第24話 力になりたいの

 「君の家に、行かせてくれないかしら」

 「・・・・・・・理由は?」


 驚きで一瞬固まったが、すぐに気を取り直した。理由については大体予想できたが一応聞いてみた。


 氷崎さんはゆっくりと話し始めた。


 「君がどんな場所で育って、何に影響されて、今までどのように生きてきたのか。それらすべてを知るには君の家に行く必要がある。要するに、部屋の様子とか小学校、中学校のアルバムとかを見せてほしいの」

 「・・・・・・・なるほど」


 ほとんど予想していた通りの答えが返ってきて逆に安心した。


 彼女の瞳をじっと見てみたがその奥に何かが隠されている感じはしなかった。ただ俺が読み取れなかっただけの話かもしれないが。


 「ダメ、かしら・・・?」


 氷崎さんは横を向き、けれども目だけはしっかりと俺を捉えて弱々しい声で懇願するのだった。


 はぁ、参ったな。そんな顔して頼み込まれたら断りづらいじゃないか。


 俺は頭をぼりぼりと掻きながら口を開いた。


 「あー、ひとつだけ。それ、今日じゃないとダメか?」


 太陽は西に沈み、辺りはほんのりと茜色に染まりつつあった。彼女の家は厳しいと聞く。帰るのが遅くなるといろいろと面倒な事になりそうだ。

 

 だが俺の心配など無用なようだった。


 「ええ、今日じゃないといけないの」


 彼女ははっきりと、強い意思を滲ませてそう言うのだった。


 まぁ、幸い今日は土曜日で明日も休みだ。少しくらい遅くなってもそこまで支障はないということか。


 「・・・・分かった。行こう」


 俺が頷きながら言うと、氷崎さんは表情を明るくして「ありがとう」と言うのだった。


 ****


 「入って、いいよ」

 「うん、お邪魔します」


 もうすぐ17時を迎えようとしていた頃、俺は氷崎さんを連れて自宅に入った。母さんには事前に「友達が家に来るから」と伝えてある。


 ううむ、しかし女子を家に入れるとなるとやはり緊張するな。さっきから心臓がバクバクしていて苦しいのだが。あれ、病気かな?


 氷崎さんと俺は玄関で靴を脱ぎ、とりあえずリビングに入った。


 「母さん、ただいま」


 俺が帰宅を告げるとソファに座って何かやっていた母さんは顔をあげ、ニヤッと嫌な笑みを浮かべながら口を開いた。


 やめてくれ、頼むから。気色悪いんだが。


 「あら大貴、お帰り。その子が・・・」


 隣にいた氷崎さんは母さんに目を向けられるとピシッと姿勢を正した。


 「あ、はじめまして。わ、私、か・・・のクラスメイトの氷崎冷菜と申します。よろしくお願いします」

 「ふふ、そんなに固くならなくてもいいわよ。よろしくね、冷菜ちゃん」


 意外にも氷崎さんは緊張していたようで、俺も少し笑みがこぼれた。


 って、今、下の名前で・・・


 ま、まぁ今はしょうがないか。


 「じゃあ、母さん。部屋、行くから」


 母さんが頷くのを見とどけてから俺は氷崎さんとともにリビングを出て、階段を上り、自分の部屋に向かった。


 「ちょっと、待っててくれないか?少し、片付けるから」

 「別に・・・気を使わなくてもいいのよ?」

 「いや、そういうわけにはいかないでしょ」


 氷崎さんが何か言おうとしていたが無理やり話を打ち切って部屋に入り、扉を閉めて鍵をかけた。


 「はぁぁぁぁ~」


 ベッドに座り込んで長いため息を吐いた。片付けたかったというのもあるが、一息つきたい気分でもあったのだ。


 本当に、彼女は何を考えているのだろうか?やはり何か裏があるように思えてならない。


 思えば朝から少し様子がおかしかった気がしなくもない。突然「私の話を聞いてくれ」なんて。

 

 ただ、心当たりはあった。それは言うまでもない。


 「いつまでも・・・待たせるわけには、いかねぇよな」


 それなりに苦しみながらふたりのことを考えているつもりだが、彼女も苦しんでいるということか。待たされるふたりにとってはいつまでも返事が返ってこないというのは辛いだろう。そして、不安にもなる。


