第2話 一日目 昼

-12月20日 10時40分-



「さ、着いたぞ。降りた降りた」


 破魔の掛け声に従って、私はのろのろとワゴン車を降りた。吐く息はあっという間に真っ白に染まり、北の大地のしばれた空気が痛々しく頬をつねった。

 車から降りた場所は、一面銀世界であった。まだ踏み荒らされていない新雪がうっすらと積もり、木々に囲まれた景色を一変させている。


「どうした、元気ねーじゃネーか」


 破魔がバシバシと背中を叩く。細身だが肉付きの良い体格をした、所謂細マッチョといった風体の男性だ。彼の特徴である少しロン毛気味の茶髪は、青いニット帽を目深に被っていたため見えなかった。

 彼は『ハマりん』の綽名あだなでよく呼ばれている。


「昨日4時まで起きてたんで、寝不足なんだよ」


 私は苦い顔を隠そうともせずに答えた。こいつの挨拶代わりのスキンシップは、未だに慣れない。


「なんだ、だから車ん中でずっとうとうとしてたのか。そりゃー自業自得だなぁ。今日肝試しをやるってことは、1週間ぐれー前から言ってただろ」

「それは、そうだけど」


 私、新堂新は肩をすぼめた。昨日はTwitter繋がりの友人と、遅くまでTRPGのオンラインセッションをしていたのだ。リアルでの先輩同級後輩の繋がりも重要だと思っているが、私にとってはネット繋がりの友人も同じくらい大事な繋がりだった。


「どうせゲームでもしてたんだろ~?新堂はすぐのめり込んじまうんだからさ」


 竹之内が後ろから声を掛ける。縁なし眼鏡を掛けた、黒髪短髪の知的そうな男性だ。如何にも暖かそうな厚手のジャンパーのボタンの隙間から、彼のトレードマークであるアーガイル柄のセーターが見えている。彼はファッションに疎いのか拘りが過ぎるのか、年から年中アーガイル柄の服ばかり着ている。夏ですら、アーガイル柄のシャツを羽織っていた。

 そのため、『アーガイル』というのが彼の綽名だった。縮めて『ガイル』だとか、『ガイちゃん』など、バリエーションも豊富だ。


 「ほい新堂、これ持ってついてこい」


 破魔が雑にシュラフを2つ寄越す。空いている両手で何とか受け止めた。ギリギリ前方が確認出来たため、目の前にある建物を視認出来る。

 2階建てのオリエンタルな外観の別荘だ。白と黒を基調としたカラーリングが主張をし過ぎず、また雪掻きや雪下ろしがなされていないため、純白に覆われたその姿は、人里離れた異空間のような異様な雰囲気を放っていた。別荘の周りはうずたかく積もった雪と、白樺の林に囲まれている。


「へぇ…思ってたより綺麗だね。中古って聞いてたから、もっとボロっちい見た目なのかと思ってた」


 私の真横にいた柾が感嘆した様子で見惚れながら、のんびりとした口調でひとちた。柾は竜王大学、通称竜大の同学年の中でも10本の指に入る美人と評される女性だ。ピンクアッシュと呼ばれる少し桃色がかった長髪で、末端に行くにつれウェーブがかったヘアスタイルも絶妙にマッチしている。髪型だけでも分かる通り、ファッションには非常に拘りがあるらしく、グレーのコートは防寒機能として物足りなさそうに見えるものの、彼女は寒さなどおくびにも出していなかった。

 彼女は異性からは『世良ちゃん』、同性からは『せーちゃん』と呼ばれる事が多い。


「おー、これがカワイーですねぇ。ワクワクですねぇ」


 柾のそのまた隣にいた、エミリーがニコニコしながら頷く。彼女はカナダから来た留学生で、今年で来日2年目らしい。向こうでも日本語の勉強をしていたらしく、まだ日本に来て間もないにも拘らず、日常会話レベルなら(若干怪しい部分もあるが)問題なくこなせている。容姿は黒髪を三つ編みのおさげにしており、一部の男子層から熱烈な支持を得ていると聞いている。

 彼女は『エミ』と呼んで貰えるよう周りに言っている。『エミ』と呼ぶ度に、嬉しそうな表情で応えてくれるので、何だか照れ臭い気持ちにさせられてしまう。


「ここが、か。もっと不気味な見た目してるかと思ってたよ」


 井上素数もとかずがクーラーボックスを抱えながら呟く。素数もとかずは唯一の私の同学年で、高校も一緒だった旧知の仲だ。特徴として、殆ど前が見えないんじゃないかというぐらい伸ばした黒い前髪が目を引く。とにかく知恵が回り人心掌握術に長け、年上に気に入られるのが得意な男だ。それでいて厭味ったらしさもないので、私も彼の事がいたく気に入っている。

