第23話 すべてを
入り口の階段を上り、観客席へ向かおうとしたところで誰かに呼び止められた。振り返るとそこにいたのは・・・
「驚いたよ、来てくれたんだね」
額にうっすらと汗をにじませながらも暑苦しさを感じさせないクールな男、氷崎凍也だった。
まぁ、声を聞いた時点で分かっていたけど。
「まぁ、な。氷崎さんに誘われたんだよ」
「氷崎さん?はて、僕も母さんも父親も同じ名字なんだけど、誰のことを指しているのかな?」
「お、お前・・・・」
こいつ、絶対分かっててやってるだろ。やめろ、そのニヤニヤした顔。
「れ、れ・・・」
「れ?」
「れいな、さん・・・」
「・・・・・・・・・」
思わず顔を背けてしまった。心なしか顔が熱い気がする。
「はは、ごめんごめん。やりすぎた」
少しの沈黙の後、凍也は全く嫌みの感じさせない口調で謝罪した。
こいつのずるいところはこういうところなんだよな、ほんと。マジ、イケメンって何しても許されるところあるよな。
俺は許さないけど。
俺は凍也の方へ向き直り、話を本題に移した。
「それで、もう予選終わっちまったのか?」
彼はうん、と頷いた。
「ま、ご心配なく。もちろん一着フィニッシュ決めたから」
「誰も心配してねぇよ」
こいつには俺と違って才能というギフトを天から送られている。先日は(怒られるかもしれないが)たまたま俺が勝っただけで、凍也はその後も努力を続けていたのだからきっとこいつは高校一の選手になっているはずだ。俺ごときが心配する必要などない。
「決勝は15時くらいかな。本気出すから、見ててよ」
そう言って凍也はニッと好戦的な笑みを浮かべるのだった。
「さっすが、予選は本気じゃなかったということですか」
「いやいや、もちろん本気だったよ。決勝は本気の本気を出すのさ」
「まぁ、楽しみにしてる」
話の区切りがついたし、西ノ宮と氷崎さんのもとに戻ろうかと思ったのだが、凍也は「ところで、」と口を開いた。
「俺さ、彼女できたんだよ」
「ああ、はいはい彼女ね・・・・・って、はぁぁぁ!?」
「声が大きいよ、大貴」
俺は慌てて口を手で押さえた。周りを窺うと道行く人たちが何事かとこっちを見ていた。
ごめんなさい。
「陸上部の子なんだけど・・・この子だよ」
凍也はスマホの画面を俺に向けてきた。
そこに写っていたのはふたり仲良くピースしているツーショット写真だった。
ううむ、なかなか可愛い子じゃないか。
「ちょっと前に告白されてさ。僕なりに真剣に自分の気持ちと向き合ってオーケーしたってわけさ」
「・・・そうか。その子、今日は来てるのか?」
「ああ、うん、来てるよ。観客席のどっかにいると思うよ。彼女、今日は出場しないから」
ふむ、探してみようかな。いや、人を待たせているしやめておこう。
あ、そうだスマホといえば。忘れないうちにやっておこう。
「な、なぁ凍也。連絡先、交換しないか?」
俺が少し緊張しながら言うと彼は「そういえばしてなかったね」と返した。
「ま、僕と大貴はもう親友だからね。はい」
「さんきゅ」
凍也はメッセージアプリの画面を俺に向けてきた。俺は自分のスマホを取り出していくらか操作し、登録した。
「やった、これで大貴に毎日メッセージを送れる」
「ほどほどにしてくれ」
凍也が嬉しそうに、そしてちょっとふざけ気味に言うので、俺は苦笑しながら言った。
「さて、僕は戻ろうかな。早めにお昼を食べておきたいし」
「おう、俺も待たせてるから戻るわ」
そうして互いに背を向けた。俺が一歩足を踏み出すと、背中の方で凍也の声がした。
「冷菜、今日は珍しく朝からそわそわしてたから」
一瞬足を止めたがすぐに歩き出した。
ーだからなんだっていうんだよ。
****
「ああ、悪い。遅くなった」
観客席に戻り、西ノ宮と氷崎さんに頭を下げながら謝ると西ノ宮は不機嫌そうな表情で、氷崎さんは少し苦笑しながらこう言った。
「ほんと遅い。どこふらついてたのよ。いきなり飛び出していくし」
「遅かったわね。まぁ、何かあったんでしょうけど」
ああ、氷崎さん優しいなぁ、優しいなぁ。
とか思っていたが西ノ宮が激おこだったので背筋をピシッと伸ばしながら彼女の方を向いた。なんかゴゴゴゴっていう効果音が聞こえてきそう。ひぃぃ!
