全寮制の夜尿部屋

はおらーん

第1話 見学


11月に入ると、太平洋側のこの地域でも朝は少し肌寒い。しかし、柚月がベッドから出てこないのは寒さのせいだけではない。


「ゆず、何時まで寝てるのー!今朝もシャワー浴びるんでしょ!」


日曜日なのにお母さんから早起きを強制させられるのは、昼から大事な用事があるからだった。中学3年生になり、周りの友達は受験一色の雰囲気になっている。そんな中、柚月は受験勉強よりも小学生の頃から入っているバレーボールのクラブチームの練習に熱心に取り組んでいる。決して勉強が嫌いなわけではなかったが、柚月にはスポーツの才媛があるらしい。今日はバレー強豪校の見学にお母さんと一緒に行く予定になっていた。


柚月はお母さんのシャワーを浴びるという言葉に内心イラつきながらも、やっぱりなという気持ちでジャージの上から下腹部を触った。もう夜尿との付き合いも長い。触らなくても濡れた感触でわかるが、一縷の望みにかけてふくらみ具合を確認するのだった。


(またか~、最近寒いししょうがないよね)


おねしょの理由を寒さのせいにしつつ、やっとのことで掛布団をめくる。ベッドのマットレスの上には、小さい子が喜びそうなキャラが描かれたバスタオルのようなものが敷いてある。普段は漏れ出すことはないからとお母さんに強く訴えているが、先月一度やらかしたことを理由におねしょシーツを敷くことを強要されている。普段は紙おむつから漏れ出すことはないが、前日の夜に油断して水分を摂りすぎたり、気温が下がってくると尿量の多い日もあって、年に何回かはおむつから漏れ出すこともあった。


柚月は気だるそうに立ち上がると、ジャージのズボンに手をかけて下ろした。真っ白な大人用の紙おむつはおねしょで少しだけ垂れ下がっている。小学生までは子供用の紙おむつをお母さんがドラッグストアで買ってきてくれていたが、体が大きくなって大人用のおむつを使うようになってからは、通販でまとめ買いするようになった。柚月は部屋の端に積んであるおむつの段ボールを恨めしそうに流し見して、おむつのサイドを破った。


「ゆず、今日もダメだったでしょ?」

「うん」


今日も、という言葉に再びイラつくが、事実には反論できない。反抗期真っただ中の柚月はできるだけ機嫌が悪そうに返事をした。シャワーから出た柚月は制服に着替えて食卓についた。


「小松は全寮制でしょ?本当に進学して大丈夫なの?」


「…」


都合が悪くなると黙り込む。お母さんはそれ以上何も言わず、朝ごはんを片付け始めた。テーブルの上には、<高萩柚月様 合格内定通知書>と書かれた用紙と、高校のパンフレットや各種書類がひとまとめにされていた。柚月は県内のバレーボール選手としては少々名の知れた存在だ。クラブチームのコーチからの推薦もあり、バレー強豪校の小松高等学校への合格内定をすでにもらっている。あとは柚月が意思を示せば進学が決まる状態になっていた。


「小松か…、おねしょがなければ、ね…」


柚月は独り言のようにつぶやく。小松高校はバレーの実績や環境としては申し分ない。柚月の悩みは長年患っている夜尿症だけだ。小松高校はスポーツ推薦の生徒全員に寮に入ることを強制している。ほぼ毎日おねしょをして、いまだに夜のおむつも手放せない柚月に本当に進学して共同生活を送れるかどうかが大きな問題だった。今日はその辺も含めて学生寮の見学、寮長さんとの面談などをする予定になっているのだった。




少し険悪な雰囲気のままお母さんと柚月は小松高校へ出発した、高校へは車で1時間半ほどの距離で、周りは自然に囲まれている。スポーツや勉強に集中できる学校ですとパンフレットにも載っていた。バレー部の見学もできると聞いていたので、一応練習着もカバンに入れておいた。


