第2話

 一週間が経った。

 そして雪代は校長に……なるはずもなく、今日も今日とて楽しく過ごしている。

 ちなみに雪代は僕や裕二のグループに所属している。

 まあ、実際のところ、環境が悪いせいでEクラスは全体を通して妙な結束感があるため、グループ分けとかスクールカーストとかはあってないようなものだ。


「なんつーかさ、いまさらなんだけどよ……炭酸、欲しいよな?」


 裕二のその発言は、本当に唐突だった。


「裕二、いきなりどうしたのさ?」と僕。

「いやな、考えてみろよ。いまこうして俺達が話している間にも、Aクラスの連中は炭酸を飲んでいるわけだろ?」

「ココアかもしれないよ?」

「どちらにしろ、だ。やっぱり、クラス間で差別があるのは変だろ?」

「そういう学校なんだから仕方ないよ」

「伊織、おまえに欲はないのか?」

「……で、炭酸を飲むために何をするのさ?」


 僕は強引に話を逸らす。

 本題に戻ると言った方が正しいか。


「そりゃあ……拝借するしかないだろ」

「ただし、永久に返さない?」

「おまえが理解力のある奴で助かった」

「えーっと、どういうこと?」と雪代。

「要するに、Aクラスのドリンクバーから取ってくるんだ、炭酸をな」


 裕二はどうしても炭酸が飲みたいらしい。

 自販機で買え、とは思うが、たぶん、無料で飲めるならそっちがいい、とか考えているのだろう。


「でも、それって厳しいんじゃないの?」


 ここまで黙っていた高坂が口を開く。


「いや、コップなり何なりに炭酸を入れて戻ってくるだけだ」

「そう聞くと、あまり難しくないかも」

「だろ」


 やっぱバカばっかだな、うちのクラス。


「というわけで、この作戦に参加する奴は、欲しい飲み物を言え」




 裕二が炭酸全般、康介がオレンジジュース、高坂がコーヒー、雪代がカルピス、僕がココア。

 それで話がまとまった。


「俺を含めて五人か。十分すぎる」

「なにか案があるの? 裕二」


 ひとり涼しい顔をしている裕二に僕は問い掛ける。


「まあな。康介、耳を貸せ」


 そう言われて顔を近付けた康介に、裕二が作戦を伝えた。


「……きみ、天才か」

「わざわざ口に出さなくてもいいんだ、康介。俺はみんなのためを思って案を出したに過ぎないからな」

「裕二、俺が女だったら惚れてるぞ」

「来世は女に生まれるといいな」

「ああ。……じゃあ、俺は行く。オレンジジュースは頼むぞ」

「任せておけ」


 康介が教室を出て行った。


「さて伊織、次はおまえだ。耳を貸せ」


 僕は裕二から作戦を聞いた。


「なるほど。面白い」


 女子ふたりはキョトンとしていたが、作戦内容は伏せておく。

 仮に作戦が失敗した時のため、被害はできる限り抑える。


「じゃあ高坂、雪代。僕達は行ってくる。ふたりは大船に乗ったつもりで待っていて」

「「わかった」」


 僕と裕二は廊下に出る。

 それから少しして、Dクラス付近のスピーカーから音が聞こえた。


『えー、避難訓練、避難訓練。家庭科室から火が……火事が起きました。皆さんは早急に素早く急いで手っ取り早くグラウンドに避難してください』


 もちろん嘘だ。

 いまのは康介が声質を変えて虚偽の放送をしている。

 あとからのお咎め?