「マジで悪い。ちょっといろいろあってな。俺が引き止めたのに・・・」
「まったくよ。一時間も待たせて」
西ノ宮は「はぁ」とため息をついた。
「それで、話なんだが」
「何?」
「お前の弟、なんかすげぇ可愛いやつだな。ずっとニコニコしてて」
「・・・・・・・・・は?」
あ、あのー西ノ宮さん、怖いんですけど顔は笑ってるのに声が冷たくて怖いんですけどちょっとふざけただけなんですけどごめんなさい。
「もう一度言うわ。・・・・・・は?」
「ごめんなさいふざけました!」
俺は速攻で謝罪した。そして咳払いをしてから話を切り出した。
「氷崎さんから、生徒会に立候補したって聞いたんだが、会長か副会長なのか?」
「何でそう思ったわけ?」
「なんとなく」
「・・・・会長よ。今の生徒会長、
「それじゃあ、氷崎さんは副会長?」
氷崎さんの方を向くと頷き、穏やかに「そうよ」と言った。
「それにしても驚いたわ。あんたが生徒会役員に立候補するなんて」
俺は再び西ノ宮の方に向き直った。
「まぁな。ちょっと事情があってやることになった。書記だ。」
「事情って何よ」
「あー・・・・言わなきゃダメか?」
「何もやましいことがないなら言ってほしいけど。気になるから」
「・・・・・・・・」
俺は少し逡巡したのち、再び口を開いた。
「中学の後輩に頼み込まれたんだよ。そいつにはいろいろ恩があって、断ろうにも断れなかったんだよ」
「・・・・・・・・」
俺の言葉に西ノ宮はただ無言で驚いたような顔をするだけだった。
え?いや、驚くことか・・・・?
って、ああそういうことか。
少し考えてすぐに気づいた。
「はは、俺とお前、動機が似てるな。偶然だろうけど」
「・・・・理由、本当にそうなの?」
「ああ、本当だ。そいつ、紅島っていうんだけど、」
「紅島・・・・」
俺が続きを言おうとしたところで西ノ宮が眉をひそめながらそう呟いた。
ん?どうかしたのか・・・・?
「何だよ、紅島がなんかあるのか?」
「・・・・いや、なんでもないわ。それで?」
首を横に振って彼女は俺にそう言い、先を促してきた。
さっき、明らかに顔を曇らせたよな・・・
西ノ宮と紅島に特に接点なんてなかったはず。一体何があるというのだろうか。
彼女の反応に思うところはあったものの、特には追及せず続けることにした。
「紅島は俺と同じで陸上部の部員でもあったんだよ。あいつ、昔は物静かで髪も長かったから最初会ったとき本人だと分からなかったんだよな」
「・・・・それで?」
西ノ宮の声音には温度を感じなかった。
うーん、やっぱりなんか機嫌悪そうだな。いや、さっきからなんだけど俺が紅島の話をしだしてからはなおさらって感じ。
「それで、最近あいつに助けられたわけ。俺、すっげぇ後味悪い引退の仕方をしちまったんだよ。もう少し、もう少しで頂点に届きそうなところで足場がガラガラと崩れた感じ。最悪だったよ。それ以来、走ることが嫌になってたし、なんなら運動部の人たちが必死に練習してるところを見るたびに頭痛と過呼吸を起こしてたレベル」
「あんた・・・・・・」
「神ノ島くん・・・・」
西ノ宮だけでなく、氷崎さんも気遣うような声音だった。
大丈夫。大丈夫だ。もう今は立ち上がれる。
俺はニッと笑って続けた。
「けど、今年の春あいつに会って救われた。だから、できることならあいつに恩返しをしてやりたい。思えば昔俺が努力を続けられたのはあいつのおかげだったんだろうな。あいつがいたから、支えてくれたから」
ふと見上げた空はもやもやした心の内を綺麗さっぱり洗い流してくれそうな澄んだ青色だった。
「まぁ、あんたの話は分かったわ。けど」
「ん?」
俺が先を促すと彼女はこんなことを言うのだった。
「あんた、その紅島って子の話をするときすごい楽しそうだったんだけど、なんなの?」
は・・・・・・・?
