第9話 三日目 朝
三日目朝。天気は雪。昨日の吹雪よりも若干弱まるも、依然外出出来ず。
「……6時半か。全員いるか?」
「………5人」
「……が起きて来てない…」
「まさか……」
「…私とお前で行こう。他の皆は食堂で待機していてくれ」
「…急ごう」
廊下を走る2人の姿。部屋へ向かう間、一言も言葉を交わさない。
「……着いた。鍵はどうだ」
「…掛かっています。外から回りますか」
「いや、蹴破った方が早いと思う。頼めるか」
「…分かりました」
3発目の蹴りで、バキッという音と同時に扉が少しだけ内側に開いた。
「…どうやら、扉の前に何か置いてあるみたいです」
「2人で押し開けるしかない」
万力の力を込めて扉を押すと、ズズズと何かを引きずるような音と共に、扉が徐々に押し開かれていく。
なんとか人1人通れる広さになり、順番に中に押し入った。
扉の前には、ドレッサーと椅子がバリケードの様に置かれていた。どうやらこれが扉を塞いでいたらしい。部屋に入った途端、強い冷気が体全体を震えさせる。
然程広くない部屋に、それは一発で視界に入ってきた。窓辺に横向きになって倒れ込んでいる、男性の姿。
「竹之内!!」
右隣にいた井上が、すぐさま部屋の奥へと駆け出す。私はほぼ無意識に部屋の扉を閉めた。竹之内の安否も気になったが、その前に確かめたい事がある。
まず部屋に入ってすぐの場所にある、トイレの扉を開ける。誰かが潜んでいる気配はない。次にクローゼットを開ける。服がいくつか収納されていたが、やはりここにも誰もいない。机の下、ベッドの下、布団の中。誰もいない。間違いない。
そこまで調べて漸く、私は窓辺へと近づいた。
「井上。…竹之内は」
「………」
何も語らぬ井上の姿が、彼の死を物語っていた。竹之内を見ると、首の右側にジャック・ナイフが深々と突き刺さっており、夥しい量の血液が服まで赤く汚していた。
窓の付近を見ると、窓枠や近くの壁にまで血が飛び散っている。余程激しく出血したに違いない。
窓は左側のガラス窓が右側にスライドされるようにして、ほぼ完全に開け放たれていた。部屋が寒かったのは、こいつの所為に違いない。
「部屋の中には誰もいなかった」
「…とすると、犯人はこの窓から逃げたという事ですか」
「いや…見てみろ」
私につられて、井上が外を見、呆然とする。
部屋の外は一面銀世界が広がっていた。真っ平で、足跡の影も形もない雪の平原だった。5mほど奥に白樺の森が広がっているのが見えるが、そのどこにも、雪原の美を侵した形跡がない。
「………もう少し、詳しく調べてくる必要があるな。皆を呼んでこよう」
私の言葉にも、井上は今だ外に釘付けになったままだった。
*
「夜に降った雪で足跡が消されてしまったんじゃないんですか?」
御霊さんに竹之内の死を知らされ、私と柾、それに(嫌々ではあったが)エミリーが竹之内の部屋に集まり、死体の発見状況を聞いた時の、私の第一声がそれだった。
「…普通の雪の密室であれば、新堂の言う通りだっただろうな。しかし、今回は少し事情が違ってくる」
「と、言うと?」
御霊さんの言葉に少し首を傾げる。
「新堂。ちょっと窓の外に出て立ってみろ」
「現場保存は大丈夫なんですか?」
「もうスマホで写真は撮ったし、状況の詳細もメモに残したから問題ない」
御霊さんに促され、私は半信半疑で身体を窓から乗り出し、パルクールする。
ズボッ!!
