第3話 おこさま、現る? 【後編】

夜の道は、思ったよりも怖くなかった。それよりも、「オバケ」に何か言ってやるんだから、その気持ちの方が大きかった。

でも、

(学校に向かっているはずなのに、どうして……)

 いつもなら、とっくにたどり着いているはずの学校にどうしてもたどり着けない。まるで長い長い道を歩いているように、いっこうに学校が見えてこない。

(どうして……)

 ふらふらと足を止め、私はその場にしゃがみこんだ。おかしい。息が上がるはずがないのに、なぜか全力疾走した後みたいに心臓が痛い。耳の奥がごうごうと鳴っている。とぎれとぎれの呼吸が聞こえる。暑い夜だからか、蝉の鳴き声もまだ聞こえている。

「学校に行かなきゃ……」

 ―― そうだ。こっちへ来イ。

 ジャラジャラ、と金属が落ちる音がして、私はすくっと立ち上がった。

(いかなくちゃ……)

 ふらふらだった足がしっかりとしている。私はまるで幽霊みたいに学校へ向かう道を歩き出した。ごうごうと鳴る耳の奥がうるさくて、周りの音が聞こえない。目立って、見えているのに、見えていないように思える。


 ――。

 ―――――。

「え……こ……! 小萌!」

 ふと聞こえてきた声にはっと気づくと、私は目の前に立つ人影に目を丸くした。「オバケ」が私の肩を強く揺らし、気づかせてくれたようだ。飼育小屋の前で私は座り込んでいる。そして、飼育後の方へ顔を向けると、息をのんだ。

「な、何……あれ……」

「小萌……見えるんだな……」

 私は思わず「オバケ」の袖を右手で引っ張った。やっぱり、この「オバケ」はさわることができる。そして、温かい。耳をすませばかすかな息も聞こえてくる。

「あれが墜神……。穢れをみそぎきれずに神格を保てなくなった神の姿だ」

「おち……神? 神様、なの?」

「ああ。痛ましい姿であろう」

 私はぎゅっと左手を握りしめた。目の前にいる大きな影は熊のよう。けれど、その毛並みは月に照らされて銀色にも金色にも輝いている。

「墜神よ、八百万の神々よりの神託により、あなたを高天原へとお送りいたします」

 「オバケ」は落ち着いた声でそれに話しかけている。

「ふザけルナ!」

 ごうぅ、ときらめいた毛並みが一気に禍々しい赤黒い光に包まれていく。のそりと振り向いた顔から伸びるのは長い耳。

 ウサギだ。

 巨大なウサギの墜神は、血走った瞳をこちらに向け、低いうなり声を上げている。赤黒い光は墜神を取り囲み、触手のように伸びている。

「墜神よ! よもや、この娘に穢れを埋め込み悪霊にするというのか!」

「当然ダ! 最早、この小屋は使い物にはなラない。ならば、そこなる娘を新たな宿主にシ、こノ世にまた権能を振るうマで!」

 ウサギの声は低く、怒りに満ち溢れていて、時折ノイズのような物が重なって聞こえてくる。道路で聞こえた声と一緒だった。

 「オバケ」はというと、私を庇うように立ち、先程私の頭の上でフルスイングしていた棒を向けている。

「おやめください! そのようなことをしても、あなたがかつての威光を取り戻すことはあり得ませぬ。それどころか、根の国にすら拒絶され、無に帰ることすらあり得まする!」

「それガどうシた! ここはもう、穢れに満チ溢れてしマった。なラば、元に戻す事よりも、穢レに埋もれ、澱まセ、滅ぼセばよかロう!」

「なりませぬ! なりませぬ!」

 私のことなどそっちのけで、「オバケ」とウサギが口ゲンカをしている。私はぽかんとして座り込んでしまった。

 ウサギは首を振り続ける「オバケ」に触手を伸ばしてくる。

「貴様とテ、そうだロう。否応ナく神格を埋め込まレた小神ヨ。完全なル神でナい故に、楔が無ケレバこの世に来ることすらままナラナイ、出来損ないの神よ」

「か……神様なの?」

 私ははっとして「オバケ」……じゃなかった、神様を見上げた。神様、というには頼りなく、ちっともありがたい感じがしない。出来損ない、と呼ばれても反論一つできずに俯く姿は、神様には見えなかった。

「そしテ、その楔もいまだ自分の役目が分かってイナイようだナ。小娘、神々から授けられた楔、我が貰っテやる!」

「!」

「小萌!?」

 触手が目に見えないほど早く、私の体を包んだ。どぶん、とプールの中に飛び込んだ時のような音が聞こえた。呼吸すらできない。触手は光じゃなくて、強い風が吹きつけているようで、息を吸うたびに肺を押されているような感覚がする。

(苦しい……!)

