第14話 四日目 昼



「御霊さーん」


 井上が白い息を吐きながら、こちらに向かって歩いてくる。私もまた、彼の方へと歩み寄っていた。

 外は怒涛の猛吹雪で、視界が著しく悪い。分厚い雲に覆われた空が、なお視界を悪くしていた。


あらたは見つかりましたか」


「いや、こっちにもいなかった。彼の靴がなかったから外に出たと思われるんだが、この吹雪だと足跡すらよく見えない。少なくとも別荘周りにはいないんじゃないだろうか」


「…まさかあいつ、助けを求めに向かってしまったんじゃ」


「馬鹿な。今日はここ四日間で一番天気が悪いまであるぞ。自殺行為だ」


「この状況で、正常な判断力を失ってしまったのかも…」


「昨日までそんな兆候は全くなかったから、そんな事はないと信じたいが」


「しかしそれなら、どこに行ってしまったって言うんです」


「もしかすると、殺人犯の魔の手に堕ちてしまった可能性も」


「やめてくださいよ。縁起でもない」


「可能性を挙げたまでだ。私だって、新堂が生きていると信じたいさ。ところで、私を呼び戻したのは何か別の理由があるんじゃないのか」


「そうです、そうです。別荘内を捜索していた柾が、おかしなものを見つけたって」


「おかしなもの?」


「ええ。台所まで来てくれって言ってました」


「……仕方ない。外の捜索は切り上げて、柾のところへ行こう」


「………はい」


 新堂は生きているのだろうか。それだけが不安だった。


 今迄行動を共にしてきた彼に対し、情の様な物が芽生え始めていたのは確かだ。しかし、それが原因で、これから先の行動に鈍りが生じてしまってはいけない。


 情を捨てろ。


 今迄だって、そうしてきたじゃないか。


 私は最後の言葉を反芻はんすうしながら、井上の背を追った。




「御霊さーん、素数もとかずくーん」


 柾は既にキッチンで待っていた。


「柾、おかしなものを見つけたってなんだ?まさかあらたの死体じゃないだろうな」


「違う違う」


 かぶりを振って井上の言葉を否定する柾。


「そこの冷蔵庫…なんだけどね」


 柾が指さした先にあるのは、どこの家庭でも見られるような普通の冷蔵庫だ。特筆すべきは結構真新しいモデル、という事ぐらいだろう。台所の奥側の壁に、ぽつんと置かれている。


