第21話 偶然

 「お、お前・・・な、何を・・・」


 俺は激しく動揺していた。顔に触れてみればその熱で赤くなっていることが容易に理解できたし、心臓の鼓動はいつまでも鳴り止まなかった。そして何が起こったのかを頭が全く理解できていなかった。


 「えへへ~、つい、ですよ。つい。あれ?先輩、もしかしてドキドキしちゃいましたか?」


 俺が激しく動揺しているのとは対照的に、紅島は何事もなかったかのように、軽い口調でそんなことを言ってくるのだった。


 こ、こいつ。だがな、俺にも返す手はある。


 「べ、別にそんなことねぇよ?ま、マジでっ。てっ、っていうかお前も顔赤いがどうかしたか?」


 しまったぁぁぁ!声が上擦ったぁぁぁ!


 精一杯、平静を装っていたが動揺が外に漏れてしまったようだった。


 しかし紅島の方も俺の言葉に反応して咄嗟に顔に手を触れ、そしてその熱さに驚いたようだった。心なしかさらに赤くなったように見える。はっはっはっ、どうだ。


 「あ~あっついなぁ~、もしかしたら部屋が暑いからかもしれません」


 紅島はとてもとてもわざとらしくそんなことを言ってきたのだった。おいおい分かりやすいな。


 ま、俺もなんだろうけど。


 「あ、ああ。確かにな。さ、最近は冷房が欲しい季節になってきたからな、うん」

 「先輩、暑いなんて一言も言わなかったじゃないですか?」

 「それを言うならお前も、だろ?」


 俺が見事な(?)返しを決めると紅島は「ううー」と唸りながらも「まぁ、この辺で許しておきます」と折れたのだった。


 それにしても。


 「ぶっ、くっ、はっはっはっ」


 思わず吹き出した。


 「何、笑ってるんですか?」

 「いや、別に?なんか・・・バカだなって思ったんだよ。俺も、お前も」

 「・・・・・・・・・」


 紅島は驚いたように目を見開き、しばらく無言だったが、少しして彼女も「ふふっ」と小さく笑った。


 「・・・・そうですね」

 「ああ・・・・・・・」


 もう、ごちゃごちゃ考えなくても良いのかもしれない。


 そんなことも少し、思った。


 「さ、再開するぞ。もうちょっとやりたいしな」


 勉強を再開しようと机に向かったそのときだった。


 ブー、ブー、とスマホのバイブレーションの音がした。鞄からスマホを取り出し、見てみるとメッセージアプリの通知が表示されていた。そこまではよかった。


 問題は・・・・


 ちら、と紅島の方を見てみると彼女はジト目を向けていたが何も言わずすぐに机に向かった。ご自由に、ということらしい。


 バレてそうだけど。


 俺はメッセージアプリを開き、相手にこう、返信をうったのだった。


 『俺も行くよ』


 ****


 紅島や俊、氷崎さんとの日々は何だかんだであっという間に過ぎていった。俊はあの日の翌日だけ学校を休んだものの、それ以降は何事もなかったかのように普通に学校に来た。俺があの場面を見てしまったことを謝罪すると、彼は「気にすんなよ。見られちゃまずいってわけじゃないし」と言って普通に許してくれた。


 まぁ、本当に何ともないのかはいまいち判断がつかなかったのだけれど。


 そうして迎えたその週の土曜日。


 俺はいつもより2時間以上早く起床していた。そして悩みに悩んでいたのだった。


 「うーん、こっちがいいか。いや、こっちか」


 服選びに猛烈に悩んでいた。このところ俊とも出かけていなかったので(俺があまり乗り気じゃなかったからなのだが)外行きの服を着ることなどあまりなかった。


 まぁ、それは理由のひとつにすぎないのだけれど。


 20分ほどいろいろ調べたりして苦心した後、朝飯をさっと済ませて家を出た。母さんには驚かれたが「友達とちょっと出かけてくる」と言っておいた。嘘は言っていないぞ?


 バス停で数分待ち、来たバスに乗って駅まで行くと入り口で足を止めた。無論、人を待つためだ。


 なにもせずただ突っ立っているのも落ち着かないのでとりあえずスマホでもいじってるかと思ってスマホを取り出し、画面を開いた。するとちょうどそのタイミングで通知が来た。


 『もうすぐ着く』と。


 「落ち着け。落ち着け、俺。深呼吸だ」


 なんか緊張してきたので精神統一しようと目を閉じて何度か深呼吸をした。端から見たら「何やってんだあの人」という感じだったかもしれない。


 少し落ち着いてきたところで目を開いてみると、前方の横断歩道の向こう側に見知った人が立っていた。その人は歩行者信号が青になると、ゆっくりとこっちに歩いてきた。


 俺はというと・・・


 「・・・・・・・・」


 ただ無言でその人をじっと見ていた。見惚れていた、と言い換えてもいいだろう。


 「おはよう、神ノ島くん。待ったかしら?」


 は俺の動揺などいざ知らず、優しく微笑みながら挨拶をするのだった。


 もうお分かりだろうが相手は氷崎さんだ。彼女のファッションはというと、ふわふわ感のある白のオフショルダーにデニムのパンツを穿いていて、髪は後ろで緩くまとめられたポニーテールといった感じだった。右手には日傘、左手にはバッグを持っていた。