 なぜ俺は、踏み切れずにいるのか。ある程度方向性は決まっているというのに。


 それは覚悟ができていないからか、それともふたりのことをどちらも・・・


 最悪の可能性が頭に浮かび、顔から血の気が引いてきたとき、ドアの外から声がした。


 「神ノ島くん、まだかしら・・・?」


 やばっ。そうだった。ごちゃごちゃ考えるのは後にしよう。今は目の前の彼女に向き合わなければ。


 俺は深呼吸をひとつしてから、できる限り平静を装って「もう少し待っててくれ」と、ドアの向こうの彼女に告げた。


 勉強机の上を整理し、床に散らばっているものを棚や引き出しにしまい、部屋の窓を開けた。ちなみにかかったのは2分くらい。どうだ、すごいだろ俺。


 代わりに疲れたのだが。バカか、俺は。


 鍵を開け、ドアを開けた。


 「お、お待たせ」

 「入って、いいわね・・・?」


 躊躇いがちに聞いてきた彼女に俺は頷きで応えた。


 「そこ、適当に座っていいよ」


 ローテーブルの辺りを指しながら言うと、氷崎さんは言うとおりに腰を下ろした。


 俺は棚の方に向かって小学校、中学校のアルバムを取り出し、テーブルに置いた。


 「これ、見てて。俺は何か飲み物を持ってくるから」

 「・・・ありがとう」


 彼女がアルバムに手をかけたのを見てから俺は部屋を出て階段を下り、台所へ向かった。台所で料理をしていた母さんが俺の方を向いた。


 「冷菜ちゃん、泊まってくでしょ?」

 「んなわけねぇだろ!!」

 「そんなにむきになって言わなくても。友達なんでしょ?お泊まりくらいするわよ?」

「いや、そうだけど・・・」

 「ま、人一人泊まってくくらい大丈夫よ」


 それだけ言って母さんはまた料理に戻った。


 まったく、本当にやめてほしい。余計に意識しちゃうから。


 俺はひとつため息を吐いてから棚からふたり分のコップを取り出し、冷蔵庫から取り出した麦茶を注いだ。そしてコップを持って部屋に戻った。


 「あー、どう・・・・?」


 容量を得ない曖昧な言葉しか出なかった。率直に言えば恥ずかしいのだ。アルバムを他人に見せるのが。


 俺はコップをテーブルに置いて氷崎さんの対面に座った。


 「そうね・・・・」


 返ってきたのはそんな言葉だった。視線は依然としてアルバムに向けられていた。口許には穏やかな笑みが湛えられていた。


 少しした後、パタンと中学校のアルバムを閉じ彼女は口を開いた。顔をあげ、俺の目を見て。


 「君は、いろいろな人たちに、好かれていたのね。アルバムの最後、なんにもないまっさらのページにびっしりとコメントが書き込まれていたわ」

 「・・・・・・・・・まぁ」


 何て返せばいいか分からなくて言葉に迷った挙げ句、曖昧な相槌しかできなかった。


 アルバムの背表紙を優しく撫でながら彼女は続けた。


 「きっと君はたくさんの人の力になっていたのね。私や・・・紅島さんのほかにも。けど君は唐突に絶望のどん底に落とされた。そして君を救ったのは紅島さん」

 「・・・・・・・・」

 

 俺は黙って先を促した。


 「・・・なんだかね、悔しいのよ。君の力になれなかったことが。こんなこと、言える立場にないのにね。自分から近づこうとしなかったくせに、何を言ってるのって、話よね」


 自嘲気味に彼女は微笑んだ。その微笑みががいちいち胸を刺してくる。


 なおも彼女は続けた。


 「図々しいって分かってる。そのうえで、言うわね」


 氷崎さんは一度すう、と息を吸いそれからこう言った。


 「私、あなたの力になりたいの」

 「・・・っ」


 右手を軽く自分の胸に当て、しっかりと俺の目を見ていた。だから逸らそうとしても逸らせなかった。


 そんなことを、思っていたなんて。


 俺は言葉に迷い、しばらく考えこんだ後に口を開いた。


 「ありがとう。気持ちは嬉しい・・・けど、俺は・・・そもそも君を救うために走っていたわけじゃないし・・・見返りを、求めていたわけじゃ、ないよ」


 いつの間にか視線はテーブルの方を向いており、どんな顔をすればいいか分からず、口の端を少し上げて微笑んでいるような、嘲っているような表情になった。


 慎重に、慎重に言葉を選んだ。彼女を傷つけないように、気持ちを無下にしないようにと。口調もできる限り優しく穏やかにした。


 けれど、結局突き放すような言葉になってしまった。だがこれが偽りのない本心だった。


 しばらく俺と氷崎さんは無言だった。その間、窓から湿った風が入ってきて部屋の中を潤した。


 最初に沈黙を破ったのは彼女の方だった。


 「神ノ島くん」


 そう呼び掛けて彼女は両腕を伸ばし、細くしなやかな美しい指で俺の顔をそっと挟み込み、少し強引に顔を上げさせた。


 「私を、見て」

 「・・・・う、うん」


 穏やかな表情で、けれどしっかりと俺を見て彼女は続けた。


 「君の気持ちはよく、分かったわ。けどね、」


 真剣な表情になって、こう言うのだった。


 「悪いけど、君の気持ちは聞いてないの」

 

 どういう、意味・・・?


