第7話 おこさまのお手伝い
「母上! 配膳はこの通り済み申した。次は父上をお呼びすればよろしいか?」
或斗はサラダが盛り付けられた皿を見渡し、母を呼んだ。母、と呼ぶのも不思議なもので、或斗はこの人から生まれたわけではない。それどころか人間ですらない。
(この家に紛れ込んで早3ヵ月。特に変わったこともなく、御役目を果たせることができるだろう)
或斗にはとある役目が課せられている。
(人々の平穏を脅かす墜神様は、いずこにいらっしゃるだろうか)
人々が信仰を失った現代において、力が弱まった神々を救う役目を課せられた或斗は、とある一家に紛れ込んでいる。
「お父さんは大丈夫ね。こもちゃんが公園から帰ってきてないから、呼んできてくれないかしら?」
母親はのんびりと、スープをかきまわして台所から声をかけている。母親は、”ふりーでざいなー”というものを生業としている。複数の会社をいったり来たりしたかと思えば、数日も家に閉じこもったりと、或斗の中にある仕事とは全く違うことをしている。と、言っても、或斗の中の仕事といえば”農業”か”子育て”しかないのだが。
「公園……?」
「ほら、大きな象さんの滑り台の在る、あそこじゃないかしら?」
そう言われ、或斗は先日の休日に家族で出かけた公園を思い浮かべた。家から10分ほど歩く公園には、長い鼻の動物の置物があったはずだ。
こもちゃん、というのはこの母親から生まれてきた4人の子どものうちの一番下の子である小萌の事だろう。
「もう帰ってくる時間なんだけれど、お友達と長話しているかな?」
「母上、小萌を連れてまいります。兄上たちは”ぶかつ”であったか?」
「そうよ。もう二人ともそろそろ受験勉強しないといけないっていうのに」
ふぅとスープの味見をした母親はほっと表情を和らげる。
「なんにせよ、夢中になれることがあるのはよい事だわ。こもちゃんにもできるといいわね」
(母上殿は、本当に子ども達の事を愛してらっしゃるな)
人ならざる身で、何百年も生きているからか、或斗はついつい老人じみたことを思ってしまう。或斗の中には、これといった母親像があるわけではない。だが、子どもを見守る心に、素直に尊敬を抱いている。
「こもちゃん、まだ自分がやりたいこととか、したい事とか、あまり話してくれなくてね」
あなたに言うのは、少しおかしいか、と母親が笑っている。
「いいえ、母上。今、人の世はあまりに多くの物があふれておりまする。その中で、己の道を定めるのは、時間がかかるものと、存じております。母上は、そのままのお心でいて下され」
「或斗、本当にわたしのお父さんに似てきたわね。あ、パパの事じゃなくて、隣町のお祖父ちゃんよ。或斗、よくおじいちゃんと大河ドラマ見てるでしょ」
ふむ、確かに。或斗にとっては誤差の範ちゅうなのだけれど、或斗がいま接している向井家の面々の中で一番話が合うのが、件の隣町の祖父だ。陽気な彼は、古風な言葉遣いをする或斗を気に入り、己の趣味の道連れにしている。大河ドラマだけではなく大衆映画、釣りや登山や俳諧まで多岐にわたる。
「おじい様はとても風流な方で、僕も勉強になります」
「あの人に学び過ぎて、普段着を着物にするって言わないでよ? 或斗?」
「その時は、僕自身で仕立てますよ。母上は布地と裁縫道具を下され」
(父さん、あとで家族会議ね…………)
何気なく聞こえてしまった母親のどすの利いた声に、或斗は慌てて声を上げた。
「裁縫自体は、学舎の”かていか”で学ぶと兄上たちに聞きました! それに、母上、僕はこの服が気に入っているのです! ご安心ください!」
なにを安心しろというのだ、と自分でも思うのだけれど、母親はそれでよしとしたのか、鍋の火を消した。
「或斗、こもちゃんをよろしくね」
じっと見つめてくる目に、或斗は深く頷いた。
「母上、行ってまいります!」
或斗は、夕暮れの町へと歩きだした。