「うわ!!」
私の身体の、なんとほぼ半分弱が雪に埋まってしまった。雪の深さは腰の少し下あたりだから、70センチ程もあるだろうか。この状態だと、歩くのはおろか一人で抜け出す事すら不可能になってしまった。
「分かったか?この別荘の裏手は当然誰も雪掻きなどしていなかったから、雪が積もりに積もっている。こんな場所を歩いて通ったのなら、かなり深い足跡、いや人間の跡が残る。たった一晩の降雪では、消えない程のな」
「わ、分かりました。分かりましたから助けてください」
井上と柾に手を貸してもらい、なんとか部屋の中に戻る。足は完全に
「あまり現場を濡らすなよ」
御霊さんに素っ気無く言われ、複雑な気持ちのまま雪を払い落とし、そのまま固めて外に放り投げた。
「御霊さん…死亡推定時刻は、分かりますか?」
柾が神妙な面持ちで御霊さんに尋ねる。
「死体が冷気に晒されていたと思われる事から、範囲を絞るのはかなり難しいな。
少なくとも死後3時間は経っていると思われるが、具体的な範囲を限定するのは危険だと考える。よって目撃情報から死亡推定時刻を割り出したいんだが…皆が最後に竹之内と会ったのは、何時ごろだった?」
「あ、もしかしたら俺かもしれないです。御霊さんの部屋から出てきた竹之内と話したのが、20時丁度か少し過ぎぐらいだった筈です」
「あぁ、確かにそれぐらいの時間だったな。間違いない」
御霊さんが同意する。その後皆にも尋ねてみたが、20時以降で竹之内の姿を見たり、彼の部屋を訪ねたと証言する者はいなかった。
「では、竹之内の死亡推定時刻は、20時10分から午前3時半の間としようと思う。異論はないな」
エミリー以外の全員が首を縦に振った。エミリーは少し離れた位置で黙りこくっている。御霊さんが続ける。
「状況を整理しよう。殺されたのは竹之内宝作、死因はこの首の右側に深々と刺さったナイフで間違いないだろう。
しかしながら、私と井上がこの部屋に来た時、鍵が掛かっていた上に、蹴破って中に入ろうとするとドレッサーと椅子がバリケードとして置かれていた。恐らくだが、竹之内自身が設置したものだろう。犯人がこんな事をしても意味があるとは思えない。
私はこの部屋に入った直後、すぐに室内を調べたが、間違いなく誰も中に潜んではいなかった」
一呼吸置き、御霊さんは額の汗を拭った。
「そうしてこの部屋の扉が侵入不可であり、犯人がこの部屋に隠れてもいなかったのなら、残る出入り口はこの部屋の奥側の窓だけだ。
この窓は私たちが入った時から開け放たれていた。当然鍵は掛かっていなかったし、こじ開けられた様な痕跡も見受けられなかった。
だが、窓の外は一面綺麗な積雪約70センチの白い大地が広がっており、ここを人間が通ったのなら朝までの降雪で覆い隠せぬほどの痕跡が残っただろうに、それが全く見受けられなかった」
御霊さんは、手元の黒いノートを見続けている。
「つまり、扉から出るのは無理、窓から出た形跡もない、部屋の中にもいない。……という事は、つまり」
「あぁ。この部屋は、不完全ながらも『密室』だったと言えるだろうな」
そう言い切った時の御霊さんの表情は、真剣ながらもどこか愉しそうな雰囲気があるように感じられた。探偵とはそういう生き物なんだろうか。
「やはり、開け放たれた窓と、竹之内の死体が窓の傍にあった事が不自然ですね。とすると、この窓が密室トリックを解く鍵になると思います」
井上が鋭く指摘する。
「あぁ。私も同意だ」
御霊さんも頷いた。
「でも、往来の跡なんて後からどうとでも隠せると思うんですけど。隠す為の雪ならその辺にいくらでもありますし、この部屋から出て、来た道を戻りながら、自分の後ろをスコップとかで
私がとりあえず思いついた事を言ってみる。
「新堂くん、足跡を消す為に
それに足跡を消すだけなら、何もしなくても後から降る雪が少し積もれば分かんなくなっちゃうじゃん。窓の外の往来の痕跡を完璧に消す事のメリットが、まるでないと思うんだよね」
「うっ…それは、そうだけど」
柾のド正論に返す言葉もなかった。
「犯人が馬鹿正直に別荘の外を行き来したとは到底思えないな。そもそも窓に鍵が掛かっていたらこじ開けるか竹之内自身に開けさせるしかない。そんな事をしていたら最悪逃げられるかもしれないし、その上助けでも呼ばれたらその場でお縄の可能性すらある。随分と間抜けな犯人だと思わないか」
御霊さんが追い打ちをかける。なんだか涙が出てきた。が、同時に私の頭の中に閃くものがあった。
「そうだ!ナイフを投げて竹之内の首に突き刺したんですよ。事前に竹之内に窓から顔を出してくれって、何のかんの口実を付けて言っておいて。それに別荘の別の窓から投げたのなら、足跡は残らない。これなら完璧じゃないですか?」
私の推理に、皆沈黙した。きっと圧倒されているに違いない。
「新堂」
「はい」
「私の助手ポジションにいるのだから、もう少しまともな推理をしてくれないか」
「え」
「竜大ミステリ同好会会員の恥だな」
「う~ん…漫画の読み過ぎじゃないかなぁ」
「ダサイですね」
フルボッコである。しかもエミリーにまで毒づかれた。
「ど、どこがおかしいんですか」
「そうだな…試しにこのボールペンを、この部屋の扉に向かって投げてみてくれないか。扉に突き刺す様なイメージでな」
「いいですけど…?」
