第5話 高梨課長は猫が飼いたい(5)

――西川課長視点


 私は余計なことを言ってしまったと、心の中で思いっきり後悔していた。

 いや、猫好き仲間としてつい猫との付き合い方をアドバイスしてしまったのは後悔していない。

 猫好きな人に悪い人は居ない、それが私の信念なのだし。


 猫を真摯に飼いたいといっている人のサポートをするのはボランティアスタッフとして当然だと思う。ただ、それを実地で訓練するなどというのは正直やり過ぎだと思うし、言わなければ良かった。


 彼女相手だとその苦手意識が重荷にならない気がする……何故かは分からないけれど。同じ猫好きということが影響しているのだろうか。


――まあ、いつまでも女性が苦手という訳にもいかないから、苦手意識を払拭するいい機会なのかもしれないな。


「この猫カフェは、僕がよく利用する店なんです。店員さんの意識が高い、優良店ですよ」


 店の前に立った私は、汗をハンカチで拭う。

 よくよく隣の彼女を見ると、先日の譲渡会の時を思わせる硬い表情になりかけている。


「大丈夫、先日の譲渡会の子たちとは違います。ここの子たちはいわば接客のプロですから。多少緊張していても、そこまで怖がりません」


 少し声がうわずってしまったが、言わんとするところは伝わったようだ。 

 高梨さんの表情はわずかに柔らかくなったような気がした。


 私は店頭の様子をちらりと眺める。

 一見すると喫茶店にも見える、洋風のレンガ作り風の建物だった。

 赤い三角屋根が特徴的で、開放的な高窓が設けられているため屋内はずいぶんと明るく見える。


 角地にあることから考えても、元は喫茶店なのかもしれないなと思った。そう考えて見れば、あちこちにそういう名残が見える気がする。


 はめ殺し窓がいくつかあるレンガの壁に、「NYANTOニャント Cafe」という店名がオシャレにデザインされた看板が掛けられている。ちなみに漢字では「猫と喫茶」と表記するらしい。何故知っているのかと言えば、この店のポイントカードを持っているからだ。


 私はガラス戸を開けて中へ入ると、観葉植物やマスコットキャラクターの人形が置かれているカウンターで待機していたお姉さんへ話しかける。


「いらっしゃいませー、ニャンとカフェへようこそー」


 いかにも猫が好きそうな(私の偏見だが)、垂れ目でおっとりとした口調のお姉さんである。


「あ、西川さんですね。ポイントカードはお持ちですか?」


「はい、ここに。二人で2時間コースでお願いします」


「分かりました。それでは、お支払いをお願いいたします」


 私は財布を取り出そうとした高梨さんを手で制して、ジャケットのポケットから財布を取り出す。ポイントカードにスタンプを押してもらい、支払いをクレジットカードで済ませる。


「言い出したのは私ですから、支払いは持たせてください」


 そう言った私に、高梨さんはなにか言いたそうだったが、店員さんが説明を始めそうだったので結局何も言わなかった。


「彼女さんはぁ、このお店初めてでしょうからぁ、ご説明ぃーさせていただきますねぇー。まず、店内に入る時は靴を脱いでいただきます。右手に靴箱がありますので、靴を入れてぇ、キーで施錠してくださぁいね……」


 お姉さんは細々とした注意事項の説明を始める。

 すでに注意事項を把握しているのというのもあるけれど、このお姉さんの口調を聞いていると眠くなってきてしまう。いかんいかん。


「いや、残念ながら彼女じゃありませんからね」


 別に言わなくてもいいとはおもったのだが、やんわりと否定する。


「あらー、そうなんですかー、残念ですぅー。うちの子たちは基本的に人なつっこい子ばかりなんですけど、そこのツリーにいる三毛猫のシャムちゃんなんか、初見さんにオススメですよ」


 そう言って、店員さんはラミネートされているメニュー表兼猫かわいがりマニュアル(!)を手渡すと、レジの方へ戻っていく。


「それじゃ、行きましょうか。大丈夫、ここの子たちは人に慣れてます。人間から辛い経験をさせられたことがない子たちです」


 なるべく笑顔でいようと精一杯彼女に微笑みかけてみたが、その一方でその笑顔がキモくないだろうかと心配する。


「分かりました。では、挑戦させていただきます!」


 そう言ってまた力みが入ったぎこちない笑顔を浮かべた高梨さんに、私は苦笑しながらもやんわりと首をふる。


「もっと気楽にやりましょう。これは仕事じゃないんですから。失敗してもいいんです」


「……そう、ですよね。私、苦手なんです。どんなことでも手抜きをしてはいけないと母に厳しくしつけられましたから」


 自嘲気味にそう言って笑う彼女の顔はどこか寂しげな顔に見えた。


「ここでは失敗しても誰も責めません。なにしろ、ここでは猫が王様で人間は家臣に過ぎませんからね」


「ふふっ、たしかに、そうかもしれませんね」


 高梨さんの視線の先には、ツリーハウスの円形の『枝』の上で前足を突き出して大あくびをしているハチワレの猫がいた。

 そのハチワレ猫はでっぷりと太って貫禄のある体型で、人間をちらりと見たりはするがまったく動じる様子がない。


「王様の貫禄ですね、この子」


「ちょっと、遊んでもらいましょうか」


 私は備え付けのカゴの中からネズミのぬいぐるみがついた竿状のおもちゃを取る。そして、ルアーフィッシングよろしくハチワレ猫の顔の前にネズミを落としてみる。

 だが、ハチワレ猫はやる気のない反応だった。少しばかり前足でひっかくように反

応するが、今居る場所から動こうとしない。


「ずいぶんものぐさな猫ですね。なんとなく親近感が沸くけど」


 苦笑しながらも私はネズミのおもちゃを左右に動かしてみるが、ツリーハウスから動こうとはしない。


「この子なら、さわらせてもらうのも簡単かもしれませんね」


 そう言って高梨さんに促すと、今度は力みのいくらか取れた笑みが浮かんでいる。その表情が少女のように無防備な笑みで、私はつい表情が硬くなるのを自覚する。

 この瞬間まで気にならなかったのに、今は妙に意識してしまっている。


 それでも、嫌な気分ではないのが不思議だった。

 そんな複雑な心境の私をよそに、彼女は恐る恐る手をハチワレ猫へ伸ばしていく。もちろん、私のアドバイスどおり目線を合わせないように指だけを近づけている。

 ハチワレ猫の方はというと、高梨さんの方を見てもにゃあとやる気のない鳴き声をあげて寝転がっている。


 ようやくハチワレ猫の頭に指先を触れることができた高梨さんは、つぼみの向日葵ひまわりが咲いていく倍速撮影の映像を思わせるような笑顔を浮かべた。

 彼女はそのままいとおしそうに猫の頭を撫でていたが、ハチワレ猫は逃げることなくその場で寝っ転がっている。 

 ぽかんと口を開けて高梨さんの嬉しそうな顔に見蕩れてしまっていたぼくをあざ笑うかのように、ハチワレ猫は「ナー」とやる気のない声で鳴き、ついには大あくびまでしてみせた。

「西川さん、触れました。私、触れましたよっ!」


 一方、高梨さんは興奮気味に私の手を握って喜んでくれた。

 私は柔らかい手のひらの感触にドギマギして、顔が赤くなるのを感じた。


「あっ、すいません。私、つい」


 そう言ってはにかんだように笑う彼女から、私は目を離すことが出来なかった。

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