 一風変わった名前からの連想で、小・中・高は『ソスウ』と呼ばれていたらしい。大学では『神父』と呼ばれている。私はそのまま『素数もとかず』と呼んでいる。


 以上、自分を含め男子4名、女子2名の計6名。破魔の運転する車と、柾の運転する車に分乗してこの別荘に訪れた。北海道は少し街から離れると途端に山だらけ平野だらけの自然だらけの大地であるが、この別荘もまた、都市部から離れた山岳地帯に居を構えているのだった。


「ハマりんの家って、ほんと金持ちだよなぁ。こんないい別荘を買えるだなんて、どこのブルジョワジーだっての」

「親父の海外事業が最近、調子いいミテーだからな。まぁ俺は末っ子だし、そのおこぼれを授かってるみたいんなモンだ」


 素数の素直な感想に対し、破魔が謙遜する。仲間には決して尊大な態度を取らない親しみやすさも、こいつが嫌いになれない理由の一つだった。


「ハマりんの家のお父さんって、確か鉄鋼の輸出をやってるんだっけ?」


 柾が雪道を歩きづらそうにしながら会話に割って入る。


「あぁ。あんま規模は大きくないんだけど、その分小回りが利くってユーの?世界各地飛び回って、需要があるトコに鉄を売ってるって感じ」

「それでも、やっぱすげーよ。この別荘にまつわるって、本当なのか?」


 竹之内が興奮気味に食いつく。


「あぁ。つってもネット上のだけど。ぜ」

「ワーオ!シリアル・キラー!!」


 エミリーがキャッキャと嬉しそうに笑う。


「よく笑ってられるね…」


 私は溜め息をついた。こいつらはこんなおどろおどろしい場所に来ているのに、よくそんな陽気でいられたものだ。そんな同学の面々を眺めながら、私は昨日見たスマホの特集記事のことを思い出す。



 最初に事件が起きたのは今から1年半ほど前、北海道のある地方都市で首にナイフの刺さった女性の遺体が発見された。女性は30代前半のOL、死亡推定時刻は夜中の23時頃で、事件当時は有力な目撃情報や監視カメラの映像がなかったことから犯人が特定出来ず、土地勘のある地元の人間による犯行だとか、悪質なストーカー男が犯人だとか、マスコミも断定と憶測が混じったような報道が飛び交っていた。


 その更に3か月後、今度は別の地方都市で同じくナイフが刺さった遺体が発見された。今度は20代後半の男性で、最初の事件と同じような形状のナイフが使われていたとのことだった。銘柄こそ違うものの、凶器はジャック・ナイフ、正式名称はフォールディング・ナイフと呼ばれるもので、所謂いわゆる折り畳み式のナイフだ。やはり有力な証拠を得られなかった事、二人には全く関連性がなかった事も含め、警察は同一犯であるとの見方を示した。マスコミは地元の人間説とストーカー説を一辺にへし折られたため、船頭を失った船のような二進にっち三進さっちもいかない報道ばかりだった。


 次に事件が発生したのがその1か月半後、北海道の主要都市であるS市の中心部だった。なんと白昼堂々駅近くの路地裏にて、男子学生が倒れていたのだ。気づいた通行人が助けようとすると喉には深々とジャック・ナイフが刺さっており、応急処置の甲斐もなく男性は死亡した。現場付近には大勢の通行人がいた訳だが、誰も彼にナイフを突き立てられた瞬間を目撃していないのだと言う。また現場から走り去ろうとする怪しい人物もやはり目撃されておらず、警察は現場に居合わせた通行人たちを可能な限り事情聴取したが、犯人逮捕には未だ至っていない。


 それどころか、そのまた4か月後には警察を嘲笑うかのように別の地方都市にてジャック・ナイフを喉に突き立てられた20代前半の女性の遺体が発見された。マスコミは犯人捜しよりもむしろ無能な警察を責め立てるような論調が目立つようになり、警察も威信に賭けて大規模な捜査活動を行ったものの、現在も犯人は似顔絵すら公開出来ていない有様である。

 この一連の事件の事を、どこから広まったのか、『ジャック・ナイフ連続殺人』と呼ばれるようになり、犯人の事をそのまま『ジャック・ナイフ』や『ジャック』と呼ぶようになったという。