(なんで、こんな目に?)

(助けて!)

(私はまだ死にたくなんか――――!)

 ―――― 楔。

(?)

 ふと聞こえてきた声に、私は耳を澄ませた。

 ―――― 名を呼びなさい。”彼”が答えてくれる。

 他にも何か言っているような気がしたけれど、確かに聞き取れた。”名”を呼ぶ。私は口に手を当てて吸い込む風の強さを弱めて呼吸を繰り返す。

 いち、に、さん、し。

(よし、だいぶつかめてきた)

 ご、ろく、なな、はち、く。

「十……”或斗”―――――!!!」

 名前を詠んだとたん、私の体が急にふわりと浮いた。今まで私を押しつぶしていた風が弱まったんだ。赤黒い嵐が切り裂かれ、手が差し出される。

「小萌! 名を呼んでくれてありがとう!」

「或斗! 助けてくれてありがとう!」

 私が或斗の手を掴んだとたん、或斗の体が光り出した。光はどんどん増えていき、或斗の体を包み込み、ついに見えなくなった。眩しさに目を閉じ、そして再び開けるときには、或斗の服装が変わっていた。

「な。なんだか牛若丸みたい……」

「誰だそれは」

 絵本で見た牛若丸のような格好をしている。複雑な金の刺繍の施された赤い着物に、白いマント、そして目を引くのはさっきまでボロボロだった棒が白く輝く刀に変化していることだった。

 変身した或斗を見て、ウサギは悔しそうに鳴いた。

「楔が力を持ったか。だが、楔を穢し、我の物にすれば……」

「そうはさせない」

 刀を振り回し、或斗は触手を切り刻んでいく。今の姿なら、神様だって信じられそうな気がする。ウサギも斬られまいと、地面を蹴ったり触手を操ったりして、或斗の刀を避けている。

(ウサギをやっつければ、帰れる)

 やっつける。

 ――――― 本当に?

 私後ろで誰かの声がした。嵐の中で聞こえた声とは全く違う声だ。ふと気づくと、私の右足から白い光でできた糸が或斗へのびていた。ウサギは私のことを”クサビ”とよんでいた。それがどういう意味かは分からない。

 光を触ると、ほんのりと温かかった。とたん、私の目の前で何かがチカリと光った。慌てて目を閉じ、そしてウサギの方へと目を向けると、ウサギの左の後ろ脚に何かがあるのが分かった。