「あれがどうした?」


「中身がね、みーんな右側に偏ってたの」


「は?」


「だからね、冷蔵庫を開けてみたら、中の物がみーんな右側に偏ってて。何か変だなぁって」


 柾がそう言いながら冷蔵庫を開けると、確かに中の飲み物などが右の方にまとめて置かれていた。


「本当だ。けど、それがどうかしたんだ?」


「鈍いな井上、中の物が右に偏っているという事は、という痕跡に他ならない」


「え?……あっ」


 私の言葉に、井上もようやく気が付いたようだ。柾が冷蔵庫を押して右に傾け、右側の壁に寄りかかる様にする。丁度45度ぐらいだ。


 冷蔵庫が置かれていた床。


「ゼル伝だと、『テレレレレレレーン』って効果音が流れるとこだよねぇ」


 ちょっと何言ってるか分からない柾を無視し、私は扉の取っ手に手を掛けた。井上の心配そうな視線を感じた。


「御霊さん」


「確認は必要だ。新堂が中に閉じ込められてるかもしれない」


「全員で行こ」


 柾の言葉に、井上も黙って頷いた。


 扉を開けると、溜まった臭気が一気に外に出てきた。井上が鼻を押さえる。


「うっ……」


「どうやら、ただの食料庫じゃない様だな」


「破魔はここの事を知っていたと思いますか?」


「その答えは恐らくイエスだろう。言う必要がないと思っていたのか、敢えて隠していたのか、はたまた後で言おうと思っていたのかは、今となっては分からないが。

間違いなく言えるのは、破魔は中までは確認してなかったんだろうな」


 開けた扉も、45度でカチッとハマった。井上でもなんとか通れる位の隙間だ。


梯子はしごが見えるな」


 私の視線の先に、掛け梯子が暗闇の中にうっすら見えた。中に照明らしき物はない。


「先行くぞ。次に柾、殿しんがりは井上で頼む」


 それだけ言って、私は地下扉の中に身体を潜り込ませた。


「気を付けて…くださいね?」


「百も承知だ」


 スマホの照明機能を付けてポケットに入れ、梯子を降りていく。意を決した様子の柾と井上も後に続いてきた。


 梯子は3メートルも降りないうちに底に辿り着いた。人がいる気配はない。


「さっきから…なんなんでしょう、この臭い」


 井上はまだ鼻を摘まんでいる。


「肉と…血が腐った臭い、かな」


 私がそう言いながら、スマホの照明を中に向ける。


「きゃっ」


 柾が小さな悲鳴をあげた。灯りが照らした先には、まるで地上の小綺麗な別荘とは違った、異様な光景が広がっていた。

まず大きく目を引くのは、壁に掛けられた数々のジャック・ナイフだ。20本はある筈だ。そのどれもが鋭く磨かれ、銀色に輝いている。

それに…机が一つあるが、その上には何かの肉片が放置されていた。臭いの原因はこいつらしく、蝿がたかり始めている。


「何かの動物の肉らしい。毛皮も落ちている。どうやら、ナイフの試し切りでもしていたんだろうな」


「なんなんでしょう…この地下室は」


 井上が眉をしかめながら私に話しかける。


「少なくとも、ただの娯楽部屋って訳じゃなさそうだな」


「『ジャック・ナイフ』の潜伏場所じゃ…ないですか?ナイフも沢山ありますし」


 柾が見たまんまの事を言う。


「それを模倣した誰かがここを使ってたって可能性もあるだろ」


 井上はこの部屋にかなりの苦手意識を抱いている様子だが、柾は動じた様子が全くない。つくづくしたたかな女だ。


その時、私の足に何かが当たった。カツン、と音が響く。


「ん?」


 足元を照らし見ると、それはただの鉄屑だった。よくよく見ると部屋の隅にガラクタが積まれており、そこから転げ落ちたものらしい。錆びた斧や、鉄パイプなど、武器になりそうなものまである。


「これは…ボウガンか」


 ガラクタの中に、比較的真新しそうなボウガンがあった。矢はつがえられていない。そしてガラクタの中にも、矢は混じっていない様だった。


「後は目星い物はなさそうだな。引き上げよう」




 再びエミリーの部屋に戻ってきた3人。改めて捜索してみたが、やはり別荘内に新堂がいる気配はない。


「新堂くん、大丈夫かな」


「彼の事を信じるしかない。私たちは私たちに出来る事、即ちエミリーの事件の調査をしよう」


 改めて室内を見回すと、今迄の事件とは一風変わった現場状況であった。

何よりもまず目を引くのは、であった。それに近づいてよく見てみると、何の事はない、中身を吐き出したペイントボールが付近に転がっていた。


「このペイントボールは、エミリーが持ってきた物で間違いないな?」


「はい。俺の記憶が正しければ、丁度2個持ってきていた筈です。確か『ジャック』を捕まえる為だとかなんとか言って」


「抵抗の痕跡、か…」


 エミリーの死体があったのは部屋のほぼ中央、例によって首のほぼ正面にジャック・ナイフが刺さっていた。ナイフの柄には血がべったりだ。


「今回のケースは、破魔が殺された時と似ているな。現場にほぼ証拠が残っていない、犯人が特定しづらい状況だ」


「…御霊さんは、命懸けで犯人を捕まえる気があるんですか」


「なに?」


 井上が睨む様に此方を見ている。


「もう3人も殺されてしまった。もしかしたら、新堂も殺されてしまったかもしれない。それなのに、御霊さんは常に冷静というか、必死さが伝わってこないんです。

犯人だからとは言いませんが、探偵だから、自分は殺されないと思ってゲーム気分でいるんじゃないですか。

こっちは…いつ殺されるか気が気じゃないのに。精神もいい加減限界に近いんですよ。御霊さんは、最後の1人になるまで犯人をのんびり追い詰めようとでも思ってるんですか?」


 井上が一気に捲し立てた。柾が横から諌める。


「言い過ぎだよ素数くん。御霊さんだって、こんな時間に巻き込まれて私たちの為に協力してくれてるのに。それに、素数くんだって誰が犯人なのか分かってないんでしょ」


「それは」


「いや…そう見えたのなら申し訳なかった」


 私は頭を下げた。井上は何も言わない。


「だが、真相には着実に近づいている。今夜までに、犯人を指定する」


「本当ですか」


 井上が目を見開く。意外だったのだろう。


「ある程度目星は付けていたのだが、これまで決定的な証拠に欠けていた。しかし、もう私たちも限界が近い。この部屋を調べ終えて、推理の構築が完了したら、広間に集まろう」


「分かりました。それまでの間、私たちに出来る事はありますか?」


 柾が申し出る。


「…コーヒーを淹れてくれ」


「それだけでいいんですか?」


「あぁ。充分だ」


「それじゃ早速。素数くんも手伝って」


 井上はこちらを見続けている。


「…失礼な事を言ってしまい、すみませんでした」


「構わない」


 2人は部屋を出て行った。


 私は目を閉じて想いを馳せる。


 私を快く別荘に招き入れてくれた破魔。


 勇気のきっかけを掴んでいた竹之内。


 最期まで疑心暗鬼の虜となっていたエミリー。


 そして私に盤石の信頼を寄せていた新堂。


 皆、いなくなってしまった。


 彼ら彼女らの為にも、この事件に決着を付けなくてはいけない。



 私は、去っていってしまった者の為に、再び祈りを捧げた。

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