 Eクラスの生徒がそんなことを気にすると思うな。


「俺達が動くのは一分後だ。いいな?」

「いいよ」


 Dクラスが慌てて外に避難して行くのが見えた。

 そして一分後。


「行くぞッ!」


 僕と裕二はAクラスに向かって駆け出した。

 Dクラスには目もくれず、Cクラスにも目もくれず、Bクラスは一瞥だけして、僕達はAクラスの前に着いた。

 扉からすでに高級感が違う。

 本来なら入ることを躊躇うが、いまは中に誰もいないだろう。

 僕達は躊躇なくAクラスの扉を開けた。


「炭酸もらいに来たぜ!」

「ココアとオレンジジュースとコーヒーとカルピスもらいに来たぜ!」


 明らかに僕の負担が大きい点については触れないでおこう。

 僕達はAクラスに足を踏み入れ、辺りを見回した。

 とても綺麗な教室だ。

 教室の後方には種類豊富なドリンクバー。

 椅子は僕達の使っている物とは雲泥の差。

 机はよく見ると、ひとつひとつ高さが異なる。

 生徒ひとりひとりに合わせているのだろう。

 また生徒の数だけ、学習用タブレットが備えてある。

 そして極め付けは、やはり椅子に優雅に腰を掛けているAクラスの生徒達。


「……ん?」


 Aクラスの生徒達?


「バカな!? 誰も避難していない、だと!?」と裕二。


 僕と裕二は動けないでいた。

 そんな僕達の元に、Aクラスの生徒のひとりが近付いてきた。

 女子生徒だ。

 その生徒を一言で表すなら……『女王』が適切か?

 理由はわからないが、彼女がAクラスのリーダーなのだと理解できた。


「あなた方は?」


 その声で耳が蕩けるかと思った。

 カリスマ性のある声とでも表現しようか。


「人に名前を聞く時は、まず自分から名乗るって昔から言ってだな」


 裕二が負けじと相手に噛み付く。


「あらあら。威勢がいいですわね」

「そりゃどうも」


 ふたりが話をしていると、別のAクラスの生徒がやって来た。

 彼女はやって来るやいなや、裕二に指を向けた。


「透華、あいつは石原裕二。あっちが小林伊織」


 当然とばかりに彼女は答える。

 まさか、僕達のことを知っている生徒がAクラスにいたとは驚きだ。


「そう。石原さんに、小林さん、ですか」

「だったら何だ?」

「いえいえ」

「まあいい。そんなことより、おまえ達はなんで避難していないんだ? Aクラスっていうのは避難警告を無視する不良の集団だったのか?」


 裕二が挑発すると、女王の横にいる生徒が敵意を剥き出した。


「Eクラスの分際でッ!」


 飛び出そうとした彼女を、女王が手で制止する。


「Aクラスは随分と沸点が低いんだな?」

「Eクラスは損得勘定もできない無能の集団ですのね?」


 裕二と女王が互いに睨みを効かせる。


「まあいいです。争っても仕方ないですから。それと先ほどの石原さんの疑問の回答ですが、さすがに悪戯の放送には騙されませんよ」

「悪戯の放送?」と僕。

「Eクラスの川上康介さん。違いますか?」

「っ! なんで知っている?」


 客観的に見ても、僕は明らかに動揺していただろう。

 あの時の康介の声は本人と特定できないくらいには変えてあった……はずだ。


「彼女……斎藤美里が教えてくれたからです」


 斎藤美里というのは、先ほど裕二に噛み付いた生徒の名前だろう。

 それにしても斎藤美里……信じ難いが、ひょっとして生徒全員のことを覚えているのか?

