第22話 ケリ
「いや、どういうって・・・・」
「えーっと、そうね・・・・・」
西ノ宮の突然の質問に俺たちふたりは困惑した。隣を窺うと、氷崎さんはどこか遠くを見ながら考え込んでいた。
友達、でいいんだよね?氷崎さんもそう言ってたし!
「そりゃ、友ー」
俺は頑張って友達と言おうとしたのだが、その途中で氷崎さんの言葉が遮った。
「友達以上、恋人未満・・・かしら?」
なぜか彼女は言い終えたあと俺の方を向いてきた。
おいおい、ちょっと待ってくれ。なんかそれ、誤解されかねないような・・・
恐る恐る西ノ宮の反応を窺ってみたところ彼女は案の定、気まずそうな苦い表情を浮かべていた。
「あ、へ、へぇ。ふたり、仲いいんだね。じゃ、私はこれで」
「ちょっと待て!」
それだけ言い残して彼女は去ろうと歩きだしたが、手をつかんで引き止めた。
「何よ、神ノ島?」
西ノ宮は不機嫌そうな表情で振り返りそう言った。
「あー、俺と氷崎さんの関係についてはただの友達だ。それと、お前と少し話したいことがあるんだよ。都合が悪くなければいいが・・・」
氷崎さんが不服そうな顔をしてた気がするが気のせいだろう、うん。
俺が言い終えると彼女は「はぁ」とひとつため息を吐き、それから口を開いた。
「分かったわよ。付き合ってあげる。まぁ、私もあんたに話したいことがないわけじゃないし」
言い終えると西ノ宮はたまたま空いていた俺たちの近くの席に腰を下ろした。
「それで、西ノ宮さんはどうしてここにいるのかしら?」
「あ、ああ・・・・」
氷崎さんが西ノ宮に問いかけると彼女はなぜか少し戸惑ったような挙動を見せた。
なんだ、こいつ。氷崎さんのこと苦手なのか?
「一個下の弟がさ、陸上やってるの。あと、私自身陸上競技を見るのは結構好きってのもある、かな」
「ほう、それは初耳だな」
「当たり前よ。あんたとこんな話する機会なかったし」
確かに。俺とこいつの間に例の件を除くと接点なんかほとんどないからな。
「へぇ~、そうなのね・・・」
隣の氷崎さんも意外そうな表情をしていた。
それにしても。
「弟、どこの中学出身なんだ?」
「どうしてそんなこと聞くのよ?」
俺が尋ねると西ノ宮は訝しげに眉を寄せた。
「・・・実は、俺も中学のころ陸上やってたんだよ。だから、ちょっと、な」
ちらと隣を窺うと氷崎さんが心配そうな顔をしていた。
大丈夫だよ、もう。
「へー、そうなのね・・・あ、でも確かにあんたの名前、聞いたことあったような気がするわ。弟、というか私もだけど神山第二中出身よ」
「神山、第二・・・・」
神山第二中もそこそこ陸上が強いとこだった。だから記憶に残っているというのもある。だが、それ以上に。
実はまだ完全なる決着はついていないのだ。過去に。
俺は次の質問をすることにした。
「そうか。じゃあ、今はどこの高校にいるんだ?」
「
「今日はどこらへんにいるか分かるか?」
「ちょっと待って。今から聞くから」
西ノ宮はスマホを取り出してポチポチと操作し始めた。連絡しようというのだろう。
「あ、電光掲示板の反対側にいるらしいわ」
「悪い、助かった。氷崎さん、ちょっと彼のもとに行ってくるから待ってて」
俺は立ち上がって氷崎さんの言葉を待たずに走り出した。
人混みのなかを掲示板反対側を目指して駆けていく。
思い出した記憶が正しければまだ彼に謝罪してもらっていない。まぁ、別にいいかと思っていたがやめた。せっかくの機会だしな。
あの大会の日、招集所に向かう俺とぶつかって俺を階段から落としたやつは神山第二中陸上部と書かれたジャージを着ていた。顔ははっきり見ていないので分からなかったが。
ーもしかしたらその綾斗に会えば何か分かるかもしれない