私は御霊さんから貰ったボールペンを紙飛行機を飛ばす様に持ち、水平に飛ばすイメージで左手から勢いよく放った。
が、ボールペンは水平に飛ばず、5,6回転しながら扉にぶつかって落ちた。
「あ、あれ…確かに水平に飛ぶように投げたんだけど…」
「棒状の物を水平に刺さるよう投げるって言うのは、簡単そうに見えるがかなり難しいんだ。
漫画やアニメでたまにナイフ投げをするキャラもいるし、そういうのが得意な人も実在はするが、現実では相当長い期間の訓練を必要としているらしい。的となる首は精々10センチ四方ぐらいしかないし、それに犯行時の外は風もあっただろう。窓と窓の間、数メートル先から竹之内の首を正確に狙って一撃で刺せると思うか。ナイフ投げの達人であっても、20回に1回刺さればいい方だろうな」
「うぐ……」
全く反論の余地がなかった。
「けれど、別の窓から狙ったって線はいいと思います。例えば、長い棒状の物の先端にナイフを取りつけ、首を刺す。そして先端のナイフの部分だけ手元のスイッチか何かで取り外せるような、特殊な構造の武器を使ったのではないでしょうか」
井上が続けて推理を披露する。なんだかいいとこ取りされた気分だ。
「ところが、その殺害方法も少し妙な事になる」
「妙な事?」
御霊の言葉に、井上が反応した。
「いいか、この別荘の見取り図を見てくれ。竹之内の部屋は1階のここだ。
別の窓から竹之内の部屋の窓から首を出した竹之内を刺したとなると、その右隣の破魔の部屋からしか狙えないのは分かるな?この部屋に鍵は掛かっていなかったから、誰でも出入り可能だった事はいい。しかし、問題は窓と窓との距離だ」
「あ……」
井上が気づいたようだ。流石の私でも、こうして図を見るとすぐに理解出来た。
「竹之内の部屋の窓から破魔の部屋の窓まで、ゆうに8メートルはありますね。つまり凶器となる槍状の武器も、それぐらいの長さが必要になる。そんな物を持ち歩いていたら流石に不自然ですし、隠し場所もない。殺害方法としては不自然って事ですか」
私の指摘に、今度は井上が悔しそうに黙りこくった。
「仮に、特別製の折り畳み式の槍であったとしてもだ。槍という武器の一般的な長さは3メートル前後。それ以上長くなるとしなってしまい、狙いがつけづらくなる。柄の端を持った時の重さも相当なものだ。8メートルもの槍を使いこなすには、それこそ戦国時代の武将のように、長い訓練を続ける必要がありそうだ。
私もこんな殺害方法を実際使ったかと聞かれれば、答えはNOじゃないかと考えざるを得ない」
「……そうですね」
御霊さんが再び追い打ちをかけ、井上は敢え無く討ち取られてしまった。
「御霊さんは…今回のトリックについてはどう考えてますか?」
柾が御霊さんに問う。
「…考え方としては新堂や井上の様に、遠距離から首を狙ったと思われる状況だと思う。しかし、まだ情報が足りない」
御霊さんでも分からないのか…。私は少し絶望感を覚えたが、名探偵と言うのは、トリックの全貌を解くのはいつもクライマックスになってからだ。御霊さんもそのタイプなのだろう。
……本音は、一刻も早く事件を解決してほしいのだが。
「さて、新堂」
御霊さんが私の方に向き直った。
「例のあれは、どうだった?」
「え?あぁ、あれですね。朝のうちに全部確認しておきました」
「あれってなぁに?」
柾が首を傾げる。
「説明してやれ」
御霊さんに促され、私はごくりと唾を飲み込んだ。
「実は昨日の就寝前に、全員の部屋の扉にある細工をさせて貰ったんです。当然この事は、俺と御霊さんしか知りません」
「細工?」
エミリーが怪訝そうに聞き返した。
「はい。御霊さんから、夜に誰かが部屋から出たのか分かる仕組みを仕掛けてくれと言われて、シャーペンの芯を俺以外全員の扉の蝶番の所に挟んでおいたんです。挟んだのは確か、21時40分頃で、朝に目覚ましをかけて確認したのが5時丁度。その間に部屋から出た人がいれば、シャーペンが折れて落ちてるという寸法です」
「そんな事してたんだ…なんだか、探偵が犯人に罠を仕掛けるって感じ、いいなぁ」
柾がぽーっと見惚れている。
「でもよ、新堂」
井上が口を挟む。
「確かにその仕掛けなら、俺と世良、エミリーが真夜中に部屋を出た事は分かるよ。でも御霊さんの部屋に仕掛けても意味ないだろ。
何かを仕掛けるって事は分かってるんだから、部屋から出た後新しいシャー芯を挟み直して、その後はずっと部屋の外にいたかもしれないんだからよ」
「それはちょっと違うんですよね」
井上の言葉を遮る。
「実は俺、何か仕掛けをしてくれと言われただけで、具体的に何を仕掛けるかは御霊さんに教えなかったんだ。それに挟んだのはピンクのシャー芯だったから、新しい芯を用意して挟み直す事も出来ない」
「ぴ、ピンクのシャー芯?そんなもの持ってたのか」
「1週間前に、妹からたまたま貰ったのを持ってきたんだよ」
と言っても、「使わなくなったからあげる」と半ば無理やり押し付けられた代物だったが、こんな形で役に立つとは。
「それで…シャー芯が折れてて、部屋から出たって証拠が残ってた人は、だぁれ?」
柾に促され、私は一度息を深く吸い込んだ。
「井上とエミリーです」
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