 僕にも、そんな記憶力はない。

 ……いや、嫌な偶然だったと考えよう。


「それで、あなた方は何をしにここへ?」


 女王が本題に向かう。


「避難警告が聞こえたんでな。慌てて移動したら避難場所を間違えたんだ」


 裕二の言い訳は即席にしてはよくできていたが、それでも苦しい。

 というのも、先ほどの放送が虚偽の放送だと、僕がつい認めてしまったからだ。

 そのことを女王も理解しているのだろう、彼女は「苦しいですよ?」とでも言いたげな目を裕二に向けている。


「炭酸が欲しいんでしたっけ?」


 女王が裕二の目的を言い当てる。

 言い当てるも何も、裕二が初っ端に叫んだから筒抜けだったのだが……。


「知ってるなら回りくどいことするなよ」

「いえいえ。Eクラスの方と話せる数少ない機会でしょうから。なんでも、IQが二〇も離れていると、会話が成立しないらしいですよ?」

「ってことは、俺達の会話が成立しているところを考えると、あんたの頭は相当悪いことになるな」

「猿でもわかるように話しているだけのことですよ?」

「猿が相手なら、ここであんたが襲われても、事故で片付きそうだな?」

「あら? 挑発に乗ってくると思ったのですが、存外に冷静な返しですね。Eクラスの生徒にしては、驚きですわ」

「俺は挑発でもしなきゃ行動を起こせないAクラスの無能に驚きだ」

「主観的に見ても客観的に見ても、あなたの方が無能なことに気付いていませんこと?」


 素直にレベルの高い議論……というか罵り合いだと思った。

 裕二の毎日の雑談で鍛えたトーク力は伊達ではないらしい。


「まあ、いいですわ。あなた方、わたくし達の領域に土足で足を踏み入れたことは万死に値しますわ。よって、いまからあなた方の処罰を定めます。……美里、お願い」

「わかった」


 すると、斎藤がAクラスを一度、グルリと見回した。


「えーっと、こいつらの処罰だけど……殺処分がいい人ー?」


 おい、いま殺処分って言ったか?

 聞き違いだよね?


「…………」


 少し待っても、手を挙げる者はいなかった。


「じゃあ……停学処分がいい人ー?」


 一斉に手が挙がる。

 くっ……勢いに身を任せないタイプの人間の集まりか、Aクラスは。


「じゃあ賛成多数で、あんた達は停学処分だね。退学じゃないだけ、ありがたいと思いな」

「あなた達が僕達を停学に追い込めるんですか?」


 僕は意を決して口を開いた。


「簡単でしょ。だって、悪戯の放送で全校を巻き込んでんだから」

「…………」


 何も言い返せなかった。

 まだ一年生なのに、停学だと?

 やめてくれよ、そんなの。

 でも、状況を覆す手段がない。


「……っ……」


 僕は歯噛みする。

 これは、受け入れるしかないのか?

 そんな風に考えていた時だった。


「こんなところにいたか。小林くん達」


 それは後方から聞こえた。

 僕の後方……即ち、Aクラスの入り口。

 僕はそこを見る前に、誰が来たのか理解していた。

 確信を持った上で、後方を向く。

 雪代沙織がいた。

 いまはEクラスで待機しているはずじゃないのか?


「雪代か。どうしてここに?」


 僕は冷静を装いながら、雪代に尋ねる。


「ああ、なんかカルピスとメロンソーダを混ぜたくなってね。石原くんの炭酸をメロンソーダに指定しに来たんだ」


 当然とばかりに雪代が答える。


「それはいいんだが……この状況は?」


 雪代が周囲を見回す。

 一瞬、ドリンクバーで目を固定し、すぐに視線をズラす。

 その視線の先には女王がいた。


「む……きみがこのクラスの──」

「可愛い!」


 雪代の言葉は最後まで続かなかった。

 女王が遮ったからだ。

 その声は、先ほど裕二と罵り合っていた時よりも楽しげだ。


「美里! 彼女は!?」


 食い気味に女王が斎藤を見る。


「彼女は……すいません、わかりません」

「そう」


 女王は視線を雪代に戻す。


「ねぇあなた! わたくしと少しお話しましょう?」

「わたしと? それは別に構わんが……その前にきみは?」

「わたくしは神宮寺透華ですわ!」


 そのまま雪代達は教室を出て行った。

 いまの何だったんだ?

 さて、そうしたら僕達はAクラスに取り残されたわけだが……。


「裕二、どうする?」

「愚問だな。いまのあいつ……神宮寺だったか? たぶん、あいつがAクラスのリーダーだ。なら、いまの状況は好機。違うか?」

「裕二。さっきの言葉、そのまま返すよ。おまえが理解力のある奴で助かった」

「言うじゃねぇか、伊織」

「裕二もね」


 そして僕達は同時に口を開く。


「「決闘だ!」」

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