そう思ったのだ。
「っ、はぁ、はぁ・・・」
息が弾んできたころにようやくたどり着いた。西京高校陸上部と書かれたジャージを着ている人たちが固まって観客席に座っていた。俺はゆっくりと彼らのもとに近づき、最も近くにいた人に話かけた。
「あー、すみません。こちらに西ノ宮綾斗くんがいると聞いたんですが・・・」
「綾斗の知り合いか何かですか?」
小柄の男子が少し訝しげに聞いてきた。
「ま、まぁ、そんなところです」
「・・・分かりました。おーい、綾斗ぉー」
少し遠くにいた男子が呼び掛けに答えた。
「んー、どうかした?」
「なんかお前の知り合いが来てるぞ」
綾斗らしき男子が俺の方を向いて、それから近づいてきた。短めの茶髪で幼さのある少年のような顔をしていた。
「あ、えーっと・・・」
俺が言い淀んでいると彼が口を開いた。
「姉ちゃんの友達か何かですよね。どうかしました?」
す、すげぇ。何も言ってないのに。
俺は密かに感動していた。
それにしてもこの子、ニコニコしてるなぁ。
「ああ、まぁそんなところだ。ちょっとお前に聞きたいことがあるんだ。あ、神ノ島だ」
「よろしくです、神ノ島さん。・・・それで、話というのは?ま、まさか姉ちゃんの恋愛事情とかですか!?」
「違う!違うからね?」
ほんの少しくらい気になりはするけれど。今はそんな場合ではない。
「じゃあ・・・」
「実はな、」
俺は過去の話を含め大体の事情を説明した。彼は真剣に話を聞いてくれた。
「・・・なるほど。話は分かりましたが場所を変えませんか?」
「だな」
ここは人が多すぎる。とりあえず場所を変えよう。
俺たちは観客席を離れ、外に出た。近くにベンチがあったのでそこにふたりで座った。
「さて、率直に言うと詳しくはよく知りません。ただ、ちょっとヤバめの先輩はいました。僕はあまり関わらないように他の先輩とくっついてたんですけど」
「どんなやつなんだ?」
「
「あの日何か変わったことはあったか?」
「うーん・・・」
綾斗はしばらく考え込んでいたが少ししてまた口を開いた。何か思い出したようだ。
「あ、そう言えばあの日ひとりだけ先に帰った人がいたんですよ。急用ができたからって。俺と同い年の男子です」
「様子はどうだった?」
「思えば、ちょっと顔色悪かったような気がします」
「・・・・・そうか」
非常に怪しい。その黒原とやらは。
「その、黒原は今どこの高校かは知ってるか?」
「あー、
「今日は来てるか?」
「はい、バックストレートのほうの観客席で選手たちを見かけました。けど、黒原先輩がまだ陸上やってるかは知りませんが・・・」
「いや、ありがとう。助かった」
「いえいえ」
俺は立ち上がってもう一度綾斗にお礼を言ってからまた観客席に向かった。場内は歓声に満ちていた。
トラックの方に目を向けるとすでに男子100mの予選は始まっていた。凍也の試合は見たい。できれば早めに済ませたいところだ。
「あそこか」
バックストレート側の観客席にたどり着くと東山トラック&フィールドクラブと書かれたTシャツを着ている集団を見つけた。
いちいち話しかけるのも面倒なのでわざと彼らの正面にまわって顔色をじっと窺ってみた。
すると幸運なことに一人だけ咄嗟に逃げようとしたやつがいたので逃げる前に捕まえた。何事かと周囲の人々が騒いでいたが無視した。
「お前、黒原峰彦だな」
「お、お、お前・・・」
「ちょっと来い」
俺は黒原の手を強引に引いて外に連れ出した。黒原は長い前髪、長い手足が特徴的な男子だった。
俺は壁際で手を離して問い詰めた。
「聞いたよ。お前、中学時代、相当なやつだったんだってな」