学校に着くと、入り口で広報担当の職員さんが待ってくれていた。会議室のようなところに通され、書類関係の話などが30分ほどに渡って行われた。柚月も退屈さを感じていたころ、担当さんからバレー部の練習を見に行かないかと提案された。お母さんも柚月もその気になってバレー部用の体育館へ向かった。


体育館への渡り廊下に差し掛かると、練習する掛け声やボールが弾む音も聞こえてくる。体育館の入り口に立つと、広報が監督に耳打ちした。監督は急にメガホンを持ち、大声で「挨拶!!!」と叫んだ。


練習中の選手たちは、一斉に手を止めて柚月たちの方に向かって「おはようございます!!!」と揃って挨拶して頭を下げた。柚月も同じように頭を下げたが、自分が顔を上げた時には全員自分たちの練習に戻っていた。柚月自身も体育会系のバレー部で長いこと鍛えられてきたが、今まで見たこともないような勢いに気圧された。


「高萩さんだね、話は聞いてるよ。ぜひうちに欲しい選手だよ」


監督は柚月に手を差し出して二人は握手した。お母さんも勢いに押されて、「よろしくお願いします」と監督さんに頭を下げている。まだ進学を決めたわけではないのだが。


しばらく練習を見学していたが、本当にプレーのレベルが高い。星マークのついた腕章をつけている選手がいたが、どうやら来年度のキャプテンらしい。監督が彼女に合図を送ると、他の選手に指示をしてこちらに走ってきた。


「こちら候補生の高萩さん。竹内、あんまりいじめるなよ」

監督がキャプテンらしき選手に促す。


「2年生の竹内です。ぜひ一緒にプレーしましょう」

そう言ったキャプテンの目は少しも笑っていない。頭を下げるとそそくさと練習に戻って再び声を張り上げていた。3年生は選手権を終えて引退しているため、この竹内さんが来年度のキャプテンになる。


「あいつは練習の鬼だからね、別に嫌われたわけじゃないから気にしないで」


監督はフッと笑って、キャプテンと同様に声を張り上げて練習に戻っていった。



広報に促され、二人はようやく寮へ案内される。


「こちらが寮長さんです。ここからは寮長さんにお任せしますんで、終わったら受付で声かけてもらえますか。後は高橋さんよろしくね」


広報さんは他の仕事があるのか、足早に校舎がある棟へ戻っていった。




「はじめまして、寮長の高橋です。選手のみんなからはお母さんって呼ばれてますから、高萩さんもこちらに入ることが決まったら、是非ともお母さんと気軽に呼んでくださいね」


そんなこと本当のお母さんの前で言うのもおかしいか~と陽気に笑いながら挨拶してくれた。40歳前後くらいの柔和な雰囲気の人だ。お母さんと柚月も自分の名前を名乗って挨拶した。朗らかな雰囲気で、お母さんもこの人なら安心して娘をまかせられるなと思った。挨拶もそこそこに、二人は高橋さんに案内されながら寮を回り始めた。バレー部は一学年14人、全部で40人ほどが一棟の寮で共同生活をしている。食堂やお風呂、トレーニングルームなどを順番に見て、最後に実際に生活する部屋に案内してもらった。


「ここが寮生の部屋ですよ。2人部屋で決して広いとは言えないですけども…」


謙遜しながら話す高橋さんだったが、二人はどのタイミングで夜尿症のことを切り出すか悩んでいた。さっき事務所で話しても良かったが、周りに人がいることもあり、話すのが憚られた。密室にいるこのタイミングしかないと思い、お母さんから話を切り出した。