 う、うん。端的にいって素晴らしいですね。


 「・・あ、ああ、おはよう、氷崎さん。ま、待ってないよ」

 「ふふっ」

 「何で、笑ってるの?」


 精一杯平静を装ったが表に出ていたのだろうか。彼女は口元に手を当てながらくすくすと笑っていた。


 「いや、ごめんなさい。何だか・・・恋人同士、みたいだなと思って」

 「あ、ああ・・・・・」


 確かに他の人々からすると俺たちはそう見えていたかもしれない。


 いかん、せっかく落ち着いてきていたのにまた緊張してきた。


 「さ、早く行きましょう。時間がもったいないし」

 「あ、うん」


 そうして俺たちは1時間ほど地下鉄に揺られ、目的地の最寄りの駅で降り、そこからは少し歩いた。


 実は先日、氷崎さんからこんなメッセージが送られてきていた。


 『今度の土曜日、凍也の出る大会が競技場で開かれるのだけれど、よかったら一緒に行かない?』


 俺はそれに『俺も行くよ』と返したわけだ。まぁテスト週間とはいえ、1日ぐらいなんとでもなるのだ、俺も氷崎さんも。


 紅島には今日は外せない用事ができたから勉強会は休みだと連絡しておいた。つい先日、彼女とも連絡先を交換したのだ。俺のメッセージに対して紅島はただ『わっかりましたー』と返信してきただけだった。彼女が薄っぺらい表面上の笑みを浮かべながらそう言う姿が頭に浮かんできて、思わずゾッとしてしまった。まったく、これだからSNS はいけないんですよ。


 まぁ、ともかくそうして俺と氷崎さんはふたりそろって競技場へと続く川沿いの道を歩いていた。


 「今日は、ありがとう。その、誘ってくれて」

 「ううん。いいのよ。ひとりで行くのに飽きてきていたところだし。それに、凍也のやつも君が来てくれた方が喜ぶはずよ」


 俺の言葉に彼女は軽く首を振ってそう言うのだった。


 そう言えば俺は凍也の連絡先を知らないのだ。あの時はいろいろあってそんなことは頭の中になかった。だから嬉しいのは事実だ。


 今日、終わったら交換しよう。


 「少し・・・私の話を聞いてくれるかしら」


 氷崎さんは不意にそんなことを言ってきたのだった。視線は真っ直ぐ前を向いたまま。


 「・・・うん」

 「私は昔から、何でも器用にこなせたの」

 「へ、へぇ。そうなんだ」


 「え、いきなり自慢ですか?」と思ったが口には出さなかった。


 「あ、自慢じゃないわよ」

 「わかってます・・・」


 釘をさされてしまった。もしかしたら俺の心を読んだのかもしれない。恐ろしや。


 「ピアノ、茶道、水泳、その他もろもろ。そこそこ得意なのよ、私」

 「すごいと思うよ、純粋に」

 「うん、ありがとう。でも・・・それらは私がやりたくてやったことじゃないの。やらされてやったことなのよ」


 そう語る氷崎さんの口調は少し弱々しかった。


 気になって彼女の顔を見てみたが、俯きがちで表情はあまり窺えなかった。


 「・・・そうなんだ」

 「正直、昔の私は自分でもあれだと思うくらい酷かったと思うの。いつもイライラしていて、暗い雰囲気をまとっていて。無理やりやらされるのは嫌だったけど、だからといって『じゃあ、あなたが本当にしたいことって何?』と聞かれたら答えられなかった」

 「本当に・・・したいこと」


 今の俺にはそんなものがあるのだろうか。走ることは好きだけど昔ほど熱を入れる気はなくなったように思われる。もしかしたら大学にいってからまたやり始めるかもしれないけれど。


 「そう。それが言えなかったから母に反抗できなかった。それがまた私を苛立たせたの。だから、その行き場のない怒りを周囲に向けていたのかもしれない。・・・けれど、今思えばそれはただの言い訳に過ぎなかったのでしょうね。押さえつけてくる母を一方的に悪者にして自分を正当化しようとしてた。・・・でもー」


 少し前を歩いていた氷崎さんは首だけで俺の方を向いて、こう、続けたのだった。顔には優しげな、けれども少しの哀しさを感じさせる笑みが浮かべられていた。


 「あなたの走る姿に、懸命に前へ前へと進む姿に、救われたのよ」

 「・・・・・っ」


 俺は思わず言葉をつまらせた。


 何だよ、それ。やめてくれ。そんな顔をしながら言わないでくれ。


 俺が何も言えずにいると氷崎さんは何を思ったのか、少しの間俺の顔をじっと見た後、前を向いたのだった。


 「着いたわね」


 気づけばいつの間にか競技場にたどり着いていた。


 ****


 大きな階段を上り、入り口を抜けて観客席に向かうと、応援に来た出場校の生徒や保護者でいっぱいだった。まぁ、今日はそこそこ大きな大会みたいだしな。無理もない。


 俺たちはどうにか空いている席を見つけそこに腰を下ろした。


 「何とか男子100mに間に合ったわね。今から始めるみたい」

 「だね」

 「前はこんなに観客がいなかったから、これだけ人がいるここを訪れるのは久しぶりかしら?」

 「ああ・・・言われてみれば3年ぶりくらいかも」


 今は競技と競技の合間なので会場は人々の声に包まれていた。少しやかましいくらいだ。


 「あれ、神ノ島と・・・氷崎さん!?」


 突然背後から俺と氷崎さんの名前を呼ぶ声がして俺たちは同時に振り替えると、そこにいたのは・・・


 「えーっと、お二人はどういう・・・」


 黒髪ショートで眼鏡をかけた少女。そう、あの西ノ宮菫が気まずそうに俺たちを見ていた。


 

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