第3話 高梨課長は猫が飼いたい(3)

「それで、うちの旦那さまは職場でどんな感じなんですか?」


「基本的には真面目なんだが、ちょっと抜けているところがあってね。この間もプレゼンの資料を間違えて……」


 なんとなくその光景が想像できて、私はにやりとさせられてしまった。

 何をするにしても、彼は詰めが甘いのだ。特に何か一仕事を終えた時に、うっかりミスをやらかす癖がある。


「そういう所は職場でも変わらないんですね」

 ちなみにうちの旦那さまは、居心地が悪くなったのか「ちょっとゲームをするから」と書斎に引っ込んでしまった。高梨さんとの会話が思ったよりも盛り上がったせいで、居心地が悪くなったのかもしれない。


 普段の彼なら、お客さんが来ているところで引っ込んでしまうなんてことはあまりなかったから。旦那さまには申し訳ないことをしてしまったかもしれない。


――たしかに、上司とおくさんが自分の職場での話をしていれば居づらくなるよね。あとで少しは優しくしてあげようかな。でも、すぐに調子に乗るからなあ。


 ちなみに、高梨さんは整った容姿についつい警戒してしまったのが申し訳ないくらい、素直で嘘のつけない人だった。

 けれども、うちの旦那さまの言を信じる限り、仕事場では完璧超人と呼ばれるほど隙の無い、仕事に厳しいキャラクターなのだという。


 なんとなく、無理をしているのじゃないかなと直感で思う。

 今回の事件、猫ちゃんが怯えて放尿してしまった件の原因も、なんとなく完璧にやり遂げようとし過ぎた結果なのではないか。

 特に確証はないけれど、私は彼女の事を見てそう思うようになっていた。


 そのとき、ピーという耳慣れたドラム式洗濯機の電子音が響く。

 会場で借りたジャージの洗濯乾燥が終わったのだろう。

 意外に長いこと話していた気がする。

 スマートフォンの着信音が響き、高梨課長さんは画面を確認する。


「そろそろ、頼んでいたタクシーが到着しますので、そろそろ失礼しますね。今日は本当にありがとうございました、助かりました」


「いえいえ、私も旦那さまの職場での話が聞けて楽しかったです。うちのでよろしければ、また存分にこき使ってあげてください」


 その言葉にクスッと笑った課長さんは、少女のように素直に笑う。

 やはりこの人、もっと笑えばモテると思うのだけれどな。


          ◆


 その次の週の月曜日。

 会議室で短いミーティングのあと、私は西川課長に呼び止められた。


「あ、ちょっと残ってくれるかな? 個人的な事で話があるんだけど。すぐ済むからさ」


「いいですよ? ただ、ちょっとお昼を約束している娘がいるので、ちょっと連絡していいですか?」


「うん、それはもちろん」


 西川課長は、空調が効いているはずなのにハンカチで汗を拭き取りながら、困ったような笑顔で頷く。

 私はLIMEで「ごめん、ちょっとだけ遅れるかも」と我那覇ちゃんにメッセージを送る。


「大丈夫です、待ってますから」というメッセージと、犬がお手をしているコミカルなイラストのスタンプが送られてくる。

 私は内心で苦笑しながら、「ごめんね」のスタンプを返す。


「で、どんな用事なんですか?」


「それがさ、今度の日曜日にこの間の高梨さんにお詫びしに行くことになったんだけど……」


 不安げな顔でうつむいていた西川課長は、助けを求めるチワワを思わせる顔で続けた。


「何か困ったことでも?」


「ほら、私、女性はどうも苦手でね……」


 そういえば、西川課長といえば何故ずっと独身なのかよく女子社員で話題になる人だった。熊を思わせる体型だけれど顔はまあまあだし。よく気が利いて優しい人だから、恋人の一人でもいておかしくない。


「あー……そういえば。でも私も女性ですよ?」


「うっ……まあ、君の場合職場の部下だから。仕事だと割り切ると、最低限は話せるんだよ」


 言いにくそうに西川課長は目線をそらす。

 この課長さん、間違いなく人は良いのだけれど、良すぎて部下に渡すべき仕事まで抱え込む癖あったりする。単に人が良いだけでなく、この部署は女子社員が多いので頼みにくいのかもしれない。

 

「単純に弁償するだけなら、振り込みにさせてもらおうかと思ったんだけど。向こうの人から借りたジャージを返すついでに、猫との付き合い方を伝授してくれと言われてね」


「猫との付き合い方、ですか。確かに課長なら教えられるでしょうね。保護猫ボランティアをしてるんですよね?」


「うん、まあそうなんだけど……自宅で飼ってる訳じゃないからね。もちろん、基本的なことは教えられるけどね」


「意外ですね、てっきり何匹か飼ってると思ったのに」


「一人暮らしだと、なかなかね。今住んでいる部屋、ペットNGの物件だから」


「なるほど。たしかにそうかも……で、どうするんです? 直接行くんですか、行かないんですか?」


「行かないとね……他のスタッフにも聞いてみたけど、用事があるとか、西川さんが行くべきですと言われてさ」


「じゃあ行くしかないですよね。ボランティアといっても、責任はありますよね?」


「うん、行かなきゃいけないとは思ってるんだけど。君、悪いけど一緒についてきてくれない? しっかりお礼はするから」


「うーん……そういうの一人で行くべきだと思いますけど?」


「そこをなんとか!」


「と言われましても……」


「離れたところから見守ってくれるだけでもいいから。助け船を出してくれとまでは言わない」


 必死になって懇願されると、なんだかこちらが悪いことをしているような気になってくる。まあ、西川課長にはお世話になっているから、少し付き合うくらいはいいか。


「分かりました。でも、直接私は関与しませんからね。あくまで見守るだけです」


「ありがとう。いやー、助かった。心強いよ」


 そう言って頭を下げる西川課長に、私は内心でため息をついた。こういうところがモテない原因なのだろうなと、私は思った。

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