(この辺りだと思うんだけれど)
空を飛べたら、一番楽なのだけれど、そんなことをすれば高天原から叱られてしまう。歩くのも悪くない。
(小萌殿、か)
家族の中で、一番よく分からないのが、小萌だった。一番下の人間に姿かたちを合わせるのが楽だという判断で、彼女の姿かたちを少し変えて今の体にしたのだ。或斗の魂の形が男に寄っているので、体まで女の子にすることはなかった。
(小萌殿からは”希望”が見えぬ)
他のきょうだいにはこれがしたい、あれが食べたい、といった希望があった。けれど、彼女にはほとんど見られなかった。せいぜい、明日の授業で教師から当てられませんように、といったり、夕食に苦手な食べ物が出ませんように、といったりした、消極的なものだった。後ろ向きの願いばかりで、齢何百年も経つ
(小萌殿の希望とは何だろう)
ぱそこんという、絡繰りに聞いてみても分からない。或斗は力が弱いとはいえ、一応神格を持つ神様である。手当たり次第に願いを叶えるわけにはいかないが、まったく願いが無いのも困りものだ。
(そもそも僕には、権能が無いのだけれど)
子どもというのは、希望の塊だと思っていた。けれど、或斗の通う学舎には小萌のように希望の無い子ども達が多くいた。それはよくないと、めぼしい子ども達に声をかけまくっていたら、いつの間にか或斗は学舎の有名人になってしまった。
(そのせいで小萌殿には、割を食わせてしまったが)
或斗を見かけるたびに、目をそらし、どこかへ行ってしまう。心を読もうとしても、はじかれてしまう。何事にも消極的で、気づけば本の世界へ潜って出てこない。
もしかすると、気づいている?
(その可能性はあるだろうな。子どもの中には鋭い子がいるというし)
だからといって、何をするわけではない。けれど、形ばかりではあるけれど、こうして”きょうだい”になったわけだから、何かしてあげたい。
もやもやとして歩いていくと、向こうの通りから小萌が歩いてくるのが分かった。友達の家に寄って来たのか、借り物の本を数冊抱えている。
「小萌殿! 夕餉の支度ができたゆえ、家に戻ろう!」
「………うん」
小萌がためらいがちに首を動かした。だんだんと返事をしてくれるようになった。それが、少しうれしい。
「その書物は重たいだろう? 僕がいくつか持とうか?」
「いい。自分で持てるから……」
「そうか……。だが、両手がふさがるのはよくない。やっぱり持とう」
「え! ちょっと!」
或斗が半ば奪い取るように本を受け取る。本には、異国の姫君だろうか、きれいな衣装をまとった少女たちが笑い合う絵が描かれている。最近少女たちの間で流行っているものだと、ぱそこんが言っていたのを思い出した。
「小萌殿、今日は母上特製のスープだぞ! 今日はよくできていると思うぞ。僕の鼻がそう言っている!」
「そうなんだ」
てくてくと無言になってしまう。次の話題を探さないと、と或斗がうなっていると、珍しく小萌が声をかけた。
「ねぇ。なんで、小萌殿なの?」
「あ、ええっと」
「小萌でいいよ。なんだか、他人行儀だし。同じ家に住むのに、変でしょ?」
そう言ったまま、すたすたと早足で去っていく。
呼び捨てでいい、といってくれたのだ。
(あなたは誰?)
ふと、聞こえてきた声に或斗はふっと笑った。
――― 僕は、誰なんだろうな。
「小萌! こっちの道を行こう! 少しばかり道草を食っても母上は怒らないはずだぞ!」
「いやだよ! お母さんのスープが成功することなんてめったにないんだから! 早く帰って、本当かどうか確かめないと!」
「それもそうだな!」
二人の影法師が、夕暮れの町を走り抜けていく。二人が本当のきょうだいになる、ほんのちょっと前の出来事だった。
向井さんチの小神様!? 一色まなる @manaru_hitosiki
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