第2話 おこさま、現る? 【中編】

(「オバケ」の奴、さっき変なこと言ってなかったっけ?)

 私は5時間目の理科の授業を聞きながら、昼休みの時に感じた「オバケ」の異変について考えていた。

(調べる必要がある……って、なんのことだろう)

 昨日やった実験のまとめをしている先生の声を聞き流し、私はえんぴつをフリフリして考える。大きな筆箱がクラスで流行っているけれど、私は机の上が狭くなるので、シンプルな筆箱にしている。鉛筆と消しゴム、あとはカラーペンが数本といったところ。お兄ちゃん達の筆箱を参考にしている。

(「オバケ」って、何がしたいんだろう……)

 もしかすると、「オバケ」は単なるで、私達に悪さをしに来たのではないのかもしれない。

(いやいや、待て待て。それだと、学校に来る必要なくない????)

「向井さん、この実験なのだけれど、どうして同じポンプを使わないといけないか分かるかしら?」

「え? あ、えっと……」

 急に先生に指名されて、私は慌てて立ち上がった。黒板を見て、水の入ったポンプと何も入っていないポンプの絵を見比べた。私の心臓がどきどきと音を立てた。先生はあまり指名をしないので油断をしていた。

「同じポンプを……使わないと……」

 そこまで言って私は辺りを見渡した。クラス中のみんなの視線が私に集まってくると、もうダメだ。

(小萌、同じポンプを使わなければ実験にならないからだ、ぞ!)

「同じポンプを使わないと実験にならないからです!」

 聞こえてきた声にはじかれるように言うと、先生はにこりと笑った。

「そうよ。同じポンプを使わないと、違う結果が出てしまうかもしれないの。実験では、調べること以外の条件は一緒にしないといけないの。これは5年生になっても、中学校に行っても一緒なのよ」

 私はストンと椅子に座る。そして、みんなに隠れて頭を抱えた。

(さっきの声! 「オバケ」の声!)

 助け舟を出してくれていたのは嬉しいけれど、なぜなんだろうか。私はその日の帰りの会が終わると、ロケットのように廊下に飛び出した。なんとしても「オバケ」にきなくちゃ、と。

「といっても、すぐに来るんだけれど……おかしいな」

 いつもなら、大声で私を呼びに来るのに、その日は現れなかった。下足箱を見ると、もう外靴に履き替えている後だった。「オバケ」のクラスの子に聞いても、もう帰ったよ、と帰ってくる。でも、あの「オバケ」が家に帰るとは考えられない。

「もしかして……飼育小屋?」

 私は校舎の片隅にある飼育小屋に向かった。校門とは逆方向にあるので、子どもの姿はなかった。取り壊す準備をしているからか、飼育小屋の周りには立ち入り禁止のテープが張られていて、飼育小屋自体も金網がひしゃげていたり、壁の一部が欠けたりしていた。

「いた!」

「小萌?」

 オバケはランドセルを近くの花壇において、立ち入り禁止のテープの向こう側でうろうろしていた。

「なにしてるの?」

「……落とし物を」

「嘘は駄目だと思う」

「…………鋭いなぁ」

 目をそらす「オバケ」は沈黙に気まずくなったのか、頭を掻いた。

「小萌は気づいているんだな。僕が”普通”じゃないってこと」

「……」

 「オバケ」は苦笑して頬をかいた。

「大丈夫だよ。僕は小萌を傷つける気は全くない。むしろその逆なんだ」

「は?」

 ざぁざぁ、と飼育小屋を取り囲んでいる木々がうごめきだした。心なしか、夕暮れが濃くなっていくような気がした。空気も、だんだんと湿り気を帯びていく。

「なにが……」

「小萌! あぶない!」

 そういうなり「オバケ」は私を突き飛ばした。

「いたた……!?」

 私がいたところに大きなひっかき傷のような物ができていた。まるで鬼が地面をひっかいたような……。私の体から血が引いていくのを感じた。

「ひっ!?」

「小萌、大丈夫だ。まだ、日が出ているから大丈夫だ」

「だいじょうぶってなにが?」

墜神おちがみよ、この者は関係はないでしょう!」

 「オバケ」が声を張り上げると、飼育小屋の方向から強い風が吹いてきた。すると、私の頭に何かが落ちてきた気配がした。

「!?」

 べちゃり、と音のしたそれは瞬く間に消えた。ふと顔を上げると、「オバケ」が私の目の前に立っていた。「オバケ」の顔は怒っているように赤かった。視線を下げると、「オバケ」は長い棒を持っていた。どこから出した、なんていう間もなく「オバケ」は歯を食いしばって私を見下ろしている。

 怒っているけれど、どこか泣きそうな顔にも見えた。

(どういうこと……?)

