを履いているのがわかるくらいに膨らんでいる。スウェットの腰回りからはおむつのヒラヒラが少し覗いていたが、おむつの厚さを考えるとどうしても収まらないようだった。


「私さ、すごい尿量が多いらしいんだよね。高萩さんみたいに紙パンツにパッドを使ったこともあったんだけど、どうしても横漏れ防げなかったんだよね」


竹内先輩の愚痴っぽい話を聞きながら、柚月もズボンとパンツを脱いで紙おむつに足を通す。何も話しかけられないが、たしかに先輩の視線を後ろに感じる。先輩のおむつを見たからと言って、自分がおむつを履くところを見られるのが恥ずかしくなくなるわけではない。


「前のルームメイトはおねしょしなかったから、高萩さんとルームメイトになれて良かったよ。これからもよろしくね」


「いえ、こちらこそよろしくお願いします!」


「じゃあ明日の朝のことは、また起きてからにしよっか」



二人は消灯して眠りについた。



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