「あれ……包帯?」

 戦い続けている或斗は気づいていない。ウサギは包帯を見せまいと体をせわしなく動かし続けている。

「もしかして……」

 私は、ウサギの方へと近づいていく。

「月丸、月丸なんでしょう?」

「小萌! あぶない!」

 或斗が私の体を庇って目の前に降りてくる。

「岳斗君が世話をしていた、月丸なんでしょう? 左の後ろ脚を怪我したことがあるって、岳斗君が言ってたんだ」

「……」

 いままで暴れていたウサギが急に大人しくなった。

「月丸なんだね?」

「し、知らなイ! そんナ名!」

「岳斗君に一番懐いていた月丸でしょう?」

「小萌……。ここにいるのは墜神だ。月丸というウサギではない」

「でも、あの怪我は月丸だもの。ねえ、月丸?」

「……………」

 触手も暴れるのをやめ、体の内側へと戻っていく。

「岳斗君に会いたかったんだよね?」

「…………」

「岳斗君も、月丸が大好きだったんだよ。毎日月丸の話をしていたんだ」

「小萌……何を……?」

「卒業しても月丸のことが気になっていたんだ。死んじゃったときは、泣いていたんだ………でもね」

 ぽう、と月丸の体が光に包まれていく。

「岳斗君はもう、笑っているよ」

「がくと」

 先程までの低い声とは真逆の、赤ちゃんのようなまっさらな声をウサギが出した。目を閉じたウサギからは怒りの雰囲気が消えていた。

「信じられない……。穢れが、祓われていく……?」

「岳斗君に伝えておくね。月丸にあった、って」

「きみはがくとのきょうだいなんだね」

 目を再び開けたウサギの目は、赤いけれど、その色は優しかった。

「うん」

 そして、と私は或斗の手を取った。

「或斗も、きょうだい……かも」

「小萌………」

 そう、なんだ。と月丸がため息のような声を漏らし、ふわふわとした光に包まれて消えていく。

「月丸!」

「死にかけたウサギに、墜神が憑りついたのだろう。でも、小萌がその墜神を祓ったから、これからウサギは帰っていくんだよ」

「月丸……」

 光とともに消えた月丸を見送ったと思ったら、或斗が急に泣き出した。

「え!?」

「嬉しくて……。小萌が僕のことをきょうだいだって、言ってくれて」

「ごめんなさい……。私だって、分からなかったのよ。或斗が神様なんて」

「神様といっても、小神だよ」

「なにそれ」

「月丸が言ってたではないか。僕は、半人前の神様なのだ。生まれてまだ千年しかたってない」

「千年てかなりの時間じゃない?」

「神様の世界だと、千年くらいじゃまだ赤ちゃんもいいところ。でも、たまに三百年しか経ってないが、ちゃんとした神様もいるから、僕なぞまだまだ」

 変身したままの姿で、或斗は歩き出した。この姿の或斗はなぜか軽く光っている。後光、ってやつかな?

 或斗が向かっている先は春日小学校から近い神社。

「僕は神々から墜神を祓うように命令されていたのだ。だが、小神である僕は単独で人間界に来ることはできぬ。ゆえに、小萌の家で”向井或斗”として墜神が出てくるまでいたのだ」

「じゃあ……。帰るの?」

「折角、きょうだいだと言ってくれたのになぁ。仕方ないのだ」

「嫌だ……」

「そうはいっても、神々の命令は絶対なのだ。安心せよ、小萌。僕が帰ったら記憶も消える」

「それでも、いやだ!」

「勝手が過ぎるぞ」

 ぴしゃりと言われ、私は口を閉ざした。確かに、今までいなくなれとすら思っていたのに、手のひらを返したらそれはいやだろう。

「さて、ついた」

 神社の境内に上がり、或斗はお賽銭箱を飛び越え本殿の扉の前で指で何か書いた。閉ざされているはずの扉が開かれ、その向こうには小さな光が見えた。

「そのような顔をするでない。帰りにくいではないか」

「うん……」

「では、達者でな」

 そういうなり、或斗は扉の向こうへ跳びこんだ。と、思っていたら急に或斗が扉から投げ出された。

「のわぁああああああああああ?!!!!」

 ゴロンゴロンと境内を転がり続けて、傍の灯籠に頭をぶつけた。

「ぎゃふん!?」

(変な声)

 私がツッコミを入れる間もなく、或斗は身を起こすと再び扉へと向かう。しかし、その扉はいつの間にかぴったり閉ざされていた。

「なぜです!? 墜神は祓いましたよ!? 私が人間界に来た目的は果たしました! 高天原への道をお開けください! 大神よ!」

 扉をどんどんと叩く或斗の姿は、まるで門限を破って中に入れてもらえない子供のようだった。

「小神である私は、一人で戻ることはできませぬ! どうか! どうか! 高天原への道を!」

 ばんばんばん!

 ばんばんばんばん!

(なんか、かわいそうになってきた)

 ぎぎ、と扉が少しだけ空いた、と思ったらまた何かが飛んできて、或斗の額に直撃した。

「ぎゃふん!?」

 空中に舞った細長いものを私は慌てて受け取った。或斗を見ると、変身が解けていて、目を回している。手の中を見てみると、それは巻物のようだった。紐を外し、巻物を広げてみると、可愛らしいウサギの絵が描かれていた。そして、その上に絵とは真逆の力強く達筆な文字が書かれていた。

「なになに? 墜神は12柱。ゆえにあと11柱祓い清めよ………?」

 『追伸 小萌ちゃん、或斗をよろしくね♪』とも書かれている。

「神様って、いったい……」

 私は閉ざされた扉と、足元で目を回して気絶している小神様を交互に見比べた。


 その後、私達は探しに来てくれたお兄ちゃん達に捕まり、そしてお母さんたちにしこたま叱られるのだけれど、不思議とわくわくしてしまう私がいた。

(或斗を高天原、っていうところに帰してあげなくちゃ)

 いつの間にか居座っていたのは、「オバケ」じゃなくて、半人前の神様でした。

 

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