「はっ、い、今さら何しに来たってんだよ」
明らかにビビっていたが口調は強気だった。
「決まってんだろ。お前だろ、あの時俺とぶつかったのは。謝ってもらおうかと思ってな」
「は、俺じゃねぇし。証拠、あるのかよ」
この期に及んでこの態度。流石に腹が立ってきた。
「そんなもんはねぇよ。けど、じゃあ何で俺を見るなり逃げた!何でビビってやがる!何か俺にやましいことがあるからだろ!」
俺は右手で黒原の胸倉を掴み壁に押し付けた。
「は、はは、ははは」
「何笑ってやがる」
「いや、俺じゃねぇし。手を下したのは」
「・・・・・・は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。何をいってるんだ、こいつは。
「俺は指示を出しただけだよ。神ノ島にぶつかってこいって」
「てめぇ・・・」
「あいつは俺に逆らえなかったからなぁ。だからマジでやったんだろうな。くくく」
「その汚ねぇ口をふさぎやがれ」
「ひっ・・・」
俺がドスの聞かせた声で言うと黒原はビビって押し黙った。
分かったよ、全部。どういうことか。
「あの日、ひとりだけ早く帰ったやつがいたんだってな。その子にやらせたんだろ。自分は手を汚さないために」
「な、何でそんなことまで」
「そんなこと、今はどうでもいいだろ!」
「ひゃっ・・・・」
「正直、俺はお前のことなんて知らない。顔も見た覚えはない。けど、お前にとっては俺はどうしても倒したい敵だったってことだろ」
「・・・ああ、そうさ。てめぇはいつも俺より一個上の順位にいやがった。死ぬ気で練習してもお前は俺よりさらに速くなってやがった。だから思ったんだよ、『こいつさえいなければ』って」
黒原は歯をギリギリと噛み締めながらそう言った。
「だからって、やっていいことと悪いことがあるだろ!確かにこの世界では生まれ持った身体能力がある程度ものを言う。けど、けど俺は努力すればなんとかなるって信じて一生懸命やってたんだよ。なのに、なのにお前は・・・」
「・・・・・」
気づけば黒原の胸倉を掴んだまま下を向いていた。そして視界も滲んでいた。
「大体な、俺なんかより、速いやつはいるんだよ。分かってたはずだ。だからお前はそいつを越えることを目指すべきだった」
俺のかつてのライバル、凍也を越えることを。
今はもう俺では勝てないだろう。あいつも多分、相当な努力家なのだ。
手の力が抜けてきて、黒原の体から手が離れた。彼は地面に座り込むような体勢になった。
しばらく俺と黒原は無言だった。聞こえてきたのは遠くからの歓声や、木々が風になびく音だけ。
もう、終わってしまっただろうか。あいつの試合は。
「・・・・たよ」
誰かが何かを言う声がしたので顔をあげてみると正面の黒原は俺の目をまっすぐに見ていた。
「悪かったよ、あの時は。俺が・・・間違ってた」
「・・・・・」
「俺、気に入らないことがあると人のせいにするところがあってよ。けど、最近は良くねぇって気付いたんだよ。俺のまわりから人が離れていってようやく分かった」
俺は黒原に背を向けた。
「俺だけじゃなくて、お前が手駒にしたその子にも謝っとけよ。じゃあな、二度と会うことはないだろうけどせいぜい頑張ってくれ。俺に近いくらいのタイムだったんなら頑張ればなんとかなる」
黒原が何か言った気がするが気にせず歩きだした。氷崎さんたちのもとに戻るために。
あー、西ノ宮怒ってるかなぁ。俺が引き止めたくせに勝手にどっか行ったから。
謝らないとな。
この日、本当の意味で過去に決着がついたのだった。
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