「小萌、このまままっすぐ家に帰るんだ」

「なによ。いつもは一緒に帰ろうってうるさいのに」

「いいんだ。今日は」

「なんでよ」

「すまない。だが、これは仕方のない事なんだ」

「勝手にすれば……」

 私は手に力が入っていくのを感じた。あんなにうるさいのに、急に黙りこくった「オバケ」の勝手にいらいらしたのかもしれない。

「小萌……」

「何でもかんでも、自分勝手にやってさ! 私の気もちも知らないで、勝手に何でも言わないでよ!」

「小萌、そういうわけじゃ……」

「もう知らない! あんたなんて、どこにでも行けばいいんだ!」

「………」

「どこから来たかは知らないし、知ったことじゃないけれど、私達のきょうだいに入ってこないでよ!」

「…………」

 「オバケ」はその言葉をどんな気持ちで聞いたんだろう。「オバケ」の目が丸くなり、そしてぎゅっと閉じた。

「そう、そうだよな……。そうなんだよな、うん」

「わかったでしょう? 私たちは4人きょうだいなの」

 「オバケ」は目を閉じたまま何度もうなずいた。まるで私のことばを痛いほどわかっているようで、私はそれが逆にいやだと思えた。

「うん。だから、小萌」

「なによ」

「短い間、でいてくれて、ありがとう」

 ありがとう。繰り返された言葉に私が視線をそらした瞬間、ふわっと優しいにおいが鼻にくっついて、そして消えた。

「え?」

 視線を再び戻した時、そこにはだれもいなかった。お兄ちゃんのお下がりのランドセルも、手提げ袋も、何もかも無くなっていた。引き裂かれた地面の傷だけが生々しく残っている。


 家に勝って来ると、やっぱり一人分減っていた。お箸も、コップも、歯ブラシやタオルでさえも。元通りの「家族」に戻ったはずなのに、どこかぽっかりと穴が開いたような気がした。

「今までがおかしかったのよ。これでいいのよ」

 私はそうつぶやくと、宿題をランドセルから出した。お姉ちゃんは塾に通っているので、リビングには私しかいない。いつもだったら「オバケ」がおやつを作りながら宿題を一緒にしていた。

(いつも、ってなによ。おかしいに決まってるじゃない)

 私はよぎった言葉に頭を振った。宿題を終え、テレビを見ているとお兄ちゃん達が帰ってきた。部活が終わったみたいだ。

「おかえりー」

「ただいま。そして、お帰り、小萌、或斗」

「!?」

 或斗、という言葉に私はびくっと肩を震わせた。岳斗君もあると、という言葉が出たことに驚いている様子だった。

「岳斗、誰だよ。或斗って」

「そ、そうだな……。小萌、宿題は終わったか?」

「う、うん! 大丈夫だよ、岳斗君」

 私は時終わった算数ドリルをぱっと二人に見せた。

「あの、あのね。岳斗君、あのね。飼育小屋が……」

「知ってる。クラスの奴が話しているのを聞いた」

「岳斗君、飼育委員だったから、寂しいんじゃないかなって」

「…………」

 軽くうなずいた。元気な陸斗君に比べると、岳斗君は元気を吸い取られたかのように大人しい。でも、怒ると一番怖いのは岳斗君だ。

「月丸にも結局会えなかったしな」

「ああ」

「つきまる?」

 陸斗君から出た言葉に私は首をかしげた。

「俺に一番懐いていたウサギの名前だよ。結局、俺が卒業した後はどうなったか分からなかったけれど。飼育小屋が壊されるって事なら、月丸はもう死んじゃったんだろうな」

 岳斗君が懐かしむようにつぶやいた。そういえば、岳斗君が夕ご飯の時によく話していたっけ、月丸って。月丸の話をする時の岳斗君の顔はとてもうれしそうで、まるで兄弟みたいに……。

 ずきり、と心臓がいたくなった。


――「短い間、でいてくれて、ありがとう」


「……………いかなきゃ」

 私はそうつぶやいた。なんで、行かなきゃ、なんて思ったかは分からない。けれど、心の底から”行かなくちゃ”って思ったんだ。

「小萌?」

 陸斗君が顔をのぞき込んできたけれど、私は上着をぱっとつかむと玄関から飛び出した。慌てて飛び出したから、靴のかかとを踏んでしまった。慌ててつま先で地面を蹴って靴を履きなおす。

 ふと、空を見上げるともう夜になっていた。遠くでかすかに夕焼け色が残っているけれど、もう夜といってもいいくらいの暗さだ。でも、私の足は止まることなく走り出していた。じりじりと灼けたアスファルトが昼間の熱を放っているから、ジワリと汗がにじむ。それでも、足を止めるわけにはいかなかった。

 初めてかもしれない。

 誰かのために走るなんて。


 

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