ただただ呆然とすることしかできなかった。なんなのって・・・・
「明らかにただの知り合いのことを語る感じじゃなかった。ちなみに言っとくけど、その紅島さんなら私、知ってるから。確かにそこそこ可愛い子よね」
「あー、えー・・・・」
意味のない言葉を漏らすことしかできなかった。
おい、詰め寄ってくんじゃねぇよ。あと怖いんだが、顔。
本当のことを言ってしまうべきだろうか。これから同じ生徒会役員としてやっていくなら仲は良くしていく方がいいに決まっている。
けど、何か面倒なことになりそうな予感もある。根拠はない。野性的直感だ。
「・・・・・・・・・」
結局俺は沈黙を選んだ。口は災いの元というしな。まぁ、勝手に想像してくれというわけだ。それに、俺だけでなく紅島にも関わる話だ。おいそれと話すわけにはいかない。
「ふーん、あっそ」
西ノ宮は納得いかなそうだったがそう言って体を離した。
「まぁ、いいわ。じゃあ、代わりに真水の連絡先教えて。あんたたち親友でしょ?」
「は?ちょっと待て、何がじゃあなんだよ」
「いいから・・・・教えなさいよ」
拗ねたような口調だった。何なんだよこいつ。こんなやつだったっけ、去年。
なんだか混乱してきた。
ちらと氷崎さんの方を見ると彼女はただ無言できょとんと首を傾げるだけだった。
「いや、けど個人情報だろ。簡単に他人に渡すわけにはいかねぇよ」
「だったらあんたから言っときなさいよ。私に教えたって」
「あんま言いたくねぇけど・・・人に物を頼むのにその態度は、」
「お願いします!!」
俺がいい終える前に、彼女は大きな声で頭を下げながら言ったのだった。
なんで、そこまでして・・・・・・
それ以上を考えるのはやめた。不粋な気がした。それにここまでされたら仕方がない。
「分かったよ、しょうがねぇな」
俺が頭を掻きながら言うと、西ノ宮は今日初めて表情を明るくした。
「ほらよ」
メッセージアプリの画面を開き、いくらか操作して画面を彼女の方に向けた。
「・・・・ありがと」
さっきまでの勢いはどうしたのか、ぼしょぼしょとした声で俺に感謝の言葉を伝えてきた。
声、ちっちゃ。ま、指摘したらまたなんか言われそうだから言わないが。
「さ、そろそろお昼にしましょう。いい時間だし」
氷崎さんの言葉に俺と西ノ宮はただ頷くだけだった。
****
昼飯を食べた後、西ノ宮は帰っていった。どうやら弟の出番は終わっていたらしく、彼女は帰るところだったのだがそのタイミングで俺たちを見つけたのだという。
そして今は凍也が出る決勝を見終え、帰路についているところだった。
「あいつ、マジで化け物だな・・・・」
「そうね。なんなのかしら・・・・・」
なんとあの男、10秒01という9秒に限りなく近いタイムを出したのだった。やばい、まじやばい。余裕で全国いけるじゃん。
「俺も、引退せず続けてたらそんくらいいけたのかな」
「・・・多分、いけたんじゃないかしら。君自身が思ってるより才能あると私は思うの」
そうだろうか。本当に、あいつと渡り合えたのだろうか。
「そう、かな」
「自分が思ってるより、自分自身のことって分からないものよ。意外とね」
そう言う氷崎さんの言葉には実感がこもっている感じだった。
まぁ、確かに自分が認識している自分と、他人が認識している自分にはしばしば隔たりがある。どっちが真実なのだろうか。
俺がそんなことを考えていると、隣を歩いていた氷崎さんはすっ、と俺の前に出て振り返り足を止めた。
「ねぇ、神ノ島くん」
「うん」
「君のことを、聞かせてくれないかしら。君のすべてを、私に」
「・・・・・・・・」
そう言って彼女は微笑んだ。どこか懇願するような響きがあった。
なぜだろうか。少し胸が締め付けられた。彼女の笑顔にどこか儚さを感じたからか、それとも別の理由からか。
「私は紅島さんと違って、あなたと過ごした時間がほとんどない。今まででもある程度は知ることができた。けど、足りない。私は君のすべてを知りたいの」
俺の、すべて。
「俺は・・・どうすればいい・・・?」
恐る恐る尋ねると、彼女はこう言うのだった。
「君の家に、行かせてくれないかしら」
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