 「これは私がしたいからすることなの。君にその気はなくても、私は救われた。だから恩返しに君の力になりたいと思った。たったそれだけの話よ」

 「・・・・・けど、別に助けてほしいことなんて、」

 「今すぐじゃなくてもいい。いつか、どうしようもなく困って行き詰まったときでいいの」

 「・・・俺だけ助けてもらうのは、なんだか、割に合わない」

 「だったら、君も私を助けて。私が窮地に陥ったときは真っ先に君を頼るから」

 「・・・俺に、できることなんて限られてる」

 「できる限りでいい」


 これ以上、何かを言うことはできなかった。降参するしかなかった。


 負けたよ、君の気持ちに。


 俺は苦笑しながら口を開いた。


 「分かった。いいよ、それで」


 俺の言葉に氷崎さんは微笑みで応えた。


 「さて、話をしましょう」


 突然、彼女がそう切り出した。


 「話・・・」

 「そう、君の過去の話、私の過去の話、君の趣味、私の趣味・・・とにかくいろいろ」

 「ははっ、いろいろって」


 思わず笑ってしまった。


 少し恥ずかしかったのか、彼女は頬を赤らめた。


 「うっ、言ったでしょ。君のすべてを知りたいって。けど、君だけに話させるわけにはいかないじゃない。だからよ」


 ちょっと拗ねてる。可愛いなぁ、やっぱり。


 「分かった」


 そうして俺たちはいろいろな話をした。本当にたくさんの。途中から盛り上がってきて時間が過ぎるのを忘れていた。


 ある程度話終えた頃にふと時計を見たら、もうすぐ20時になるところだった。


 「あー、氷崎さん。時間、大丈夫?」


 俺が言うと彼女も時計を見た。


 「そうね・・・もう、いい時間ね」

 「帰るよね。送るよ」

 「帰りたくないって、言ったら?」

 「え・・・・・?」


 彼女の表情からは冗談か本心か掴めなかった。だから、動揺を隠せなかった。


 無言でしばらくじーっと俺の目を見てから再び口を開いた。


 「なーんてね。冗談よ、騙されたわね」

 「は、はは。驚かさないでよ」


 彼女は茶化して言ったが冗談じゃない気もした。けど、安心したのも事実だった。


 「あ、凍也のやつが来るからいいわ。ありがとね」

 「そっか。じゃあ、玄関まで」


 俺たちはふたり揃って部屋を出て一階に下り、リビングで母さんと一言二言交わしてから玄関に向かった。


 「じゃあ、また学校でね」

 「また」


 そうして氷崎さんは俺に背を向け、がちゃりとドアを開けた。だがドアを押さえたまま動かなかった。


 「氷崎さん・・・・・・?」


 気になって声をかけてみると、少しだけ俺の方を向き、こんなことを言ったのだった。


 「大丈夫よ。私はいつまでも待ってるから」

 「・・・っ」


 完全な不意打ちに俺が何も言えずにいると、氷崎さんはもう一度「じゃあね」と小さく言ってから出ていった。


 最後の最後に、なんて言葉を。


 その日はあまり眠ることができなかった。


 ****


 翌日、日曜日。お昼少し前くらいに起きてスマホを見てみると、紅島からメッセージが届いていた。


 『今日は私が少し用事があるので、特別に勉強会は休みでいいです!』


 「そっか・・・」


 『用事って?』と聞こうとしたがやめた。プライベートにまで踏み込む勇気は持っていなかった。それに、彼女も鬱陶しいと感じるだろう。


 ま、いっか。ゆっくり勉強できるし。


 スマホを置こうとしたが、もう一通メッセージが届いているのに気づいた。俊からだ。


 「あ、あいつ・・・・・」


 文面を見て俺は驚いた。たった一通だけだったが、こうあった。


 『諦めねぇから、俺』、と。

 



 


 

 


 


 




 

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