「あの、高橋さん。ちょっと個人的なことでご相談があるんですが、ここでお話してもよろしいですか?ちょっと人がいるところではお話ししづらくて…」


柚月も何の話が始まるか察して、不安そうな顔でお母さんの顔を見つめる。


「ええ、大事なお子さんをお預かりする身ですから。どんなことでもご相談ください」


「実は娘の体のことでして」


「ええ、ちょっと座ってお話しましょうか。この部屋今は未使用ですから、どうぞベッドにおかけください」


促されて二人はベッドに腰かける。高橋さんも向かいの壁側のベッドに腰かけて、3人は向かい合うようにして座った。


「持病か何か、心配なことがおありですか?」


優しい表情で高橋さんが話を促してくれた。


「はい、実は夜尿症がありまして…。今もほぼ毎晩おねしょしてしまうんです。それで全寮制の小松高校を選んでいいのかずっと悩んでたんです」


「そうですか、夜尿ですか。それは大変だったでしょう」


気遣うように高橋さんは話を促す。柚月は高橋さんがどんな反応をするか心配していたが、笑われたりすることもなく少しほっとした。昔小児科に夜尿症治療のために通院したこともあったが、その時は医者の言葉に傷ついたこともあった。


「それで、その夜尿症でも寮生活が大丈夫かなというのを今日お伺いしたかったんです。と言っても他にそんな生徒さんいらっしゃらないでしょうし、大丈夫かどうかと聞かれてもお返事難しいとは思うのですが…」


お母さんもついつい話が遠回しになる。


「いえいえ、そんなことないですよ。個人情報なので私の口からは言えないですが、今の寮生にも夜尿症のお子さんいらっしゃいますし、なんとかバレずにそれぞれ対処してらっしゃいますよ」


「ホントですか…?」

柚月は驚いたような表情で高橋さんの顔を見つめる。


「何人いるかとか、誰がそうだとかは私からは言えないけど、いることは確かよ。高萩さんも毎日だと普段はおむつか何か使ってるのかな?先輩でもおむつ使ってる子もいるから」


「は、はい…」


唐突に出てきたおむつをいう言葉に柚月はどぎまぎする。高学年まで通った夜尿症治療の病院でも、待合室で見かけるのはほとんど年下だった。もうすぐ高校生になろうとしているのにおねしょに悩んでいる子なんて自分以外にはいないとずっと思っていた。


「うちの子と同じような生徒さんがいらっしゃるんですね…」


お母さんも心底ほっとしたように、誰に言うでもなくつぶやく。


「そうですね、年によって一人もいない学年もありますけど、3学年合わせて一人も夜尿の子がいなかった年は最近だと記憶はないですね。夜尿も病気ですし、アレルギーと変わりませんよ。そんなに気にしなくても大丈夫ですし、こちらでフォローもしますから」


高橋さんは具体的にどういったフォローができるかということを説明してくれた。もし汚れ物が出た場合はこっそり洗濯してくれること、おむつはバレないようにうまく回収したり、部屋に届けることなどを説明してくれた。そして、一番心配な相部屋については、現在夜尿で悩んでいる生徒と同部屋にして秘密を共有できるようにすることを提案してくれた。


「もちろんその子がOKしてくれないとダメだけど、その子自身も1年生で入寮してきたときは夜尿の心配な先輩と同部屋で面倒見てもらってたからね。ダメとは言わんと思うよ」


「本当にありがとうございます…。このことで進学を諦めようと娘と相談していた時期もあったんですが、これなら安心してお任せできそうです。ゆずちゃんも、どう?いいよね?」


「うん、小松にする」


寮長さんの顔もパァっと明るくなる。夜尿の話をしているときは真剣な表情だったが、柚月が小松にすると決めると顔を崩して喜んでくれた。


「良かった~。すごいいい選手だから、絶対に説得してって監督さんから強く言われてたから、寮見て拒否されたらどうしようかと思ってたのよ~。プレッシャーだったわ~」


「いえ、こちらこそ実際にお会いして寮長さんにお任せできると判断できて良かったです」


お母さんも丁寧に高橋さんに頭を下げた。柚月も、「よろしくお願いします」と今日小松に来て一番の元気で一緒に頭を下げた。


しばらく世間話をした後、二人は受付に寄って帰途についた。受付で広報さんに「いい返事ができると思います」と伝えると、広報さんもとても喜んでくれた。柚月は、家に帰ってすぐにクラブチームの監督に電話して、小松に進学すると決めた旨を伝えた。2週間ほどして、小松高校から正式な合区通知が届き、柚月の進学が決まった。






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