「それで、『ジャック・ナイフ』がこの別荘に潜伏していたって噂は、どれぐらい信憑性しんぴょうせいがあるものなんだ?」


 物は試しと、破魔に聞いてみることにした。


「ん、まぁ『この近隣でナイフを持った怪しい人影を見た』だとか、『空き家の筈の家から微かな灯りが零れていた』だとか、そういう感じのツイートがだな」


 破魔の目が明らかに泳ぐ。どうやら眉唾まゆつばレベルの噂しか入手していないようだ。


「まぁまぁ!探検ついでに1泊2日の旅行と思って楽しめゃいいんだよ!」


 そう言いながらまた私の背中をバシバシ叩いた。厚着とはいえ痛い。


「竜大ミステリ同好会1年グループの最初の野外活動としては、これぐらいがちょうどいいっしょ」


 竹之内が飄々ひょうひょうとした様子で笑う。全員が別荘の正面扉の前に立った。


「破魔くん、鍵は?」

「はいはい、ちょっと待ってなって」


 柾にせっつかれ、破魔がポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込む。


「マスターキーですかー?」

「いや、ここの扉の鍵。マスターキーはまだ管理会社んトコで、ここの鍵だけちょろっと借りてきた」


 エミリーの問いかけに軽く答えつつ破魔先輩が鍵を回し、扉を勢いよく開けた。

 中は薄暗い。ほこりが扉を開けた勢いでふわりと舞い、扉から差し込む光できらめいた。


「うっわ、埃臭っ」

「一度業者が清掃したんだが、2週間前だからな。多少の埃は我慢してくれ。さ、荷物を運びこむぞ」


 破魔の指示のもと、私たちは車に積んだ荷物を次々運び込む。と言っても寝具や食器類は中にある物を使えるようにしたとの事で、私たちが持って来たのは衣服類や食料品の類いが殆どであった。


「エミ…そのバッグからはみ出してる物って、なぁに?」


 柾がエミリーの背負っていたリュックに目を付ける。中から何やら金属の鎖の様な物がはみ出していた。


「これですかー?ハンドカフ、日本語名で手錠でーす!」

「て、手錠!?一体どんなプレイをするつもりなn痛っ!」


 暴走しかけた竹之内を破魔がチョップで制する。


「もしかして、ソレで『ジャック』を捕まえるつもりか?」

「そうでーす!相手は危険なシリアル・キラーですよ?ほかにも色々防犯グッズを持って来ましたー!」


 有効性はともかく、エミリーはすっかりノリノリの様子だ。私としては、連続殺人鬼と戦う様な展開は御免被ると思わざるを得なかった。


「流石、エミリーは準備がいいな!竜大ミステリ同好会の鑑だ!お前らも見習え!」


 何故かエミリーが褒められた。


「でも柔道有段者の破魔がいれば、そんな道具がなくても『ジャック』なんて簡単に捕まえられるって」

「褒めても何も出ないぜ、神父」


 素数の言葉ににやける破魔であったが、私も同感であった。破魔は高校時代、県大会で優勝経験のある柔道選手だ。今もジムに通って鍛えていると聞くし、下手な通り魔相手では逆に相手を抑え込んでしまうだろう。


「さて、ようこそ!我が『ジャック・ナイフ館』へ!」


「なんすか?その絶妙にセンスのないネーミング」

「しかも…『我が』じゃなくて、『父親の』…だよね」

「そういうのいいんで、荷物どこに置けばいいかだけ教えてください」


 破魔の発言に対し、全方向からツッコミが入る。


「……食いモン関連は奥の方にあるキッチンに置いてくれ。冷蔵庫もある。そのほかの荷物は1階の広間か、1階と2階にある個室に入れてもいい。個室は6部屋あるんで、好きなトコ使ってくれ」


 破魔が少しシュンとなって、キッチンと広間、そして階段のある方を指さした。



「ふー、これで全部か…」


 自分の荷物を2階の個室に置いて、ようやく一息つくことが出来た。個室は6畳ほどの広さのごくありきたりな造りだ。ベッド、机、椅子、棚、電気ストーブと最低限の物は設置されているが、それ以外の家具はテレビはおろか電気スタンドすらなかった。

 部屋の奥へと進み、曇り硝子の窓を開け外を覗く。別荘の周囲は雪を被った白樺に一面覆われ、お世辞にも景色がいいとは言えなかった。


「シンシン~、先に始めてるぞー!!」


 『シンシン』というのは私の綽名だ。新堂新だから新新でシンシン。パンダみたいで、私はあまり好きではない。最も、この綽名で呼ぶのはこのメンバーだと破魔と竹之内だけで、素数は普通に『あらた』と呼んでいる。


「今行くってのー」


 聞こえているかどうか微妙な声量で返答し、部屋を出て1階に向かう(この時窓を閉めるのをうっかり忘れていたため、後程大変寒い思いをした)。広間に辿り着くと、すでに私以外の全員がソファに腰かけていた。3人と2人に分かれて座っている。


「ほら、新の分」


 素数が飲み物で満たされたコップを手渡してきた。それを受け取って、私も井上の隣に座る。


「それじゃ、探検は乾杯の後と言うことで…」

「探検?もしかして、ハマりんもまだ中をちゃんと見てないんか」


 竹之内が破魔の言葉に割って入る。


「あぁ、図面は受け取ってるケド、実際に中に入るのは初めてだな。まぁ業者が軽く清掃しちまってるから、目ぼしいものは残ってないだローし…」


 なんのための探検なんだ?それは。


「それじゃ、一先ずお疲れさんの乾杯!」


 破魔の言葉と共に杯を交わす。今夜は楽しい一夜になる。そんな予感がした。

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